誰しもが心に残る出来事があるだろう。
そう。俺にもある。
4歳から始めたスノーボードという競技。
最初始めた頃はまだ自分の意思ではなかった。
けれどそれがいつしか自分の意志となっていた。
小学生の頃からスクールに通い献身的にトレーニングにも励み
成績も上位にランクインしていることが多かった。
北海道には雪が降る時期は本州に比べると多い
けれどそれでもシーズンとして滑れるのは3ヶ月が限度
その中で調整をしてシーズンに臨む
体調管理を含めアスリートは自らで行うのが基本。
他人と手は極力借りいない。それがベスト!
学校では悪さばかりをしていた中学二年生の夏休みだった。
万全の準備をして海外に飛んだ。
今でもあの緊張と興奮は鮮明に覚えている
一人でボード一本を持って勝負にいった
それは認可が下りたばかりの海外プロ資格取得の審査大会だった。
負けることは許されない中海外の選手と互角に勝負を繰り広げてる途中
宙に浮いた感覚が30秒くらい続いた。
アスリートがよくいうZONEが存在するならば俺のZONEはそこだったと思う
本来は3、4秒くらいの出来事だった。
練習ではまだ完璧ではないエアーを完璧にメイクしたんだ
そのときはまるで自分じゃないみたいだった、着地したときもまだ浮いている感じがした。
その後はあっという間に終わってしまった。
最後の4選手に残った
これは目標にしていたよりも上の結果だった
2時間後に無事プロ資格取得の権利書が手渡された!
晴れてプロとなって競技生活を迎えられるようになったのだが様々な障害に直面することになった
まず海外でプロになると自国では1年間の無所属の活動しか認められていないのだ。
盲点だった。
12867人の中から4人まで勝ち残った名誉を捨てるわけわない。
不安ながらも協会からのサポートをたよりに無所属で1年間やり抜いた。
スポーツをやっているから学校を休むというのはしたくなかった
だから最低限の勉強をして学校にも通った。
中学を卒業すると海外留学することを決めていたから
卒業と同時に出国準備に追われた
海外で揉まれて俺は何倍にもなって帰ってきた
そして拠点を日本に戻してすぐに古傷が爆発した。
引退の二文字が頭をよぎった。
ここで終わりたくないすごい悩んだ
そして手術という手段をとった!
成功したがその後の結果が全くのびずやむ得なく引退をすることにした。
後悔はなかった、やりたいことはすべてやってきたつもりだったから!
けがをするというのはアスリートに取っては引退を意味するのと同じ
怪我は30パーセントの偶然と70パーセントの自己管理で起こる。
自己管理を怠ってしまった俺の甘さがここ一番というときに出てしまった。
あっという間のプロ生活だった
7年間一つだけの目標を老い続けてやってきた
遠かった、辛かった、長かった、決して平坦な道ではなかった。
でも逃げださなっかたのは、何よりも応援してくれた人がいたから
その日立のことは今でも頭から離れない
本当に感謝している!
決して7年かは無駄になったことは一度もない
今もどこかで必ず生きている!
楽しかった7年間、辛かった7年間
この7年間があったから今がある!
これからも挑戦することを怠らず!
何事からも逃げ出さず立ち向かっていこう!