「真実はあなたを解放する」

真実は、ひとつじゃない

私たちはつい

「正しい答え」を探そうとします


これが正解

これが正しい生き方

でも本当は

その答えはひとつではなくて人の数だけ

“真実”があるのかもしれません

そしてもうひとつ大切なのは

今持っている価値観や信念の

その外側にも

まだ知らない答えがあるかもしれない

ということ


それを、少しだけ認めてみること


この世界には

本当にたくさんの真実があります

だからこそ

無理に自分を納得させなければならないものは

真実ではありません


「なんとなくしっくりくる」

「理由はないけど安心する」

そんな感覚 それが

今のあなたにとっての真実


自分の真実と一致したとき

気づいたら 流れに乗っている

まるで 運命の波に乗るように

自分の本当の人生を

信じられるようになります

🌿Today’s good feeling Question

自分を納得させなければならないもの

何かありましたか?






最近読んでいた本の中に、

とても印象に残る一節がありました。

それは

「退屈」についての話。

少し意外かもしれないけれど、

退屈って、実はとても大切な感覚なのだそうです。

その本の中で、OSHOはこんなことを言っていました。

ブッダは、6年間、森の中で

ひたすら「退屈」を極めていった。

そしてある夜、

その退屈がふっと消えた。

退屈がピークに達したとき、

転換が起きる。

それは必ず訪れる、と。


さらにこう続きます。

退屈をただ見つめ続ける。

見つめて、見つめて、見つめ続ける。


すると退屈は、

どんどん強く、大きくなっていく。

でも——

何も永遠には続かない。

ある頂点に達したとき、

ふっと「何か」が反転する。

まるで車輪が逆回転するように。


そのときに起きるのが、変容や悟りなのだと。


ここで私が面白いなと思ったのは、

退屈は「悪いもの」ではなくて、

むしろ「入り口」だということ。

しかもOSHOは、こうも言っています。

退屈できるのは人間だけ。

そして悟れるのも人間だけ。

つまり退屈は、

人間にしかない“可能性”なんですね。


私たちはつい、退屈になると

スマホを見たり、何かで埋めようとしたりします。

でももし、

そこから逃げずにいたらどうなるんだろう。

退屈している自分を、そのまま見つめてみる。

「ああ、今わたし退屈してるな」って。

すると不思議なことに、

もう一人の自分が現れてきます。

退屈している“私”と、

それを見ている“私”。

この「見ている側」こそが、

瞑想の入り口なのだそうです。


退屈に没入したい人はいない。

だからこそ、

退屈は「観察する力」を育てる

最高の練習になる。

そしてその力は、

悲しみのときも、

喜びのときも、

同じように使えるようになる。


何もしていない時間。

何も起きていない時間。

そんな時間の中にこそ、

実はとても大切なものが

静かに流れているのかもしれません。


退屈は、ただの空白ではなくて、


覚醒の手前にある時間。


そんなふうに考えると、

少し見え方が変わってきますね。

🌿Today’s good feeling Question

最近、

「退屈だな」と感じた時間はありましたか?

そのとき、

何かで埋めるのではなく、

少しだけその感覚を

そのまま見つめてみたら、


どんなことに気づきそうでしょうか。





3月に入ってからの方が、なんだか寒い日が続いていますね。

私はというと、寒いから

最近は家にこもることが多くなりました。

でも、2月の暖かい日に

少しだけお散歩に出かけた日がありました。


行き先は天王寺。

「一生に一度の願いを叶えてくれる神社がある」と聞いて、

せっかくなので行ってみることにしました。

そこは 堀越神社。


大きな神社ではないのですが、

境内には梅の木があって、

ちょうどきれいに咲いていました。


どんなお願いをしたのかは、ちょっと内緒です。

でも、境内にあったご神木がとても印象的でした。


雷に打たれても倒れなかった、という話が書かれていて。

その木に少し触れて、なんだか元気を分けてもらったような気がしました。

そこから、茶臼山の方を通って

天王寺公園の方へ。


そのまま歩いて、

大阪市立美術館へ行ってきました。


ちょうど「妙心寺」の展示が行われていて。

特に目的があったわけではないのですが、

なんとなく引き寄せられるように入ってみました。

ただ、少しだけ残念だったことがあって。

美術館は改装されていて、

以前とは入口の動線が変わっていました。以前は、正面の階段を上がって重厚な扉から入っていく。

その瞬間に

「この建物そのものが美術品だな」

と思える空気があって、それがとても好きだったんです。

今は横から入って、

中のエスカレーターで上がる形に。

便利ではあるけれど、

あの歴史の入口をくぐる感じが

少し薄れてしまった気もして。

ちょっとだけ寂しく感じました。

展示は、仏像がたくさん並んでいて。

ふと不思議な気分になりました。

これって

お寺にあったら手を合わせる存在ですよね。でも美術館では「美術品」として鑑賞する。

手を合わせなくていいのかな?

なんて思いながら、心の中では

そっと手を合わせながら見ていました。

そんな時間を過ごして、ゆっくり帰宅。

手術をしてから外に出ることが少なくなりました。電車に乗るのもちょっと億劫に感じてしまったり。

お散歩も、どうしても家の近くが中心になっています。

でも、たまには電車に乗って少し遠くまで出かけるのもいいですね。

会社の人たちも心配してくれて、

「週に一回は顔出しなさい」と言ってくれているので、淀屋橋や本町の方へ少しだけ出かけたりしています。

まだ仕事復帰までは

うまくいかないことも多いですが、

焦らず、ゆっくり整えていこうと思っています。

寒い日はどうしても手術した場所が痛んだりします。

そうすると左足の動きが少し固くなることも。

そんな日は、無理をせず家で過ごします。

おいしいものを作ったり、静かな時間を過ごしたり。

今日はそんな 近況の日記でした。

こうして書いてみると、静かな日常も

それなりに大切な時間ですね。

🌿Today’s good feeling Question

最近、少しだけ外に出てみて

「よかったな」と思えた瞬間はありましたか?

小さなお散歩でも、電車で一駅でも。

外の空気に触れると、心や体はどんなふうに感じますか?