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10-20代は摂食障害→働くアラフォー

2018年〜妊娠育児,日々雑感.2022年〜2児母.アラフォー,時短勤務.
※開始初期(2009)摂食障害(過食,夜間摂食)ブログです. 2015〜寛解し上記変更(12歳で拒食症,その後食事制限依存→20歳で過食•抑うつ•不眠+夜間摂食症候群。夜間摂食は15年超も現在寛解)

 

にわかです。

流行りの映画とか、斜めに構えちゃったりしてあまり観られないです。

ドラマ、芸能人、ゴシップ、テレビ番組ほとんど興味なくみません。

家でamazon primeで国外の映画はたまにみる、漫画や小説は時々読むけど、好み偏りが著しいし、アニメも最近ほとんどみてない。そんな感じですが。

 

でもあまりにこの映画話題になっているし。

煉獄さんって何ー?と気になり。

極めつけは子育て中のままさんで、漫画は好きだけどアニメほとんど観ない人が、

ハマって何回もみたとか。

 

時間がうまくできた先日、何年ぶりで映画館いきました。

 

凄かったー!!

何より戦闘シーンや、走る汽車の映像の迫力。

プロ声優さんたちの演技と音楽にのまれ、

主人公の炭治郎に癒され、主役(といっていいと思うこの映画では)

の煉獄さんの生き様にもっていかれ。

また子を思う母の気持ちにのまれ。

 

数日たつのに興奮さめやらず、また観たいです。

いままで興行収入トップクラスの映画も、そんなに興味なかったし

面白いとか繰り返しみたいとか、なかったのに。。

(もののけ姫と千と千尋は映像もよかったけど)

 

きっとコアなファンはもちろん、子どもの付き添いのつもりの親とか、

ミーハー層とかも、観たらはまってしまう魅力があるんだとおもう。

それは興行収入凄いことになるわけで、、

ストーリー自体は、結末は衝撃だったけれど、中盤までは特別目新しいわけじゃないのだけど。

周囲におすすめして回ってるこの頃です。

楽しいことがあるって凄い。いや、楽しい話じゃ正直ないのだけど。

パワーがわく。

心が原動力って、本当だなあとおもいます。

 

 

 

11月ももう下旬。

やたら暖かい日もありましたが、街はクリスマス、、

感染症のこともあり例年より控えめな気もします。

少し落ち着いたかにみえた感染症も寒さや人の賑わいとともにぶり返し。

基本にたちかえるしかない

 

いつも、基本。 飛沫予防。マスクして、人混み大声くしゃみせきおしゃべり気をつける。ふいにあちこち触ってる手で、目や鼻口粘膜を触らない→こまめな手洗い消毒

 

閑話休題。

 

久しぶりに行った歯科医院でのこと。

初期の虫歯を指摘され、ブラッシング指導していただいた。

家族経営で、こちらも家族でお世話になってる。

ブラッシングの仕方なんて(とにかくはとはの隙間をかきだす、奥歯の磨き方手の角度など)

学校で教わったかな?とにかくコツがいる。

適当にやっても虫歯できない人はできないらしいが、

私の家系は虫歯もちだ。。

習ってみると、時間はかかるがスッキリ磨けていいのだけど、

ここ数年指導をうけてなかった。

何でもそうかもだけど、ひとは忘れる!し自己流!になってしまう、、反省。

それで、またブラッシング指導うけたのだけど、

その時は奥歯の磨き方のこつ(ひじをはってほおゆるめ奥の側面をしっかりみがく)をすっかり忘れてたわけで、、「初めて聞きました!」みたいにいっちゃった。

でも側で大先生いらして、あとで「昔教えたよ、、」と_:(´ཀ`」 ∠):

そのころには、たしかにこんな指導まえうけてたかも!

と思い出しつつあり、、

まるで大先生のとき教えてもらってませんでした!

