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要旨:
 今、ダンさんから送られてくる盲師派推命占術のテキストを読んでいるところです。六爻占術とはずいぶん違うという印象を受けました。正反対とさえ見えるところもあります。
まず、六爻占術の基軸である用神が、盲師派推命占術では取り払われている点です。次に、盲師派推命占術は誕生日から命式の全てを出すのに対して、六爻占術は誕生日を切り離して運命を当てることが出来ます。また、盲師派推命占術では天干が主に使われます。天干に対して直接手を加えることは出来ませんが、地支が主に使われる六爻占術では、十二支を駆使して運命を変更することが出来るのです。
両者は180度タイプの異なる占術といっても良いです。この二つがトラさん・ダンさんとの縁で私の手に渡ったのは凄いことです。運命の解明には、この両方が不可欠だと思います。

私が盲師派推命占術を勉強し始めて最も戸惑ったのは、制御という概念です。例えば財運の場合、命式に財が二つあるよりも一つしかない人の方が財運は良く、さらに剋や合などの邪魔が多い人ほど大金持ちになり、邪魔の少ない人は平凡に終わるというのです。これは六爻占術での判断の仕方と全く逆です。
このことから私が考えたのは、川で魚を捕るときのことです。川幅が広い状態だったり二つに分かれている場合、それだけ獲物の捕り逃がしが多くなります。しかし堰を作るなどして川幅を狭めて(制御して)流れを一箇所に集中させると、獲物を効率的に捕ることが出来ます。このように、エネルギーの効率が運の良し悪しを左右しているのではないかと考えました。
では、効率は高ければ高いほど良いと言えるでしょうか。しかし盲師派推命占術のテキストに載っているクリントンの例では、徹底的に制御がかかりすぎているため逃げられずに大統領になったと書かれています。私の場合は、制御から逃げている部分があります。例えばテレビ出演の依頼などは全て断り、仕事でも十割の労力と成果は目指していません。時空探求をやっていくための条件としては、制御は徹底的すぎず適度な方が良いのです。

盲師派推命占術には、六爻占術のような運命変更法はありません。ですが上記の川の喩えで言えば、一生の中で川幅の狭くなる時期を事前に知り、その時期に網を仕掛けて(大きな投資をして)儲けるようなことも可能になります。
盲師派推命占術でも運命改善が可能であることは、中国紀行でトラさんとダンさんに会ったときにも聞きました。私の親戚の命式を見てもらったところ、結婚する時期に二つの選択肢が出ていることが判明しました。事前に二つの経路があることを知って選択の余地が生まれれば、それだけで運命を改善できることになります。
直接的には運命を変える方法を出せない盲師派推命占術ですが、正確な運命を知るということだけで変わる部分も多いことが分かってきました。


        
    目次        
        

○ 盲師派推命占術と一般の四柱推命の大きな違いは、用神とか忌神があるかないか
○ 四柱推命は経験則的、六爻占術は直感的
○ 「地」からの反逆、六爻占術
○ 六爻占術をやることは、生まれた瞬間から決まっていた
○ 大運に乗る
○ 大運に乗る2
○ 大運のダークサイド
○ 運命とは、元々ダークサイド的かも知れません
○ ギャンブル運を事前に知る
○ 運命の良し悪しは、エネルギーとしての効率
○ 「制御」から「逃げる」
○ 盲師派推命占術情報
○ 盲師派推命占術・・盲目の占い師は日本に伝わることを知っていた(2005/09/01)
○ 盲師派推命占術・・盲目のネットワーク(2005/09/03)
○ 盲師派推命占術・・法律(決めごと)も自然の一部(2005/09/04)
○ 盲師派推命占術・・人生には選択の余地があった(2005/09/05)
○ 盲師派推命占術・・運命は改善する(2005/09/06)
○ 盲師派推命占術・・占った日(未来を知った日)が大切(2005/09/06)
○ 盲師派推命占術・・誕生日の情報は必要ない(2005/09/09)
○ 盲師派推命占術・・株も占える(2005/09/10)
○ 盲師派推命占術・・同じ誕生日で同じ時間の人(2005/09/13)
○ 盲師派推命占術・・例えば恋愛運を変えても、金運には影響は無い(2005/09/14)
○ 盲師派推命占術・・誕生時間をずらす(2005/09/18)
○ 職業が出てこない



