昔の雑誌を整理していたら、と~~~っても興味深いものを見つけた(σ・∀・)σ


$アラフォーママの日記 


こっこれは… 1997年の雑誌、超常世界の謎とタブーに挑戦するラディカルマガジン「ボーダーランド」ではないか!

1997年といえば、まだ20代半ばの超楽しくて忙しい時期で、

UFOやら次元やらには全く関心がなかった気がするが…

なぜか2冊も買っていた。。 やっぱり私はこっち系の話が好きだったらしい( ´艸`)


パラパラとめくってみると、内容を見た記憶が全くない…(;^_^A

しかし、不思議なことに、UFOやオーパーツや古代文明など、

今非常に興味のある、しかもこのブログで記事にしているようなネタばかりだった。

しかも、謎解きの新たなヒントになりそうなものもチラホラ。

何ていい資料を見つけたんだ!

まさか、15年後に非常に欲しくなるものを買ってくれてたなんて、

「Good Job!」昔の私(*^-^)b(笑)


今日は一つ、その中でも非常に興味深い記事をメモしておこう。

なんと、あの画家の横尾忠則氏が宇宙人とコンタクトをしていた!

アラフォーママの日記 



「ボーダーランド 1997年4月号 」P.29より転載


横尾忠則 宇宙人とのコンタクト体験・全告白

愛と確執



”彼ら”は何のために地球にやってくるのだろうか。
人類を精神的な高みへと引き上げるためなのか。
横尾忠則氏はあくまで個人的なコンタクトの体験談であるとことわりながらも、
宇宙人からのメッセージを本誌読者のために、ここまで語った!


 取材/編集部  文/八木沢由香  


「彼らは執着を捨てろ、と迫った。
 その頃の僕には、死にたいと思うほどつらくて苦しい体験だった」


アラフォーママの日記 


ぼくがデザイナーから画家へ衝撃的に転身したのは1980年のことでした。
きっかけはニューヨークの近代美術館のピカソ展を見たことなのですが、
後に、我々がETと呼んでいる宇宙生命体との出会いによって、その本当の理由が明らかにされました。

実は、ぼくの芸術活動は宇宙の原理原則に基づいて制作され、いわば送られてくる波動によって描き、
ぼくの作品を通して宇宙の波動を観る人に伝えるという目的からコンタクトが始まったわけです。

また、そんな絵を描くことを自らが選んだというわけです。

彼らとぼくとの接触は、聞く人によっては眉唾ものに思えるかもしれません。
でも、彼らとの幾ステージかにわたる数々のコンタクトがあって、今のぼくが存在していることは、
紛れもない事実です。




彼らとどうかかわり合っていたかを述べる前に、ぼくの初めてのUFO体験について話をしましょう。

それは高校3年生の時でした。
当時、兵庫県西脇市に住んでいたぼくは、夜、英語の塾に通っていましたが、ある日その仲間数人と自転車に乗って帰る途中、川向こうにある3階建ての商工会議所のやや上に、
洗面器大の光体がクルクルと回転しているのを見たんです。

まるで花火が炸裂する瞬間のような強烈な光で、驚くぼくたちの目の前をスーッと尾を引くように
50メートルほど川の上流で水平移動したかと思うと、次の瞬間目にも止まらぬ速さで上空に消えてしまった。
その時の驚きと恐怖!!

友人たちは皆、クモの子を散らすように我先にと逃げ帰ってしまい、ぼく自身は、それが何だったのか皆目見当もつかないまま、現実の物質ではないという思いにだけかられていました。

まだUFOも空飛ぶ円盤という言葉も知らない頃です。
だけど、その体験自体はいつまでも鮮明な記憶として意識に残留していました。


「日ごろからUFOに関心があった」と語るコンタクティは多いのですが、ぼくは30歳の前半頃まで、
まったくUFOには関心がなかったんですね。
だけど1970年、交通事故に遭って4か月の入院の後、急に精神世界に惹かれ始めました。
まだこの種の本が1冊も世の中にない時代です。

そんなある日、アダムスキーの「空飛ぶ円盤同乗記」という本を手にした時から、僕の中で意識改革が起こったんです。




そこに書かれていた宇宙哲学は、ぼくをおおいに興奮させました。
できれば、アダムスキーがいう、”宇宙意識”をこの体で体験してみたい、そのため、ヨガの瞑想を習い、座禅を組み、インドを訪ね、日本全国のコンタクティや霊能者たちを訪ねながら、15年間、精神世界を探究し続けたんです。


