夫が1型糖尿病を発症してから、
早一年が経とうとしています。
あんなことや
こんなことや
あ〜んなことまでありましたが、
闘病生活はもうすっかり日常に溶け込みました。
夫の場合、長期間作用型のインスリンは夕食前に打っていて、夕食前のてんやわんやで私のイライラもピークになりがちでしたがそれもいつしか喉元を過ぎ、そういうものとして家族の時間が流れています。
家族内は至って平和で、おチビ(1歳)がインスリンセットに興味を持ち触ろうとする以外は何ら不便を感じていません。
発症前後で生活は変わりましたが、人生への考え方も変わりました。
人生観や死生観がより成熟したという点では、前向きなターニングポイントでもあったと捉えています。
しかし未だにむず痒く、考えるのを止めてしまったことが一つだけあります。
それは、
夫の病気の公表について。
夫の実家、私の実家、夫の職場、夫の親しい友人、には発症時から伝えていましたが、私の友人にはごく親しい一人を除いて公表していません。
強いて理由を整理するならば、
公表する必要性が見当たらなかったことと、不必要に同情されたくなかったこと、が挙げられます。
前者については、公表することにより治療について有益な情報が集まる可能性も否定できませんが、我が家の場合は専門書をいくらか読めるので必要ありません。
それよりも私の場合、後者による心理的ストッパーが公表を遮っているように思います。
じゃあなぜ同情されたくないのか。
突き詰めて考えると、
結局のところ、私がまだ、夫の病気を受け入れられていないのかもしれません。
かも、と入力してしまうところが、受け入れられていない事実を認めたくない表れですね。
こういう自分に失望します。
前向き、前向き、と言いながら、引きずっている気持ちに蓋をして見て見ぬふりをしています。これについては夫への後ろめたさもあり気持ちいいものではありません。
このような矛盾した感情はどうやって消化させたらいいのでしょうか。
最近の悩みです。