近江商人が通った後には
ぺんぺん草も生えない
近江商人の経営哲学「三方よし」
売り手も買い手も社会も満足
最近では、これが一番有名です。
ですが、地元に住む私としては、
『始末してきばる』のまじめ人間
だけどケチではない使う時には使う。
(寺社への寄付など)
が、今も残る近江商人気質と思います
◆鎌倉時代が発祥といわれている。
八幡商人(近江八幡) 江戸初期
蚊帳・畳表・麻布・数珠・灯心・蠟燭・扇子
日野商人(日野町) 江戸中期
日野椀・漆器・合薬・煙管・日野きれ・茶・仕入れた呉服
五箇荘商人(東近江市) 江戸後期
呉服・太物・編笠・麻布・各地産物廻し
誠実・勤勉・倹約・堅実・忍耐そして信用第一
豪商・小林吟右衛門の家屋敷を一般公開した資料館だ。
江戸や大阪で織物卸業や金融業を営んでいた。
現在のチョーギンの前身です。
資料館では、帳面類・看板・商用具の展示をしている。
また、籠や葛など旅に必要なもの、古文書類なども展示している。
小林家当主商訓も面白い。
生活館は、当時の生活道具類、和漢の古典や古書籍、茶道の手習い本や道具類を展示している。
駐車場は、数台しか置けませんが、いつもガラガラです
ごーぎな蔵が立ち並ぶ
近江商人郷土館
ごーぎな石ですね
この意味分かりますか
「湖東中郡日野八幡在々持余家見立角力」
S A B C D が書かれている。
小林吟右衛門はAとなっている。
ちなみにSは、外村与左衛門と松居久左衛門です。
1830-1847年(江戸後期)に出版された近江商人の番付帳です。
資産高と連動していない。
家の永続性や家名、地域にとっての人徳などを勘案している。
豪華絢爛な家具ではないが安物でもない。
近江商人の出身地図
八幡商人、日野商人、湖東商人(五個荘、豊郷、愛知川)
江戸時代における近江商人の出店の分布状態
ほぼ日本全国を制覇している。
凄い
奉公人請状は、奉公人側が雇主へ提出した身元保証書です。
商売道具
東海道、中山道を売り歩いている。
日野大当番仲間
今でいう日野商人組合だ。
■初代 小林吟右衛門
商品が売れなければ、反省し、辛抱し、忍耐強く努力を続け、人びとに喜んで買っていただけるだけの実力を身に付ける。
大事なことは、どんな時も不義理をしない、損失をかけない。
カッパからげて三度笠
四重物重箱(井伊家拝領)
なるほど納得
近江商人の後ろには井伊家がいたのだ。
それは、強力な力だったと思う。
我が町(彦根藩)に残る古文書で、隣町(伊達藩)との水利権争いで彦根藩主が調停しているのですが、我が町に有利過ぎる調停なのだ。
黒金蒔組弁当箱
桜田門外の変
大老井伊直弼が水戸浪士に襲われた時、丁吟江戸店から京都店や近江本家への報せが、彦根藩の江戸藩邸から彦根城への報せより早かった。
近江鉄道だ
1994年度から近江鉄道は赤字が続く。
全線の存続を決めたが財政負担をどうするかだ。
近江商人も時の流れには勝てませんでした。
多賀駅発車の一号機関車 昭和3年撮影↓
洋行時に購入した道具類。
おばちゃん、何か見えるのか
誠実・勤勉・倹約・堅実・忍耐
近江商人起源説
渡来人、武士、市座、農民、交通など全てが正解なんだろう。
つまり、いろんな人が交わって優秀な人が育ったんだと思う。
鴨稲荷古墳 家型石棺 高島町鴨
高島南市 九里半街道
五箇商人の1つ 今津~若狭に通じる道
高島南市商人 五箇商人はこの道の利用特権を持っていた。
近江八幡
近江商人
樽銭礼物
『樽銭礼物』を各領主贈ることにより関所を
自由に通過できる特権を得ていた。
日牟八幡宮
上 西川甚五郎本宅
下 八幡蚊帳
日野 日野商人 渡来人
蒲生氏郷 八風峠への坂道
天狗前古墳 石塔寺
初代 中井源左衛門 正野玄三
万病感応丸
矢尾喜兵衛家の酒蔵 岡宗一郎家の店
日野大当番仲間
湖東焼
歴代当主が蒐集したと思われる、湖東地方の名産である湖東焼がも陳列してある。
湖東焼は湖東の彦根の商人が創始し、彦根藩が国産産業として育成した。
染付秋景色文手焙
古九谷
色絵唐獅子文瓢形徳利
鶯宿梅 蒔絵茶台
湖東
湖東式丸瓦
愛知井 愛知川の水を引いて水田開発をした。
なんと、6~8世紀に造成されたと言う。
愛知井は、水の争い事が絶えませんでした。
2015.09.13 滋賀県東近江市小田刈町473