こんばんわ。
前回、以外にもいいねやシェアしていただいた方がけっこういらっしゃってとてもうれしっかったです!!(。>0<。)こんなブログを見てくれたなんで感謝ですしょぼんありがとうございましたヾ(@°▽°@)ノ
本日は卒論脇見恐怖症 第1章第2節となります。前回よりも長いので気楽に読んでいただければ幸いです。


第二節 視線恐怖と脇見恐怖との関係


 第1節では、対人恐怖の定義を中心に述べたが、この定義の文言の(2)のなかに「視線恐怖」という言葉があった。この視線恐怖の定義に“脇見恐怖”が出てきており、説明されている。
 新版精神医学事典によれば、視線恐怖とは、「対人恐怖症の一亜型。正視恐怖症ともいう。青年期好発。人の前に出ると視線が気になり、落ち着きを失い、それゆえに相手に馬鹿にされると考え、ついつい人前を避ける。いくつかの段階が考えられる。①人みしりといわれる程度の正常範囲内の対人緊張,②恐怖神経症の段階のもので、馬鹿馬鹿しいと思うが気になって仕方がない場合,③関係妄想性を帯び、たしかに相手に見られ馬鹿にされていると信じこむ場合,④統合失調症の初期症状としての関係妄想の一環として他人が意味ありげに自分を視ているという絶対的確信をもつ場合,の四つを一応区別できる。」(5:加藤正明ほか「新版 精神医学事典」弘文堂新版1993年P309)
とある。


 そして、この視線恐怖の構造の説明のなかに脇見恐怖の症状が記されている。「構造的に次の二つに分けることも臨床的に有用である。(a)面前する他人の眼が自分を視ていることが気になる場合と,(b)自分の視線が面前する他人を心ならずも視てしまうことで悩む場合とである。後者について今少し付言すると、そこでは、『自分がいやらしい目付で、面前の相手に不快な感情を起こさせたり、その人の心を傷つけたりする』のである。したがって、(a)見られる恐怖に対し(b)は見てしまう恐怖、あるいは見えすぎる恐怖といってもよい。『見えすぎる』というのは(b)のタイプの視線恐怖患者がよくいう言葉で、また『自分の視野がひろすぎ』たり、『脇見をすぐしてしまう』ともいう(脇見恐怖)。このように(b)では自分の視線が問題なので、自己視線恐怖と呼んで区別するこもある[笠原嘉・藤縄昭ら1972]。自己視線恐怖は先に述べた段階的区分でいうと、単なる恐怖神経症(2)をこえて、関係妄想的段階(3)にまで至ることが多い。したがって重症対人恐怖症といったり、思春期妄想症[植本行男、村上靖彦1985]よ呼んだりもする。また、自己視線恐怖症は自己臭症同様、何かが自分の内から漏れ出て相手を傷つけるという構造の自我障害をもつから、この点に着目して自我漏洩症状[藤縄、笠原ら]として一括することもある。」(6:5に同じP309~P310)


 また、現代精神医学事典によれば、視線恐怖の定義として「視線に関連する対人恐怖の一亜型。人前で他者に見られることを恐れる場合と、自分の視線が不快な印象を与える特徴をもつゆえに他者に忌避されると考える自己視線恐怖とに大別される。前者は内沼幸雄[1977]によるとしばしば赤面恐怖からの症状変遷において生じ、DSM-Ⅳにおける社会不安障害(so-cial anxiety disorder)と重なる部分がある一方、精神病性の注察念慮につながる症例もある。後者は対人恐怖の中ではやや遅く、青年期後期に好発し、自分の目つきが悪かったり、視線がいやらしかったりするために他者に不快感を与えるという悩みのほかに、そうした視線を発する範囲が拡大して、視野に入ってくる人を見てしまう、横に視線がいってしまうという脇目恐怖を示すこともある。自分の視線のために他者に忌避されるという関係妄想性を帯びるという意味で、対人恐怖の中では重症型とされる一方、自己臭症とともに自我漏洩症状にも数えられる」(7:加藤敏ほか「現代精神医学事典」2011年弘文堂P417)と説明されている。


 この2つの精神医学事典から共通することとして、脇見恐怖であろうとされる症状が「自己視線恐怖症」という名称で記載されているということである。つまり、視線恐怖には、脇見恐怖や自己視線恐怖などの“自分の視線が気になる”症状と、“他人の視線が気になる”他者視線恐怖(おそらく名称としては存在しない)に大きく分類される。
 新版精神医学事典によれば「自己視線恐怖とは、『特定の対人状況において自己の視線が異様な鋭さ、ないしは醜さを発し、それゆえに面前する他者を傷つけ不快にすると信じ悩む病態』と定義される対人恐怖の一型である。鋭すぎる、きつすぎる、いやらしいなど自分の視線に対する極度の悪しきイメージを抱き、その視線が他者に悪しき影響を与えてしまうことへの恐怖感を訴えるものである。そのため他者がなんらかの反応をしているという確信を抱きやすいという点で関係妄想性を帯びているのも特徴である。疾病論的には、神経症と統合失調症との境界という意味での境界例に含められることもあり、あるいは対人恐怖の重症型という意味で自己臭恐怖などとともに重症対人恐怖症に含められることもある。妄想状態が持続しているものは自己視線パラノイアとする考えもある。他の対人恐怖症状より発症年齢は遅めで高校から大学にかけてのものが多い。長期経過をみると、一過性の精神病状態はみられても人格の解体や欠陥には陥らず、強迫と妄想状態の間を動揺していくが、30歳を過ぎる頃から自己視線そのものを悩み続ける傾向は薄らぎ、なんとか社会生活をしているという準適応状態で、ひっそりと暮らしていることが多い。」(8:加藤正明ほか 「新版 精神医学事典」弘文堂新版1993年 P299)


