我が家へようこそ。
 
読んでくださって有難う御座います。

最近何かと物騒な感じですが
僕の理論的な「推測能力」と
「考察による危機察知」の知恵につき
興味を持たれた方は以下をお読みください。

残念ながら欠陥がありまして。

日本という国に限定すると
西暦の他に「元号」があることを
忘れていました。

令和6年1月1日。
漢字を除いて考えてください。
「その日」日本に何が起こったかを。

611

もし、その事に気がついたとして。
もし、その事を情報拡散できたとして。
そうすれば、あの災害を防ぐことは
不可能だったとしても
準備や対策等の注意喚起
そして
亡くなってしまった命を
少しだけでも救えたのかも知れませんね。
 とても残念に思っています。

 (GEKKO近影 撮影T近サン)
special thanks.四国弐工程会
 
さておき

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一般的に数値を「単位」として
捉えた場合に於いては

0<∞

であるが

数値を「概念」として
捉えた場合に於いては

数値を計る為の「単位」である
1,2,3 ~ ∞ こそ
「単位」である存在でしかない為
必ず限界値が存在する

要約するならば
観測する視点に於いて
観測できる限界値を
計測不可能な地点を超越した
位置に存在するからこその
∞(無限大)となり

逆説的に
計測可能であると仮定した場合には

∞(無限大) = 有限

であり

更に「概念」すら無い「0」こそが
「無限」という存在である

0=無限

以上の事象により

∞ < 0

という
逆説矛盾(パラドックス)が生じる
訳である

(ここまでは前提なので一旦休憩しよう)
 これは「メグロ」社製のオートバイ
みんな大好き(?)のカワサキさんちの
ダブワンやらダブサンの先祖となる
正に 「ジ・オートバイ」ですよ。
撮影場所は僕の地元の道の駅
風早の里「風和離」ですよ(笑)

(ここからが本番ですよー再開しようか)

この矛盾を解決すべく
導きだされる「公式」は

0 ≦ ∞

となるが

これでは「概念」と「単位」を
「等価」として唱える「前提」が
必須となる「矛盾」の「矛盾」が生じる

これを可能な限り解決すべく
導きだされる「公式」 として

0 = ∞'(×0)

この「公式」に於ける
前提条件の解釈として

宇宙を含む三次元空間に存在する
総ての「単位」に限界値があると
「仮定」としての論理的な事象に
一般的な「コンピュータ」
もしくは
「メモリ」
または
「バッファ」
という
理解可能な存在を理解できるなら
容易に理解可能である

例として「バッファ」を
systematicに考察するに

「バッファ」には記憶可能な
限界値が必ず存在する

「バッファ」の限界値を
超えた場合に於いては

「バッファ・オーバーフロー」
(要約するなら「桁あふれ」と呼称)
を挙げる事象の結果論として

「オーバーフロー」した「バッファ」は
総ての「単位」「概念」の「桁」が
「0」にという「原点回帰」
則ち「リセット」という事象に
準えることが理解可能であれば
この「矛盾」の解決案として
上に挙げた「公式」を成立する
論理的な成立に到達可能である

Q.E.D

(Quod Erat Demonstrandam)

ラテン語で証明終了の意味を表す

 

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 某月某日午前、いつもの場所にて撮影。
 同日、午後撮影。

まあ、オートバイを操るスキルや
コンピュータという機械を操るのが
少しばかり得意なだけで
実家に生活費を入れたり
愛車である
ZZR1400 Ninja 雪風と
CB DRERM50 バッサーと
ワゴンR FX改 ゴン太を
養ったりできるのかも知れませんね。

そして、僕がオートバイと言う
乗り物を「命懸けの趣味」と呼ぶほど
愛してしまっている理由にも通じるかと。

オートバイと言う乗り物は
不思議なもので
大きいか小さいか
重いか軽いか
速いか遅いか
馬力が違うとか
色々な違いがあったとしても
操作やらそれに付随するアクションや
乗りこなすための理論やらが
多少違うだけで
基本的な操作は全て同じなので
それらを操縦する楽しさが
僕という人間を
惹いているのかも知れません。

しかしながら
所詮は人間の作った機械であり
完璧な乗り物はありませんし
操作するのが人間である以上
電子制御のエラーや
操作ミスや
危険回避能力のある無しの
違いこそあれども
四輪も二輪も絶対に安全な乗り物とは
言えないのかも知れませんね。

人間は完璧な物を作り出すことはできず
限界まで完璧に近づける努力は
できても
やはり人間が作った物でしかなく
更にそれを操作する為の
スキルを身につけたり
危機回避のために必要な
 直感を得るための経験値を
高める為の努力や
それらを身につける才能が
きっと必要な筈ですね。

更にAIがそれ等を作れたとして
AIも人間が作ったプログラムであり
AIがAIを作ることができる時代が
訪れても、人間が作り出した
プログラムでである以上
限界まで完璧に見えても
完全な「完璧」ではないので
AIも、AIが作った物体や画像も
人類より限界値が少々高いだけですから。

彼等(AIに対する呼称)には「心」が無い。

人とAIが互いの存在を認知し
互いの欠点を補完し合える世界。

それが可能だと仮定するなら
更に完璧に近づける存在や世界や社会が
できるかも・・と心から思っております。

一直線にみえる空と海の境界線。
しかしながら、地球が球体である限り
必ず曲率がある理由は成立するので
必ず「真の一直線」ではないはず。

僕の愛車壱号機「雪風」号に装備の
ラム・エア・システムについても
酸素を含む大気が流動している限り
オートバイが風を切って走る限り
コンマ数パーセントの効果は期待できる。

流石は地を駆ける戦闘機・・ですね。

(GEKKO近影part.2 撮影T近サン)

僕の大好きな場所
R196に在る道の駅
風早の里「風和里」
(何か「二輪の聖地」と呼称されてます)

注目していただきたいのは
僕の愛車ではなく
左上に存在している
迷惑極まりない「看板」です。

ルールやマナーを理解できない
ならず者を格好いいと
勘違いしている
馬鹿野郎ども
の振る舞いがある限り

もしかしたら
数年先には自動二輪進入禁止の
只の道の駅になるのかも知れませんね。

 
でわの( ̄ー ̄ゞ-☆