入院して2日目の朝がきた。朝10時くらいに婦長さんがきた。
「今日部屋移動してもらうのもう聞いた?」
もういやだ。部屋移動するということは入院が長くなるということ、絶対悪いものだ。ここまで一気に頭がまわった。普通はここまで考えないのかもしれないが、私は変に裏を読む。今いる部屋は あとから分かったことだが、感染の子が入る大部屋だった。それを感染の子が入らない大部屋に移動するらしい。
いやな予感のまま先生に呼ばれた。大きなカンファレン室だった。主治医のMO先生と今日担当の看護師Yさんそして私とゆいの 4人だ。MRIの画像をだしてMO先生がはっきりと
「お母さん、MRIで詳しく見た結果、左側お尻から左大腿部そして腹腔内にまで白いものが写ってます。はっきりいってここまで大きいとほぼ悪性と考えていいです。どこが原発なのかはまだ分かりませんが、筋肉からか神経からでてるものだと思います。」
ガツンとぶん殴られた衝撃というか今まで味わったことない衝撃をくらって私は泣くことしかできなかった。予想してたとはいえ直接言われたらやっぱりショックだった。ゆいは私に抱っこされたままジーっと泣いてる私を見つめていた。
私が最初に発した言葉は
「どれくらい生きれるんでしょうか?」だったと思う。
先生は多分私に気を使って明るく
「お母さんすぐにどうにかなるとか、1才まで生きられないとかそんなことはないよ」
じゃあ2才は迎えられるのか?と心のなかでは思ったけど、口にはださなかった。先生はこう断言したけど今から思えばすぐに何かあってもおかしくはない状況だったと思う。
沈黙が流れていた。その時整形外科の回診が回ってきたと連絡がきた。ゆいは入院時、股関節炎かもと整形外科の先生にお世話になってたからその関係で回診にきたのだ。
私は案内されるまま処置室に行った。そこにはTVなどでよく見る教授回診の軍団がいた。ゆいをベットに寝かせ服を脱がせお尻をだして整形外科の教授に見せた。教授はひとことこう言った。
「こんなになるまでなんで気づかないの?はぁ~(ため息)」
「すみません・・・」
こう答えるのが精いっぱいだった。教授のため息は、もうこれは 手遅れだよと言ってるように聞こえた。軍団はあっという間に去って行った。
お尻は入院してからも1日1日で急速に大きくなっていた。だけど、確かに教授が言ったようにもっとはやく気づくことができたんじゃないかと思った。
泣きながら病室には戻れないので、授乳室をかしてくれてそこで思いっきり泣いた。ばあちゃん(私の母)がちょうど来てくれた。 ばあちゃんはほんとはショックだったと思うけど、治療するしかないんだからがんばらんとと気丈に言ってくれた。
そのあと、部屋を移動し、ゆいをばあちゃんに預けて2日ぶりにお風呂に入りに実家に行った。とりあえず1人になりたかった。ゆいは赤ちゃんだけど、ゆいの前でずっと泣いてるわけにもいかないし。実家に帰ったら、私のひな人形(昔だから8段の大きいやつ)が飾られていた。そういえば、ばあちゃんがゆいの初節句にと 何十年ぶりかにだしてみたと確か言ってたな・・・ひな人形にお願いした。お願いします。ゆいを助けてくださいと。