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ユウヤ君の家まで二人を送り届けた時にはもう夜の九時を過ぎていた。今度は私を家まで送ると言うシノダ君の申し出を断るわけにもいかず、気まずい空気のまま二人で歩く。さっきのシノダ君の発言の真意を問いたかったけど、自分から「私のことすきなの?」と聞くみたいでそれは嫌だった。それでもやっぱり気にしてしまって心臓はずっとドキドキしている。私はこんなに気にしているというのに、あんなことを言った張本人のシノダ君は全然そ知らぬ顔だ。どういうつもりなのかな。特に何を話すでもなく鼻歌なんか歌っている。

「サカエん家のジジはさ、」唐突に話しかけられ、体がびくっとなった。「ジジはさ、幸せだったと思うよ。」シノダ君のしゃべり方はいつも穏やかだ。嘘臭さがまったく無く、事務的に慰めるようなわざとらしさも無い。心からの言葉だろうと思えた。

 彼はそう言ってくれたけど、本当にそうだったのだろうかと私は思う。確かに野良猫のまま病気になって死んでしまうよりは、雨にも風にもあたらず、餌も定期的にもらえる方が幸せだとは思う。けど、病気を治してあげた後、家に留めておいたけど、本当は家族や仲間のところに帰りたかったのかもしれない。狭い室内で暮らすより、多少お腹が空いたって自由気ままに生きるほうがジジにとっては幸せではなかっただろうか。自分の母との窮屈な暮らしと重ね合わせてそう考えてしまった時がある。

 母との衝突を繰り返し、息苦しい家の中で 唯一心が安らぐの がジジとの時間だった。そんな自分のエゴで、ジジの自由を奪っていたのかと思うこともあった。 

「そうかな?そうだったらいいけど。」

冷たい物言いになってしまった気がした。でもシノダ君はそんなことは気にしていないようだった。

「そうだよ。」

なぜか彼は断言した。ユリカやユウヤ君、それにシノダ君がジジを失った悲しみを共有してくれて、どこか救われるような気がした。

 夢の中で聞いた 「だれか一人の命を助けることが出来たら、 願いを叶えてあげるよ。」という言葉のことを思い出す。私はジジの「ニャー」といういかにもネコな鳴き声しか聞いたことがないけれど、色んな常識なんかをどこかに置いてしまって、あれがシノダ君の言うとおり、ジジの声だったんだと素直に納得できた。

よっぽどジジはユウヤ君のことを守りたかったのだろう。「だれか一人の命を助けることが出来たら、」という部分はユウヤ君の命だと理解できる。しかし、「願いを叶えてあげるよ。」の部分はどういう意味なのだろうか。私の願いって、、、。

色々考えてみるけど、ジジが私の願いをどうやって叶えてくれるのだろうかさっぱり解らない。そもそも私の願いは、

「こっちでいいの?」シノダ君が分かれ道の右を指差しながら問いかけてきた。私はうん。とうなずく。さっきから緊張してしまって話をまともにすることができない。

話がしたい。何かたわいもない話ができたらいいのに。考えあぐねた結果、私はシノダ君がユウヤ君からハンカチを受け取ったときの言葉の意味を聞いてみた。ボロボロになって汚れたハンカチを「母に自慢する。」と言っていたけど、何故自慢になるのか?と。彼はちょっとはにかんだ笑みを見せながら

「母さんがね、毎朝必ず僕のカバンに自分で染めたハンカチを入れながら言うんだよね。『出来る男子はハンカチくらい持っているものよ。』って。今日、初めてハンカチを持っていてよかったって思ったよ。」

と教えてくれた。そして「出来る男になれたことを自慢するんだ。」と付け加えた。

ハンカチを持っていたことと人の命を助けることが直結することを説明するのは難しいだろう。彼の母親も信じないのではないだろうか。そう思ったけど、彼にとっては人の命を助けたことよりも、ハンカチを持っていたことで母の言うとおり「出来る男」になれたことが大事なことのように感じた。

私は笑った。こんな変わった人他に見たことない。久しぶりに声をあげて笑った気がした。シノダ君はキョトンとした顔をしている。なにがそんなにおかしいの?といった声が聞こえてきそうだ。だけどすぐに一緒に声を出して笑っていた。二人でちょっとの間笑いあう。そして私は自分が聞いたジジの声の話をすることにした。

二人だけがジジの声を聞いた。その神秘的な出来事を共有できるのは私達だけなのだ。二人の間の秘密事があるのは、気恥ずかしくもあり嬉しくもあった。

シノダ君はじっと私の話を神妙な表情で聞いていた。そして「サカエの願いって何?」と首を傾げた。「命を助けられたから、願い事が叶うんだよね?」と真剣な様子で言う。私は彼のその真剣さにちょっと笑う。それからわざと視線をはずし、前を向いた。彼は私の答えを待っているようでこっちを見つめて黙っている。その姿がとても愛しいと思ってしまった。