みたいになってしまって、

浅はかな返答を反省した次第。。

つい出た失言。

こうゆうのを、辞めたい

口あけるまえに考えようよ少し。嘘はいいたくないんだし、

少し落ち着けば思い出したはずで

「教わったけど忘れてた、いま改めて教えてもらって感動した」

が私の本当の気持ちだったわけで。

 

 

ただそれだけ、かもしれないけど

こうゆうの、自分が嫌になる

人に合わせてポンポンこたえちゃうの雰囲気で。そうじゃなく

ちゃんと自分の言葉で思いで、話したい^^

 

愚痴っぽいです。

 

9月は環境変化などで抑鬱感が再燃したものの。

私のはだいたい予期不安なので、いざ始まって回りだすとその方が

少し良かったりする。

 

10月。大好きな秋。金木犀の甘い香りと涼やかな風。

だけどとにかくバタバタしている。

今週は特に仕事が忙しくて。

週4日勤務といっても、朝も忙しく保育園によって全力で仕事して

夕方、それでも早めに職場をでて、お迎えして帰宅。

園からの服の洗濯、明日の準備、夕飯準備に食べさせて自分も食べつつ(おなかすくので!) 汚されるので掃除に食器片付け。。

お風呂を洗ってためて子どもを風呂に入れ、でさせて着替えに歯磨き、

遊びに付き合いオムツかえて(帰宅して夜、大便するので)

トイレも綺麗にして、もっと遊びたいというのをなだめ絵本をよんで

寝かしつけ。。22時ころやっと一息なのだけど、そこから片付けや少し自分の身繕いして。。

書いてても気を失いそう!

 

とにかく、忙しい。

おまけに色々あって給与は減るという。。

 

イライラしている。

何に?

言うことをきかない子どもに。

忙しかったり無駄に時間がかかることで、拘束され疲れる職場に。

子どもとたくさんの時間を過ごせないことに

⇆だけど、丸一日一緒にいたらいたで、すごく疲れてしまう

趣味のことをやる気力も体力ものこらないことに

給与水準を減らされたことに(諸々、仕方ない面もあるのだけど)

もっと早く帰りたい

料理なんて、疲れてる時したくない。ほぼ冷凍やごっちゃにスープだけど。。

私よりずっと遅い夫はもちろん疲れて帰宅するんだけど、ご飯はあたためればオッケーの状態で。お風呂はわいてて。

手伝えるときは手伝ってくれるから、もちろん遅い日はむりってわかってるけど

イライラする。。

 

子どもと一緒にいたいんだろうか

こんな給与で、思うようにできず仕事に職場に拘束され疲れることに、

ものすごく憤りイライラしている。

 

うん、それだな。

子どもとの時間だとかワンオペ、家事、自分のこと諸々あるけれど。

先日かな、休めなくて病児保育つかいお金も体力も奪われぐったりだったのもあるけど。

 

解決がみえない

せめて、落ち着いていて早めに帰れる日は失礼して(帰宅して休んだり遊んでるわけじゃないのだ、ノンストップで家事育児してるんだから)

子どもの病気は休みもらって。有給だって何なら使って。

 

また、周囲に感謝できる余裕をとりもどしたい

不平不満にまみれてはもったいな。。

 

 

 

 

この数日、抑鬱が強まっている

心身疲れ夜中覚醒と夜中食べ(もう過食というほどじゃなくというほどではなくつまみ食い程度だったけど)がおさまらず

仕事をやめて、休んでまた徐々に復帰して、妊娠出産。

その期間は普通に抑うつ感って、私はもう長い付き合いであるのが普通だった。

ブログにも時々かいている。

何もしたくないできなくなるので、時間だけが過ぎて非生産的。

でも頭に水が入ったように重く憂鬱で何もかも無意味で楽しめない、

だからただすぎるのをまつ。

そんな感じ。 鎮痛剤みたいにのめばスッと抑鬱がひくものがあればと何回思ったか。

 

