前回のブログから7ヶ月。

この間、仕事でもプライベートでも、いろいろなことがありました。

その中で、自分にとって一番大きかった出来事があります。

高校時代からの友人が亡くなりました。

まだ同世代です。

こういうことをブログに書くべきなのか、少し迷いました。

でも、この出来事を抜きにして、この7ヶ月の自分を振り返ることはできない。

そう思って、書くことにしました。

その友人とは、高校時代からの付き合いでした。

若い頃から、決して楽な環境ではなかったと思います。

高校生の頃もよく働いていました。

周りが400ccのバイクに乗っている中、

自分で働いたお金で、ようやく50ccのバイクを買う。

そんなやつでした。

結婚も早く、その後もずっと仕事中心。

遊ぶことより、働くこと。

自分のためより、誰かのため。

今振り返ると、そんな人生だったように思います。

昨年から重い病気を抱え、入退院を繰り返すようになりました。

移植を目指しながら、

良くなったと思えば、また悪くなる。

希望が見えたと思えば、また遠ざかる。

諦めそうになって、

それでも、また少し踏ん張る。

決して、ずっと前向きだったわけではありません。

怖かったと思います。

もうダメかもしれない。

そう思った時も、何度もあったはずです。

でも、それでも生きようとしていた。

今になって思うと、

その姿が、とても人間らしかった。

そんな状況でも、

LINEをすると、

ありがとうオリゴ糖。

なんて返してくる(笑)😅

こんな時までそれかよ。

そう思っていました。

でも今では、その言葉を見るだけで顔が浮かびます。

病室にいた姿ではありません。

元気だった頃の、

笑っている顔です。

闘病中には、昔からの仲間たちでLINEグループも作りました。

何かしてあげたい。

でも、何が正解なのかは分からない。

だから、

お金を出す人。

言葉をかける人。

黙って動く人。

それぞれが、それぞれのできる形で支えました。

こういう時、

人の温かさというものは、本当によく見えるものだと思います。

そして、2026年2月。

友人は亡くなりました。

その後、少し不思議なことに気づきました。

2023年3月3日。

自分は、その友人と酒を飲んでいました。

そして、ちょうど3年後。

2026年3月3日。

今度は、その友人の通夜に向かっていました。

同じ3月3日。

3年前は、

隣で酒を飲んでいた。

3年後は、

その人を見送っていた。

たった3年です。

人の命って、

本当に儚いんだなと思いました。

もちろん、

人はいつか死ぬ。

そんなことは誰でも知っています。

自分だって、昔から分かっていたつもりでした。

でも、

同世代の友人が亡くなると、

その言葉の重さが変わります。

人はいつか死ぬ。

それが、

自分もいつか死ぬ。

に変わる。

自分の時間だって、

無限にあるわけではありません。

だから最近、

改めて思うことがあります。

自分を大切にすること。

好きなこと。

好きなもの。

大切なこと。

大切な人。

まず、それを先に考える。

そして、

そのためにお金をどう使うかを考える。

お金は大切です。

たくさんあれば、選択肢も増える。

助けられる人もいる。

守れるものも増える。

でも、

お金を人生の一番前に置いてしまうと、

いつの間にか、

人生がお金のためのものになってしまう。

自分は、そうはなりたくない。

人生は思っているより短い。

会いたい人に会えること。

好きなことができること。

元気に働けること。

明日も同じように朝が来ること。

どれも、

当たり前のようで、

本当は当たり前ではない。

友人が亡くなって、

そんなことを改めて考えさせられました。

そして、

考えているうちに、

これは自分達が毎日やっている仕事にも通じるなと思いました。

少し大げさに聞こえるかもしれません。

でも、

自分達が作ったものは、

自分達がいなくなったあとも残ります。

お客様は、

一生懸命働いて、

一生懸命貯めたお金で、

リフォームをします。

そして、

自分達が作った風呂に入り、

自分達が作ったキッチンで料理をし、

自分達が直した家で、

10年、20年と暮らしていく。

でも、こちら側はどうでしょう。

毎日現場に出て、

毎日のように同じ仕事をしている。

慣れてしまうんです。

麻痺してしまう。

早く帰りたい。

今日はバタバタしているから、

さっさと終わらせよう。

疲れたから、

このくらいでいいか。

人間なので、

そんな気持ちになることもあります。

でも、

それではダメなんだと思います。

自分達にとっては、

今日何件目かの現場でも、

お客様にとっては、

何年も考えて、

何年もお金を貯めて、

ようやく決めたリフォームかもしれない。

だったら、

こちらもそれに応えなければいけない。

きれいな言葉に聞こえるかもしれませんが、

自分は昔から、

魂を込めた仕事を残したい。

そう思っています。🔨

20代の頃から、

なんとなくそんなことを考えていました。

若い頃は、

少し青臭い考えなのかなと思ったこともあります。

でも、

友人を亡くした今、

改めて考えてみると、

やっぱり素敵な考え方だなと思います。

自分達も、

お客様も、

いつかはいなくなる。

でも、

丁寧に作ったものは残る。

きちんと考えて納めた仕事は残る。

そこで暮らした記憶も残る。

人も同じなのかもしれません。

人が亡くなっても、

その人が言ったこと。

その人がやったこと。

笑った顔。

くだらない冗談。

周りの人に与えたもの。

そういうものは、

その人がいなくなったあとも、

意外と残り続ける。

だから自分も、

残された時間を、

ちゃんと使っていこうと思います。

そして、

魂を込めた仕事を、

一つでも多く残していきたいと思います。

最後に。

ありがとうオリゴ糖。

おっす!
みんな元気にしてる?

またまた恥ずかし紛れに
元気よく挨拶してみました、、、💦

楽しみにしていた方
お待たせいたしました!
(いませんね💦)



気づけば、前回のブログから7ヶ月も経っていました💦

書こう書こうと思いながら、

現場に出たり、
会社のことを考えたり、
新しいことを試したりしているうちに、

あっという間。

相変わらず、
職人をやったり、
建築士をやったり、
社長をやったりしています(笑)

この7ヶ月でも、
現場で思うことや、
リフォームについて考えたこと、
新しく試していることなど、
書きたいことは結構たまっています。

また少しずつ、
仕事の話だけではなく、
日々感じたことも含めて書いていこうと思います。

久しぶりのブログ、
ぼちぼち再開します!

みなさま暑さに負けず
がんばりましょう!



