僕のファシリテーションの師匠である、ひろさん(鈴木博氏)は僕に「トレーナブル」であることを求め、また僕のその点を度々承認してくれました。
「トレーナブル」の意味合いには、いろいろとあると思いますが、ひろさんの言う「トレーナブル」は「指導に素直に耳を傾け、取り組んでみる姿勢」という意味だと考えています。
僕の研修に参加する参加者の皆さんにも「トレーナブルな人」と「そうでない人」がいます。
もちろん、その事自体に良い・悪いはありません。
ただ、結果に「違い」を創り「意図した結果」を創っているのは「トレーナブルな人」が多いようです。
僕の研修の参加者でYさんという女性経営者がいます。
この方は、ある専門的な分野で超ニッチなビジネスを展開して成功している人です。
しかしまだまだビジョンは大きく、更なる成長を意図して勉強を怠らないのです。
成功の上に胡坐をかかず、そのような姿勢を持っているYさんを僕は尊敬しています。
先日のセッションでも成長の一つをシェア(分かち合い)してくれましたのでそのポイントを紹介したいと思います。
その前のセッションで、交流分析の「ストローク」をテーマとして扱いました。
ストロークとは「存在を認める行為」のことです。
(承認・関心のことで、厳密には違いがありますが語弊を恐れずに言うと「人に対する愛」とすると理解しやすいかもしれません)
そして彼女は「無条件のストロークを与えること」を日常の生活の中で実践する課題にしました。
きっと、誠実に取り組んだのでしょう。
それから2週間後のセッションで大きな成果をシェアしてくれました。
それはリーダーである自分(Yさん)が何か言うと、いつも細かいことに質問したり意見するAさんがいたというのです。
(ビジネス上の組織ではないのでリーダーと言っても指揮命令権があるわけではない)
性格が合わないしフィーリングも違うので、そりが合わない、ウザったいとネガティブに捉えていたようです。
そのAさんに意図して無条件のストロークを与えるようにしたと言うのです。
YさんはAさんに次のように伝えました。
「細かい事を考えたり計画するのは私は苦手なので、Aさんが細かいことを指摘してくれるのはとても助かる」
そうしたら大きな「違い」が起こったと言うのです。
Yさんが手放したいなと思っていた仕事を「私がやります」とAさんが主体性を発揮して引き受けてくれたと言うのです。
もともと「人にものを頼むのが苦手で、いつも仕事を抱え込んでしまう」と悩んでいたYさんだったので、人生での大きな違いを創ったわけです。
加えて、それによって人間関係の悩みが減って幸福度も上がったと言うのです。
好きでもない人に愛を示すって、人はやりたがらないことだと思います。
しかしYさんはそれを課題にして取り組みました。
そして素晴らしい結果を手に入れました。
「トレーナブル」なYさんだからこそ創った結果だと思います。
僕もいくつになっても素直に学ぶ気持ちを忘れず「トレーナブル」でいることをやります。
ある時、とても単純な真理に気づきました。
自分が「幸せ」だと思っている(認識している)人は「幸せ」
自分を「不幸せ」と思っている(認識している)人は「不幸せ」
ということです。
これは自分に対して、どのような自己概念を持っているか、どのようなフレーム(捉え方)を創っているか、、、ということです。
どんなにお金があって社会的な地位が高くても不幸な人はいます。
(「不幸な成功者がたくさんいる」と聞いたことがあります)
どんなにお金や社会的地位がなくても幸せそうに生きている人がいます。(「幸せな成功者」になりましょう)
自己概念がそれを創っているとすると合点がいきます。
「幸せ」「不幸せ」を決めているのは客観的な事実ではなく、主観的現実であると考えられます。
つまり自分が決めている。自分が選択している。
このように自分自身に対して「私は幸せだ!」というフレームを持ち「小さな幸せ」にも気づくことができる力を「幸せ感性力」と名づけました。
「小さな幸せ」をたくさん感じることができたら「幸せな人生」を創って行くことにつながると考えるからです。
僕はボランティア活動としてフードパントリーの活動に参加することがあります。
参加者の方に支援者からいただいた食べ物をお渡ししますが、その時に「いつも、ありがとう。助かっています」と感謝を伝えてくれる方もいれば、同じ物をお渡ししても「家は家族が多いのにこれだけしかくれないの?」と不満を表明する人もいます。
ちょっとした出来事に、その人の生き方の本質が現れます。
きっと後者の方に比べ前者の方の方が幸せなのではないかと思います。
僕は老子の「知足者富(足るを知る者は富む)」は真理を得ていると考えているのですが、本質的には同じことを言っていると思います。
「知足者幸」
本来、私たちは一人一人が、そのままで価値があり素晴らしい存在です。
無条件に素晴らしいのです。
それなのに誰かさんと比較して、あれが足りない、ここが劣っていると言い始めます。
そのような環境に置かれるわけです。
それが仏教で言うところの煩悩につながっていくのでしょう。
私たちに生まれてきた理由があるとすれば、それは「幸せになるため」と考えています。
秀でなければ幸せになれないのでしょうか。
誰かと比較しなければ幸せになれないのでしょうか。
そうではないと思います。
自分自身の存在の絶対的価値をしっかりと認識し承認し肯定したならば状況や条件に因らず、自分の力で「幸せ」を創ることができます。
必要な物は何もありません。
自分の「捉え方」を変えるだけで、今すぐに「幸せ」になります。
「幸せな捉え方」を身に着けようとする時に参考になるのが、慶応大学教授の前野隆司さんが提唱する「幸せの4因子」です。
毎日の生活の中で「幸せの4因子」を高める捉え方のトレーニングをすることをおすすめします。
この2週間ほど「あたりまえでない状態」にあります。
帯状疱疹にかかりました。
この症状は免疫力が落ちると出てくるようです。
