今年も残りわずか。

ふと思い出したことを書きます。


少し前のことですが、

奇跡的に子ども二人が早く寝てくれた日の夜のこと。


リビングでテレビを点けつつゆるりと夫婦で会話をしていました。


テレビには旅番組が放映中。

お笑い芸人さんが由緒正しい旅館に泊まっていました。


それを見て夫が一言。

「何年後何十年後になるか分からないけれど、子供の手が離れたら夫婦でここに泊まろうか」



あらま!


そんな先の未来まで夫婦像として描いてくれているなんて!


夫のちょっとした発言に、

心が暖かくなったことが、

今年一番?嬉しかったことかなぁ。


1型糖尿病の夫さん

最近目が調子悪いということで、今日は病院で検査を受けました。


約一ヶ月前にも、

「なんか見えにくいなぁ」とのことで定期的にコンタクトレンズの処方箋をもらっている眼科へ行きましたが、


先生「コンタクトレンズの左右入れ間違いだよ」


と一蹴され、その時は笑い話で終わっていました。


私「気の所為でよかったねー!」


、、、



どうやら気の所為ではなかったようです。

今日、糖尿病とは関係のない網膜症との診断がつきました。

原因はストレスによるもので予後は良いとのこと。

まだよかったー、、、


もう、これ以上はらはらさせないでおくれ。


ついにやりました!

この日が来るのに一年以上もかかったなんて!!



先週末、私の気晴らしに家族で近くの定食屋に行くことにしました。


ご飯を作りたくないんだYO!

そんな日もあるんだYO!

いや、そんな日ばかりだYO!


夫「あ〜久しぶりだなー、あのカレーにしようかなぁ〜。あの味はあそこでしか食べられないからなぁ〜」


なんて、家を出る前から気持ちが小躍りしています。


たまの外食はウキウキしますね。


で、ばたばたと家を出て、お腹を空かせて到着!


なにする〜なにする〜?

今日の日替わりは〜?

なんて、楽しんでいると、


夫「あ、、、、忘れた、、、」



はい、1型糖尿病の夫さん、自宅にインスリン注射を忘れましたガーン


これまでに2回、自宅を出て数分で忘れたことに気付きUターンしたことはありましたが、この段階まで忘れていたのは初めてでしたダッシュ


ここまで来てさすがにもう帰れない。


ということで、夫は注文せずゲッソリ


私が注文したハンバーグ定食の、

サラダ半分とハンバーグ半分をつまみ飢えをしのぎました。


肝心の血糖値はというと、


ものすご〜〜〜く安定(横棒一本線)していて、

私も食事量を減らせたし、ある意味良かったのではないかとニヤリ

思うようにしています口笛


洋食屋さんなら大盛りサラダやチキンソテーなんかを注文できたんですけどね〜

定食屋さんは残念ながら糖質パラダイスでしたキョロキョロ


先日のことです。


とある友人と会う機会がありました。

約一年ぶり。


この一年で、お互い色んな変化があり近況報告をしあいました。


子供のこと、仕事のこと、家庭のこと。

すると友人の口からこんなことが。


「父にがんが見つかった。悲観的な状況ではないのだけれど、自営業だから家業をどう引き継ごうか、難しい。」


私は夫が1型糖尿病だと診断されてから、死生観や人生観の形成に役立てようと様々な書籍を手に取りました。

中には終末期医療に関する内容、末期がんとどう向き合うか、はたまたがんが見つかった時はどうするか、意図せずともがん治療に絡めた書籍を多く読みました。

日本人の死因を考えたら自然のことですね。


なので友人の話を聞いた時、咄嗟にステージⅢ以下だろうなと冷静に分析している自分がいました。

またなんとなく、なんとなくですが、同情は不要だなと反射的に受け取りました。友人の「悲観的な状況ではない」という言葉の意味をそう捉えました。


その後、家業は大家業で大きな金額が動くこと、また近い将来には修繕費等の維持費も嵩み管理手腕が素人だからどうしたものか、と話が遷移する中で、


「実は私もさ、昨年夫が1型糖尿病になってさ。赤ちゃんもいたのに夫が二週間も入院してさ。しかもこの先ずっと注射生活でさ。」


なんて返答を頭の中でぐるぐると考えつつ、友人の話を聞いていました。


で、結局、

言い出せませんでした。


同情票はほしくないんですよね。

だけど共感をしてほしい、そういう欲求に気付きました。


言わなくてもいい。

だけど、分かってほしい。

だけど、同情はまっぴら御免。

我ながら厄介な心情です。




夫が1型糖尿病を発症してから、

早一年が経とうとしています。


あんなことや

こんなことや

あ〜んなことまでありましたが、


闘病生活はもうすっかり日常に溶け込みました。


夫の場合、長期間作用型のインスリンは夕食前に打っていて、夕食前のてんやわんやで私のイライラもピークになりがちでしたがそれもいつしか喉元を過ぎ、そういうものとして家族の時間が流れています。


家族内は至って平和で、おチビ(1歳)がインスリンセットに興味を持ち触ろうとする以外は何ら不便を感じていません。


発症前後で生活は変わりましたが、人生への考え方も変わりました。

人生観や死生観がより成熟したという点では、前向きなターニングポイントでもあったと捉えています。



しかし未だにむず痒く、考えるのを止めてしまったことが一つだけあります。


それは、

夫の病気の公表について。


夫の実家、私の実家、夫の職場、夫の親しい友人、には発症時から伝えていましたが、私の友人にはごく親しい一人を除いて公表していません。


強いて理由を整理するならば、

公表する必要性が見当たらなかったことと、不必要に同情されたくなかったこと、が挙げられます。


前者については、公表することにより治療について有益な情報が集まる可能性も否定できませんが、我が家の場合は専門書をいくらか読めるので必要ありません。

それよりも私の場合、後者による心理的ストッパーが公表を遮っているように思います。


じゃあなぜ同情されたくないのか。


突き詰めて考えると、

結局のところ、私がまだ、夫の病気を受け入れられていないのかもしれません。

かも、と入力してしまうところが、受け入れられていない事実を認めたくない表れですね。


こういう自分に失望します。


前向き、前向き、と言いながら、引きずっている気持ちに蓋をして見て見ぬふりをしています。これについては夫への後ろめたさもあり気持ちいいものではありません。

このような矛盾した感情はどうやって消化させたらいいのでしょうか。

最近の悩みです。