産後は、赤ちゃんの世話やご縁あって仕事を少しにセーブしつつ戻ったことなどで、

張りがでてバランスがとれていたのかもしれない

睡眠障害や夜中つまみ食いは止まずとも、ひどい抑鬱はあまりなかった。

 

この数日で急に、ああこんな感じだったっけと。。

 

仕事の曜日や給与変更や人員配置変更などあって、

それらのことが一気にきて、

いろんな変化がいっきにでて、そうゆう不安が強まったのは確実にある。

あとは子どもの面倒やコミュニケーションがなかなか大変で趣味の時間も

もちろんとりにくくなっていて仕事や家事で疲労がずっとたまっていたのもあった。

そこへ色々な変化がおしよせ、いっきに抑うつに。。

 

慣れ親しんだ感覚だ。いっそ懐かしい。

でも辛い。過ぎるのを待つだけなんだけど、、今までどうしてたかな。


リアルタイムではありませんが近視矯正術のことについて少しずつ書いていきます。
自分がうけたいなとおもったとき、体験談の少なさにびっくりしました。
大手美容系クリニックの口コミとか、「術後すぐ見えた!」とかのキャッチコピーみたいなものばかり。
「近視矯正術 後遺症」で検索したらそういった体験談ブログにいきつきましたけども。
 

なお諸事情により、稀な体験と思うのですが、片目は近視矯正術後で片目は裸眼(に矯正コンタクト)という時期を過ごしましたので、自分としてはすごく色々比較できました。備忘録としてぼちぼち書いていきます。

 

受けたいと思ったきっかけとしては
自分は十代から近視でメガネやコンタクト使用してました。

ハードは異物感がどうしても痛くてむりでソフト。アレルギー性結膜炎もあって清潔さからも、ワンデー使い捨てのコンタクトを必要に応じつけてきました。

それで不便はなかったです。お値段かかるけど、近視矯正術は怖かったし(いろんな集団合併症や起訴が話題になった時期ありましたよね)全然、コンタクトで満足してました。
 

しかし30代近くから段々ドライアイになって、涙の分泌量でなくトロミが少ない質の問題、らしいのですが、とにかくコンタクトが乾く。はりつく。霞んで見えなくなる。ゴロゴロしてかゆい。 結膜炎の悪化。などなどトラブルでてきて、使えなくなってきました。そしてずーとメガネになってくると、ひどい頭痛や目の周りの重さが不愉快に感じるように。また小さい子もいてメガネを壊されたりして、裸眼で生きたい!と切実に願うようになりました。

さて、現段階(術後半年以内)での結論。

•きちんと適応内の人が、検査をうけてやる分には安全度の高いものだと感じます。が、誰でも彼でもさくっと数分で目が見えるようになるというイメージは危険。

•安くお手軽にクリアーな視力が手に入る、と期待「しすぎない」ほうがいい
(ある程度はみえますしそれは裸眼よりずっといいですが、やや思ったより見えにくいとこもあります)
•目がよく見える=遠くがはっきりみえる、だけではない!視野、色合い、コントラスト、乱視の有無etc 近視矯正術は名前のとおり近視を治すもの。 
•角膜削って、ほかの合併症はでないか、それは個人のもともとの目によるかとおもいます!角膜の厚さ、近視の度合い(強いと、矯正にたくさん角膜削ることになる)、暗い所での瞳孔の大きさ(ハローグレアなど暗所での光のにじみにつながる)、斜視の有無、過矯正にならないか( 1.5の視力が必要なのか?近くをみるひとにとっては過矯正は目の疲れやひいては頭痛などにつながることも)、老眼はないか?老眼あると近視があったほうが手元のピントがあいやすい。近視を矯正することで若干手元が見えにくくなる可能性がある

