シンプル日本庭園
江戸の文化なのかシンプルな日本庭園と言うのが第一印象です。その時点で、この庭の成り立ちは知りませんでした。
京都で見た一目感動の景色はありませんでした。
後で大金持ちが個人的に作られたと聞いて納得しました。
正直、美しいが歴史がないなと感じました。建物よりも庭を主力に作り上げた方がいいと感じました。足立美術館のように
三溪園(さんけいえん)
17.5haの敷地に17棟の日本建築が配置されている。
実業家で茶人の原富太郎によって1906年に造園された。
彼は古美術品のみならず、室町時代の燈明寺にあった三重塔をはじめとする京都ほか各地の古建築を購入して移築。庭園も含めて整備を進めていった。1906年(明治39年)5月1日に市民へ公開し、その後も建造物の移築は続けられた。
個人が儲けた利益で作った、お城・宗教施設・広大な庭を全国各地で見てきましたが、現在まで美しく維持されているのは珍しいです。
チケット売り場
三渓園へ入ると大池があり、大きい鯉や鴨がたくさん泳いでいます。本日は、結婚式の前撮りをされているようだ。幸せ満開のようでした
鶴翔閣(カクショウカク)
その名称は鶴が飛翔する印象の外観に由来するといわれています。
明治35年に原三溪が自らの住まいとして建て、以後20年にわたる三溪園造成の足がかりとなった。
横山大観や前田青邨といった日本画家たちが滞在し絵を制作するなど、日本の近代文化の発展にも関わった文化サロンとしての役割も果たした場所。
三溪園の風景の要となるようデザインされている。
アオサギとマガモのんびりとしている。
ホシハジロやキンクロハジロなどもいるようです。
内苑
原家が私庭として使用していたエリア。
紅葉が艶やかに燃えていました
御門・白雲邸・臨春閣
御門
京都・平安神宮近くの寺院・西方寺にあった、1708年頃に造られた門。大正時代の初めごろに移築。
三渓記念館
しばしここで休憩、中庭の池をのんびりと眺めていました
普段は余力を残しておき、いざというときに全力であたる。
私の仕事人生そのものでした。残業は、余力を残すためにやるものだと決めていました。とどのつまり残業はしない主義でした。
震災復興後の横浜市街
臨春閣(3棟)
江戸時代前期、1649年建築。旧紀州徳川家藩別邸。1915年に移築。
紀州徳川家の初代徳川頼宣が紀州和歌山に建てたもので、狩野派の襖絵などが見所。
三溪園の中で、私お気に入りの景色です
どう見ても、西洋的な要素が入っているような気がするんです。
いや、インド的な要素かイスラムの要素か
これはいったい何を意味するのか〇△□の庭か
旧天瑞寺寿塔覆堂(てんずいじじゅとうおおいどう)
1591年建築。豊臣秀吉が母の長寿を祝って建てたものといわれる。
旧大徳寺塔頭天瑞寺より1902年に移築。
京都にあった方がお似合いだと思います。
どこからどう見てもメチャメチャいい景色なんですが、何かが足りないんです
2023.11.29 神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1