クルミが名物
武田信玄
神大杉
白樺リゾートホテルから小諸城址懐古園に移動中に遭遇
樹高約20メートル、樹齢1500年におよび蓼科神社の御神木として旧藩時代より保護が加えられてきた。
平成元年長野県内の巨木調査にて十位という。
小諸城址懐古園
小諸城の起源は平安時代、小室太郎光兼からはじまる。
武田の軍師、築城の名手山本勘助の小諸城縄張りか
蒸気機関車C56144
小諸城址懐古園の駐車場脇に静態展示されている。
かつては小海線を運行していた。
C56形は軽量小型でありながら長距離の運用に適する設計
三の門(重文)
懐古園の玄関口にあり、二層、寄棟造、瓦葺の門で、両柚での塀には矢狭間・鉄砲狭間が付けられている。
徴古館
小諸城に関わる武器、甲冑、古文書、書画など展示している。
さて、懐古園内散策開始ですが、ほぼ桜は咲いておりません
左動物園 右懐古神社
二の門跡
北の丸跡
関ヶ原の戦い(1600年)に向かうべく、徳川秀忠(軍勢3万8千)が信州に入ると、小諸城主・仙石秀久は二の丸に本陣を構え迎えた。
二の丸は、北西に西軍の真田昌幸・幸村の居城・上田城方面を見渡す場所です。
秀忠は、上田城(真田昌幸)攻略を命じるが上田城に籠城する真田軍わずか3千5百の兵力に翻弄され決着がつかず小諸城内にあった海応院の住職が仲立ちし真田と和睦します。
この上田合戦で小諸に10日間足止めされ、秀忠軍は関ヶ原の戦いに遅れてしまった有名な逸話です。
中仕切り門跡
三重構造の城郭で、中仕切門は全国でも珍しく他に二条城に見られるだけとされている。
北の丸跡
よくよく見ると桜がポツリポツリと咲いている
南の丸跡
懐古園稲荷神社由緒
永久大安の守り神
黒門橋
本丸と南丸の間にあり、堀はかなり深い。
お駕籠台跡
懐古神社の由来
懐古神社(本丸跡)
明治4年の廃藩置県で廃城となった。
小諸藩の元藩士らが資金を集め、小諸城三之門より城内を買い取り、本丸跡に祀ったのが懐古神社です。
懐古園の碑
やっと桜らしき桜が見られた
どう見ても近代的な噴水なんですが、妙にマッチングしているので許せるかな
外国人のようにひょこっとした灯籠でした。
こんな灯籠さんは初対面です
桜に灯籠
この灯籠は近代的な作品
コンクリート製
黄色い花の滝だ
なんだこの花
鏡石
武田信玄の軍師・山本勘助が小諸城築城時に使用したと伝えられている石です。
こんな鏡初めて見ましたが、昔の日本ではどれくらい利用されていたのだろうか
もっと、世の中に残っていても良いと思うのですが
本丸へと続く
2024.04.05 長野県小諸市丁311