 この自己視線恐怖と脇見恐怖は症状が一番近く、当時者の私からすると自己視線恐怖に付け加えて“横にいる人にも視線が入ってしまう”という症状が脇見恐怖なのではないかと考える。
ここまでの事典調査からわかったことをまとめると現時点では、精神医学事典で「脇見恐怖」の名称で定義された項目はない。具体的に「脇見恐怖は対人恐怖という大きな枠組みのなかの症状の一つとして“視線恐怖”があり、そして、視線恐怖の構造を区分したうちの一つである。また、視線恐怖の種類に他人の視線が気になる他者視線恐怖と自己の視線が気になる自己視線恐怖とに区分でき、この自己視線恐怖に最も近いものが“脇見恐怖”である」という位置づけになる。


 これまで述べたように、脇見恐怖症のしっかりとした定義がなく、現在「脇見恐怖」のみに関した著書は見つからず、対人恐怖や視線恐怖のなかの症例として記載されている状況である。しかし、情報化社会という現代社会において、対人関係における悩みや疾患は増加し続けており、対人恐怖や対人不安の要因から発症する「脇見恐怖症患者」も共に増加しているだろうと考えられる。実際にインターネットやSNS上では、数多くの脇見恐怖で悩む人たちのブログや情報が存在することに驚かされる。次節では、対人恐怖の文献とインターネット上で訴える当時者によるブログを中心に述べる。
今日は独り言つぶやきあせる
兵役前最後のユチョン横浜ファンミ行ってきました。
素敵すぎましたしょぼんラブラブとてもよいファンミでした。
ブログでチケット譲っていただいた方もよいかたで本当に感謝です。ありがとうございました。

印象深いのは最後にユチョンが目の前をトロッコで通るのを見れたこと、ユチョンが泣きながら「日本でデビューして本当によかった」って言ったことかな。本当にあの場にいれて、ひまわりの約束をユチョンの歌声で聞けてサプライズにも参加できてすごい幸せでしたドキドキ


私は元々ミーハーな性格ではなくかなり冷めた性格です(笑)そんな私をここまで好きでい続けているのにはユチョンの魅力が半端ないこと、歌声やちょっとしたしぐさにドキドキしてしまう自分がいてどんどん魅了されてしまいました。ここまで好きでいるのは人生で初めてです。


けど、もう一つの理由の方がユチョンをずっと好きでい続けている大きな理由かな。ユチョンと私本気で運命を感じることがこれまで多々ありました。マジで冗談抜きで(笑)スピリチュアル的な何かをずっと感じていたんです。
そうしたら妄想ではなくていろいろなことが起こり始めてただただびっくりでした。
まぁユチョンは兵役に行ってしまいますが、これからどうなるのかな
・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。2年なんて以外とあっという間だし、ユチョンは公益業務だから韓国で会えるかな??(笑)
ユチョン日本にに来てくれてありがとう。兵役頑張ってよ!!

以上、独り言話でしたべーっだ!
また思ったことあればつぶやきます~。ユチョンかわええええええ

画像はお借りしております。












毎日暑いですがいかがお過ごしでしょうか?熱中症には本当に気をつけたですね。皆様もお気をつけくださいm(_ _ )m

前回は卒論のテーマである脇見恐怖症についてこちらのブログで貼り付けできないのかとあれから調べてみましたが、ペイントしてなんちゃらかんたらみたいなのを試してみたんですが、やっぱり機械オンチにはわからず(笑)

そこで!!他の方のブログを参考にさせていただき、文章を章ごとに分けてそのまま貼り付ければいいんだと理解しましたあせる そうかそうかちょっと難しく考えすぎてました。(私は何に対しても難しく考える癖があるのがよくないショック!

とうことで、今回は「脇見恐怖症の実態調査」と題して心理学の大学での卒論で作成した序章と第1章第1節を載せてみたいと思います。
この卒論は、全部でWordでは73ページ、Excelの図表もあるんです(((゜д゜;)))なので、章ごとに今後載せていきたいと思いますので今後ともお付き合いのほどよろしくお願いいたします。



