「学歴幻想」と題して、3回だけ書かせていただいたら、私とはまた異なる視点からのご意見も頂戴しましたので、それについて私見を述べたいと思います。
東大を頂点とする偏差値ピラミッドを駆け上がることを子供に強いても、現代日本においては、もはや意味がないことを私は述べました。
それに対して、「学歴を見れば、その人がどれくらい頑張りの効く人なのかがわかる」という考え方も世の中にあるということをご指摘くださった方がいらっしゃいます。
たしかに、世の中には、大した努力もしないで、自分の人生が開けないのは世の中のせいだ・・・みたいなことを言って、何かにつけて他人を妬んだり、憎悪したり、傷つけたりする人たちが存在します。
そういう視点に立つならば、「学歴」は、その人が、どの程度、苦しい勉強に耐えたか、どれくらい克己心があるかを見る尺度になると思います。
ただ、「頑張りが効く人間かどうか」を測る尺度は、「学歴」以外にも、たくさん存在することもまた事実だと、私は思います。
どんなに大好きなスポーツであれ、音楽であれ、趣味であれ、それを長年にわたって持続しようとしたり、一定レベル以上になろうとするならば、非常に苦しい過程を経ざるを得なくなるのは、誰しも経験のあることだと思います。
「一芸に秀でた人は、他のことをやってもうまく行く」と言われますが、それは、何かひとつの分野で、そうした苦しい過程を経て、ある一定以上のレベルに達した人には、強靭な忍耐力・根性に加えて、達成感とそれに基づく自信(自己肯定感)があるからです。
私は、1990年代に、ご縁があって、ある中堅私立大学で、主として「一芸一能入試」で合格した学生たちを集めたゼミ(3年生、35人)の指導を約1年間、やらせていただきました。
女優さんや、スポーツマン、変わった特技の持ち主、国際交流に貢献している人、熱心に奉仕活動に取り組んでいる人・・・・・高校時代までに実に様々な課外活動をやってきた学生たちの集まりです。
学科試験でその大学に入った学生たちには若干の萎縮傾向が見られましたし、大学の勉学に熱心とは言えない学生も見受けられましたが、一芸一能で入った学生たちは、実におおらかで向上心が強く、卒業する頃には、勉学面でも大きな成果を収め、卒業後も、社会的に活躍している人が多いのが特徴です。
私にとっても非常に指導のし甲斐のある充実した1年間でした。
私から見れば、彼らこそ、頑張りの効く人たちなのだと思います。
ただ、誤解のないように申し上げておきますが、私は、高い学歴を追求することを全面否定している訳では決してありません。
小学校~高校時代に、自分の好きなスポーツや芸術や趣味や読書に没頭し、部活で仲間たちと力をあわせ、クラスで一体となって学園祭に夢中になり、恋愛を経験し、様々なアルバイトやボランティアで社会と触れ合い、さらには、外国の人たちと交流し、語学も鍛錬し・・・・という思春期・青春期ならではの人間形成をしながら、しかし、同時に、学校の勉強も、自分なりに誠実に取り組むというバランスの取れた生活の結果として(東大を含む)偏差値上位大学に入ることには何ら異存はありません。
社会に出てから「学歴」自体が本人にもたらすアドバンテージが今や極めて限定的である以上、「人間力」で勝負するしかない訳ですから、上記のような思春期・青春期は、むしろ、とても良いことだと思いますよ。
それになにより、そうした幅のある学生生活を送る中で、自分なりの人生の価値観、適性、問題意識、そしてそれらを通じた将来展望も見えている場合が多いのです。
私が問題視しているのは、子供の潜在的な欲求や未知の可能性を探索する努力もせず、あるいは、子供が明確な将来目標を語っているのに、それを力で圧殺して、ただやみくもに勉強へと駆り立ててゆく一部の教師や親御さんたちの姿勢です。
そこには、しばしば「隠された意図」が存在します。
学校の教師や、塾・予備校の講師には、上位校合格者数をひとりでも増やしたいという思いがあります。
親御さんには、「私の息子は、東大生で ざーますのよ!」と言いたい見栄とか世間体があります。
両者ともに、大人のエゴです。
でも、教師も親も、子供の前ではそんなこと口が裂けても言いません。
きまって「お前の将来のためだ!」と言います。
まさに「論理のすり替え」ですよね。
子供からすれば、自分の夢や目標まで捨てさせられて、懲役刑にも等しい「がり勉」を強いられているというのに、それが将来の自分のため・・・などと言われても、到底納得のゆく話ではありませんよね。
どこがどう自分のためなのか、きちんと説明してくれる大人はあまりいないんです。
それはそうでしょう・・・・・そういうことを子供に強いる大人は、得てして、正しい情報をもっていないし、正しい情報を得ようという努力をしないのですから。
いまだに東大にさえ入れば、人生勝ち組だ・・・などと言っていたりするのですから困ったものです。
そういう大人たちの犠牲になるのは、常に、年端も行かない子供たちです。
一例を挙げましょう。
2ヶ月前に取材させてもらった歌手の杉山裕太郎さん(アメブロをやってます)は、そんな教師や親の心無い態度に反発して中学時代から暴走族に加わり総長となり、シンナー中毒、やがては覚せい剤中毒になりました。
警察に追われて2年間の逃亡生活を送りましたが、その後、更正に成功して、今では青少年の健全育成のために、自分の過去をオープンにして講演やライブ活動を展開しています。
「そんなの特殊なケースだ!」と言う人が多いだろうと思いますが、問題の表面化の仕方は百人百様です。
私の場合は、地元の公立の小・中時代に、「お前は人間的にダメだから勉強で身を立てる以外に生きてゆく術などない」と父親からも教師からも繰り返し恫喝され、私はそれを真に受けて、勉強に打ち込みました。
しかし、そんなネガティな動機にもとづく勉強の日々が長く続くわけもありません。
とうとう高校入学直後にカラダを壊しました。
いろんな病院をたらい回しにされ、ありとあらゆる検査をされ、しかし、原因も治療法もわからず、高校時代は、欠席・遅刻・早退・保健室という日々で、卒業するには出席日数が足りないほどでした。
高校を何とか卒業させてもらった後も、家で寝たり起きたり・・・・・で2年後、少し体調が戻ったので、ある私立大学に入ったものの、父親の事業の失敗と病気で、私も退学を余儀なくされました。
しかし、私は「勉強するしかないダメ人間」というレッテルを親からも教師からも張られていたので、どうしても、大学だけは卒業しておきたかったんです。
そこで、経済的理由だけで授業料が免除され、かつ奨学金を複数もらいやすい大学はどこかないか、いろいろ探した結果、それは東大しかないことが判明し、神田の「三省堂書店」に行って、新しい教育課程に基づく高校の教科書を全教科買ってきて、独学で勉強し、どうにかこうにか東大に入り、どうにか卒業しました。
しかし、小・中学校時代に徹底的に植えつけられた「ダメ人間」というトラウマは容易に取れず、この年齢になってもなお、自己肯定感をもつことができません。
私は過去20年以上にわたって、大学生の進路相談・就職指導や、若手ビジネスパーソンの相談に乗ってあげることをボランティア的に続けていますが、日本社会や産業界が求めている人材像と、教師や親御さんの指導方針との間のギャップは少しも埋まらないどころか、いよいよ広がっているように思えます。
覚醒の時は、いったいいつ訪れるのでしょうか?