【毒親育ち】毒親育ちの母の日 | 【HSS型HSP】「生きにくい」と生きる

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HSS型HSP+アダルトチルドレン。30代。
20代の頃は、職場の人間関係に悩み、転職を繰り返す。
HSS気質どまんなか。そんな私が何とかしてキャリアや生活を築こうとする姿を公開してます。
自分って何ものなのか、快適な環境ってなんなのか?
人生まだ投げ出さない。

母の日にちなんで。

母の日でしたね。
毒親ブロック中の私には無縁ですが。
当日もスーパーや花屋さんは母の日グッズで溢れてました。
道ゆく人の会話がすれ違いざまに耳に入ってしまいました。

多分ママ友同志のランチ会?
楽しくお話している中で
「え、花?いらないよねー。」
「うん、そうだねー。」

最初の方は聞いてなかったけど、
恐らく母の日のカーネーションのことかな、と。
相槌を打った方は、何となく同意してる風でしたが。

思いを巡らせていているうちに、小さい頃の自分と両親のことを思い出してしまいました。
私が通っていた保育園では毎年、父の日、母の日ともに工作があって、ご両親にプレゼントしましょう!と先生が満面の笑みで園を送り出してくれます。

きっと両親はこれを渡すと喜んでくれるんだ、
そう確信するのも束の間。
母親は面と向かって「何それ変なの、いらない」
という人でした。
保育園では恒例なので「今年もまたゴミを持ってきた」と言われるのが子供心に辛かった。
父親は受け取るものの翌日には捨てられているのは確実でした。
先生の手前持ち帰らないわけにもいかない。
そんな板挟みを味わう日でした。

二人とも家をきれいに保つ事に異常な執念を燃やしていて、母の友人が来た時に、「子供がいる家とは思えない」というのを聞いて、母が満足げにしていたのを覚えています。
保育園児の工作なんて、そんな二人の理想のマイホームからはかけ離れたものだったのでは、と。
あとは「わたしの苦労はこんな花一本で報われるものではない」となじられたり。

歳を重ねて、色んな人とのコミュニケーションの経験から思うのですが、なんであっても相手の「何かしてあげたい」という気持ちは踏みにじられるものではないと思うのです。
母の日カーネーションや父の日のネクタイは、
本人の趣味に合うかどうか、は大事ですがあげる側の感謝を示したい、という思いの代替品であり日頃伝えられない感謝を伝える共通のツールであり記号。
仮にいらなくても、それなりの笑顔でもらう方がお互いの関係は良好になるのでは、と。

もし違うものが欲しければ、事前に今年はコレがいい、とハッキリ言うなり、感謝の示し方の正解を伝えればいいのであって。
ウチの両親は、それもなしにただイヤな顔をして嫌悪感を示すだけでした。

よく言いますが、思いやりって他人よりも身内に使うものだと思うのです。
同僚や友人なんて離れて仕舞えば終わりだったりしますが、家族はそうではない。
そういう感謝したりされたりの定型文を、蔑ろにしない方がいいのかな、と。
私の母の場合は、今や私からは花一本分の感謝をえる機会も自ら無くしたわけで。

母の日のカーネーションはわかりやすく「感謝」の象徴で言葉足らずの日本人の救世主かもしれないですし。


私が他人にお礼をいわれて一瞬、裏があると考える癖があるのは、こういう両親の態度のせいかな、なんて。
こういう思い込みも少しずつ解消していければな、と。
どうか今日すれ違った方のお子さんが、目一杯感謝を伝えられますように。