アダムスキーの本と出会って間もない頃、「1か月間毎晩空に向かって呼び掛けたら、実際にUFOがやってきた」という青年に会った。

そんな彼の話に触発され、それから毎晩のように空を見上げて願い、UFOの到来を待つようになりました。
1か月どころか、1年もねばりました。
その間、流れ星1つも現れない。

だけど、ある雑誌の仕事で鳥取の皆生温泉に行った時、とうとう彼らがやって来た。
ホテルのベランダにサマーベッドを持ち出して、いつものように「来てほしい」と願いながら夜空を見上げているぼくの目に、星と同じような明るさの物体がスーッと横に動くのが見えたのです。
ベランダに出てからすでに約4時間は経過していたでしょう。

次の瞬間、その光体はものすごいスピードで下に落ちてきたかと思うと、V字を描くようにまたビューっと上昇して消えてしまいました。
あまりに突然の出会い。


1年半もの長い間、例の彼がやっていたように「地球と宇宙のために何かしたい」という思いを心の中で発信し続けてきましたが、
時間がかかったのは、後に彼らから聞かされたところによると、その思いが強すぎて、こだわりが執着になってしまっていたらしいですね。
執着は、自分の周りにバリヤを張ってしまう。
それは信じていない状態、何も伝えていない状態と同じだと言われました。


それとぼくの忍耐強さを試されていたようにも思いますね。
いずれにしても、やっと応えてくれたんです。
この瞬間からぼくの現実は宇宙まで視野に入ってしまいました。


アラフォーママの日記 


それ以来、UFOはたびたび姿を現すようになった。
しかし、それでもぼくにはそれが本当にUFOなのか信じられませんでした。
疑えば疑うほど、その疑念を晴らすかのように、必ず視界の中にUFOが現れる。

日常生活の中に彼らが現れるようになった一方、やたらとUFOや宇宙人の夢を見るようになりました。
同時に、常に誰かに見られているような感覚を覚えるようにもなったんです。
何をしていても、あるいは何もしていない時でも、いつも誰かの視線を感じる。
悪いことも良いこともすべて見られている。


その感覚はいつしか、ぼくの行動や精神を縛り始めていきました。
人間の決めたモラルや倫理といったものにまで縛られ、
「うそをついてはいけない」なんて、宗教のごとく自分自身で戒律を作り、がんじがらめになっていったのです。


彼らに対する畏敬の念から起こったこととはいえ、こういった執着は彼らがぼくのために計画したプロジェクトを進めていくうえで大きな障害となったように思います。


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さっきも言ったように、UFOに乗る夢、宇宙人と会っている夢など、ぼくは夢を頻繁に見るようになっていきました。
いずれも夢でありながら、何とも鮮烈で、まるで実際に体験してきたかのような妙な現実感が残る。

それもそのはず、夢だと思っていたものは、実はドリームコンタクトという、夢を媒介にした一種のコンタクト。
彼らから送られてくる波動=テレパシーが夢を見させ、またぼくのアストラルボディをUFOに乗せてくれたりもしていたんです。


ある日の夢では、海岸にUFOが着陸し、中からものすごくハンサムな西洋人風の宇宙人が現れて
握手を求めてきました。
握手した瞬間、とてつもない愛の念波が電流のようにぼくの全身を通り抜け、足元からブワーっと地面に放射されていくのを感じました。

「宇宙人の愛の波動は何てすごいんだろう」
と感動したことを覚えています。


それから彼は、宇宙船に僕を乗せてくれました。
中は母船のように広く、木のベッドが無数に並んでいました。
何のためのものか尋ねると、
「日本人のためのものです」と言う。
世紀末にでも起こる大破局の時、空中枚挙によって救助した日本人を乗せるのかしら、とそんな日が来ることをぼくは少し恐れました。
いつ必要になるのか尋ねてみましたが、その時期については今は言えないと言うんですね。
だけど心の中で選ばれる人間になりたいとも思いましたね。
そのためには霊性を高めなきゃとね。


宇宙船が飛び立つと、右目には離れていく地上の風景が、そして左目にはこれから連れていかれる惑星の風景が映し出されました。
まったく違う映像が1つの画面上に映し出されている、そんなイメージを思い浮かべてもらえばいいかもしれません。



