戦後復興のふるさと
「平和の尊さ・平和への祈り」
昭和20年10月7日、引き揚げ第一船「雲仙丸」が舞鶴入港、
以後13年間にわたり66万人の引揚者を迎えた。
引き揚げやシベリア抑留を後世に継承し、平和の尊さを広く発信する施設として、昭和63年4月に開館した。
平成27年9月にリニューアルオープンしました。
平成27年10月10日には収蔵資料のうち570点がユネスコ世界記憶遺産に登録されました。
『舞鶴への生還 1945-1956シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録』として、ユネスコ記憶遺産の2015年登録となった。
但し、この世界の記憶の保全が、政治利用されている問題点がある。
ユネスコの活動及び世界遺産・ユネスコ記憶遺産の選定には疑問が残る。
戦後、大陸に進駐していた軍人軍属や一般人の引揚と、ソ連軍の捕虜となり、シベリアに抑留されていた旧軍人が舞鶴へと帰還した。
舞鶴港 本日イージス艦見当たらない。
日本各地から夫や親族の帰還を待ち望む多くの人々が、舞鶴港へと出迎えに訪れたのだ。
昭和45年『岸壁の母』の舞台として有名になった。
舞鶴引揚記念館
満州の日本人 満州国 昭和初期の社会状況
ユネスコ世界記憶遺産登録資料
白樺日誌(シベリア抑留者が白樺の皮に書いた日誌)
シベリア抑留
抑留中の食糧事情
雪のシベリア収容所
厳しかっただろうな
メチャメチャな国ソビエト
今の韓国や中国のする日本攻撃のようなことが日本ではおきない。
もっともっとソビエト憎しでもおかしくないのだが
不思議の国ニッポンです
日本国憲法
赤紙(臨時召集令状)
3日~1週間以内に指定された部隊に入隊しなければならなかった。
終戦まじか染料不足からピンク紙になっている。
こちらが本来の赤紙
舞鶴市が町興しのため
「舞鶴に赴任した東郷平八郎が肉じゃがを作らせた」
として宣伝した。
引揚記念公園
平和を象徴するカリヨン
平和の群像
にほんブログ村 2017.10.31
2017.10.31 京都府舞鶴市字平1584番地 引揚記念公園内