盲師派推命占術と一般の四柱推命の大きな違いは、用神とか忌神があるかないか

今私のところには、盲師派推命占術のテキストが届きつつあります。その一部をお見せします。長いので私が勝手にカットして短くします。ダンさんが書き、トラさんが訳したものです。

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第2章、盲師派の四柱推命が伝統的な四柱推命との区別

  中国ではずっと昔から伝統派と盲師派との四柱推命術が並存してきました。
伝統派は主に用神と格局(命式のルール分類)、その基本的な考えは日主のバランスを把握して用神と忌神を見つけます。つまり日主の盛衰を非常に重要な地位につけたのです。でもそうすると、四柱推命中に多くのものを漏らしたのです。
しかし伝統派の四柱推命法では、細かくて具体的なことを、命式から判断するのが難しいです。これは伝統派の四柱推命法が、まったく間違っているというわけではありません。部分的に運命を指摘することもできます。が、運命の解釈に一番正しい方法ではありません。


私(ダン)自身の経歴から見れば深い感想があります。
もともと私も伝統派の四柱推命方を習いました。同時に古代から残されたすべての四柱推命に関する本も読みました。しかし、実際に他人の運命を判断した時、いつも盲目の師匠である××氏に負けたのです。彼は相談者を驚かせるほど運命を細かく判断できます。
しかし、そういうふうに判断した根拠、理由はそのときの私は命式からどうしても見つけることができませんでした。
師匠に教わってから始めてその原因がわかったのです。
以前に習った四柱推命法はとても皮相的なもので、体系も間違ってもともとの方法を更新しなければなりません。
盲師派の四柱推命法は伝統的なものと違って、日主の盛衰や用神などを捨てて格局もほとんど使いません。もちろん捨てるといえば適当ではないかもしれません。
盲師派の体系に、日主の盛衰や用神の概念などは無いのです。
それでは用神を見なくても運命を判断できるか・・これが四柱推命の本質に触れる問題です。

  四柱推命の本質は何でしょうか。
四柱推命の本質は人生を述べることにあります。四柱推命は人生の道理と同じで、人生の縮図と再現です。
今までの四柱推命のやり方ではすべてのものを説明できないし、命式の持ち主の能力の強さ、体の状況を表すこともできません。命式の持ち主の運命ルールを解釈することもできません。実際の人生の指導に何の役にも立ちません。
単に命式から用神や忌神を見つけるのは四柱推命に対する理解を教条化にならせてしまって、豊富多彩の運命を把握するチャンスをなくしたのです。
ですから、決まった用神で運命を判断する方法は頼りものになれません。盲師派の運命判断法を理解するのは、次の章から少しずつ紹介させてもらいます。
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以上です。
私自身、まだ勉強している最中なので正確なコメントはできませんが、盲師派推命占術と一般の四柱推命の大きな違いは用神とか忌神があるかないか・・だと言えそうです。
用神とか忌神という言葉は、六爻占術ではおなじみです。

さて、ここが上位と下位を大きく分けるポイントだと思いました。
六爻占術では用神を決めるところからスタートします。財運では妻財を用神として、仕事運では官鬼を用神とします。どちらも何となく欲望が絡み(笑)、目指すゴールがあるように思えます。
それをそのまま一生運に持ち込んでしまったのが、一般的な四柱推命のようです。
日本で発売されている『四柱推命の完全学習』という本には、「用神を決めないと運命を測定することができません」と書いてあります
やはり何か違うと思いませんか?
六爻占術のおける用神は占う対象(ピンポイントな欲望)であり、私達の意識が作り出したものだとも言えます。
盲師派推命占術は、用神を取り払ったのです。これは個の視点を無くした・・とも言えると思います。
上位の問いに関する快楽は、個に付随しているのだと思います(身体的とも言えます)。しかし下位の問いの快楽は、個に付随していないもかも知れません。
目が見えるというのは、顕在意識の側を助長させると思います。言い換えれば、見える代わりに、視野をより狭くするのです。
反対に目の見えない盲師は、大きく広がった潜在意識の海に身を投じることが出来たのではないでしょうか・・。
そのとき彼らは、「用神」などという顕在的な概念を捨てることが出来たのだと思います。
それは目が見える私たちよりも、ずっと多くの「快」を味わっていたのだと思います。
私はより多くの視点から不思議現象を調査しています。
でもまさか、目が見えるという視点を無くする視点があるなどとは、思ってもいませんでした。





