2024/1/1のこと | トリネガ乳がんでも★わたしはワタシ★

トリネガ乳がんでも★わたしはワタシ★

2015年11月「乳がん」告知。
術前化学療法(FEC4×ドセ3)
2016年5月「乳房温存手術&腋窩リンパ節廓清」
病理検査の結果「トリプルネガティブ」が判明。
2016年7月「放射線治療25回」終了。
現在経過観察中。
アメンバー申請は現在受け付けておりませんm(_ _)m

 

あの大きな揺れから

二週間が経過しました。

 

 

 

 

当日のことを

少し書いておきたいと思います。

 

 

 


 

元日。

 

我が家には午前中から

夫の親戚たちが

順に二組来ておりました。

 

 

私は午前中は

特に体調が優れないので

どちらの親族にも

顔を見せることなくの

ぐーたら嫁しておりました。

 

 

帰られたのが14時頃。

 

 

 

 

そしてその約2時間後。

 

 

 

 

居間にいた私達夫婦は

1度目の揺れに合いました。

 

 

この時は、体感的には

震度2ほどで

言い方は悪いですが

「普段から体験する揺れ」

という感覚でした。

 

 

 

※まさかすぐに

あの大きな揺れが

起こるだなんて

この時は思ってもいません。

 

 

 

 

1度目の揺れの後

夫は、夕飯に

大根おろしを食べようと

庭の畑に大根を採りに

行っていました。

 

 

 

※ですので

夫婦別々の場所にいました。

 

 

 

1度目の揺れのあと

おそらく4~5分後くらいに

緊急地震速報の音が響きます。

 

 

 

すぐに揺れ出しました。

ガタガタガタッ・・・

 

 

 

同時に

地域の防災無線から

 

 

 

大地震です

大地震です

強い揺れに警戒してください

 

 

 

と大音量で流れてきます。

 

 

 

次の瞬間には

ゴゴゴゴッガタッガタッ

今まで聞いたことのない音と

経験したことのない

縦なのか横なのかも

はっきりと覚えていないほどの

とんでもない揺れがきました。

 

※わずか数秒の間に

以下のことが頭を駆け巡ります

 

自分がいる居間。

倒れてきて今一番危ないもの。

それは60インチのテレビ。

その他、直接倒れるものはなく

落下するものも時計くらい。

 

 

そう考えた私は

テレビを両手で押さえ

両足で踏ん張っていました。

 

 

 

 

※今になって思うのは

この時の私の行動は

本当は間違っているということ。

 

 

 

 

なにより

身の安全を確保しなくては

いけなかったので

机(我が家ではコタツ)の下に

入らなければいけませんでした。

 

長く激しい揺れが続き

テレビを押さえながら

私は叫んでいました・・・

 

 

お願い!!!

もうおさまってーーーっ!!!

 

 

自分が見える範囲で

揺れている間に落ちてきたのは

棚に飾ってあったフィギュアのみ。

揺れがおさまって
すぐに夫の無事を確認。
 
 
 
そして次の瞬間には
大津波、津波警報が発令。
 
 
 
私が住んでいる地域は
沿岸部からは離れているので
この時点での避難は
必要ないと判断できました。
 
 
 
そこからは
かなりの余震も続き
三半規管の弱い私は
完全に乗り物酔い状態で
とても胸が気持ち悪く
動悸も激しくなりました。
 
 
 
 
 
長くなりますので
次に続きます。