アラフォーママの日記 


この夢と前後して、何とも不思議な体験もしました。
唯一、夢が実はコンタクトなのかもしれないと認識できた出来事といっていいと思います。


昼間、ホテルの一室で寝転がって頬杖をつきながらテレビを見ていた時のこと。
そのままの状態でぼくの体がスッと15センチメートルほど浮き上がったのです。
その途端、部屋の風景が、ステンレスのような金属の壁に覆われた宇宙船の内部に変わっていました。
驚くぼくの前に、長い廊下の向こうから3人の宇宙人が滑るようにやって来て、テレパシーで語ってきました。
「横尾さんですね。我々は長い間あなたを見守っていました。
 やっとお会いできて非常にうれしいです」
続けて彼らは、
「もっと密な交信が図れるよう、あなたにあることを行ってもいいですか」
とやはりテレパシーで語りかけ、ぼくの首の後ろをいじり始めたんです。
次の瞬間、ぼくはそのビジョンの中で気絶していました。

その時は何をされたのかわからなかったんですが、後にそれがぼくのアストラルボディに施された
アストラル手術であったことを聞かされました。
手術というと大げさに聞こえますが、アストラルボディだから肉体的には何の痛みもない。
触れられているという感触もなかったような気がしました。


このことは夢ではないと思うんですが、他の夢でのドリーム・コンタクトは、実に7年間に及びました。

この体験を表現すれば、夢は夢なのに、現実とは違うもう一つの世界として存在している。
そんな感じでした。
今にして思えば、ドリームコンタクトを通していろいろな経験を積んだこの時期は、後に訪れる彼らとの顕在的コンタクトに向けた準備期間だったように感じます。
ぼくにとっても彼らにとっても必要な時間だったのでしょう。



アラフォーママの日記 


次にいよいよ彼らとの顕在的コンタクトが始まりました。
それは唐突にやってきました。

呼べばすぐにUFOが現れ、何度となく夢の中で宇宙人と接触していたにもかかわらず、
かなり長い間それ以上のことが起こらなくて、あまりの発展性のなさにぼくは焦燥感を覚えていました。
やがてUFOにも精神世界にも興味を失い、ぼくはデザイナーから画家へと転身。
芸術的創造に全力を注ぎ出したんです。



画家宣言をしてから何年かたった1987年、セゾン美術館で開かれたぼくの個展の後、
20歳後半と思える1人の見知らぬ女性が現れました。

彼女の話によると、
「あなたはいずれ、ある特定の人に我々のメッセージを伝える役割を果たしてもらうことになる」
と告げられたといいます。
彼女は彼女でチャネラーとなるために、ある宇宙神霊に手塩にかけて育てられてきたらしい。

「あなたも相手の人も準備ができた」と言われ、その相手の人は「横尾忠則」だと指定されたというのでした。

突然のことで、半信半疑でしたが、ぼくは彼女をテストしてみることにしました。
少し前にユリゲラーとテレパシーの送信実験をしたことがあるので、その方法でぼくの頭の中のビジョンを彼女に念として送ってみたのです。

その結果、彼女が本物であることを確信しました。
さらに、金銭的な要求も禁じられているといって、一切なかった。
こうしてぼく1人のための専属チャネラーが誕生したというわけです。
まだ日本にチャネラーという言葉もない頃です。



それ以来、彼女を通してコンタクトが始まりました。
トランス状態の彼女の口から、
「天使ミカエルの力の権限の一部を持ってる者だ」
という答えが返ってきました。


相手が宇宙人でなかったことに少し失望しました。
「えっ、天使!?」
という感じです。
「横尾は聖書を読んだり、天使の絵を作品の中に登場させていたことを我々は知っている」
とも言われました。
とにかくぼくの内外の出来事を完璧に調べつくしていましたね。



当時のぼくは、芸術的創造に行き詰まりを感じている時期でした。
「もう一つ自分の絵が思うように描けない」、
そんな話をすると天使は、
「実はそのことでカリキュラムを行おうとしている」
と答えてきました。

ぼくの芸術活動は、宇宙の原理原則に従ったところから表現されていくものでなければならない。
なのに、現実には現代美術にあまりにこだわり過ぎ、その制度に組み込まれること、
言い換えれば、現代美術界で大成したいという執着が強すぎる。
その執着を捨てなければならない。
そのためには、芸術ばかりでなく、家族、物質、仕事などへの執着を捨てる訓練が必要だと言って、
いろいろなカリキュラムが組まれ、いよいよ本格的な教育とサポートが行われようとしていたんです。



