皆さん、こんにちは。今日も私のブログを読みに来てくれて、ありがとうございます🙏
今から20年程前に父の会社が倒産し保証人だった私は、当時、住んでいた家も僅かばかりの預貯金も失いました😭
何より堪えたのは当時、小学生だった息子と娘と離ればなれになってしまったことでした。
ある時、私は、ある事をきっかけに自分の今までの生きてきた道のりを書いてみようと思ったのです。
今回も前回のつづきになります。
前回は大学受験までの話しを書きました。 それでは、つづきをどうぞ😁
K大学への入学が決まり、入学式前に住まいを決める為に父と二人で上京した。K大学内でアパートや下宿を紹介してくれるサービスがあり、そこへ二人で向かった。
私は父に対して、滑り止めしか受からなかった負い目はあったものの、家から出られる、否、父の側から離れられるという嬉しさが満ちていた。
当然、大学から近いアパートでの自由な一人暮らしを夢見ていた。しかし、父は私の気持ちや希望を聞くこともなく、大学の最寄り駅から三駅離れ、更にバスで15分程も掛かる下宿を、これから見せて貰えないかと紹介ブースの窓口で頼んでいたのだ。
ケーキ屋を営んでいる親子四人家族が暮らす家の二階にある四畳半の一室だった。部屋には小さな流しとガスコンロが付いていたが、トイレは一階にあり、大家の家族との共同だった。風呂は歩いて十五分程も掛かる銭湯まで行く必要があった。
その家の二階には四部屋あり、大家の子供達の部屋が二部屋、もう二部屋を下宿用にしてあった。
私が描いてきた東京での一人暮らしのイメージからは大きくかけ離れたものだった。しかし、父は、さっさと契約を交わしてしまったのだ。私の思いを一切聞こうとしない父に、幼き頃から抱いていた不条理感が、私には湧き上がっていた。
そんな、なんとも切ない大学生活がスタートした。高校までの地元の同級生で同じ大学に進学した者が一人いたが学部も違うし、仲が良かった訳でもなかったので校内で会った時に少し会話を交わす程度だった。
しかし、彼が大学から徒歩圏内でのアパートで一人暮らしだと聞いた時には、本当に羨ましかったのを今でも憶えている。
オリエンテーションでも学食に行っても私は一人だった。私が描いてきた理想の大学生活からは、ほど遠い現実に悲観していたので暗いオーラを放っていただろうと思う😁
毎日、大学の帰りに最寄り駅のスーパーで食材を買い、下宿先の部屋で自炊をした。
今まで経験した事のない孤独感が日増しにつのっていった。
つづく
このブログを書くようになったのは、私の住まいの小さなベランダで育てているレモンの木にある日の朝、トンボがとまっているの見つけたのがきっかけでした。
その時、私はある事で悩んでいました。何故かそのトンボの訪問が私の悩んでいる事に関係がある様に感じ、氣になったので調べてみると、下記の様な面白い記述を見つけたのです。そして、その事をnoteに書いたのがきっかけとなり自分の事を少し書いてみようと思ったのです。
宜しければ次回も読んでみて下さいね🙇
【トンボの訪問】
実際は休憩場所や餌となる虫を探して私の住まいの小さなベランダで育ているレモンの木にとまったのでしょうが調べてみると以下の様なおもしろい事が分かりました😁
1.トンボは前にしか飛ばない事から「成功、前進、勝利の象徴」とされ戦国時代の武士の間では「勝ち虫」と呼ばれ戦の縁起物とされていた
2.トンボは秋の季語でもあり「実り、豊かさ、成長」のシンボルとも言われている
3.特にレモンの木の様に実をつける植物にとまったというのは「実りや幸運が近づいている」「これまでの努力が実を結ぶ」という前向きな意味に結びつけて解釈される事もある
などの前向きに捉えることができる事が書かれていました👍️
そうなる事を祈ります😁
皆さんにも幸運が訪れます様に!




