6年来念願の東北ひとり旅です 数万人と一人の 慰霊の旅です

雨の中 神戸空港を飛び立ちました

 

仙台が近づき やっと地上の景色が見えました

東北も 実りの秋を迎えています

 

仙台空港到着

到着時の機内のメロディは阪神タイガースの「六甲おろし」

機体には虎の絵が!(笑)


往路が朝便で手数料込み ¥8600

復路は夜便 同じく ¥11060

1時間ちょっとのフライト

 

実は30年前の夫とのギリギリフルムーン新幹線グリーン車の東北の旅は

乗車賃も所要時間も 雲泥の差

体力も資金力も弱々しくなった身にはありがたい‥が

本当は 飛行機はコワイ キライ

年に何十回と 世界中を飛行機で飛び回るアスリートは

怖くないんだろうか?

 

 

空港店からレンタカーを借り

用意したメモリ地点資料を見ながら たくさんの地点を登録
年をとってヘナヘナになった記憶力 判断力でも

全く知らない土地を一人でドライブ出来る

ナビは本当にありがたい


最初の登録地は
空港からすぐの 名取市閖上地区

 

3.11にリアルタイムのテレビ画面で見ていた

津波が 綺麗に並んだビニールハウスを飲み込み

仙台空港の飛行機や車を押し流す映像が頭をよぎる

 

 

モニュメントの先端が津波の高さだそうです


  亡き人を悼み
    故郷を想う
  故郷を
   愛する御霊よ
      安らかに

 

 

 

 

この後 三陸道(震災後に整備された?)を使って三陸海岸へ

途中の道の駅で 30年前の刺身の味が忘れられなかった「ホヤ」入り蕎麦を


まだ若かった30年前の味覚とは違ってしまったのか

生じゃないからなのか

癖のある味がウッとなるし これで1300円はなぁ・・

 

 

三陸海岸を北上

復興商店街として有名な 南三陸さんさん商店街へ

 

けっこう観光客が多い

 

この夜の大船渡の真新しいホテルは 夕食なしなので

ここで イクラと鮭の刺身の丼とひじきの煮物を購入

夕方まで車の中なので 大きな保冷剤を入れてもらう

用意のいい主婦は 保冷バッグも持参(笑)

(冷えすぎて 食べる時にはご飯までがとても冷たかった…)

 

 

さんさん商店街の川向こうに 元の防災庁舎が見えます

若い女性職員の方が 津波が押し寄せるまで

町民に避難を呼びかけていた所

 

震災モニュメントとして保存するための工事中のようです

堤防が嵩上げされて上部しか見えません

 

 

これはJR大船渡線の駅?

あとでゆっくり調べたら JR気仙沼線の大谷海岸駅でした

海岸線には土嚢が積まれたままだし

駅も線路もまだ工事もされてませんね〜

 

土嚢の積まれたところが長い砂浜で

ホームとの間は 松林だったそうです

日本一海水浴場に近い駅ということだったらしいですが

(改札から階段を降りれば砂浜の神戸の須磨海水浴場の方が近いですが‥と、突っ込ませてもらいました←年甲斐もないアホな負けん気)

元々 鉄道の駅よりも道の駅として機能していたみたいで

今も道の駅は営業しています

 

朝ドラのあまちゃんの影響もあって

三陸鉄道のことは 遠く関西でも情報が入ってましたが

この鄙びた場所のことは全く知りませんでした

鉄道の代わりに バス路線が整備されているみたいです

震災のせいで 廃線が早まったというところでしょうか

 

 

気仙沼市内の入り組んだ地形を縫うように通るR45を

車を走らせながら 左右をキョロキョロ

海に近い土地は 全て工事中

 

あの夜 テレビに映る圧倒的な炎を見た時は

気仙沼市内はほとんど全滅するのではないかと

心配で涙が出たが

高台や 少し海から離れると

けっこう古い建物が残っっている

 

同じ炎の海でも

気仙沼は文字通り海上の炎が大部分で

22年前の震災時の人口密集地 神戸長田区の火災は

全部が人が住む民家など建物

悲惨さも 被災者数も 神戸が格段に大きかったのかもしれないなぁ

あの時は三日三晩 高く上がる炎と黒煙が 我が家から見えていました

 

 

 

外国人から よくあんなに大災害の多い所に住めるなぁと呆れられるほど

日本人は 地震 火山の噴火 台風など

何度も遭遇する大災害にも負けず

一千年以上 助け合いながら生きてきたんだ‥

自分のことだけを考えていたら生き残れないという「智恵」が

他人を思いやる 優しい

大多数の日本人を創ってきたんだ と想う

 

 

 

 

そして この日の宿は

大船渡の港のそば

海のそばは どこもかも工事中です

 

翌日も 引き続き三陸海岸を北上します

 

 

紅葉にはまだ少し早いですが

東北はすっかり秋です