連日の暑さとしばらくの間忙しかったことの影響なのかと思います。
病院に行くことなど一年に一度あるかどうかという僕ですが、さすがに今回は病院に行きました。
治療法は薬を飲むか塗り薬を塗るかしかないので、この2週間は薬を飲んでいます。
身体に湿疹がでるのですが、これがヒリヒリ、チクチク痛むのです。
これが神経痛と言うものなんだなぁと初めて体験的に理解しました。
夜に痛むと、なかなか寝れないのが困ります。
それでもだいぶ回復してきていて、あと少しの辛抱だと思われます。
「あたりまえ」の有難さは、それが無くならないと分からないですね。
そして「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というように、その有難さも快方に向かうごとに忘れてしまうようです。
健康なことは「あたりまえのこと」免疫機能が正常に働くことは「あたりまえ」のことになってしまうのでしょう。
そんな自分自身をずいぶんと傲慢だと思います。
太陽があって有難い。空気が吸えて有難い。花や蝶が美しくて有難い。父母が元気でいてくれて有難い。
「あたりまえ」のことに謙虚に感謝し続けることのできる自分でありたいと思います。
そしてそれは「幸せ」なことでもあるでしょう。
井村和清さんの「あたりまえ」という素敵な詩があります。
僕の大好きな詩です。
あたりまえ
あたりまえ
こんなすばらしことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いてゆける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、そしてまた朝がくる
空気を胸いっぱいすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけ
なぜでしょう あたりまえ
これはゲシュタルト療法の創始者である心理療法家のフリッツ・パールズが創作した詩です。
私は 私のことをする
あなたは あなたのことをする
私は 何もあなたに気に入られるために生まれてきたわけではない
あなたも 私に気に入られるために生きているわけではない
あなたは あなた
私は 私
もし二人が出会うとしたら それは素晴らしいことだ
もし出会わないとしても それは仕方のないことだ
32年ほど前に初めてこの詩に接した時は少し冷たく感じました。
「あなたはあなた 私は私…」
お互いの間に壁があるような、そんな風に感じたのだと思います。
しかしそうではないことに気づきました。
ところで心理学の一分野に「交流分析」という理論があります。
この理論では、私たち人間は2歳、3歳の時期までに生き方の「基本的構え」を身に着けると言います。
その中に一つに「勝者のポジション」と言われる構えがあります。
「I'm OK. / You are OK.」です。
「私」はすばらしい存在 愛されていい存在 価値がある などなど
「あなた」はすばらしい存在 愛されていい存在 価値がある などなど
そのように私と他者の存在に対するポジティブなイメージや感じを持つことです。
このような在り方を幼少期から身に着けて人生を生きている人は、自己肯定感も高く自信を持ち、他者との人間関係もうまく創って行くことができるのでしょう。
だから物事がうまくいきやすい。すなわち「勝者」なのです。
そして僕は「ゲシュタルトの祈り」の「あなたはあなた 私は私…」は「You are OK. / I'm OK.」のことだと理解するようになりました。
そうすると「ゲシュタルトの祈り」は冷たいどころか、相手と自分を最大限に尊重している自由賛歌の詩と感じるようになったのです。
お互いが依存しない独立した自由な存在なのです。
慶應大学の前野隆司教授は「幸福の4因子」を発見しました。
その第4因子は「独立と自分らしさの因子」です。
他者の評価に依存することなく独立して、自分らしく生きている人はそうでない人よりも幸福度が高いということです。
ゲシュタルトの祈りは「幸せの因子」を育む在り方を表現していると考えています。
ある女性経営者が「自信がない」と言う。
僕は意外でした。
なぜなら、その方は外資系日本法人の社長をしアジアの統括責任者をやっている人で、僕からは素晴らしい仕事をし素晴らしい成果を上げ続けているように見えたからです。
「いつも泣きながらやっているんですよ」
そんな風に彼女は言います。
彼女自身は自分に対して「自信がない」というフレームを創っていたのです。
そのような自己概念を持っていたと言っても良いでしょう。
立場上、次から次へと新しいチャレンジがやってくるので、きっとそれはストレスになっていたのではないかと思います。
仕事がやってくること自体がストレスなのではなく、その度に「自信がない」と自分自身を追い詰めることのストレスです。
ブリーフセラピーという分野に中心哲学「3つのルール」というのがあります。
僕はこれを勝者のゴールデンルールだと考えているのですが次のみっつです。
1.うまくいっていることは変えない
2.過去にうまくいったことがあったら、もう一度やってみる
3.うまくいっていなければ何かを変える
(うまくいっていない方法を続けない)
そこで僕は彼女にこんな風にフィードバックしました。
「それがYちゃんの成功パターンじゃないの?」
彼女がこれまでたくさんの成功を収めてきたのは事実です。
その事実を見てもらおうと思ったのです。
彼女はちょっと考えて言いました。
「そうですね。自信が無いと感じたら(反応)、成功パターンだって捉えたらいいんですね」
その表情はパッと明るくなっていました。
この瞬間、彼女の中では捉え方のフレームが変わりました。
「自信がないこと」はネガティブなことではなくポジティブな事実なんだと。
リフレームが起こったのです。
これから新しい仕事が出てきても彼女のストレスは大分軽減することでしょう。
ストレスを創っているのは自分自身の「捉え方」。
うまくいっていることは変えなくていいんです。