ざっと、羅列しましたが読みにくかったらすみません。

私自身、うけるまでここまで深刻に考えてなかったです、、情報も検索の仕方なのでしょうが少なかったし。
私のうけた大手眼科チェーンでは、こういった目の検査全部して、結果用紙をくれました。それをもとに近視矯正術の適応あるかドクターと最終相談します。
値段はそう安くないです。
うんと安いところは10万とかで両眼できるらしく、いかにも簡単な手術アピールもあったりして、魅力にかんじたけれど。
結果的には、施術終えてから、これだけの複雑なことが絡んでいるのだと身をもって知って、正直いまのところ大きな合併症もないことはラッキーだったなと。
また、安すぎる医院で誰でもかれでも安易にさくっと受けるようなものではないな、と個人的に強く思いました。そう簡単な話しではない。
もちろん、適応を外れた人に無理やり施さなければ、安全度も高く数分でおわる施術であることは間違いないとおもいます。


最近買ってよかったアイリスオーヤマ布団クリーナーのことや
近視矯正のこと
触れ合った新生児ちゃんの小ささ、
いまのコロナで浮き彫りになる人々の残虐性や、差別意識や、根底にあるはずの優しさ暖かさ。
自分にもある「自分(たち)さえよければいい」「困ってるのだからいい」「ばれなきゃいい」という感覚。。
戦争映画のこと
子どもや赤ちゃんや父母と関わったことで
思い出した、亡き祖父のこと。

まとまりのない思いや、記憶を、
文章なり映画なり漫画なりにできる人を
尊敬してやまないし、
また羨ましいとかんじる。

いまはとてもまとまらずこんなメモが精一杯。
とにかく無事に安全に自他を大事に過ごしたい

新生児のころから、母親のそばじゃないと眠ってくれなかった子ども。
レンタルしたベビーベッドに寝かせようものなら、数分で起き出して大泣き。
仕方なく、場所を整えて私の隣に添い寝させていた。小さい頃はそれこそタオルケットやタオルで窒息するのではとヒヤヒヤしていたけれど。※危ないから新生児の添い寝は真似しないでください。基本的にはベビーベッドでといわれました。あまり泣くので親も参ってしまって、また添い寝だと可愛かったものでそうなってしまった次第。。

いまでは蹴り飛ばされるくらいには大きくなった。
なのに!眠るときは絶対添い寝必要だし、
(半年すぎにやっと断乳したときも夜だけは哺乳瓶ミルク使いたがって、それも1歳半健診のあとやめたけれど!)
何よりですよ。歌ったり絵本読んだり抱きしめたり、なんと絶望の10時近くになることもあるけど、やっと眠ってふー、となって
さあお茶でも飲むかとか、家事の残りを、、とか束の間の自由を、とおもいお菓子でも出した瞬間。
とんでもない大泣きです。

母親がいかないとだめ。怒ってる。一人にしたなー!と、仁王立ちで布団に起きてることも、、( ´Д`)y━・~~
子どもを寝かせてから自由時間、なんて言葉きくと羨ましくてガックリします。。
最近は大好きなヨガやストレッチも満足にやれずで。

まあ。
子どもはどんどん大きくなってしまう、むにむにのボディで母と添い寝してくれるのもあと数年でしょうとおもえば、大事にしなきゃねとはおもいつつ。
ちなみに夜間中途覚醒は、私はいまもあります。疲労やストレスや空腹感で起きた夜中にお菓子を貪ってしまうことも、、昔みたいに苦しくなるまでは食べませんが、満腹なるまでキッチンで立ち食べしちゃうことはまだたまにあります^ ^;;

子どもとの生活は、予想よりずっと可愛くて楽しくて、想像したとおり自由はなくてだんだんハードになってきて辛い。
小さいうちは仕方ないですね。程々にやります。
さっき、寝たので久々にゆっくりおにぎり食べてストレッチしてテレビでもーなんて思ったらギャン泣きでお怒りになってしまわれ、慌てて添い寝で寝かしつけいま23時前になりガックリきています。
おにぎりだけ急いで食べて、他は諦め眠るとします。。

 

