
死ぬは定めよ、とはもっともだが、私としては死に急ぐ気はまったくないので、東京の葬儀もそこそこに、還暦を過ぎたころから毎年やるようになった全国持ち回りの大学の同窓会に出席すべく、東京駅で北陸新幹線に乗って、一路金沢へ向かった。金沢の夜は、紅葉前の十月下旬なのに風は冷たく身にしみた。風邪の引き始めだったか。
翌日は市内観光。西茶屋経由で兼六園を隅々まで探索。伝統工芸博物館も見応えあり。東茶屋の蕎麦屋でざる蕎麦を食す。つゆが素麺出汁のように薄いのでとまどった。浅野川付近の主計(かずえ)町の料亭や茶屋が並んでいる付近をそぞろ歩きしているうちに、二十年以上前、この一角で鯛料理を味わったのをはっきり思い出した。鯛は美味かったが腹が減ってなかったので食い残した苦い記憶。今回は昼過ぎなので、茶屋造りの喫茶店に入り、不思議な香りのコーヒーを飲んだ。味はさらに変わっていた。マスターは七十歳がらみの粋な雰囲気の人。ほうじ茶と和菓子付きで五百円とは廉価。
夕方、JRで加賀温泉駅到着。宿の送迎バスに乗って片山津温泉へ。古く小さな宿に着いた。部屋食なので、入浴、食事、布団敷き時間がピタピタ決められる。朝食の時間までも。仲居さんは東北生まれの気さくな人だった。
翌日は、山中温泉在住で今回のしきり役である同窓生が、車で近郊を案内してくれた。山中温泉の樹齢一千三百年の大杉を見て、大聖寺川の上流の村々を飲みこんだダム湖に沿って、古九谷焼の窯跡へ。その場所は予想を超えて山のかなたの遠くにあった。軽い気持ちで頼んだことを後悔したが、今さら引き返すわけにもいかない。狭い道には人や車の影はなく、幸いに熊にも出くわさなかった。
峠を越え反対側の山の斜面を流れ下る川沿いの道に入ると、比較的見晴らしが良くなった。両側には、赤瓦屋根に煙抜きの小さな屋根をかぶせた珍しい家々が見えた。あっという間に下り、平地の山代温泉に到着。魯山人の修行した旅館前を通り、再び山中温泉に入り、同窓会の会場に着いた。その旅館は、八百年前の開湯当時から受け継がれた名湯だという。山中温泉はなにもかも、仲居さんも由緒があって古い。深い谷底を走る鶴仙渓の石畳の方が多少新しい。そのかわり、私が住んでいる土地と比べると言いしれぬ味わいがある。(2016.11.6)(続く)