天使とのコンタクトが5~6回に達した頃でしょうか。
トランス状態になっている彼女の口から、突然いつもと違う言葉が飛び出しました。
誰だかわからずにいると、相手がピンボケのような状態で姿を現したんです。
長い金髪をした背の高い西洋人タイプの女性の生命体でした。
宇宙人的でした。

そう思ったぼくの心を読んだのか、
「怖いですか?では、あなたの好みの女性になりましょう」
と言って、完全な西洋美人になってくれました。
変身したのではなく、ぼくの脳に影響を与えてそう見えるようにしたんだそうです。

それにしても、こんなビジョンが見えたこと自体が奇跡に思えました。
「何て科学なんだろう」ってね。
実は、これこそ宇宙人だったのです。
女の生命体でした。


ぼくにまでビジョンが現れたんです。
ほかにもいろいろ超常現象が起こり、チャネラーを疑うようなレベルをすでに超えていましたね。
その宇宙人は自分がK(頭文字)というコードネームであり、ずっとぼくの夢を担当していたと語りました。

彼女が金星の基地から初めて地球に飛来(彼女は「降球」という言葉を使った)した時、
まず最初にぼくの絵の波動をキャッチし、以来ぼく自身に興味を持つようになったというのです。

以前、夢の中で出会ったハンサムな宇宙人は、実は彼女であり、ぼくが夢の中で勝手に男性にすり替えてしまったのだと説明されました。

気付くと、ぼくは彼女とともに、北極上空の地球磁気圏内に浮かぶ都市型宇宙母船の中にいました。
というより、そのビジョンを見せられていたんです。



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UFOはどこから来るのかがよく話題となりますが、この母船は常に地球磁気圏内に停泊しているそうです。

そこで、彼女の仲間を3人紹介されました。
他は男性でしたが、出身地は異なるようでした。
中には、母船の中で誕生し、成長する人もいるということでした。
母船内にはたくさんの宇宙人がいましたが、東洋人的な顔立ち、西洋人風、背が高い者、低い者、と
いろいろな種類の人たちがいるそうです。


北極の熊の足の裏にものすごく興味を持っていたり、紹介されると恥ずかしくてポッと顔を赤らめてしまったり、そんな少女っぽい人たちもいました。
UFOのことを、できればShip(シップ)と呼んでください。とも注文されました。



この女性の宇宙人とのコンタクトを機に、天使と宇宙人との合同コンタクトが始まりました。
宇宙人側のぼくの担当者は、彼女の他、もう一人の男性のKとSを合わせた3人。
Sは金星の芸術顧問で、油絵具の調合の仕方など芸術面に関することを一切担当してくれました。
女性の宇宙人は常にUFOで飛び回っていて、実際の訓練を担当するというよりも精神的なサポート役で、彼女だけがぼくのことを「タダノリさん」と呼んでくれるのがなんとなく嬉しくてね。

ぼくの心の訓練を担当してくれたのは主に男性のKと天使(神霊)で、特にKは、冗談好きの、宇宙人の中でも仲間から変わり者と言われている人物です。
ぼくが山下清の物まねをやると、大いに喜んでくれたし、「丹波哲郎だぞ」「おい、横尾、宇宙の電通だぞ」なんて冗談の好きな宇宙人で、時々天使に「これこれお、いい加減にしなさい」とたしなめられたりしていました。
ぼくはそんな時「ざまあみろ、怒られた」なんて言って彼を冷やかしました。


だけど、彼とのやり取りはある意味では楽しく快適でした。
もう、この頃になると、チャネラーの女性もトランス状態にならなくても、普通に、いつどんな時でも交信できるようになっていました。

その反面、彼のぼくに対する訓練は非常に厳しいものでした。
彼らの目的は、宇宙の摂理を踏まえたうえでの芸術活動をぼくにさせること。
そのためには、ぼく自身の肉体と魂のバランスを形成することが必要でしたが、ぼくには物事にこだわる性格があり、それがバランス形成の上で大きな障害となっていたんです。

その執着から解放されることが一番の重要課題でした。
彼らは、家族や芸術に関することなど、ぼくがこだわりそうな事柄を取り上げ、押し付けてきました。
それをテーマにされるだけで、ぼくの執着は深まり、深まると「執着を断て」と無茶苦茶な要求を言ってきました。

