今の職場も丸3年、4年目に突入した。最初の頃は一緒に働いているパートの看護師と意見の相違に苦しんだ。


とりあえずカロナールを飲ませて様子をみる。
ゲンタシンを塗って様子をみる。
湿布を貼ってみる。
とりあえず家族に病院受診を勧める。
とりあえず救急車を呼ぶ。

いやいや、なぜカロナールやゲンタシンや湿布を所持していて提供しちゃうの??
家族に診療窓口で、どう説明させるの?
救急車を呼ぶ根拠は?

介護の現場にいる看護師は働かないと言われる。実際には5割働き者で勤勉、2割仕事したくない、3割働き者だけど無知。というイメージ。(勝手な個人的な割合)

介護業界も目まぐるしく変化している。看護師も行政や保険制度、介護や他職種業務に興味を持ち勉強するべきだと思う。
デイサービスは予防の場である。

バイタル測るだけが、看護ではない。介護士もきちんとバイタルを測れるし、状態観察に長けているベテランもいる。とても心強い。そんな介護士とケンカする看護師がいるのがとても恥ずかしい。

介護の現場では、看護師の給料は高い。それは最終的判断が委ねられる立場にいるから。救急車呼ぶだけなら、介護士で十分。救急車を呼ばないように配慮するのが、我々に与えられた日々の看護だと思う。

今回、無料で提供していたOS-1にケチが付いた。そもそも私が自腹で購入し、夏場の脱水予防に個人的に提供していたが、会社側が購入してくれるようになった。
それが経費の無駄だ、利用者からお金を取るべきではないかと、同僚から指摘された。
勝手に判断して、OS-1を飲んでもらっていたのでそもそも利用者からはお金を取れない。明らかに飲水量が足りない、食事摂取量が少ない、軟便が続いている痩せ型、ボーとしているなどの症状の利用者に、入浴前にOS-1を飲んでもらっていた。
入浴後の状態を見て、麦茶の他にOS-1を追加で飲んでもらったりした。

要するに同僚はその観察が出来ないから、OS-1があると困るというのである。実際、私が休みの日に入浴後意識消失した利用者がいた。すぐに回復したが、大事をとって救急搬送され検査の結果、低ナトリウム血症で点滴後帰ってきた。

私も3年いて、ズケズケ物を言うようになっているのかもしれない。そのような態度から、反感を買うのかもしれないと、自身を戒めながら、そろそろ潮時かなと。
でも、大切な利用者を安心して任せられない。ジレンマである。

愚痴っぽくなるのは、疲れているのかもしれないとこれまた自己嫌悪に陥る負のループ。決してデイサービスの看護師は楽な仕事ではない。
けれども、元気な高齢者からの学びは本当に多い。病院のお世話にならないように過ごしてもらうために日々尽力している。




ソロモンの偽証   宮部みゆき
新潮文庫

歳をとり、読書体力がなくなったなと実感させられた作品。
「模倣犯」はこんなに時間掛けずに読めたのにと。集中力の衰えを感じた。

中学2年生の男子生徒が、学校の屋上から転落死した。クリスマス未明、夜中の学校で何があったのか。
社会が出した結果に抗い、真相を求めるために同級生たちは学校内裁判を行う。白熱する裁判は、とうとう事件の核心に触れる。

6冊もあったら手に取るのも拒否反応がでそうな作品だが、騙されたと思いながらも青少年たちに読んで欲しい。
中学生たちの葛藤、支えている大人たちの苦悩、社会は若者に無関心ではないんだと教えてくれる。

「模倣犯」は楽しいミステリー小説だったが、映画化され、アイドルが主演した事により学芸会作品となりガッカリした記憶がある。
ソロモンの偽証も映画化されているが、はたして??
中学校の学校開放があり、PTA役員として受付を担ってきた。今日、明日は公開授業参観。私の担当した午前中は3学年あわせても20人弱の参加だった。

中3になる息子は、体育館で棒高跳びを行なっていた。背面跳びなんて、いつの間に出来るようになっていたのだろう?本当に親が知らない事ばかり。

受付の真裏が、多目的室で賑やかな声が聞こえてくる。中学校の支援学級に学区内の小学校の支援学級の児童たちが参加し交流会が行われていた。
ざっと見て、中学生が10人、小学生が25から30人。中学生が小学生をもてなすというコンセプトのもと、前半は折り紙教室、後半は外でシャボン玉を楽しんでた。

ふと小学6年生の時の同級生、ハーヤンを思い出した。ハーヤンは、チビでデブで根暗な男の子。運動会の種目でクラス全員リレーがあり、その練習になると「ヤダ、走りたくない」と逃げたり、梃子でも動かなくなった。担任は知らんぷり。クラス皆で何となく話し合い、ハーヤンを外すか、どうやったら連れて来れるか思案し合った。
その後も練習には1度も参加しなかった。だが、運動会当日、ハーヤンは走った。そこしか覚えていない。結果、チームは何位だったのか、ハーヤンは何人に抜かれたのか、何故走ったのか、全然覚えていない。

何を伝えたいのかと言うと、クラスメイトの団結で、担任が出来ない事も可能になるのかもしれない。
でもそれは、偽善なのかもしれない。
昔は個性でも何でも一括りで教室にいれられていたが、今は個性的な性格は保護し手を掛けてあげる存在へ。

支援学級で伸び伸び学習している光景を目の当たりにして、集団生活で落ちこぼれのレッテルを張られるより、気持ちは楽に勉強に集中する事ができるのかもしれないと思った。個性が許される場があるという安心感を支援学級が提供していた。

そのかわり、息子たちは他人を思いやる、個性を認める、歩みの遅れた方に合わせる等の優しさを学ぶ機会は奪われているなと実感した。それが今の教育現場の実情だと思い知った。
実りの多いPTA活動だ。