今日は5月14日。


私にとってのこの日は、セクシャルがニューハーフとしての誕生日であります。


今日で7年目を迎えました。


(写真は5年前のですが。)



当初は睾丸を取るのに勇気がなかったのですが、師匠:佐野ヒカルを有吉反省会で見た事が今の自分がいると思います。




今回は長くお話します。

まずは去年の話についてはこちら。


https://ameblo.jp/052097/entry-12802934788.html


あの毒家族にまつわる話について、まだ話していない面を今回、話をします。


創価学会員だった件については、後日にします。


毒親は圧力を掛けて自分の思い通りにならないと癇癪(かんしゃく)を起こして自分達を正当化するといった意味不明な持論を展開する人達でした。

それと子の気持ちよりも“お金”を優先に考えている人達でもありました。

本当に愛しているのら、子ではなく、お金を我が子としてみています。


お金の面も、自分が使える小遣いは一般的な家庭より極端に少なくて交際費・人付き合いもなく学生時代は友達も出来なかったです。


(正確に言えば、中高時代はケータイを持たしてもらえない状態で2、3千円しかお小遣いが貰えませんでした。


そして、高校卒業後になった時はケータイ料金は別としてのお小遣いは1万5千円しか貰えませんでした。


その点を考えたら人付き合いが最初から出来なくなるのは当たり前なのは皆さんは理解できると思います。)


そもそも私自身、高校大学での学校という仕組みを知らずに生きていたのだと思います。


ハッキリ言うと“学校の勉強”が嫌いだったというより“学校の勉強”が嫌いになってしまったが正しかったと改めて思います。


だが、中卒だと困ったから避ける為に仕方がなく学校だけは行ったんだと思います。


先程のお小遣いの件での成り行きで考えたら、“サークル”という言葉も知りなかったのも納得できます。


“サークル”という存在を知ったのは大学卒業してから5年過ぎてから毒姉から知りましたという件についても色々な意味で遡っていくと分かってきました。


私が大事にしていたものや私物も勝手に処分しても平然とした態度をとるのに、私が親の金を取った時は鬼の形相になって怒るから、


「親だから、目上だから何を従うのが当然だ!」といった“ジャイアン理論”を超えた“神様理論”の考えをしていましたね。


今回は相当話が長くなるので続きは中編にて。



如月雪華(まこ)