それでも明日は来る と言い聞かせてみる | 水脈のブログ

水脈のブログ

読みきかせ記録(絵本等の紹介)と、自分の心に生じた想いや、刻まれた記憶を思いつくままに綴っています。
当ブログ開設当初から好きだった東方神起やジェジュン、ユンジェに関して。そして、2021年以降は、防弾少年団(バンタン:BTS)のことに、思いを馳せることも。

世間はもうすっかり“春”の装いなのに

私の心はずっと凍りついたまま、

深い霧の中で彷徨っています。

アメブロの記事を書くのも躊躇われて、

更新を停めてから

1ヶ月以上経ってしまいました。

自分の中で、気持ちを整理しておかないと

一歩も進めない気がして。

うつむいたままだと

澱んでしまった“気”に

よくないものが引き寄せられ、

どんどん溜まっていく気もします。

(実際、ここ2ヶ月間に様々な変異が

身の回りで起きました😳

・私自身の体調不良による婦人科通院

…不正出血あるも細胞検査では異常なく、

薬の副作用と判明

・義母の要介護度の引き上げと1ヶ月の入院

…第四頸椎滑り症による坐骨神経痛

・実父の膵臓癌疑いで精密検査

…腫瘍マーカー数値結果、

幸い正常につき要経過観察

・実妹の甲状腺癌宣告

…ステージ1診断により手術

・クレジットカード会社から、

不正使用の疑いの問い合わせ

…旧カード使用停止、新カードへ切り替え

・自宅Wi-Fi不調

…別会社へ移行、PCアドレス変更 等々)


日記代わりのこの場に記すことで、

様々な不具合も清算したいと思います。

世間の人々にはなんの関係もない

ごくごく個人的な話で、

自分のための記述にすぎません。

お目汚しの長い文章ですので、

ここで去っていただいて、

無視してくださってもけっこうです。


凍りつこうが、霧に惑わされようが、

夜は必ず明けて、明日が来る

と、自分に言い聞かせるために、

顔を上げ、また一歩を踏み出すために。




突然、思いもかけないショートメールが

一人娘から届いたのは1月末のことでした。


私に両親はいません

親戚もいません

今後、冠婚葬祭にも一切出ません


そもそも、

娘とは長らく会えていませんでした。

会うどころか、

ほぼ音信不通状態が続いていました。

娘の姿を最後に見たのは、

甥の結婚披露宴に出席した日のこと。

5年前のことです。

当時娘は都内の大学に通っており、

披露宴に出席すると、

翌日、朝一番の飛行機で帰京し、

それきり。

大学進学と同時に、

都内で一人暮らしを始めた娘。

(同時期に夫は定年退職を迎え、

私達夫婦は、

夫の母と同居するために故郷に帰りました。)

娘は、大学を卒業したものの

卒業式にも出席せず、

就職のために

縁もゆかりもない神戸に転居。

その就職先も、

一年を経たない内に辞職し転職。

今度は大阪へ転居。

(その後、コロナ禍中に、

その職も辞してしまったようです…)

それでも、その転居先は、

夫が保証人になっていたため、

把握できていたのですが、

年明けに

「転居する」

との短いメール

「いつ?どこに?」

という問いかけに返信はなく、

月末には「転居した」との報せを

夫のショートメールを介して

送ってきたのでした。


在学中に、

娘は私とのLINEから退出し、

電話をかけても出ることはなく、

荷物を送っても、不在で

宅配業者の保有期間を過ぎ

返送されてしまう始末。

転居前のアパートにも

何度か会いに行ったものの

不在だったり、

「忙しい」の一点張りで会うことも叶わず…

連絡は、夫との

ショートメールのみになっていました。

(アパートを訪ねた時に判明したのですが、

私が書き送った葉書などの郵便物は、

ガス代の督促状や、

国民健康保険の手続きのお知らせ等と一緒に、

集合住宅の郵便受けに

積み重ねた状態で放置されておりました…)


今回、管理会社や大家さんに問い合わせ

実際に転居してしまったことが

判明したのですが、

夫が再三、メールを送ったことへの

返答が冒頭の言葉でした。

そして、

何度かのやりとりの後いつもは、

初めて長文の返信が届きました。


私の中では、

あなたたちは、もうずっと以前から他人です

あなたたちは、

私が、小・中・高・大学とずぅっと

いじめられていたことを知っていますか?

就職後も、人間関係に悩み、

知人も友人もいなくて、

対人恐怖症、統合失調症、摂食障害、鬱に

苦しんでいたことを知っていますか?

