20年前の懐かし話 ”『こんな夜更けにバナナかよ』から受けとったもの” | 経年美化✨そこはかとない暮らしのなかで

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三浦春馬さんがメインの雑記Blogです。大好きな京都の事 日々の暮らしについて 気ままに綴っています。重度の心身障害を持つ娘を育て 些細な幸せをも悦びと感じられる心を大切に過ごしています。

こんばんは




次女 今日退院できました

12日間でした


12月は1週間

年が明け2週間ちょっとを

自宅で過ごしたのちに

再入院となったわけですが



12月も1月も

なんだか半分くらい

入院していた気分で


もう、あと2日で

2月…なんて

嘘でしょ!!!



今日は足をめーいっぱい伸ばして

ベットで眠れる幸せを噛み締めながら

早めに休むことにします




次女に24時間付き添いながらも

自分の時間も少し持てる中で

色んな思いが巡ってました



うーたんマロンさんのブログから
私も似たような経験を思い出したので
ちょっとむかしの話します

長くなります 




あぁ その前に
ウクライナ出身の方がミス日本に
選出された事で 
色々な意見が飛び交ってましたね
ご自身もお気持ちを表明されました


多様性、云々と言われる
時代になりましたが
それぞれにあったでしょう
私も正直 えっ⁉︎ って思いましたから

Yahooのコメント欄を読んでいると

ミス日本(主催は民間)
ミスユニバース・ジャパンと
ミスジャパン があるという
ミス〇〇
それ知らなかった 私です
それぞれタイプが違って
括りや規模が違うんですね


国内だけのもの
世界規模のもの
ちゃんと調べもしないで 早合点で
発信するのはいけないなと思う


色々な葛藤のなか
生きてこられた
逞しい女性をおもう
日本ではマイノリティにあたる方
↑後々の暴露、ミス日本辞退より
この文面は訂正いたします(2024.2.5)



もうネット記事を鵜呑みにしては
本当にダメですね、、、
二転三転 ひっくり返りもありですね
本当にコンフィデンスマンの世界




そして見た目と
心の中の問題を
目に見えない部分を
これからの時代
どう受け取り
捉えていくのかも?
色々考えさせられます




マイノリティ
少数派の方々の存在意義

時代とともに変わっていく 
人の思考や意識
若い人達の考え方
世界からみた日本
日本の在りかたって?
日本人らしさってなに?

価値観を変えることは
難しいこと
一気には出来るものではない
少しずつ歩みよったりしながら
時に 思い込みを手離す必要もあると思う


意見交換し対話を重ねていく事は
大切なことだと思います



୨୧┈┈┈…………┈┈┈୨୧ 



表題の件
もう20年くらい前になりますから
今と感覚は違うかと思いますが

まだ次女が幼き頃
5.6歳までベビーカーに
乗っていたんですねよだれ

そんなある日
いつもの様にベビーカーに
次女を乗せて
その日の買い物を終え
本屋さんで絵本を選んでいたんです


たまたま隣に居合わせた
4.5歳くらいの女の子が
鼻から(胃まで)チューブが
入っている次女のことを
ガン見してきたんです

あまりに執拗に見るものだから

ん、なんなのよ??と
(またいつものジロジロか)
(まぁ ちょっと変わったものついてるから)
と 心の中で思っていたら


その女の子が
「ママ~!!」
次女を指さしながら、、、
なにか説明を求める様子


そしたら、
近くにいたママが寄ってきて、
次女に視線を下ろし
眉間に皺を寄せながら


「普通じゃないから……」

とはっきり言い放ったんです、、、
そして 次女に釘付けのその子の
手をぐいぐいと引っ張りながら
逃げるように 足早に
去って行ったのでした


私はその対応の仕方に
えぇーーっ
と思い ただただ
驚いたんです((((;゚Д゚))))


