スポーツの名解説者とは? | 文筆家hideの徒然ブログ

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文筆家、そして経営学の大学教員として活動するhideが、日々の雑感を徒然なるままに綴る。
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バンクーバ-五輪も、明日でおしまいですね。。。


放送する側の思惑とは別に、皆さん、それぞれにお目当ての種目があったに違いありません。


堪能されましたか、それとも・・・・!?


そんなスポーツ中継をより面白いものにするか、そうでなくするか・・・ということに関して、重要な役割を果たしているのが、実は「解説者」だったりします。


視聴者にとっての「良い解説者」って、どんな人なのでしょうね?


一般的には、「主体」としての「自分自身」と、「客体」としての「選手」とを、明確に切り離して、選手のプレーを、冷静・客観的に分析し、「強み」「弱み」「機会」「脅威」を正確に伝えてくれる人ということになるでしょうか?


しかし、私個人としては、それとは逆のタイプの人に、時として強い魅力を感じます。


それは、「主体」としての「自分自身」と、「客体」としての「選手」とが、その解説者自身の中で不可分一体となっているタイプです。


そういうタイプの解説者はテレビ局の用意した解説者席に座っていながらも、その人の魂は、言うなれば、試合会場に飛んでいて、そこにいる選手たちと一緒になって戦っているのです。


と言っても、感情的になって我を忘れる暑苦しいタイプということではありません。

うるさいか静かか・・という問題ではなくて、その人の魂・心がどこに位置しているか・・・という問題です。


カーリングの解説者として有名な小林宏さん!

今回も、たくさんの名調子で、我々を堪能させてくれました。。

この小林さんの解説が広く支持され、結果として、マイナースポーツだったカーリングのファンを一挙に増やすことになった最も重要な要因は、小林さんの魂あるいは心が常に試合会場にあって、選手たちとともに戦っているからだと、私は勝手ながら思っています。


日本チームがどんなに劣勢になり、どんなミスショットをしたとしても、突き放したように、それを批判したり否定したりすることは全くと言って良いほどありません。


そのため、しばしば、こちらとしては、事の重大性・深刻さに気づかないほどです(笑)

小林さんは、たとえ日本側に致命的なミス・ショットがあったとしても、ただ、ひたすら、それを次にどうつなげてゆくか、という現場の選手の視点に立って、解説を続けてゆくのです。

どんな物事でも、コインの表裏のようなものであって、一見致命的なミスであっても、見方を変えれば、それは、次のチャンスを創出することにもつながる・・・という極めて現場的な発想なんですね。


だからこそ、観ている我々も、あたかも、自分自身が選手になったような気分で一緒になって次の一手を考えてしまうんですよね!


要するに、解説者の魂・心の在り処が、そのまま視聴者に伝わり、こちらの魂・心の在り処まで変えてしまうんです。


別の競技で、こういうタイプの解説をされている方を、まだ見出していないのですが、きっといらっしゃるに違いありません。


昨日のフィギュアスケート女子フリーでNHKの解説者席に座られた太田由希奈さんは、物静かで控え目ながら、上記の小林さんに近いものを私は感じました。


十年に一度と言われるほどの才能の持ち主でありながら、長年、故障に悩み苦しみ、結局、志半ばで選手としての活動を休止せざるを得なかった方です。

彼女の演技は、優美を極めた気品あふれるものでしたので、ご記憶の方々もたくさんいらっしゃることと思います。

昨日は、それほど多くを語られなかったものの、太田さんは、絶えず、選手の心・魂と一体化し、あたかも彼らの心を代弁するかのような切実さをもって語ってくれました。


古来、日本人は、「主客一如」と言って、主体としての自己と、自己を取り巻く客体とを、決して分離せず、不可分一体のものとして捉える自然観・人生観をもっていました。

明治以降、いったんは途絶えかけたかに見えたそうした自然観・人生観ですが、日本人のDNAの中で着実に継承され、最近、とみに、そうした特性をもった素晴らしい方々が見受けられます。


私が、ふだん取材させていただく経営者とかアーチスト、あるいはビジネスパーソンの中にも、いらっしゃいますが、そういう方々って、おしなべて、人を元気にし、幸せにし、世の中にプラスのインパクトを与える力をもっていらっしゃいます。


そうした方がどんどん増えてゆくと、日本も元気になるかな・・などと思います。


スポーツ解説の世界でも、徐々に増えてゆくかも・・・・ですね。。