七夕、棚ぼた~。 | おあげたっぷりニャンタンメン

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戦国の歴史に猫が大好きでも、佐和山の狐が大好き。
天然石のアクセサリーとか、好きな漫画の話しも書いていきたいです。



戦国BASARAの左近の若さとか、軍師位置じゃなくて斬り込み隊長なのとか、ツッコミだけで熱中症引き起こしそうな今日この頃。
お店のブログで載せたモノですが、コッチは茶々を入れつつ、脱線事故多発で、今年は戦国前後の七夕を調べてきました。


戦国時代の七夕は、旧暦7月7日が現在の暦に直すと8月中旬頃だった為、盆の先祖供養と共に豊作祈願の日でも有りました。
日本人の好きな「ご一緒にポテトは…」なセットメニュー感覚~(=・▽・=)

この日に朝廷の貴族達は、天皇と共に詩歌や管弦、酒宴を行い、公家の山科言継が墨を知人に贈った話から贈答も有ったそうです。

この風習は江戸幕府開設以来、江戸では諸大名が将軍に拝謁し、献上品を贈り、能を見物する公式行事の日として定着していきました。


そんな七夕の日(元和1年7月7日、新暦1615年8月30日)に行われたのが、歴史のテストにお馴染み「武家諸法度」の発布。

二代将軍・秀忠(ひでただ)が伏見城に参集した諸大名に能を見る前に、大名統制の基本法令十三箇条を発布したのは、秀忠本人以上に暗記した記憶が有る事でしょう。


家光なら参勤交代/慶喜なら大政奉還とセットで覚えさせられたのですが…中学生の頃、教科書の記憶は、家康—□□—家光と空白でした。
此は、或意味で教科書問題に取り上げでも良い位…画数分のインクの節約か!?
おかげで□□は、恐妻家の旦那かお江で正解にされそうな勢いだよ(」゜□゜)」

お星様も、祈願の重みで地上に刺さりそうです。


さてさて、七夕が民間行事として浸透するキッカケは
仙台藩藩祖にして独眼竜・伊達政宗公。

出た、伊達男!!

政宗は“子女の技芸”が上達するよう七夕を奨励したとされ、次第に民間でも年中行事化していきました。
また七夕で休戦した逸話や、七夕に関する和歌も8首残っています。
流石に現在の仙台七夕祭りは、政宗の時代にはなかったものの、きっと自分の領民の末裔達の作る祭りに、一番喜んでいるんじゃないかなって思います。
そして、一番派手で伊達な七夕飾りを作ってしまいそうな気がします。

私の願い事ですか?
にゃんこが居る家内安全。
地球温暖化が進みませんように…。

熱中症も、地球的には「温暖化させてるお前等め!マジふざけるでない!」の怒りの声としか思えないんで。