みなさまこんにちは。
実な自分は医者です。。。
ちがうか💦

  
ドラマに出てくるような白衣のエリートじゃない。
 




地域を走り回る
“お家の医者”みたいな
泥臭い仕事をしています🫡

昼夜関係なく電話は鳴るし、  
休日でも現場に向かう。

気づけば年間1000件以上、  
個人宅と関わっている。

だから生活は、  
ありがたいことに比較的
普通の方かもしれない。

いや10年前の方が確実に良かった

……と言うと、  
これから書く話しも

「余裕あるから言えるんだろ」  
と思われるかもしれない。

でも実際は――  
昼夜働き、休日も働き、  
家にいる時間の方が短い。

裕福ではない
  
ただ命と時間を切売りして
働き続けてきただけだ。


だからこそ、  
現場で見てしまう現実が胸に刺さる。

最近
玄関を開けた瞬間、  
冷たい空気が流れてくる家がある。



暖房はついていない。

おばあちゃんが、  
コートを着たまま座っている。

「寒くないですか?」

そう聞くと、

「大丈夫、大丈夫」

と笑う。

でも手は震えている。

別の家では、  
電気代を節約するため、  
子供達がこたつに集まり
ジャンパー背負って勉強をしていた。
こどもだから、笑顔こそはあったが
子どもまでもが、、



修理の見積もりを出した瞬間、  
奥さんが固まる。

2万円。

一般相場より安くしても、  



「主人と相談します…」と声が小さくなる。



これは生活保護世帯の話じゃない。

極端な貧困でもない。

普通に働き、  
普通に子育てしている家庭の現実だ。

弊社は、
富裕層や経営者のお客様も
沢山いらっしゃいますが、
1番ボリュームの多い
30〜60代世代の働く世代の話しです。



30年現場に立っていると、  
設備交換の理由で時代が分かる。

30年前は――  
「 便利にしたいから交換する」
「 グレードアップしたいから」


20年前は――  
「古くなったから交換しておこう」
「 ついでにグレードアップしよう」


さらに10年前は――  震災後あたり
「壊れたから交換するか、安いのでいい」



そして今は――  
「壊れたから修理できませんか?」
「中古とかでいいんです 」
「 自分で直そうとも考えてる」

向上心(30年前)
維持(20年前)
妥協(10年前)
絶望(現在)

人も設備もはや限界を超えてる。
限界まで来てるのを実感する。


修理不可と伝えた瞬間の沈黙。


壊れたまま放置される設備。

生活余力が、  
確実に削られている。


物価は上がった。

だが所得は追いついていない。



30年前のディズニーランドのパスポート料金。

現在の価格倍率を  
平均所得に換算すると、  
年収800万円前後になる計算だ。

だが現実は、  
450万円前後。

この差が、  
生活を静かに圧迫している。

震災をきっかけに、  
右翼、左翼、戦前、戦後、
政治や経済も
新聞全紙を取り、ネットも使い
BSも契約して海外からの視点も見たり

どこかの政党に偏らない見方で勉強した。
全て理解したわけではないが

構造が見えてきてしまった。

この生活の変化は、  
単なる景気の問題だけじゃない。

構造の問題でもあるんじゃないか?と。

安全保障の議論を見ていても、  
どうしても引っかかることがある。

今の憲法のままで、  
中国や北朝鮮にやられましたか?