私が話さなかったから知らなかった

そんなことで済まさないでください

あなたたちは、

何の助けにもならなかった

もう電話もかけないでほしい

声も聞きたくない

今さら、

聞き出そうなんてしないでください

思い出すだけでも、

トラウマで吐きそうになります


青天の霹靂でした。

私は何も知りませんでした。

ごめんなさい。

あまりの申し訳なさに、

言葉がありません。


別々に暮らすようになってからはともかく、

高校までの18年間、

私は、いったい

娘の何を見て、何を聴いていたのか…

どんな言葉をかけていたのか…

聞き出そうとするのではなく、

娘からの話を

ただ寄り添って聞いてあげていたのなら…

問題を直接解決できなくても、

彼女に共感できていたのなら…

でも、娘が話し出せないような

そんな環境を作ってしまっていた

のかもしれません。

過去のことはどんなに悔やんでも

取り返しができません。

大切な一人娘なのに、

寄り添うことさえできなかった

親失格です。

「他人」と言われても、

仕方ないことかもしれません。

本当に ごめんなさい。


幼い頃から、

内向的で、感情を隠し、

新しい環境に慣れるのに時間がかかり、

何にでも積極的にチャレンジするタイプ

ではありませんでしたが、

(石橋を叩いても渡らない慎重タイプ)

まじめで、

一度始めたことは、

最後まで続ける根気強い子

でした。

誰とでも仲良くなれるわけではなく、

友人も少なかったのですが、

小・中時代には、

仲のよい友だちもいましたし、

高校時代は部活もがんばっており、

小学校〜高校まで、

健康で、欠席無しの皆勤賞を続けていました。

(大丈夫なように見えて、

大丈夫ではなかったのでしょうか。

本当は、無理しながら、

独り悩み、苦しみ闘っていたのかも…)

高校も、大学も、

娘の希望と意志で、

一校しか受験せず、進学しました。

大学進学後、1年次に、

部活内での人間関係に悩んでいるのか

様子がおかしいことに気づき、

夫と交互に、娘のアパートに

2ヶ月に1回程度のペースで

訪問はしていましたが、

その時すでに、

話しても何の解決にもならない

と、何も語ろうとはしてくれませんでした。


統合失調症、対人恐怖症、

摂食障害、鬱という診断は、

大学卒業後、連絡を一切絶ってから

受けたものと思われますが、

どれだけ辛く、苦しい思いをしていたことか…。

娘の心の内を思うと、たまりません。


悩みを誰にも話せなかったようですが、

精神疾患は、

そんなに簡単に治るものではないはず。

辞職後、国民健康保険の手続きを

しておらず、

手続きを完了したのは最近のことなのに、

現在治療を継続しているのかどうか…。

親も頼りにならず、

周囲に頼れる人がいないのなら、

せめて、

主治医の先生やカウンセラーの先生が

支えになってくださっていたら良いのですが。

心配は尽きません…😔


転居したのは1月末でしたが、

契約の規定で、

家賃は翌月まで支払ってあったので、

大家さん立ち会いでの部屋の鍵の引渡しは

2月末でした。

直接娘には会えないことは

わかっていましたが、

当日夫が現地に赴き、

大家さんから、

娘の様子を少し聞くことができました。


(見た目は)元気そうで、

お金を貯めるために仕事(バイト?)を

掛け持ちしてがんばっている

最終的には、自分の店を持つのが夢

と話していたとのこと


将来の夢も、

現在どんな仕事に就いているのかも

わかりませんが、

自分で新しい住まいを探し、

転居という行動に移し、また

今、仕事ができていることや、

目標を持っていることから判断すれば、

鬱状態からは脱しているように思います。

ショートメールの内容にしても、

今まで何を聞いても答えてくれなかったのに、

自分の思いをぶつけてきたのは、

初めてのことでした。

そういう意味では、

良い兆しなのかもしれません。


馬酔木(アセビ)


「他人」だからほっておいて

(冠婚葬祭があろうと)

もう二度と会うことはない

という娘の意志表明。

子どもはいつか親から巣立つものですが、

彼女をここまで追いつめてしまった責任、

申し訳なさ、深い悔恨もさることながら、

今後、どうしたら良いのか、

本当に我が子に二度と会えないのか

と思うと、

寂しく、悲しい気持ちでいっぱいです。

確かに、死ぬ時は誰でも、一人でしょう。

でも、生まれる時は、間違いなく、

二人だったのに。


それでも、

娘が、無事、生きていること、

日々健康で幸せであることが

親としてなによりの願いなのです。

不安も尽きませんが、今は、

「夢」に向かってがんばっているという

彼女を信じ、

幸せであれ と祈るしかないと思っています。