私の元からジジは居なくなってしまったけれど、あの子は自分の代わりに私に居場所を残してくれた。唯一心が安らぐ場所。

「願いはもう叶ったよ。」

私はそう言ってシノダ君の手と自分の手をそっとつないだ。彼は驚いているようだった。私は彼が小学校5年生のときにカンバッチを拾ってくれたときのことを思い出す。カンバッチを見て「ジジ!」と叫んだときのように顔が真っ赤になっていた。

二人の間を夜の風が吹き抜ける。二人で歩いている道の先から吹いてくる風は温かかった。

風で乱れた髪をかき上げたとき、私にはニャーとネコの声が聞こえた気がした。






                   完









               7



 ユウヤ君はとても軽かった。「軽いね。」と言ったら、「体が小さいこともイジメの原因の一つなんだよ。」とユリカがつっけんどんに言った。どうやら僕とサカエが付き合っていて、一緒に学校をさぼって遊んでいたのでは。と思われているようだ。さっきまであんなにしおらしかったのに、もう自分を取り戻している。僕は気分を変えるように「バスケやろうよ。僕が教えるよ。」と提案してみたけどユウヤ君には「考えとく。」と姉と同じようにつっけんどんに言われてしまった。

 まだ中学生だけど、ユウヤ君にはしっかり男のプライドがある。さっきも屈んで背中を向けて、背負うよアピールをしたけど最初は頑なに拒まれてしまった。でも「私におんぶされたいの?」のユリカの声で、しぶしぶ僕の背中によじ登ってきた。

 道すがら何人かの人が好奇の目を僕らに向けてきた。それでもそんなことはお構い無しに僕達はとっぷりと日の暮れた町を歩いていた。

 「高いね。」ユウヤ君が耳元でつぶやいた。視界のことだろうか。「バスケやったら伸びるよ。」とまた誘ってみる。

 そのやり取りを見てサカエが笑った。ようやく見れた彼女の笑顔はやっぱり最高に可愛かった。僕はどうやら彼女のことが好きになってしまったようだ。自分の顔がちょっと熱くなるのがわかる。サカエと目が合ったので思わずそらしてしまった。

 「ところでなんでカナエは今日学校さぼったのよ。」微妙な空気を感じ取ったのかユリカがサカエを問い詰めるように言う。

 言いたくない。とサカエが言うと素早く、なんで。と返答がくる。少しの沈黙のあとハァとため息をついて話し始めた。

 昨日の夜に飼っていた猫が死んだのだと、彼女は言った。酷く悲しくてたくさん泣いた。だから学校に行って、面白くもないことに笑ったり普通に授業を受けたりしたくなかった。猫のために悲しんでいたかった。なのに母に学校に行けと言われ腹がたって、家を出たけど行くところなんてなかった。そこで偶然ユウヤ君に会った。

 ユリカは、「そうか、ジジ死んじゃったんだ。」と悲しそうに言った。僕はハッとサカエの顔を見る。ちょっと照れくさそうに「黒猫なの。」と笑った。

 「二年位前にユリカが拾ったのだけど、ユリカの家じゃ飼えなくて。家に来たときには結構弱っていたんだけど、元気になったんだよね。最近病気になってしまってからはほとんどご飯も食べられなくなって。」

 そこまで話して声がかすれた。涙目になっている。僕もつられて涙目になる。こういう話には弱い。特に僕が好きな黒猫で、名前もジジだ。

「あの子さ、拾ったのってユウヤなんだよ。ねぇユウヤ。」ユウヤくんはうんと頷く。

「久しぶりにユウヤに会ったらさ、ガリガリにやせて汚れた雑巾みたいなもの抱えてさ、姉ちゃん助けてって言うんだよ。」

 僕はその時のことを思い浮かべてみる。きっとユウヤ君は小さくて弱っている黒猫に自分の境遇を重ねたのかもしれない。

 「それで病院連れて行ってさ。ユウヤはジジの恩人なんだよね。」自慢げな姉に弟は特に何も言わずに黙っていた。

 「カナエの家さ、本当は猫なんか飼えないって反対さるかと思ったんだよね。厳しいお母さんでさ。でもすんなりOKしてくれて。」

 「かわいかった。」ポツリとサカエが言って、それからしばらくはみんな黙って歩いた。その間僕は、今日僕の前に現れたあの黒猫は、実はジジなんじゃないかって考えていた。

 ジジが命の恩人であるユウヤ君を助けたくて僕の前に現れ、ハンカチを落とさせた。そしてそれを飼い主であるサカエが拾い、ユウヤ君と出会った。そして僕は「ハンカチを追って。」の言葉通りに追っていったら、偶然サカエに再会し、彼女の友人の弟の命を助けた。これはもう奇跡としか言いようがない。