四柱推命は経験則的、六爻占術は直感的

昨日は一般の四柱推命と盲師派推命占術の違いを出しました。そこで私が思ったことは・・。
四柱推命というのは、試行錯誤状態だということです。長い人生をサンプルとして、それに見合う方程式を探している最中のようです。
対して六爻占術は、方程式そのものがダイレクトに降ってきたような印象を受けます。
四柱推命は経験則的・・六爻占術は直感的・・そんな感じがします。
ところで私は、日本では六爻占術が出来る方だと思います(笑)。そんな私が盲師派推命占術を勉強始めました。第一印象は「ずいぶん違う・・」でした。
命式とは、単に誕生日に関する情報を書き出しただけです。つまり誕生年、誕生月、誕生日、誕生時間の十干と十二支を書いただけです。
それを眺めていると、「ああこの人(私のこと(笑))は不思議研究所をやっている人なんだ・・気づいた事をどんどん出す人なんだ」などと分かってくるのです(笑)。
命式には誕生日とその周辺情報以外が存在しないのです。
しかし六爻占術には誕生日の情報はありません。なのに一生運すら出します。六爻占術が凄いところは、その人の運命を誕生日と切り離したことです。これは画期的なことです。なぜなら、汎用性が生まれたからです。
それで株価も占えるようになりました。ニッセンの卦は、上がり出す時が「誕生日」となったわけです。
そして自分の運命を、プラスにしてくれる要素とマイナスにする要素に分解したのです。用神、原神、忌神として・・です。
ところが一般的四柱推命には用神と忌神がありました。六爻占術とごちゃ混ぜにしたものになり、それは当たりませんでした。
一方、六爻占術は用神、原神、忌神に特化していきました。すると当たりました。

この二つは全くタイプが違うのです。真理を究めるとすれば、180度ずれたポイントから中心を狙っています。
この両者がトラさんとダンさんという親友に来たことは、凄いことです。そしてダンさんが私の出した新聞広告を見てトラさんに教えて、私と出会ったことも凄いことです。
私はその日、怖くなってドアを閉めました(笑)。
しかしトラさんは事前にコインを振って、私との未来の広がりを知っていたのです。何も運命を変更することなく、私達は出会いました。
トラさんが六爻占術に出会ったのは1990年です。私とトラさんとダンさんが出会ったのは1996年です。ダンさんが盲師派の師匠に出会ったのは1997年です。
20世紀後半というのは、何か「準備の期間」のような感じです。
そして私が六爻占術に出会うのは21世紀の初めの年(2001年9月)なのです。
盲師派の占い師は、「食うため」に秘密(目明きには教えない)にしていました。目明きの占い師よりも当たる確率を上げて、自分達の食いぶちを確保してきました。
でも日本には、盲師派の占い師はいません。日本に広がっても、中国の盲師派の占い師は大した影響を受けません。
私は念力超能力者よりも、蘇生超能力者よりも、運命をコントロールできる凡人の方がずっと凄いと思っています。ハッキリ言って宇宙最強だと思います。それは私達です。
ジェダイの騎士も、目じゃないです。ライトセーバーなんて捨てた方が良いです。コイン三枚と、命式を書く紙があれば充分です。
いえ、盲師派にとっては紙すら必要ありません。目すら見える必要がなかったのですから・・。





「地」からの反逆、六爻占術

盲師派推命占術の勉強を始めたばかりで、まだ正確なことは理解していませんが、第一印象というのも重要なので書きたいと思います。
盲師派推命占術のテキストに次のルールが書いてありました。
「天干は地支を剋することができますが、地支が天干を剋してはいけません。干支は国王と大臣の関係です。天干は国王で、地支が大臣です。」
天干とは甲・乙・丙・丁・・の十干のことです。地支とは子・丑・寅・卯・・の十二支のことです。
六爻占術では十二支が頻繁に出てきましたが、四柱推命では天干がキーです。
何故「天」という単語が付くのかといえば、エラいからです。それに対して十二支は「地」という単語がついています。エラくないからです。まさに、天と地の差があるのです。
テキストには国王と大臣という言葉で比喩されていますが、私の感触では国王と平民ほどの差があります。だって国王を剋することが出来ないからです。大臣クラスになれば国王を剋する気骨のある人の、一人や二人は出てきそうだからです。
そして四柱推命の中では、天干が私達の運命のほとんどを決めていきます。天干を剋して変えることは無理なのです。
あ~、勉強する順序が逆でなくて良かったと思います。四柱推命をやっていると脱力感に襲われるからです。あらゆることが決まっていたのだと・・。しかも、変える方法は書いてありません・・。

