隠れ堂が見られる
徳川家光の廟所 金閣殿
夜叉門(重文)別名【牡丹門】
四体の夜叉「阿跋摩羅(あばつまら)、毘陀羅(びだら)、烏摩勒伽(うまろきゃ・全国でも珍しい仏様)、犍陀羅(けんだら)」が、安置されている。
犍陀羅(けんだら)
白色西の方角を守護
牡丹(江戸時代豪華な花として知られる)の花が彫刻されている。
烏摩勒伽(うまろきゃ)
青色 東の方角を守護
破魔矢を司る神で、その膝に白い象の装飾が施されています。
膝小僧はこの神様から由来が来ていると言われている。
またこの夜叉を祀っている所は、珍しいという。
毘陀羅(びだら)
赤色 南の方角を守護
阿跋摩羅(あばつまら)
緑色 北の方角を守護
唐門
大猷院の中では最小
柱に金箔を施し、きらびやか。
透塀は精巧な細工が施されている。
灯籠は、徳川御三家からの献上品。
鳥の阿吽か 彫刻のすべてに何か物語があるようです。
ここから、以後が特別公開の場所です。
残念、ここから先は写真は写せません
釈迦三尊を祀る深秘「隠れ堂」が特別公開された。
隠れ堂はこれまで公開されることはなかったが、他の寺院では見られない形式を知ってもらうため、公開されることになった。
「隠れ堂」は、本殿の裏側から参拝するとても珍しい形。北向き(家康を向いている)と南向(内緒で普通の南向きを演出している)きが関係しているという。
表向きは、家康神様だけどやっぱり神様は南向だよね
これって、四代将軍家綱の指示によるものだろうか
1651年(慶安4年) 末期養子(まつごようし)禁止の緩和
1663年(寛文3年) 殉死(じゅんし)の禁止
1665年(寛文5年) 大名証人の廃止
武断政治から文治政治に転換したこととリンクしているのか
案内してくれた方が、特別公開であり、私たちがラッキーであることをすごくすごく何回も強調されていた。
撮影できませんでした
拝殿・相の間・本殿(国宝)別名【金閣殿(きんかくでん)】
大猷院の中心となる建物で、拝殿・相の間・本殿と連なる構造を【権現造り】と言う。内部に、狩野探幽の描いた唐獅子があるが、絵は意外にたいしたことがないと思った。
天井には140枚の龍の絵、家光公が着用した鎧などがある。
こちらの方が穏やかで私的には好きだった
日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)
主祭神;二荒山大神
(大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命の総称)
神体;日光三山(神体山)
創建;本社:767年 栃木県日光市山内2307
中宮祠:784年 栃木県日光市中宮祠2484
奥宮:782年 栃木県日光市中宮祠二荒山
むすび大黒 幸せを結ぶ
良い縁 打ち出の小槌 だいこくさんだ
「日光の社寺」として世界遺産に登録されている。
金運・幸運・良い縁のパワー
日光の案内人は、時間内に多くを案内する算段の方なんだろう。
ツアー客のことは見ないで、先に先に進むタイプの方でした。
地中海クルーズツアーと尾瀬の観光ツアーでも経験したことがある。
多くのことを知りたい人向きで、私にはぴったりなんだが、最近足が付いて行かなくなりました。
日光東照宮に向かって歩いています。
桜門
日光山 大猷院 御朱印
日光山 金堂殿
龍神破魔矢(ハマヤ)
案内人がなかなかの話の上手な方で、衝動買いをしてしまいました。
テレビでも出ていたらしくて、大人気商品となっているらしい。
”このクーポン券が目に入らぬか”水戸黄門調で旅行支援クーポンをかざしたが、あっさりダメと拒否された。
関西のおばちゃんのように乗ってこない
さまざまな恵みを万物にほどこすという昇り龍が刻まれている。
矢の先には、過去、未来を守護する常住仏『弥陀』『釈迦』の御影が梵字で刻まれている。
矢の先を上に向け羽を下に祀る
逆にかざしている人が多いらしい
厄年の人がいる場合は、矢を横にして先を玄関に向けて祀る
ツアーの帰りに、この大事な龍神破魔矢(ハマヤ)バスに置き忘れてしまった
幸い添乗員さんが見つけてくれた
次は、いよいよ日光東照宮です。
豪華絢爛な建物にどんな感銘を受けるのだろう
2023.03.04 栃木県日光市山内2300