不登校。

コロナの関係でオンラインでの勉強システムや、休校など今までにないことがおきて。

それに助けられた子たちもいたのではないかな。

(何を隠そう私自身も、コロナ自粛で仕事が減って焦りつつもほっと休息できた節もあった)

学校いくのが楽しければ何よりだし、それはいいなとおもう。

いい友達に恵まれたり先生に出会ったり、やりたいことがあったり。

あんな密度の濃い人間関係のなか、バランスとるだけでも大変に感じるのに。自分なりもストレス緩和ツール出会えたり、問題なくやっていける子は幸いだしいいとして。

行きたくないと言い出す子も絶対それはいるでしょうとおもう。あのような環境。。

そうゆう子に行かなくていいよ、と言ってあげるためには。

言うがわは責任を負わなきゃ行けないとおもう。

学校がある程度導いてくれる、勉強や生活リズムや日々の社会というもの、それを、学校以外で親や家族も積極的になって関わり導いていく覚悟と責任。

行かないでいいよ勝手にしな、とか、行かなくても出来ることはあるよと口で言うだけではではあまりに無責任。

その覚悟や責任を負う、親や養育者の立場である程度作られた道から

あえて違う方へ進んでいくことを決める大変さ。どうなるか分からないのに。

そう考えたら、なかなか行かないでいいよ、の問題じゃあない。

子どもだってひどい挫折感や無力感をもってるかもしれないし(というか、学校行けないこおでそんなに追い詰められなきゃいけない、いまの社会環境に私は異議を唱えたいのだけど!)

 

私も学校はそう好きじゃなかった 緊張していた。

友達ができるか、仲間外れにならないか、お昼食べる子はいるか、休み時間にひとりぼっちだったらどうしよう 怒られたらどうしようetc

こーんな思考にがんじがらめで、小学生のときいっとき朝の吐き気で大変だったことがある 今なら、原因よーくわかる こんなメンタルでよく通っていたよ。

やがて小学生にして拒食症へ突き進んだわけですが。

当時は何も疑問もなかった いくべき場所、なおいえば

いって、勉強して「いい成績で」「先生にほめられ」「かわいくて優秀で」「友人にめぐまれ」「一目おかれるような」 そうゆう人でなければとガッチガチにおもってた。

漫画の読みすぎ、、そーんな人間いないし、今の私はそんな風な人間に魅力を感じない。

よくもわるくも完璧に整った人なんていないとわかったから、自分含め、信頼できる人ふくめ、本当に。様々なアップダウンがあり弱点があり、その中でもそれぞれの個性があり。それが人だとおもう。

 

まあとにかく、会社だって毎日いくのは億劫だったり人間関係色々あるのに

子どもにはそれを強要するってどうなんだろと今の私は思う。

幸いいまの時代、学ぶ意欲があれば何かに精通することはできるし

プログラミングやウェブデザインや漫画イラスト料理、SNSを駆使してビジネスへ繋げることもできる。

 

親や学校の言うなりに、漫然と通っただけで、まあ思い出や友人は得られたけれども

能力としては何も身についた気がしない自分としては、

もったいなかったなとおもう。時間の過ごし方が。

友人にどう思われるか先生にどう評価されるか、仲間外れ一人飯は寂しい惨めだ、人気者や可愛い子やモテる子が羨ましい、、そんなのほんと勿体なかった!