戦後、70年以上――  
日本は戦争に巻き込まれていない。

だから自分は思う。

日本を、  
他国の戦争に利用させないために。

自衛隊員を、  
無意味な戦場で死なせないために。
そして――  
子どもたちを、  
戦争に行かせないために。

それが、  
今の憲法が果たしてきた役割だと  
自分は考えている。

その上で、  
今の政治の動きを見ていると――

自民、維新、立憲、国民、参政党は、  
選挙ではいいことを言う。

だが国会では、  
党議拘束という仕組みの中で  
議員の動きは縛られている。

議員個人を責めたいわけじゃない。

党議拘束で自由に発言できない議員さんの苦しみ。
中央が決めたシナリオ通りに進んでしまう国会。

仕組みそのものが、  
生活の声を届きにくくしている。

その中で――

国会で真面目に仕事をし、  
質疑に立ち、  
生活の苦しさを真正面からぶつけている姿が  
強く印象に残っているのは、れいわだ。

財務省と繋がっていない。
大企業や宗教がバックにいない。 
唯一無二の政党。


今まで、  
ここまで“国会で仕事をしている姿”が  
見える政党はなかった。

彼らは国会のカナリヤみたいな存在
今の消費税減税ムーブに火をつけたのは、
彼らである。

だから自分は推したい。

昔の自民党は、  
どこかれいわっぽかった。

現場の声を拾い、  
生活を国会にぶつけていた。

今はなくなってしまった

だから今、  
その役割を担っているのが  
れいわ新選組だと感じている。

もちろん、  
無理にとは言わない。

支持している政党がないなら、  
そこに入れてあげて、と言いたい。

ただ――  
現場で見てきた現実があるから、  
自分は声を上げている。

普通の家庭が、  
普通に笑って暮らせる日本に戻ってほしい。

贅沢なんて望んでいない。

暖かい部屋で、  
家族がご飯を食べて、  
子どもが笑って、  
親がそれを見守る。



そんな光景が、  
当たり前にある社会。

サザエさんの暮らしは、  
理想でも夢でもなく――  
少し前まで、日本の“標準”だったはずだ。

しかし今は共働きを全力でしなければ、
サザエさんの様に、お米 野菜 お酒、クリーニングなどなどの配達はできない。


子供連れて
セルフレジ 
セルフ注文、
セルフ会計、
セルフ給油、
セルフ、セルフ、セルフと、
セルフと言うと安いイメージがあるが、
現実は地獄

日本のお母さんの労力とメンタルが
確実に削られるシステム、
雇用もなくなるシステム
という事を改めて認識してほしい。

人類の太陽と言われている女性が
荒む世の中は確実に暗くなってしまう


あの当たり前を、  もう一度取り戻す
もう一度取り戻してほしい。

それには失われた30年を作り出したのは、どんな構造だったのか?
作り出した人は、どんな人達だったのか?
選挙の時だけ甘い言葉を使ってないか?

じわじわと苦しい生活になれてしまい、
麻痺していないか?