悔しかったと言えば
そうかもしれない
少しあったかもしれない


指をさされて
悲しいとか
困惑したのも
も、多少あったかもしれない
なかった?かもしれない

それよりも
あぁ、普通である 線引きって
ここにあったんだな。と
あの方の普通の概念を知ることになった


毎日がとにかく必死だった
普通とか、そうじゃないとか
考えもしなかった頃
ある種 洗礼だったのかも


今でこそ もう20数年
障がい児の母をしてると
色んな経験もしてるから
全然 笑って話せるけどウインク


今なら あの子にもちゃんと
伝えられると思う

あのね  って。✩⋆*॰¨̮⋆。˚


子供は 特に次女と目線が近いぶん
舐めるように見てくる
子供は時に残酷だ
そんなにじろじろ見んでもえーやん!
大人気なく言いたくなる時も
あるけれど(^_^;)



でもただ残念な気持ちは残った
あの子のせっかくの
リアルな学びを
みすみす捨てちゃってと
余計なお世話かもしれないけどね



で、結局
「普通じゃない」ってなに?
って話だけど

その子にも しっかり
植え付けられてしまっただろう普通の概念 
大人目線の、ボーダーライン
4.5歳ならもう分別できるだろう


まだ 何も知らないあの子を
言葉少なに 簡単な一言で
黙らせるのには
好都合の言葉だったんだと思う
🤫シ━━━ッd((ˊ皿ˋ ;)ってね


私たち親子は いたって
全然普通なんですよ
これが日常なんです
普通の概念は
それぞれにあって
きっと100万人いたら
100万通り違ったもの


もし目に見えない区分があるとしたら
視野の方向性が違うだけ
 

普通って ……色々と
ホニャララ△〇◻️□◆話になりますよね
社会は 判別や
仕分けをしたがるもの


その後 あの子に分かりやすく
話してくれたのだろうか⁈

まず、、人に対して
指を差してはダメなこと
感じ悪いってこと


そしたらあの子が
いつの日か 障がいを持つ方に
出会う機会があったなら
指を差すことを2度としないだろう

遅かれ早かれ いつかは
そんな経験はするでしょうけれど


言葉が出る前の赤ちゃんは
指差しがスタート
次女も言葉が出ない代わりに
指差しで気持ち(想い)を伝える 
欠かせないコミュニケーションの手段


冷蔵庫を指さしては
(冷たいものを飲みたいの!)と 伝え
方向を指さしては
(あっちに行きたいの!)と 伝える


健常児さんであれば
そんな時代は瞬時に
終了してしまうだろう


子供は好奇心いっぱいに
溢れていなくてはいけない
なぜ?なに?どうして
ストレートに何でも聞いてくる
時にハッとするけれど
知りたい  ただ知りたいだけ


子供の頃 なにげに
母親ってものは 最強だ
どんだけ物知りなんだ!って思った


この人のそばに居たら 
食いっぱぐれないだろうし
生きるのに困ることはないだろうと
安心 安全な場所と体感で思ったものだ



子供はなんでも素直に吸収するので
ちゃんと 説明すれば
ふーん そうなんだぁで終了する
理解も早い


様々な人が社会に生きている
社会性を学ぶということ
日常に転がっている


じゃあ 次に会った時は
声をかけてみよう とか
(なかなか難しいけど)
何かお手伝い出来ることはないかな
次こそ 席を譲ってみよう とか
勇気を持ったりする
何度も出くわすものではない
チャンスは突然にやってくる


いえいえ 結構ですと
断られたとしても
今のは、ちょっと不味かったんだ
と お加減の学びがある
試行錯誤しながら
大人になっていくもの


森の学校で 父の台詞にもあったね



あの親子は、
そんなに関わりたくなかったのか
避けてるみたいで
自分たちとは 別世界に生きる人?と
線引きされてしまったようで
忘れられない出来事だった


今と違って20年前は
ヘルパーさんを利用して
障がい者や高齢者が
公共の交通機関を使って
行きたい所へお出かけすることは
珍しかっただろうし
こんな夜更けにバナナ🍌に登場する
鹿田さんも  きっと 
それ故に目立つ存在


街で出会うチャンスもない上に
障がい者や高齢者と
同居していない家族は
その対象が身近に居ないだけ
どうやって接すれば良いものか
経験がなくて分からないだけだと思う