かなり高いレベルを要求されていましたが、彼らのぼくに対する調査では、ぼくがそのレベルに到達できる可能性を十分持っていると判断していて、その水準まで引っ張り上げようとしてくれていたのです。


しかし、ぼくにとって彼らの訓練は辛いものでしかなく、それゆえ、教官役のKとケンカしたり、
意地を張ったり、真剣にやり合ったこともたびたびでした。

気に触るようなことを言われて「Kさんにはプロジェクトから降りてもらいたい」と言ったこともあったけど、
そんな気の強い性格も、逆に喜ばれたりしたことがあります。


だけど、夜中、布団の中で彼を憎んだこともあった。
憎しみの波動は母船の中の彼に全部届いてしまい、僕のその波動にやられて、彼は3~4日間も
カプセルの中で回復を待たなければならないということもあったんです。


宇宙人の肉体は、憎しみのようなネガティブな想念に非常に弱く、時には肉体の組織が破壊されて死に至ることもあると、後から天使に注意されました。


そんな日々でも、コンタクトは続行され、テレパシー能力を高める訓練に始まり、執着を捨てる訓練など、
彼らとのコンタクトが回数を重ねるうちに、ぼくは日増しに苦痛を感じるようになっていきました。
一生懸命やっているのにわかってもらえないというもどかしさも働き、
朝目が覚めると、その日のコンタクトのことを考えては憂鬱になり、いっそのこと死んでしまいたいとまで思うようになっていたんです。
自殺はしたくないけど、事故や病気でも死んでこの苦痛から解放されるなら何でもいい、というところまで思い詰めていた。


だけど、基本的には彼は物凄く愛に満ちた優しい人です。
時には霊界の両親や、三島由紀夫さんや、親しい今は亡き人たち、それに外国の有名な芸術家たちをぼくの求めに応じて、心霊の計らいで、つないで交信させてくれたりもして、なんとか頑張ってコンタクトを続けようとしました。


しかし、彼らとの付き合いは1年半ほどで終わりを迎えることになります。
「我々は君を肉体想念から解放するためにサポートしている。
 しかし、愛情を持ってしている行為が、結果として君を苦しめているのなら、手を引くしかない」
という言葉を残して突然去って行ったのです。


コンタクトの体験を出版するように言われていたけど、人に知られるのが怖くて、本を書かなかったことも切られた原因の1つだと思いますね。


アラフォーママの日記 


ぼくはしばしの開放感を得ることができましたが、同時にとてつもない寂寞感にも襲われたのです。
というのは、一方では信じられないほどの愛情と友情を与えられ続けていたからです。

それから二日後、これは奇跡と言っていいでしょうが、新たなチャネラーというか、パートナーが現れ、
今度は、「愛」と「勇気」と「希望」の3つを兼ね備えた3人組の天使たちとのコンタクトが始まりました。

彼らとのコンタクトには、時たま、秋田のマリア様も参加してくれましたが、
以前のハードなコンタクトに比べると、「こんなのでいいのかな」と心配になるほど楽でした。

このコンタクトでは、以前の宇宙人は完全に姿を消してしまっていました。
だけど、天使に頼んで無理やり、どこの宇宙人でもいいからつないで欲しいと頼んだら、
見知らぬ宇宙人が現れました。
「誰ですか?」と尋ねたら、「今は内緒」と言ったのです。

このコンタクトも1年半ほど続きましたが、その途上、別の3人組のチャネラーが出現して、
最終的にぼくは日本の神界とコンタクトすることになりました。
日本の神様とのコンタクトは、いわばぼくにとっての最終ステージにあたるといってもいいでしょう。


日本の神様を中心としたステージが始まって間もなくの頃です。
天界を通して三島由紀夫さんからメッセージが来ました。
三島さんからは、最初のコンタクトの時代にも何度かメッセージが届き、宇宙というものは礼節あるいは礼道というもので保たれている、
それが最も大切なことであると教えられ、随分励まされました。


三島さんのメッセージが終わると、
「おい、横尾、元気か!」
という懐かしい宇宙人の教官Kの声が飛び込んできました。
返ってきたのです。
最初の連中、女の宇宙人も芸術担当のSも、いわゆる宇宙人3人組が。

「日本の神様に目をかけてもらうなんて、お前のエラくなったな。
 あの頃は役割上、言いたくないことも言ったけれど許してくれな」
とひょうきんで冗談好きな彼の言葉は、ぼくの胸をつまらせました。