30年で平均給料が上がらない国は
世界で日本だけという異常さに気がついてないか?
問いかけで行動していきたいと
考える毎日です。


街には子供の声が響き
お年寄りがゲートボールをして
お茶を飲みながら、
地域の子供達を見守る
働く世代は仕事や家事、
育児に集中できる

そんな贅沢でもなんでもない
当たり前の日本の為に働く政治家が増える事を願うばかりです。

みんなで笑える世の中がいい。
みなさまお元気ですか?
私はこれから来る花粉に怯えている毎日です。





最近、SNSを眺めていて、
どうにも拭えない違和感があります。

特定の政党や人物への批判が、
量も言い回しも、まるでテンプレートでもあるかのように揃って増えている。

偶然とは思えない。。。

消費税減税という、
今の仕組みにとって一番触れられたくない話が、
現実的な選択肢として浮上してきた。

それに対する警戒反応が、
形を変えて表に出てきている。
私は、そう見ています。

有名人が特定の勢力と距離を取るのも、
思想の問題というより、
仕事やスポンサー、メディアとの関係を考えた結果でしょう。

不用意に触れない方が無難。
そう判断する気持ちは分かります。
私自身も、
立場が違えば同じ判断をするかもしれません。

ただ、その結果として
「まず否定してから触れる」という姿勢が当たり前になり、
何も知らない人には
「関わってはいけない存在」という印象だけが残っていく。

例えるなら、
れいわ新選組に対する扱いは、まさにそれです。

色眼鏡を外して見れば分かる。
彼らが語っているのは、
難解な思想でも、勢い任せの理想論でもありません。

消費税。
賃金。
生活費。



毎日、現場で働き、暮らしている人間が
実際に直面している、
ごく具体的な問題です。



業界団体や官僚の論理を出発点にするのではなく、
「生活の側から逆算して政治を考える」。


この姿勢が、今の永田町では異質に映る。
だから煙たがられる。

「理想論だ」と言うのは簡単です。
ですが、

公開されている試算を追えば、
数字も前提も、驚くほど細かく詰められている。
思いつきで作られた政策ではありません。


国会では、
MMTだの、国債金利だの、為替だの、
難しい言葉が飛び交います。

しかし、本当に大事なのは

理論の正誤ではない。

――どこまで財政を動かすのか
――その判断を、誰が握り、誰のために使うのか

結局は、そこです。

表では激しく対立しているように
見える政党同士が、
裏では同じテーブルを囲む。

その光景に違和感を覚え、

「政治は本当に国民の側を向いているのか」

と考える人間が出てくるのは、
自然な流れだと思います。



財務省や大企業の論理を前提にせず、
現場の実感から制度を組み立て直そうとする。

そういう存在は、
今の仕組みにとって都合が悪い。
だから「異物」になる。





日本では、政治も仕事も、
中身より「スタイル」で語られがちです。
ですが、

表面的なスタイルの中に、
本質はありません。

本当の安心や豊かさは、
もっと泥臭いところにある。



「自分の一票で何も変わらない」
もしそう感じているなら、
その感覚こそが、

長い時間と莫大なコストをかけて刷り込まれてきた、
最も完成度の高い 管理の形 だと思います。

彼らが本当に恐れているのは、

誰かを熱狂的に支持する市民ではありません。

「自分たちは管理されていた」
と気づいた市民が、自分の意思で、

投票という仕組みを使い始めることです。

何が語られ、
何が避けられているのか。
誰が叩かれ、
誰が不自然なほど守られているのか。

