今まで何度となくゆいと変わってやりたいと思った。
でも、そのたびに、こんなことどんだけ思っても願っても無理なことなんだから、やめようって思ってた。
今回は本当に本当に変わりたい、私が死んでゆいが助かるのなら
本当に死にたいって思った。
死にたいって軽はずみかもしれない。
分かってる。死んだら何もかも終わりだ。。。
今まで誰かのために死にたいなんか思ったこともない。
でも、この時はこう思った。
私は30年生きれたからいい。ゆいは、まだ1年ちょっと。
だから生きてほしいって。
でも、これも絶対叶わないことだった・・・
2010年11月5日(金)16時、研修医N先生が私たちを呼びに来た。
いつもはふざけるけど、さすがにふざけれない。
N先生も神妙な顔つきだ。
先生、そんな顔しないでよ・・・
静まり返ったカンファレン室に入ると、主治医T先生、K先生(大事な話の時だけ姿を見る上の先生)、病棟医長の先生、研修医、医学生、
担当看護師Hさんが座っていた。
ゆいと私、旦那が並んで座った。
主治医T先生が口を開いた。
「お父さん、お母さん、ゆいちゃん11月2日に胸部・腹部・骨盤部のCT、4日に骨盤部のMRIをとりました。こちらがその画像です。」
目の前のパソコンの画面に画像がうつしだされた。
T先生言葉が震えてる・・・
「原発のお尻の腫瘍は、放射線治療を始める前よりかは、若干は小さくなっていますが・・・
こちらが肺の画像です。」
画像を見た瞬間の気持ちは言葉では表せない。
「残念ですが・・・・肺に腫瘍がたくさんでてきてます・・・・・
肺転移の再発です。
数は数えきれない・・・
多発肺転移です。」
T先生は悲しそうに申し訳なさそうに私の顔ばかり見てる。
肺は素人の私が見ても分かるくらい白い丸いものがいくつも肺を塞いでいた。
私は、大きなため息をついたと思う。
足が震えて、手が震えて言葉が出ない。
T先生は続けた。
「それからこちらが腹部の画像です。これが肝臓なんですが・・・・
肝臓にも転移が見られます。」
肝臓にも白いものがいくつもうつってる・・・
「放射線治療前のCTでは、肺にも肝臓にも腫瘍は見られなかったです。放射線を照射したところは少しは効果があったようですが・・・
照射していないとこから新たに腫瘍が発見されました・・・
残念ですが、多発肺転移・多発肝転移が見られます。」
うるさい、うるさい、黙れ、黙れって言葉ばかり頭に浮かんでくる。
静まり返ってる。
誰も口を開かない。
「このような状態では手術は無理です。
そして完治は・・・・もう見込めません・・・・」
もういい、もういいよ、もう聞きたくない。
T先生もゆいの主治医で毎日ずっとゆいを見てる。
悲しくないわけない。
言葉に詰まってる。
私たちを気遣ってくれる分言葉がでてこない?みたいだった。
T先生の話を聞いても、私たちが無反応。T先生も言葉に詰まってる。
なのでここでK先生が口を開いた。
「肺・肝転移が見られる。それも多発。そうなると積極的な治療はもう行えない。今までお父さんもお母さんも、もちろん僕たちも完治を目標としてきた。でも、今日からは目標を変えないといけない。
完治から、この状態をどう維持するかに!」
目標か・・・
私はいつからかもう目標を失ってた・・・
「ゆいちゃんの今の状態で一番注意しないといけないのは肺です。
放射線治療前のCTにはうつってなかったのが、この1か月半でこんなに腫瘍がでてきてる。このスピードで腫瘍が大きくなれば、あと3か月、いや、2か月もしたら呼吸が苦しくなる。酸素が必要になります。
酸素が必要になればそこからはそんなにはもたない・・・
今のこの状態をいかに継続するかを今から考えないといけない。」
こう言われても、頭では分かってるけど私はもう心がついていかなかった。
言葉がでてこない。
震えが止まらない。
どうにか考えようとするも何も考えれない。
ゆいがいなくなってしまう。ただこれだけ。
抱っこしてたゆいを見た。
いつもの体勢、いつもの顔で私を見てる。
どうしたの?って。
ここで初めて涙が出た。
もう止まらない。
泣きながらこう聞いたと思う。
「ゆいは2.3か月しか生きれないということですか?」
「今の状態で何もしなければ、2.3か月で肺が腫瘍でうめつくされて
呼吸が苦しくなります。
肝臓で何か起こることは考えにくいです。
肺へのダメージが一番に出てくる。もちろん原発のお尻の腫瘍も増大してくると思います。
でも、やはり肺です。」
この話を聞いた日は11月5日。
1か月後の12月5日ゆいは亡くなった・・・