1985年某日。
ステレオのスイッチを入れる。ジャケットからそっとレコードを取り出し,クリーナーで溝のホコリを拭う。プレイヤーにセットされたLP盤は、33回転のスピードで回り始める。ダイヤモンドの針は、ゆっくり溝に落ちた。
ラウドネス5thアルバム
“THUNDER IN THE EAST”
「この音を待っていた」
思い起こせば、あの頃からずっとヘヴィメタルを聞き続けてきた。初めてああ言う音を聞いたのは、NHK・FMで放送されたアースシェイカーのスタジオライブだった。特に「MORE」はお気に入りで、エアチェックしたカセットテープを何度も聞きまくった。
他にも、曲より先にヘビメタファッションにインパクトを受けた44マグナムのように、あの頃のヘヴィメタルには「見て感じる」「聞いて感じる」要素がたくさんあった。
80年代中心的だったのは、ラウドネス、44マグナム、アースシェイカー、ヴァウワウ、その中でも44マグナムはヘヴィメタル然としていた時期は短いが強烈にカッコ良かった。客席を煽る「ハイ!ハイ!コール」,「大阪!大阪!」などの執拗な地名の連呼など、ジャパメタ以外の何者でもなかった。
家に帰ればヤングギターやロッキンfを読みあさり、バンド結成の経緯、使用機材、果てはメイクアップ方法までも調べまくる毎日だった。
だからこそバンドや曲に対する思い入れも強かった。
時代は、レコード・カセットテープからCDに移り変わろうとしていた。CDは気軽に高音質の音を聞かせてくれたが、ジャケットはもちろん、歌詞カードが小さくなった為か、音源に対する「ありがたみ」は、とても薄く感じた。その頃はクラスメイトの大半がバンドを組んでいる、いわゆるバンドブームだった。
ラウドネス、44マグナム、アースシェイカー、ヴァウワウなどに影響を受けたリアクション、プレゼンス、デッドエンドなど、いわゆるインディーズがメジャーに行ったその頃が、日本のヘヴィメタルの絶頂期だったのかも知れない。
カラーテープでトラ柄にされた学生カバン、長ランの中にはBLACKの豹柄ノースリーブ、わざわざスリムにした学生ズボン、頭はミストで固められた角が3本と微妙に長い後ろ髪。俺は、間違いなくヘヴィメタルしていた。
その頃、音楽は急速に商業化されていった…。
90年代に入りヘヴィメタルシーンは幾つものバンドの解散を受け失速する。1996年、グランドスラム解散。
「もう、歌うことができない」
加藤純也は泣きじゃくりながらステージにマイクを置いた。
1981年のラウドネス“誕生前夜”から始まったとされる一連のムーブメントは、後に“エックス”という社会現象を巻き起こし、一瞬の大きな祭りの後、終焉を迎えることになる。
2001年、ジャパメタのバイブル“ロッキンf”は、何の予告も無く通巻第309号を最後に出版社ごと姿を消した。
幾年が過ぎた夜、酒の席で音楽論を交わす。
「日本のギタリストで、誰が一番上手いの?」と聞かれた。
「なんだかんだ言ってもBZの松本だな」と答えた。
「彼だけが、今でもあの頃のああ言う音を聞かせてくれるから。」
と言う俺を理解してくれる人は、そこにはいなかった。
