ブログに「書くこと」自体、
ためらわれて、
書けなくなってしまったからです。
何事にも、悲観的、消極的になり、
やる気が無くなる。
「鬱 」ですね。
(「ウツ」という漢字
字面だけ見ても、
いかにも、鬱な文字ですね 。(´д`lll) )
6月26日(日)付けの『朝日新聞』に、
今月、
朝日新聞社東京本社読者ホール において
開かれたという
作家の西加奈子さんと、
リリー・フランキーさんとの
トークイベントの記事が
掲載されていました。
その記事の最後は、
以下のように
締めくくられていました。
終盤、リリーさんはいきなり司会者になり、
「西さんに質問を。その一番前の女性」と指名。
作家志望のファンの
「書いたものを人に見せるのが怖い
と思うことはないか」に、
「怖いと思ったら、
その作品を出したらアカンと思う。
そう思う前に飛ぶ。
書きたいものがあれば、
なにか言われても、
自分の魂ってびくともしないんですよ。」
と答える西さんは
きりっとすがすがしかった。
その二日後、
28日(火)の『朝日新聞』の生活欄記事に
ネット「炎上」 怖さを知ろう
という見出しで、
IT専門家の小木曽健さんが、
4月に都内の都立工芸高一年生へ
講演されたその時の要旨が
掲載されていました。
曰く、
「ネットと現実は 常に地続き」
「インターネットにものを書くということは、
この交差点※に掲げることと同じ。
この交差点の方がましなくらいです。」
(※「この交差点」は、
「渋谷のスクランブル交差点」のこと
ここを通る人は、一日40万人。
40万人は、膨大な人数だけれど、
例え、40万人が目にしたとしても、
掲げたボードを、下すこともできる。)
「でもインターネットは
一度あげたら
二度と下せません。
全世界に公開され続けます。」
「家の玄関ドアに貼り出せる内容なら、
どんなものでもネットに書いて大丈夫。
家の玄関に貼れないものは
絶対に書けない。
人生終わってもいいから
貼りたいものってありますか?
ないはずです。」
気軽にネットを利用し、
匿名性を隠れ蓑に、
不用意な書き込みをしたり、
安易に画像を発信したりする風潮に、
警鐘を鳴らす内容でした。
一見「匿名」と思われても、
すぐに身元が特定され、
痕跡を消すことができない のだ と。
「炎上」とまではしないとしても、
確かに一度ネットにあげると
本人の意思とは関係なく、
その内容は、存続し、拡散し続けます。
時には、
第三者によって曲解され、
意図せぬ「尾ひれ」がついたりすることも。
小木曽健さんの論は、
極端な物言いのようではあるけれど、
決して架空の話ではありません。
西加奈子さんのように
「自分が真に書きたい と決意した内容なら、
何を言われても平気。怖くはない。」
と断言できるということは、
即ち、
「家の玄関のドアに貼り出せる」ほど
自信を持って、書きたい と思える内容
だからでしょう。
さて、それならば、
私はどうなんだろう?
このブログ記事、
玄関のドアに、貼り出せる かしら…?
「読みきかせ」記録や、
「本」についての話は、
まあ良しとしても、
「妄想譚」は…… (_ _。)
実在の人物である
「ユノ」や「ジェジュン」の名前を
勝手に借りて、
「祈り」や「願い」を込めた
「妄想」を繰り広げているだけだし、
そもそも、
作品としても、あまりにも稚拙。
やはり、堂々と、
玄関のドアには、貼れないよね… (x_x;)
不特定多数の目にさらすのは、
無謀すぎるよね。
玄関のドアに貼れない と、
自分自身がそう思うなら、
表側ではなく、
玄関に入って来た人だけの目にふれる
ドアの内側に貼り出す
「アメ限」くらいが、
ギリギリ許せる範囲でしょうか。
今まで、公開してきた
「秘苑」も、
「五つ星」も、
やはり、全編「アメ限」にすべきなのかな…。
「私的な日記代わり」のブログ、
自分がそう思っていても、
第三者も読める
「公開記事」にしているのだから、
その時点で、
「私的な域」を超えてますよね。
今さら(!?)ですが、
改めて、考えこんでしまいました。
何を書こう…。
私にしか書けなくて、
どうしても「貼り出したい」なんてこと
今の私にあるのかしら…?