コレが去年 わたしが50歳の誕生日を想い描いてた想像の誕生日祝
現実は去年の末に脳腫瘍テニスボール大の髄膜腫摘出開頭手術をして術後左足に麻痺が残り
歩くのもやっとで外に出るのも不安な日々
1人ひっそり 家で誕生日を祝いました
そんな中わたしの近況を話した方には
「一人でも祝ってくれる人がいるんだから、幸せじゃないか」
その言葉が、
今の私を一番深く傷つける。
それは、私の今の絶望を
「不平不満」という言葉で片付け、
無理やり自分を納得させろという、暴力に近い正論だから。
確かに、
誕生日にLINEギフトでケーキを贈ってくれた上司がいます。
その優しさは、
涙が出るほどありがたかった。
心から感謝している。
それは、
嘘偽りのない私の気持ちです。
でも。
感謝しているからといって、
この足の麻痺が、
失ったキャリアが、
外に出る恐怖が、
「幸せ」という言葉で
塗りつぶされるわけじゃない。
「ありがたい」という感謝の光と
「死にたい」という絶望の闇
この二つは、私の心の中に同時に、等身大で存在している。
この矛盾を抱えたまま生きるのが、今の私の「真実」なんです。
「これがあるんだから、幸せだと思わなきゃ」と
自分に言い聞かせ、
納得させようとする瞬間に、
本当の幸せは逃げていく。
納得しなきゃいけない幸せなんて、そんなの、本当の幸せじゃない。
感謝は感謝として大切に抱きしめながら、
それでも
「私は今、死にたいほど辛いんだ」と叫び続けたい。
自分が幸せだと自分に
嘘をついてまで、
誰かの言う「正しい生き方」に
自分を合わせる必要なんてない。
今の私は、
感謝しながら、絶望している。
その矛盾こそが、誰にも踏み荒らされたくない、私の尊厳だから。