書道や柔道に触れる機会があったからそこがんばったり、

地理や地学をしっかり学んだり、家庭科で裁縫やミシンや調理を学んだらよかった

もっと意欲的に。どうせ、頑張って通っていたなら。

 

いま昔の私にあえたら、そういってあげたい

無理して大勢のなかへ出て、対面気にしてストレスいっぱいになるより。

それで何もしたくなくよくうつや、自己否定に繋がるならよっぽど、一人でもおうちや大好きだったおばあちゃん家ででも。

のびのびと、集中し好きなことを伸ばしたら良いよと。

疲れたなら何もせやすんでいたっていいんだよと、

いずれ何かで稼ぐ方法を身につければ、それがひとつのゴールであって

卒業やイイ大学入るとかじゃないんだよ といってあげたい。

 

 

写真は頂いたブルーの紅茶

涼しげ。美味でした。照れ

 

 

なんて久しぶりのブログになってしまった。

この半年、冬になってからコロナウイルス感染のことで大変なことになってしまったと感じる。
年明けから中国武漢は不穏でそんな様子を夫と話したりしていたがどこか他人ごとだったかもしれない。
保育園も心配だなとおもいつつ3月から短縮保育など何とかやりくりして5月になり。
勤務変更のはずだったがのびのびなあなあのまま現状維持でゆるくやらせてもらっている。6月は反動のように忙しく今にいたる。
子どもの成長はめざましい。喋っている。コミュニケーションがとれる。重くて抱えられない。走る、真似する。
趣味の時間も昼寝の時間もブログやSNSも減ったけど、毎日充実している(ありがたい)

 

閑話休題。

小学生のころから近視でずっとメガネ、やがてスポーツはじめたりしてコンタクトつかってた。ハードは痛みや異物感がどうしても無理でソフト。

それで問題なくきたけど、産後くらいからかなアレルギー性結膜炎とドライアイがすすんでソフトレンズいれて数時間すると痒みや乾きが辛くて。

メガネ中心にしたのだけど、頭痛してくるし子どもに壊されたり落とされたり、そこへこのマスク習慣で曇るし、仕事はデスクワークだからメガネもいいのだけど、でもやっぱり不便で。

近視矯正術を受けようと決意。

近くの眼科でみてもらったり情報を調べはじめた。

自由診療だから値段もレーシックの2-30万から、6-80万の眼内レンズ挿入(わりと最近のもの。取り出すことができる点で、角膜を削るレーシックより可逆性で安全、強い近視や角膜薄い人でもやれるそう)までほんとに色々で。

「メガネがつらいんだ、絶対裸眼にしたい!そしたらもっとメイクやおしゃれも楽しめるし頭痛もへるかもだし、もう絶対いまの状態はいや」

という思考にだんだんなっていた。

 

これって、美容整形や過度なダイエット痩せ願望にちょっと似ているなと。

•今の自分の状態、をちゃんと把握できなくなっている。

今のままでも幸せだったり満たされている部分にフォーカスできず、出来ていないとか不愉快である点にばかり目がいってる。

痩せてないからダメ、目がこうだから鼻がこうだから嫌とか許せない、とか。

•こうなれば(今の私の場合は裸眼の生活。細くなったら/目が二重なら/鼻が高ければetc)

絶対に楽しいし幸せだし、その状態になったらアレもコレも楽しめるのに。

 

という感じ。

整形こそしていないけど、痩せ願望には覚えがあるな。

いずれにしても、認知が歪むのは本当にきけん。

大掛かりな整形はリスクや、加齢による将来の変化という面でも推奨できないけど、

まあ目を二重くらいいんじゃないって個人的には思う。

けど、上記のような追い詰められ思考になってる時は注意だとおもう。

歯止めがきかなくなる。

自分の心身の状態や金銭面にも配慮がいかなくなって、人生を良くするためにというはずだったものの、結局支配されて(外見のパーツや体型や食べ物、そのためのお金や時間や思考)消耗していく。

だから

•「今」のままでも満たされているし幸せである点があるし

•コンプレックスや嫌な点があっても、メイクやおしゃれや趣味や何でも自分の好きなことはやって、試して見て、みつけて、トライして楽しめるし

•自分をつくりかえるというか、性質を否定して、「望むとおりの」物事や結果を得られる、というのは傲慢にすぎる、と自覚ももつこと。

この、最後のは「努力すれば何でも手に入る」風潮とは逆のようかもだけど。

怠慢の言い訳ではなく、自分自身という体や心や生活環境、それらは千差万別で他人と比較できるものでは本来ないということ、

頭の回転が速いひと脚が速いひと八等身のひと、メンタルが落ち着いてるひと、社交的なひと、顔が整ってるひと、視力が良いひと虫歯にならないひとetc そんなのほんとに色々で、