 僕は自分が木から落ちたことももちろん踏まえて、今考え付いたことを半ば興奮気味に三人に話した。

 ユリカは「なにそれ。」と冷たく言い、ユウヤ君は「奇跡?」と訝しんで、サカエは「私は信じる。」と言ってくれた。

 「ジジの声だったんだね。」と妙に納得した様子で僕に笑いかけてくれた。そして「奇跡かぁ、、、」とつぶやいた。

 「ところであんた達付き合ってんの?付き合うの?」といきなりユリカが空気を読んだのか読まないのか、雰囲気をバキバキに破って言い出した。

 「違うよ。」と即座に返答される。僕はそのスピード感にちょっと悲しくなって、そしてこのままこの物語が終わってしまうのが悔しくて咄嗟に

 「僕はそうなったらいいなとは思ってるけどね。」と言ってみた。ユリカとサカエが同時に僕を見る。そしてユリカはにんまりと笑い、サカエを肘でつついた。サカエは大きな目をさらに大きくして顔を真っ赤にさせている。

 ユウヤ君がぼそりと背中で「やるね。」と言った。

                 6




 



ニャーと猫の鳴き声が聞こえた気がした。

 それと同時に、私とユリカのつないだ手の間を風が吹きぬけた。

 だけど風だと思ったのは、エレベーターが開くと同時に飛び出したシノダ君だった。私達は軽く押しのけられる形になり、つないだ手も離れてしまった。

 それからはほんの一瞬の出来事だった。大袈裟ではなく、私にはジョン・ウー監督の映画のワンシーンのようにスローモーションに見えた。

 まず、開いた扉から私とユリカが屋上にでた時にはもうシノダ君は屋上にぐるりと廻らされたフェンスのすぐ側までたどり着いていた。フェンスの高さは2.5メートル位だろうか。長身のシノダ君の身長よりも高い。そのフェンスを今まさにまたごうとしている少年が見えた。  

ユリカが声にならない声で少年の名前を叫ぶ。私はその場で凍りつくことしかできなかった。

 少年がこっちの方を向いた気がした。

 フェンスを跨いで屋上側にあるほうの足が(ハンカチを巻いてあるほうの足だ)フェンスから離れる。ユウヤ君の体が大きく屋上の外側へ傾いた。

 その時だった。シノダ君がジャンプをした。走っていたその勢いで、ぐっとしゃがみ込んだかと思ったら、その両足をバネにして軽やかに飛び上がった。

 地面から跳んだ彼は、長い腕を思い切り伸ばしてユウヤ君の足首を掴んだ。体勢を崩した少年は引っ張られるまま内側へと落ちる。シノダ君は自分の体を下敷きにしてユウヤ君を受け止めた。

 シノダ君はフェンスのすぐ側に、ユウヤ君を抱えたまま倒れていた。いくら小柄な少年だといっても、2メートル以上の高さから落下した人を自分の体にもろに受け止めて大丈夫なのだろうか。倒れたまま二人とも動かない。

 ユリカが駆け出す。私も凍り付いていた足を地面から引き剥がして駆け出した。側まで寄るとユウヤ君が体を起こした。シノダ君の顔を見て、それから姉であるユリカの方へと悲痛な顔を向けた。

 「ばか!!」ユリカはユウヤ君を抱きしめた。少年はぐっと目を一回瞑ると、ユリカの肩に顔を埋め、腕を回して泣き出した。そして「ごめんなさい。」と聞こえるか聞こえないかの声でささやいた。

 「ユウヤ君は大丈夫?」

 シノダ君が背中をさすりながら上半身だけ起こした。

 「大丈夫だよ。シノダ君こそ大丈夫?」

 立ち上がって体のあちこちを見るような仕草のあと、「鍛えてるから。」と笑った。第一声がユウヤ君を気遣う言葉であったことが、彼らしくてちょっとおかしかった。

 「二人ともありがとう。」ユリカが私達を交互に見て言う。

 私はカバンからさっき買った靴下を取り出しユウヤ君に渡した。やけに明るい色の靴下にユウヤ君はちょっと戸惑ったみたいだったけど、「ありがとう。」とささやいた。

 足に巻きつけていたハンカチをとり、ボロボロになって汚れた靴下をぬいで新しい靴下に履きかえる。

 「やっぱり。これ僕のハンカチだ。」シノダ君が少年の手からハンカチを受け取った。ユウヤ君はなぜカフェで会ったおせっかいな女と、自分の姉と、ハンカチの持ち主だと名乗る人がいっぺんに自分を救いに来たのか全くわからないといった顔でキョトンとしている。

「これ、僕が落としたハンカチだよ。」洗って返すというユリカの申し出をシノダ君は何故か断った。理由を問うと「母に自慢する。」という。何をどう自慢するのか解らなかったけど、とりあえず、そう。と言っておいた。

 変わった人だ。だけど優しい人だ。つり橋効果かもしれない。だけど私は、このちょっと変わっているけど優しい、やたらと背の高い人を好きになってきている自分に気付いた。