<脇見恐怖の実態調査>

 序論


 今回、脇見恐怖というテーマを設定した理由として、言うまでもなく私自身が脇見恐怖という症状に長年悩まされた経験があるからである。脇見恐怖とは、自分自身が送る視線に対して相手が不快な思いをしていないかと悩む神経症の一つである。つまり対相手が「人」であるため対人恐怖症との関連性が深い。この説明はごくごく簡単に自らの経験や言葉で述べただけであり、一言で脇見恐怖の症状を説明することは難しい。
 現在、世間ではおそらく「脇見恐怖」という言葉を聞いたことがない人の方が多く、症状に悩まされている当事者でも自分の症状が脇見恐怖であることを知らずに苦しんでいる人も少なくないと考える。私自身も脇見恐怖という言葉を知るまで長い年数がかかった。  
 世間に名が知れていない理由として、脇見恐怖の症状は複雑でわかりにくく対人恐怖の症状のうちの一つとしてまとめられてしまうからだろうと考えられる。そのため、脇見恐怖という症状を詳しく理解している精神科医やカウンセラーが実に少ないのが現状なのではないかと考える。
 そこで本論文では、インターネットや文献からの体験談の調査や当事者によるアンケート調査をし、さまざまな観点から、“脇見恐怖とはどのようなものであるのか?”を具体的に明らかにしたうえで、脇見恐怖症が世に知れ渡っていない理由を明白にすることが目的である。そして、これからの精神医学、心理学の分野で広く浸透していくことによって、脇見恐怖の症状に悩まされ、日常生活や社会生活に困難を感じている人たちの解決のきっかけになることを切に願う。




 本論

第一章 脇見恐怖とは

第一節 対人恐怖のなかの脇見恐怖

 現在、脇見恐怖という症状は、はっきりとした定義がなくいわゆる「対人恐怖」の位置づけでまとめられ精神医学事典では題目として「脇見恐怖」という言葉は見つからない。その理由に、恐怖の対象が「人」であり、脇見恐怖を発症する以前に、対人恐怖の症状をきっかけとしてそこから脇見恐怖の症状が本格的に出てくることが多いからだろうと推測する。また、脇見恐怖と同時に対人恐怖のさまざまな症状と併発していることも多いことも考えられる。そうしたことから、対人恐怖と脇見恐怖は切っても切り離せないものである。そのため、まず本節では「対人恐怖」について述べていく。
 対人恐怖は、日本人に独特な神経症であり、欧米においては、対人恐怖症は極めて特異な統合失調症の症状としてとらえられている。そして、日本人の対人関係様式を非常によく反映しているといわれており、それは、日本独特の“文化”や“家庭環境”“社会”と大きく関係していると考えられている。特に、従来の“恥の文化”との関連性としてこれまで数多くの研究者によって論じられてきた。
 現代精神医学事典によれば、対人恐怖とは、「 対人場面において耐え難い不安・緊張を抱くために、対人場面を恐れ・避けようとする神経症の一型。悩みの内容は、対人関係における戸惑い、相手の期待をはずすことへの恐れ、社交能力の自信の無さ、人前での何らかの行為の失敗の恐れなど、対人場面での行為の遂行や、社交やコミュニケーションそのものへの不安が中心となっているケースと、注視されている・赤面など恥ずかしい自分の何かが注目されている・駄目な自分を見透かされている、他者に見つめられている、迷惑がられている、嫌われている、などという強迫的思考や思い込みに苦しんでいるケースとに大別される。」(1:加藤敏ほか『現代精神医学事典』2011年弘文堂P669 )と定義されている。また、その具体的症状として「赤面恐怖、視線恐怖、正視恐怖、会食恐怖、吃音恐怖、などなど。対人恐怖症状を呈する疾患はさまざまにある。」(2:1に同じP669)とある。
 対人恐怖を発症する原因として、「統合失調症・うつ病・ある種のパーソナリティ障害などに伴う場合もあれば、思春期から青年期にかけて一過性に悩んだ後に比較的速やかに消失するケースも少なくない。神経症タイプの中核郡は、思春期から発症し始め、20歳台の後半には軽快する場合が多いが、一部、中年期以降まで症状が持続するものもあり、また、中年期に発症するケースもある。」(3:1に同じP669 )
 この対人恐怖は、「日本では森田正馬がいわゆる森田神経質という概念を構成したとき[1930]、それに特有の性格特徴、心理機制を記述するとともに、臨床的特徴の中心としてこの対人恐怖症をあげた。したがって、森田神経質という概念からすれば対人恐怖は一症状名であるが、実際には対人恐怖と森田神経質は今日同義語のごとく使われることも少なくない。」(4:加藤正明ほか『新版 精神医学事典』弘文堂新版1993年P515)とあり、森田正馬によって対人恐怖という症状が世に知られていったといっても過言ではない。同時に、対人恐怖の治療としても森田正馬が創始した森田療法が代表的となった。
 そしてDSM-Ⅲ(アメリカ精神医学学会における精神障害の分類と診断の手引き)で初めて、対人恐怖と日本人がいう神経症類型に注目され、項目として取り上げられることとなった。その影響でWHOの国際疾病分類ICD-10にも名称が記載された。これは、1960年頃のマークスI.Marksの研究によるところ大であったと思われるが、韓国の精神科医とのシンポジウムでの成果も大きい。このシンポジウムで、韓国にも視線恐怖など、日本の文化と結合性が強いと思われていた症状が存在することが理解された。



以上、序章・第1章第1節を載せてみました。またよろしくお願いいたします。