サウナ審議会 の画像をメソポ田宮文明先生にいただいた!
「熱波道プロレス・大サウナ博」で行われた サウナ愛をおもむろに語り明かす
サウナがちょっとでも好きな人に贈る
トークショー、「サウナ審議会」の
画像をアーティストのメソポ田宮文明先生に頂戴したので
こんな雰囲気だったのか、と画像で想像力を高めていただきたい。
司会の 今回も人類の威厳を観衆の面前で守り抜いた。対魚類&干物のエキスパート、アブドーラ小林さんと。
サウナは宇宙。
自身のサウナ初体験時のおもひでを語る。
ボクは大阪の生野区で生まれて育って、
実家は今里筋の生野消防署の前にあったんです、今は活魚の大昌の駐車場なんかな? そう? 今どうだろう?
その辺りって歩いて10分以内に銭湯が何軒もあった。
(でも大阪で距離を示す基準て、
「自転車で何分?」で皆距離を知る。)
家族で毎晩の様に行ってたのは
「辰巳湯」、「メガネ湯」、
「大池湯」は家族ではあんまり行かなかったかな?
名前は忘れたけどもっといっぱいあった。
中学2年の頃は友達の家の近所の風呂屋に行くのに自転車で出掛けたり、楽しかった。
当時のその地区は、ガラが悪くてねぇ、
オレなんて中学1年の時は誰かに殴られない日は無かったからね。
もちろん殴るだけじゃない、蹴られるは机に頭ぶつけられるは毎日酷かった。
ほんとですよ。
それでね、
反社会勢力に属している人達もわんさか銭湯に入っていた。
で、そのぐらいの時期だったと思うんだけど、近場の銭湯のリニューアルとか始まってサウナがある所が増えたんです。
特別料金を取る所は無かったな、知ってる限り。
その頃って料金いくらだったっけ?
300円しなかったと思うけどな、忘れた… そんな高くない。
あの辺 そんな高かったらみんな毎日行けないよ。
当時 家にお風呂があるって府営住宅に住んでるヤツかそこそこ大きい家のヤツだけだったからね、
まだ家風呂は珍しかった。
そんな時代、サウナに子供が入ってもマナーを守れないヤツは店の人じゃなく
サウナ入ってるオヤジや、それこそヤクザに叱られたわけだよ、
「サウナで騒ぐなコラ~。」とか、
「ドア開けっぱなしにすんなや、早よ閉めろコラ~。」
とか。
それで「…すんません。」て出ていく。
これでボクなんかは
「サウナで騒いだらあかんねんなぁ。」って覚えた。タオルしぼんのもあかん。
で、まあサウナマナーを覚えたらわりと迎え入れてくれるようになる。
そんな中、ある日入ったら だいたい、全身にカラフルなデザインを施した専門職の方ばっかりの時があるんです。
だいたい10人ぐらいのサウナで8人ぐらいそんな人で、
そこで一番格上の人って「兄さん」って、
やっぱり上の段に座ってるんですよ。
んで、ボクが入ってサウナ満室になったら
その「兄さん」が
「こん中で最初に出たヤツ一千万円な。」って言うわけですよ。
…え!?オレも!?ってなるけど聞けないでしょ…そんなん。
と、言うね、まぁそういう経験があるから
今でもわりとサウナ長く入ってられるのかなぁ。 って、
そんな思い出を語らしていただいたんだ。
よく行ってた銭湯のブックラックには
必ず「エロトピア」があった。
「温度の低い水風呂に入ると逸物が縮む。」
なんか画像では夕陽があたっている様な感じですが
この日は一切太陽は出ていません。
この夕陽に照らされてる感じは昭明です。
トークショー開始時の空。
参加メンバーは
右から、大日本プロレス・宇藤選手、
埼玉かすかべ湯元温泉・清水さん、
横浜上星川満天の湯・久下沼さん、
サウナメーカー㈱メトス・平瀬さん。
終れば夜。
「みんなサウナ行こー!!」
楽しいサウナトークショーだった。