北海道石狩低地帯に造成された末期古墳についてですが、「北海道式古墳の実像」(北海道埋蔵文化財センター 鈴木信2002)では、江別市の末期古墳(北海道式古墳)は、盛土の中に四辺埋込式の木槨を作り埋葬した墳墓(東北北部の構造と同じ)で、列島の古墳時代前期の形式を踏襲しているとされます。

 この江別古墳群(円墳)の墳丘推定高は最大で60cmで、周溝から取った土量を4割程度しか使っていないものがあります。周溝の掘削角度は地表面に対し鋭角に揃えられています。ほかにも、地表面を掘削し木棺を地中に埋めたもの、地表面に木槨を設置したものなど様々な形式があります。 

 千歳市ユカンボシC15遺跡には、馬蹄型の周溝があるものや、複数の墓壙(追葬)を持つ墓があります。肩を寄せ合うような墓壙の配置は、本州の弥生末期の親族墳(松木武彦「古墳とは何か」「古墳時代の歴史」)に似ています。これらは続縄文人(アイヌ)の土壙墓とは明らかに異なる形式のものです。

 副葬品は太刀、蕨手刀、須恵器のほか、銙帯金具(馬具)と思われるものが出土。太刀は、おいらせ町阿光坊古墳群の太刀などと共通する特徴から、7世紀初めころのものと考えられます。(「陸奥と渡島」所収の「前方後円墳の北限と蝦夷の墳墓」菊地芳朗)

 これらのことから、北海道式古墳は明らかに本州からの移住者(エミシ)が持ち込んだ墓制と言えるでしょう。