四柱推命と六爻占術のルーツをさかのぼれば、意外や同時期です。どちらも2000年ほど前に誕生しますが、六爻占術の側は、創始者が封殺されます。四柱推命はその後発展し、中国の全占い市場の90%にも拡大します。
なぜ皇帝は六爻占術は封殺し、四柱推命を放置したのか・・。
それは四柱推命は「諦めの占い」だからだと思います。平民は自分の運命を諦めなさい・・というのが四柱推命だからだと思います。
まさに冒頭に載せた「天干は地支を剋することができますが、地支が天干を剋してはいけません。干支は国王と大臣の関係です。天干は国王で、地支が大臣です」です。国王は剋せないのです。
しかし六爻占術は違っていました。それはまさに「地」からの反逆のようです。ゲリラ戦に打って出たのです。ちくしょー、テメーの好きなようにさせるか・・と。
四柱推命ではあれほど地位の低かった十二支が、高性能小型ミサイルの様に活躍します。
ああ・・運命変更の十二支が可愛くなりました(笑)。
四柱推命で運命は決まっているとしつこく言われても、六爻占術を知っているから平気です。しかし敵(運命)の動向を正確に知るためには、やはり盲師派推命占術は強力なツールです。





六爻占術をやることは、生まれた瞬間から決まっていた

今日、盲師派推命占術のテキストの続きが届きました。「お金儲け」という章が来ました。そこに私の命式とその解説が書いてありました。命式はまだオープンにはしませんが、判断だけ読んでみて下さい。分からない単語が沢山出てきますが、感じだけを掴んで下さい。
『上に書かれ命式は、森田さんのです。財が多くて、官が少ないです。日の地支が亥水で、年にある殺を生じて、殺が財を支配して殺を財として見ます。卯と戌の相合で、卯が邪魔されて、戊癸の相合で、財が制御されます。比劫である戊戌が効用を果たしています。巳運がめぐってきて、比劫が禄を得て、流年の壬午が土を生じて、株で、一億円以上儲けました。この命式によって見ればリスクを犯して財を得るのは運命の作用が大きいです。』
巳運というのは私の大運のことです。それは2001年です。私は2001年に六爻占術を知り(ということは大運の年に六爻占術に出会ったのです)、ニッセンに投資して、翌年の午年にかけて1億7千万円の利益を上げました。
私は盲師派推命占術で事前に運命を知っていたわけではありません。さらに、六爻占術に出会わなければ株式投資などしませんでした。さらに、当時だってそれほどお金に困っていたわけではなく、下位の問いの方が重要でした。
そんな時期に、リスクを懸けた株式投資などするわけはありません。しかも全財産を賭けて・・。
しかし生まれた瞬間から、この年の「お金儲け」はスケジュールされていたのです。
ということは、生まれた瞬間から、六爻占術をやることが決まっていたのです。
私はニッセンの投資において、外側に十二支の置物などを置いていません。ということは、全ては始めから決まっていたことなのです。

  さて、ここで問題がたくさん生まれます。この運命を事前に知っていたらどうなるかということです。儲けはもっと増えるかも知れません。金運の少ない年は投資を控えて、損を少なく出来るかも知れません。
私達はこれから「事前に知っている」という世界に入ります。今度トラさんに会うときは、「事前に知っている」ということの使い方を聞いてみたいと思います。
ところでこれを読んでいるみなさんも、六爻占術をやっている人が多いと思います。その人達も、「生まれた瞬間」にそれは計画されていたのです。
挫折する人も、もちろん計画されていました(笑)。そして六爻占術を使って大儲けする人も、決まっているのです。
先ほど書いたように、大儲けの年はまさに、大運が切り替わったその年でした。
うまく乗れなければ儲けが少ないのか、それとも乗ることすら選択の余地は無いのか・・分かりません。
私と同じ時間帯に生まれた人の、2001年の儲けを比較すると面白いかも知れません。