とにかく、以前サポートしてくれていた宇宙人、天使たちがウワーッと現れて、次から次へと再会の歓びのメッセージを伝えてきました。
ものすごい数の歓びのメッセージ、ぼくの目からは涙があふれ出し、どうにもとまらなくなっていました。
彼らも会えないと思っていたのか、泣いて歓んでくれました。
そしてなんと、大天使ミカエルも現れ、ぼくに励ましのメッセージをくれたのです。


そして彼らは素直に、我々の君に対するコンタクトは失敗だった、許してほしいと誤ったのには驚きました。
最初は我々には失敗はないと言っていたんですがね。

懐かしい彼らとの再会、「もう二度と会えない」と思っていた人々との再会で、コンタクト疲れていたぼくの心は、一気に回復していきました。

すべて神界の日本の神様の計らいだったのです。

そして、2回目に「今は内緒」といった宇宙人もこれからのコンタクトの新しい担当の一人だったのです。
あの時点でぼくの未来が決定していたんですね。



アラフォーママの日記 


今ぼくは自立の時期に入っています。
直接的なコンタクトはなくても、彼らのメッセージはぼくの直感なり、想いなり、衝動による行動なりに込められ、
絵の制作を通じたり、日常の中でのさまざまな表現を通して、彼らからの波動とサポートを受けています。
UFOは呼べばいつでもぼくの視界に現れて、波動を送ってくれます。
彼らとの付き合いには確かに辛いこともたくさんありましたが、その中でさまざまなことを学ぶこともできました。


「インディペンスデイ」に登場するような宇宙人が決していないとは言い切れません。
しかし、少なくとも、現在地球上の至る所でコンタクトしている宇宙人たちの大半が、
地球人が一刻も早く目覚め、自立して、自分たちの仲間となることを望んでいるように思います。



人間には、死後に生まれ変わり何度も地球上で転生を繰り返す人と、霊道を通り抜け宇宙新人類として再生する人もいます。
宇宙人の中にはかつて地球人として生きた人も少なくありません。
彼らが求めているのは、少しでも多くの地球人が輪廻の輪を抜け、高次元の意識体として成長することです。
カルマを生産し、輪廻の輪から脱することを望んでいるはずです。
その手伝いをするために、彼らは地球を訪れ、さまざまなサポートをし続けています。



以前、彼らからコンタクトできる条件を教えてもらったことがあります。
「純粋であること」
「素朴であること」
「無垢であること」
「謙虚であること」
「神への敬虔な気持ちを持っていること」

の5つです。

この条件を満たすことは人間にはなかなか難しいそうですが、それでも彼らはサポートを諦めません。
その根底には、かつて自分たちも地球人であった時代があったからだと思います。



地球人も宇宙人の一種です。
宇宙には宇宙連合や銀河連合といった地球の進化をサポートする組織が確かに存在し、
その連合に属さない星の方が少ないくらいだという。
地球が遅れているのは事実です。
最終的には一人ひとりが霊性に目覚めて、自立した生き方が大切になってくるのだと思います。
肉体に翻弄されていることに気づき、魂に忠実に従うことで、宇宙と共存できるはずだと彼らは言いたいんだと思います。
でなきゃ、人類のネガティブな欲望の想念によって、地球を破滅させないとも限らない。
ぎりぎりのところにきているとでも言いたいように、ぼくには思えて仕方がない。
ぼくに関して言えば、このコンタクトはまだまだ新展開を見せるような気がしてなりません。



アラフォーママの日記 



「彼らには、芸術には狂気が必要だと教わったんです。
 それまでネガティブにとらえてたんだけど、あらゆる角度から説明を受けました。」


いまでも油絵の具の調合は、宇宙人に教えられたとおりに行っている。



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(転載おわり)




横尾氏とコンタクトしている宇宙人は、坂本廣志さんと交流のある宇宙人と同じようにフレンドリーらしい。


アーティストやミュージシャン等には、知らず知らずのうちに波動でコンタクトしてる人が多いのかもしれない。

ある時突然、フッっと頭の中に閃きとして伝えられるのだろうな。




【追加】

横尾さん、本も出されてたのだ(σ・∀・)σ


「私と直観と宇宙人」



とてつもない本だ
私の永年求め続けた答えがすべてこの中にある (高橋克彦)










また、自然界に目を向ければ、そこにはメッセージ、インスピレーションの宝庫なのだ。