1973年発表の小椋佳作詞「白い一日」の歌詞。ブログなのでそのまま載せる。

 「まっ白な陶磁器を 

 ながめては飽きもせず 

 かと言って触れもせず 

 そんなふうに君のまわりで 

 僕の一日が過ぎていく」

 先週、N局で小椋佳の初めての大規模なコンサートの再放送を観て、このブログを書こうと思い立った。とは言え、50年以上前の曲の話なので、細部まで記憶してはいない。(このブログのどこかにすでに書いたかもしれない)

 この曲の発表から2年後、京都の下宿屋で、後輩二人とこの曲を聴いていたときのこと、一人が、この歌詞は間違っている、と怒鳴った。しかし東北出身の彼の話しっぷりは、関西系よりずっとのんびりしていたので、興奮した口調ではなく、何か困ったような響きがした。

「陶磁器なんて器はこの世に存在しないんだよ」と彼。

「陶器と磁器がふたつあったんだろ」と、もう一人が言う。

「小椋佳は、二人の君を取っ替え引っ替えしていたということか」

「陶磁器がダメなら、なんて言えばいい?」

「伊万里でも有田でも九谷でも、たくさんあるよ」

 その後どんなふうに話がもつれたか憶えていない。

 彼らとは約2年間の付き合いだった。

 私が北海道に住んで10年くらいしてから、彼の住む東北の町に遊びに行った。その晩、かなり山奥の温泉地まで車を走らせて泊まった。時間を忘れて昔のことを語り合い、寝る前になって彼がポツリと言った。

「2度ほど心臓が止まりそうになったので長生きはできないと思う」

 数年後の年初、年賀状が来なかった。しばらくして彼の母親から寒中見舞いが届いた。具体的な説明は記されてなかったが、読むまでもなくそれは訃報だった。

 白い一日を聴くたびに思う。 白い一日は彼の曲であり、私の中にずっと生き続けていることを。