大運に乗る

昨日は2001年の大儲け話を書きました。それは盲師派推命占術で言うところの私の「大運」でした。今日はその前の大運の話です。
それはあの、2行広告を出した時でした。新聞に「不思議情報求む」という2行の広告を出したのです。そこから、全てが始まったと言っても過言ではありません。
私はずいぶん前(5年以上前)に不思議研究所をしようと思いました。しかし、ずっと始められなかったのです。何故かと言えば、「広告」を思い付かなかったからです。
不思議な事に興味はあります・・と言う人は多いです。しかしその一歩が踏み出せる人は少ないはずです。だって不思議なことを研究すると言っても、どうして良いか分からないはずです。
それがたった数千円の2行広告だとは、誰が気が付くでしょうか・・。私はそれを出した年、大運の年だったのです。大運だからと言って、大それたイベントをするわけではないと思います。億単位の投資が必要だったわけではありません。
しかしたった数千円の2行広告が、私の人生を大きく変えました。
私と同じ誕生日で、同じ時刻に生まれた人は多いはずです。しかし全員が不思議研を始めたわけではなく、たった一人です(笑)。でも大運が巡ってくるタイミングは同じです。他の人はどのように「乗った」のでしょうか・・。
私と同じ誕生日で、同じ時刻に生まれた人を集めて、パーティーをやってみたいです。
中には死んでしまった人だっているかも知れません。運命が同じなはずなのに、なぜ死んだのでしょうか・・。
みんな7億円もの借金をしたのでしょうか・・それとも7億の借金で死を免れたのでしょうか・・。そうだとすれば、私はとてもラッキーだということになります。
2行広告は、次の大運(2001年の大儲け)の布石となっています。つまりこの年の大運をうまく使わなかったとすれば、次の大運で大幅ステップアップは出来なかったということです。





大運に乗る2

昨夜は、2行広告の時の大運のことを書きました。今日は、その前の大運です。が・・、目を見張るようなイベントはありません(笑)。
ただ、その年の春、結婚十周年記念パーティというものを開きました。私はタキシード、妻はウエディングドレスです。娘は可愛いドレスです(笑)。
ケーキ入刀やキャンドルサービスまでしてしまいました(笑)。
ところで、これは大運とは関係ないです(笑)。でもそこで、ある事を発表したのです。
「21世紀になるまでに、不思議研究所というものを始めます」・・と。
世間に発表したのは、これが初めてでした。そして秋になりました。
当時私は、既に一人の部屋を持っていました。午後になるとそこに行き、一人で過ごしました。
「このままでは不思議研を始めることは出来ないだろう」・・そんな思いがありました。 
で、何をしたかと言えば・・バイクの教習所に通い始めたのです(笑)。
習っているとき、「これはイケる」と思いました。バランスを取りながら走るバイクは、決して自由ではないのです。
バイクに乗った人なら分かりますが、ハンドル操作はほとんどありません。ハンドルで「切る」のではないのです。ハンドルはほとんど切らないで、カーブを曲がっていきます。
2行広告を出すには次の大運を待たなければなりませんが、2行広告とて自分でハンドルを切ったとは思えません。
では何で曲がるのか・・それは傾けた角度なのです。傾ければ大きく曲がれます。初心者は傾けるのが怖くて出来ません。そしてハンドルなど切ったら、転倒してしまいます。
バイクの卒業試験の日、娘はちょうど、明星学園(小学校)の入学試験日でした。試験を終えて駆けつけた娘が、柵の外で応援していました(笑)。「パパー!!頑張ってぇ!」(笑)
私も娘も、共に合格したのでした・・。そして毎日の通勤にバイクを使うようになりました。
場に乗る・・人工のGを感じる・・こうして次の大運を待ったのでした・・。