その違和感を、大切にしてほしい。



投票所へ向かう一歩は、
単なる行事への参加ではありません。

自分の人生の裁量を、
もう一度、自分の手に戻す
行為だと、私は思っています。

堅苦しい文章になってしまいましたが、
「生活の側から逆算して政治を考える」

そんな日本になればいいな、
そう考えています。

おまけ
(前川良雄的まとめ)

明日のテストにでますw
•生活の側から逆算して政治を考える
•不自然に叩かれている方が、
 だいたい泥臭い
•不自然なほど守られている方は、
 だいたいスタイリッシュ
•本質ではなく
人格否定、人格暗殺
してくる人間は怪しめ(笑)

いい点とれよっ!
ちがうか💦


…なんて、くだらないまとめになりましたが、

変な違和感を考えた結果ブログにしてみました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


新年あけましておめでとうございます。
……と言うには、だいぶ時間が経ちましたが(笑)




「ブログ書いてないな」と思い出したのが、
つい先日だったので、
これが今年一発目になります。





今年もエムシステムは、
特別なことはせず、
いつも通り現場優先でやっていきます。




今年の抱負ってやつ

今年の抱負を聞かれたら、
一応こう答えます。

「正しさより、信義」

……はい、
この時点で
「お前が言うな」
「偉そうに何言ってんだよ」



という声が聞こえてきそうですが、


そのツッコミ、正解です(笑)

自分でも思います💦



信義って何?って話

私にとって信義とは、



「有利な立場にあっても、人の信用を壊さないこと」

「正しくても、越えてはいけない一線を越えないこと」



です。



争いや対立の場面で、

相手の過去を持ち出したり、

立場や肩書で人を下げたり、

言葉で追い詰めることは簡単です。



しかし、それをしてしまえば、

その場では勝てても、

関係や信用は確実に壊れます。



私は、

勝つために人を傷つける選択はしません。



それが、商売でも、家族でも、同じです。



信義って言葉、

なんか立派で、説教くさいですよね。

でも自分なりには、
そんな大層なものじゃなくて、

・有利なときほど人を売らない

・正しくても、越えない線を決めておく

これだけの話です。

正論で人を追い詰めるのは簡単。
言い返して勝つのも簡単。

でもそれをやると、
あとに何も残らないことが多い

だったら、
黙って引く方がマシな場面もあるなと。





過去の自分にブーメランは刺さる

正直に書きます。

過去の自分を知っている人や、
迷惑をかけた人からしたら、

「今さら何言ってんだ」

そう思われても仕方ないです。

過去は消えないし、
なかったことにもできません。



このブログは
反省文でも、言い訳でもありません。

ただ、
越えない線を決めておく
それだけです。



今年も変わらず

今年も、
急に人格者になる予定はありません(笑)

ただ、

・仕事はちゃんとやる

・人の信用を軽く扱わない

・壊さなくていい関係は壊さない

この辺だけは、
変わらず
意識して続けていこうと思っています。

地味ですが、
エムシステムらしいかなと。



最後に

今年も、
良いこともあれば、
うまくいかないこともあると思います。

その中で、
「正しいかどうか」より
「信義が残るかどうか」を
一回だけ考える年にしたい。

……と書きつつ、
またブログ更新が空いたら、
「あ、まただな」と
軽く流してください(笑)

本年も、
どうぞよろしくお願いいたします。