「自分という素材」を知りながら認めながら存分に伸ばそうとするのはすごくいいなとおもうしそれは努力、とゆってもいいとおもうのだけど。

その塩梅が難しいけども、ある程度遺伝子で決められたものがあるなかで、

そんな自分を尊重するしかない部分もあるわけで(諦め、ともいえるある種の。というか受け入れ)

他人を比較したり羨んでも全くの他人にはなれないわけで。

それを何でも自分の望み通りに沿わせるなんて、傲慢にすぎるなと思う、子ども一人だって思うとおりになどできないのだから、自分自身を蔑ろにしすぎないでほしいなとおもう。

 

自戒もこめて。

そんなわけで少し冷静になって、近視矯正術についてもう少し検討しようとおもいます。

裸眼だったら便利だし、やっぱりいいよなーとおもうけれど。

そうじゃなきゃ不幸とか何もかも辛いっていうのは違うよねと。

 

話がとびましたが、こうやってある程度「自分の性質や体」を受け入れられてきたとき、

私の摂食障害症状も落ち着いてきたなと実感します。

ずっと、自分の好きなこととかよくわからないできましたから。

こうすべき、周りはこんな頑張ってる、勉強してる働いてる、そうできない自分はダメだ、ダイエット向きの食べ方ができない自分はだめだ、そんな感じ。

いまは、キャパ狭く仕事もフルタイムは厳しそうで、一人時間昼寝が必要で、人と会うのにいちいち緊張してしまう、面白いわけでも明るいわけでも、すごく美人でもスタイル細くもない自分、そうゆうのを否定しなくなりました。

楽しめることや好きなことを探したり続けたり、大事だなとおもいます。

 

 


2019年は、子育て中心ながらぼちぼち仕事と低い給与でのやりくりしつつ好きな習い事も復活して(金銭面や子どもの面倒もあり、少しだけ。ど下手の横好き)、経済的不安や無気力抑うつが強かった2018年(出産のダメージもあったし)より、総じて充実していたし
大変だったけど幸福だった。

こうなってくると、また妊娠出産で今のリズムが崩れるのが恐くて。。
子どもはもう一人くらい育てたいな会ってみたいななどとも思うものの、とても踏み切れない。無理しなくても欲張らなくてもいいのかなと。

2017年は正規の仕事を辞めて、自由でラクになったぶん経済的にも福利厚生面でもまったくかわってしまって。すごく社会勉強になった。2016年はだんだん仕事においつめられていって少し趣味をやるときもあったもののなかなか大変だった(ストレス過緊張、頭痛、肩こり、不眠と夜中食べ)。。2012年ころから色々変わってきたとはいえ、この7年は本当に激動だった。
たいがい、抑うつ的で うーとなってスマホでブログなどみてたように思うのに、結構色々あった。

閑話休題。

子育ても慣れてきた反面一歳をすぎどんどん自我がでてイヤイヤも増えて難しくもなってきて。といって置いてでかけることもできず、ストレスやイライラが無意識にコーヒー、カフェオレ、そしてなによりネット!(ツイッターだのブログだの漫画だの。やめ時のない無数の無限の情報の波、、)をダラダラやるのがとめられなくて。疲れてるのに家事があるのに。

アメブロものぞけば芸能人とかいろーんなブログ紹介されててみちゃうのぜ、暫くログアウトしたりしてました。

2020年は、ネットとうまくつきあう!
楽しみに程々に。そして早く眠る(中途覚醒はもう10年以上なんだかんだあるので、その分早くねないともたない)!
たくさん食べる!(体の声に素直に)

良いお年を。