大運のダークサイド

昨日は大運の良いところばかりを話しました。実はそうでもないのです。
私の大運の一つは25歳の時でした。いきなり7億円の借金が来ました。
これでは大運どころではなく、大凶運です(笑)。
しかしその翌年、私は富士通に辞表を出し、不思議な世界への第一歩を始めます。
7億円の借金事件で、私は「ブッチギレた」とも言えるのです。ブッチギレて不安定の状態になったのです。
2行広告を出す半年前、私の長男(健一)が死産しました。このときもブッチギレました。「神よ、あなたの好きにはさせないぞ・・。」
実を言えば、健一がああなっていないと、始めなかったかも知れません。不思議研を始めるということは、それほど私にとっては大変なことだったのです。
次の大運は、大儲けするときでした。でもその半年前に、女装にチャレンジしています。
なぜ女装にチャレンジしたかというと、行き詰まっていたからです。
私はもう、不思議なことから何もヒントを貰えないと思ってきつつあったのです。
何かしないといけない・・そんな焦りがあったのです。
ですので私の大運は、ラッキーなものが向こうから降ってきた感じは無いのです。
むしろ、向こうから降ってきたものは、どちらかと言えば不幸な感じのするものでした。
大運を当てにしているだけではいけない・・さらに、大運は決して「幸福」が降ってくるわけではない・・と思うのです。





運命とは、元々ダークサイド的かも知れません

昨日は大運のダークサイドを語りました。今日は命式の中のダークサイドの話です。
盲師派推命占術を勉強し始めたとき、とても理解に苦しむことに遭遇しました。
例えば以前私は中国で「森田さんの命式の中には妻財が多いですね」と言われたことがありました。そのとき私は喜びました。「ふっふっふっ・・財運がいいんだ・・私は」・・と(笑)。
しかしこれは大きな間違いであることが分かってきたのです。なぜなら盲師派推命占術の大吉は、六爻占術とは逆だと思っても差し支えないからです。
たとえば私の命式に対してダンさんはテキストの中で次のようにコメントしています。
『森田さんの命式は財が多くて、官が少ないです。日の地支が亥水で、年にある殺を生じて、殺(官鬼)が財を支配して殺を財として見ます。卯と戌の相合で、卯が邪魔されて、戊癸の相合で、財が制御されます。~中略~ 株で一億円以上儲けました。』
六爻占術をやっている人なら、何か変だと思うはずです。だって『卯が邪魔されて、戊癸の相合で、財が制御されます』と書いてあれば、普通はこの人の財運は無いと判断するはずです。妻財が生じられて強いと、「こりゃあ財運がいいぞ。俺は大金持ちになるぞ」と思うはずです。
ところが盲師派推命占術を勉強していくと、大変なことが分かります。例えばテキストにはある人の命式を取り上げて、次のように書いてあります。
『この例では日の地支である未土を見ます。未土が時柱の財から生を得て、外部からお金を家に持ってくる意味を示して、お金を持っています。しかし、このような相生による効用が小さいので、収入が多いですが、普通の人です。』
そして次のようにも書いてあります。
『制御によって効用が果たされます。しかし注意すべきことがあります。制御されるものが徹底的に制御されたかどうかということです。いままであげた例(有名人・億万長者の例)はほとんど徹底的に制御してよい運命になった組み合わせです。しかし、制御が徹底的ではないとき、普通の人になっています。』

私は自分の命式を見てみました。妻財が二つありました。そのうちの一つは相合していました。もう一つは暗合(裏で相合するというような意味)していました。
ふ~う・・。両方の妻財が制御されていたお陰で、少なくても「平凡人」ではなくなっているようです(笑)。
妻財が一つならば、より金持ちになったかも知れません。命式の中に妻財が一つも無い人が、超大金持ちになったりするのです。
逆に私は官鬼(殺)が一個しかなく、それに相合がかかって制御されているので、有名になる可能性を秘めているのだと思います(笑)。
これって六爻占術の逆です。たぶんみなさんが盲師派推命占術に接するとき、最大の疑問点になると思います。
もっと言えば、私の官鬼は、相合をかけてきた相手から剋されています。その方が良いのです。テキストにも「午未の相合は相生になり、制御しません」と書いてあります。
つまり、これでもか、これでもかと、制御されて、カットされて(ダンさんはこの単語をよく使います)、息の根を止めるくらいに剋されまくります。六爻占術で言えば「根のない草状態」になり、運命変更さえ「やっても無駄状態」になります。
こういう人が大統領になったり、超億万長者になったりするのです。
運命は元々、ダークサイド的なのでしょうか・・。
それにしてもテキストにはクリントンだの、サッチャーだの、周恩来だの、蒋介石だのが出てきて楽しいです(笑)。彼らは皆、制御され、剋されまくっているのです。
私も彼らから見れば生半可な剋され方ですが、日本人としては初めてテキストに登場しています(笑)。





