雪深い北国の温泉宿にひとりの男が訪れた。
「あら、先生‥‥」と、出迎えた女がおどろきの声をあげる。男は画家で女はその宿の若おかみなのだ。かつて、若おかみは画家のモデルをしていたことがあるのだ。
画家は裸婦の名手として画壇からは一目おかれる存在である。その画家の目からみても彼女の裸体は魅力のかたまりなのだ。
彼女の場合、背中のくぼみの線がそのままお尻の割れ目とつながっている。お尻の割れ目からも左右に線がのびているのである。画家の脳裏には自分の目でとらえたことのある彼女の裸体が甦っている。
ヨーロッパではこの体型のことを「ミカエルの菱形」といって、美人の最高の条件とされている。日本人にはこのような体型の女性は珍しいのであるが、彼女はまさにそのめずらしい女性なのである。
「ひとつお願いがあるのですけれど」とおもむろに切り出した。「じつはあなたの裸婦が描きたいのです。それもうしろ姿の‥‥」
女は一瞬戸惑った素振りをみせたが、「そういえば、先生はよくいってましたわね、キミのうしろ姿には『ミカエルの菱形』があるだよと‥‥」
「そうなんです、じつはその菱形を描きたいんです」
「いいですわ、先生に育てていただいたのですから」
女はこころよく画家の求めに応じた。
その晩にはひとつの日本間がにわかづくりのアトリエに変身していた。障子をまえにして畳のうえに真っ白い蒲団が敷かれている。その蒲団のうえには雪肌の彼女がうしろ向きに坐っている。そこにははっきりとミカエルの菱形があらわれている。
画家がかすかにうなずくと、デッサンをする手が動いた。そとは深々と雪が降っている。