私はなるべく地元の子供たちと
触れ合わせたかったので
どんどん地域行事にも出かけ
あちこち出歩きました

こんな親子がいますよと
地域の人に知ってもらうことから
子供は大概 興味津々に寄ってくる
そのリアクションには
時に身構えるけど
まずは第一関門の突破でもある

また別の日に
道端ですれ違った時には
必ず 声を掛けてくれる

◯◯ちゃーん!って、
それが嬉しい😆


生まれて2歳くらいまで首はぐらぐら
低緊張でちゃんと座れたのは
5歳くらいで
単独歩行が出来たのは 
6歳の終わり頃でした
もうすぐ7歳になる直前で
忘れもしない 
1年生の運動会が終わった秋
 

もう、泣いて 
一日中泣きまくったと思う
あ、感動の涙ね笑い泣き
子供は無限の可能性を持っていると
身をもって経験できた


生まれてまもなく療育施設に通って 
歩行訓練して PT ST OTさん
この子は絶対歩けるよ!と
まじないのように言ってくれたPTさん
たくさんの人に関わってもらった
どれだけの人にお世話になった事か
数々のお顔が浮かんでは 涙が出た笑い泣き


2歳になっても
3歳になっても
4歳になっても
歩けない次女を
ベビーカーに乗せながら
買い物中も おばちゃんに声をかけられ


1歳近くなっても
「わー可愛い 
生まれたばっかり?」
(悪気は全くないのである)滝汗


なんて、何度も言われたけど
きっと その頃の私は
ひきつった笑いをしながら
(いやいや、もう1歳です^^;)

「えぇ、あ、うぅん…」

もう たまたま居合わせた人に
次女の成長記録を
イチから説明するのも面倒くさくて
ニコッと笑って適当に流す
そんな癖がついていた


仕舞いには話しかけないで!の
オーラを放っていたかも知れない


そうか。他人にはそう見えるんだ
それでも可愛いって言ってくれたから
まぁ、いっか……みたいな^^;


私もまだ親育ちのまっ最中の
若いママだった
長女との成長ぶりとは全く違った
免疫らしきものは無かった頃で

心の中では( 'ω').。oO
「うっさいわ」( ̄O ̄;)
って 言ってたかもしれない 
あの頃の気持ちはもうすっかり
忘れてしまったけど


あら、やだびっくり
自分がおばさんになって
若いママにうっさい
なんて 言われないようにしなきゃね


ほどほどにしなくては
可愛い赤ちゃんに出会うと
ついつい……ってのがある
可愛くて手が出てしまいそうになる


コロナ禍から マスクもしなくなって
手はバイ菌三昧かもしれない??
そんな手で赤子の手や頬に
触れるなんて以ての外だ
今どきの 若いママはかなり慎重だ


抗菌、抗菌と言われすぎている
菌に対する自己免疫力を失くす事を恐れ
雑菌にまみれて ナンボ!の
頃とは 違った意味で 
時代は変わってしまった気がする


赤ちゃんに接する時は
注意しないとだ
お節介おばさんにならないように


何ヶ月?とか聞くのは
禁句です
だいたい当たらない
(それは昔からある)
聞きたくなってしまうけど
それぞれ成長の度合いは違う

男の子?女の子?も
もう禁句ですかね……もやもや
だんだんそんな世の中になる
〇〇らしく育てようとするのは
大切なことだと思うけど


お母さん似?
お父さん似?もだめかな
シングルだったり
再婚されてたり
義母似だったり
義父似だったりもする



それでも声をかけたい時は 
天使に幸せのお裾分けを
もらったつもりで
にっこり微笑みながら
あら 可愛いわね…の
一言が無難です


あぁ、こうして世の中は
時代とともに変化していく

20年前を思い出しました
子育て事情も 
ずいぶんと変わりましたしね


今、色んな意味で
時代の変革期と感じる
手放さなくてはいけないもの
おかしいことはおかしいと
死守せねばならぬものを思う



この変革期というもの
いったいいつまで続くのか
しっかり見届けなくてはいけないですね