朝の100メートル歩行…。
やっぱりいっきには無理だったー。
しょうがないよね。。。
昨日は、鍼灸の後は生協でした。
毎週セットです。
もちろん、いつもゆきちゃん(義妹)が来てくれるので助かります!
来るとすぐに鍼灸の結果と私の様子を聞いてきます。
昨日は、リハビリのOKが出たこととメニューを言いました。
まぁー心配の嵐でした。
一人でやるんだからと、
絶対無理はしないこと、気を付けてやることを約束させられた次第です。
ホントゆきちゃんに心配かけてますね…私って…
では今日は、
そのゆきちゃんの事を中心に、家族と私の様子を記録していきます。
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私の意識は飛び、オーナーはうろうろしていたそうだ。
救急隊員のお兄さん?
何人かバタバタと入ってきた。
一人が私の前にしゃがみ、何かしゃべっている。
私は何を言っているのか意味がわからない。
そして意識がなくなったようだ。
次の意識。
何やらエッサホイサと風呂敷みたいな物に包まれて、
店内を移動している。
次の意識。
たくさん機械のある狭いところに寝ていて、口に何か被せられている。
息苦しい。
お兄さんたちの、電話で病院を探しているような声が聞こえる。
足元に誰かいた。
ゆきちゃんだ!
私は、確認したくて「ゆきちゃん?」と口にしてみた。
聞こえたのか聞こえなかったのか…それはわからない。
次の意識。
なんだか暗い倉庫のイメージと、重い扉が「ギィ~」と開くような音がする。
錆びついたシャッターを上げる時の音にも似ている。
また、口に何か被せられていて息苦しい。
薄目を開けてみた。
母と父の顔が見える。
母は泣いていた。
私が目を開いたその時は、倒れてから何日か経っていたという。
そこの病院は、生死をさまよう患者を専門に受け入れるところであった。
とりあえず命が繋がり手術等の処置が済めば、
即次、病院を探すというところであった。
私の場合は、運ばれたとき緊急の手術はできなかったそうだ。
その状態での意思回復しか手がなかったらしい。
先生に、名前を呼ぶよう言われ、
母と父と弟、そしてゆきちゃんはずっと声掛けをしていたという。
最初、ゆきちゃんが母を迎えに帰った時、
母は、「いやいやいやいや!死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!一緒に死ぬー!」
と気が狂ったように泣きじゃくり、
病院に行くのを嫌がっていて大変だったらしい。
それというのも、私が大好きだった祖父、つまり母のお父さんを、
私と同じ脳出血で亡くしていて、その最期を看取ったのが母だったのである。
その時と全く同じ状態である私は、絶対に死ぬものだと思っていたそうだ。
母の気持ちはわかる。
それと同時に、
母をそんなに悲しませて本当に申し訳ないことをしたという、
深い深い後悔を今でも感じている。
私と母はとても仲が良いのだ。
その母の様子を見たゆきちゃんは、これじゃいけないと、
大きな声でだだっ子を叱りつけるように、
「もうお姉ちゃんに会えなくなるかもしれないんだよ!行くよ!」
と、引っ張った。
弟も泣きながらではあるが、
「あんな根性ある姉貴が死ぬわけない!」
と、一生懸命母をなだめた。
そして、なんとか引きずるように病院のICUに連れて行った。
着いても私の横に泣き崩れていて手に負えなかったそうだ。
弟も実際に私を見たときは、私の足元にしゃがみ込み泣いていたという。
そんな時ゆきちゃんは、『ここで自分が踏ん張らないと!』と、
大きな声で「お姉ちゃん!お姉ちゃん!」と呼び続けたそうだ。
ゆきちゃんは、私を助けなければという強い意志を持って、
必死で声掛けをしてくれていたのだなと、大変だっただろうなと…。
思う。。。
救急車の付き添いから始まって、先生の話を聞き、
母と弟を迎えに行って…。
気をしっかり持たなければできない事だっただろう。
そのあとも、
私の子供への知らせや、保険会社への知らせ等、
おそらく一人で全てやったのだろう。
子供たちだが、救急車の音を聞いていたのだそうだ。
私からのメールの文章が変だったので、
嫌な予感はしていたらしい…
そしてその後、しばらくして父が来た…。
想像はつくと思う。
という数日間、私は時々意識が戻り、また深い眠り…。
というのを繰り返していた。
この、予断を許せない状態から命に別状はないというところまでの間は、
ずっと声掛けを続けていたそうだ。
その間の私の記憶はあるのだ。
意識とは言えない、夢なのか臨死体験というものなのか…。
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私は、それが臨死体験であると確信したのは大分経ってからなのですが、
そのことについてと、ICUを出てからの体験談は、
次の記録に綴っていこうと思います。
読んでいただきましてありがとうございました。
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