ギャンブル運を事前に知る

制御したり剋されたりするとなぜ財運が良くなったりするのか、考えてみました。
昔、子供の頃、川で魚を捕りました。でも、私は魚釣りが嫌いでした(笑)。好きなのは、次の方法でした。
悪ガキ3人で、川の流れを狭くするのです。
小さな川なので、30分ほどかかって石を運んで堰(セキ)を作ります。するとある一箇所に水が集まってくるようになります。その流出口に、網を仕掛けます。私達は上流から水面を板で叩きながら、足はボシャボシャと派手に歩きます。
するとどうでしょうか・・網に溢れんばかりの魚が捕れているのです。
この場合、水と魚の流れはどう表現されるのが良いでしょうか・・たぶん「制御されて、剋されて」が正しいと思います。だって広い川が狭くなり(制御されて)、ゆっくりと流れていた水は出口では渦を巻いて(剋されて)流出していきます。
出口が一箇所だけになれば、そしてその出口が狭ければ狭いほど獲物を捕り損なうことはなくなります。ところが出口が二つになり、網が一個しかなければ、獲物は半分しか捕れなくなります。
川が全く制御されなければ、魚釣りみたいな方法で捕るしかありません。たぶんそれが一番少ないです。

  盲師派推命占術での妻財は、川全体のことを指すのかも知れません。だから川を狭くして、自分の獲物を捕獲できるかを見る必要があるのです。
しかし六爻占術は、既に自分の方にだけ流れてくる水流だけに焦点を合わせたのだと思います。
盲師派推命占術の場合、川が制御されるのは、「私が原因」ではありません。
テキストに出てくる私の命式の説明には、こう書かれていました。
『巳運がめぐってきて、比劫が禄を得て、流年の壬午が土を生じて、株で一億円以上儲けました。この命式によって見ればリスクを犯して財を得るのは運命の作用が大きいです。』
私はギャンブルはしない方ですが、私の命式はギャンブルにも適していたのです(笑)。
(もちろん普通の経営でも財運は良いですが)
そして「私が原因」ではないとすれば、「外が原因」です。私の誕生日は変えることが出来ません。しかしこれから流れてくる時間は、あらかじめ知ることが出来ます。つまり「イケる日」が計算できるはずです。
その日にラスベガスに行き 、大儲けが出来るかも知れません(笑)だってその日に、川幅は狭くなるはずだからです。川幅理論が正しいとすれば、私は網を持って捕獲するだけです(笑)
何だか、面白そうになってきました。
と言っても、ギャンブル運で、次に「狭くなる時期」は、私が命式を判断する限り、生きているうちにはやってきそうもありません(笑)。 ということは、私は一生でたった1回のギャンブル運に全財産をかけることが出来たのです。それだけでも文句はありません(笑)。 もしもみなさんに同じようなギャンブル運があり、まだその時期が来ていないのなら、それは事前に知ることが出来ます。 その時期に集中して宝くじなどを買った方が良さそうです(笑)





運命の良し悪しは、エネルギーとしての効率

川幅理論(笑)により、盲師派推命占術での「制限」の意味が理解できたと思います。
テキストでは「エネルギーと効率の概念」という章で、同じように述べられています。
以下、テキストの抜粋です。
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4、エネルギーと効率の概念

  前の論説にわかると思いますが、盲師派は運命を判断するとき、日主(六爻占術で言うところの世爻)の盛衰を見ません。作用するか、どのように作用するかという点だけに着眼するのです。
これをよく理解するため、物理学に使われる二つの概念で運命判断の本質を深く理解してもらいます。エネルギーと効率とがそれです。
物理学ではエネルギーを消耗して効率を得るのは役に立つ作用で、命式も同じ理屈です。
作用するとき必ずエネルギーを消耗します。
では、エネルギーは何でしょうか。命式にあらゆる干支がエネルギーを持っています。われわれは十干と十二支をそれぞれ属性と方向性の違ったエネルギー体として理解してもいいです。
それらの間に刑、冲、剋、合、墓、破などの作用が存在している故、命式にエネルギーが作用して消耗されたり、滅ぼされたりするのです。
功神とはエネルギーが消耗されてから得た効率です。廃神とはエネルギーが消耗されても何の効率がない物を指します。またはエネルギーを消耗しないで、何の役にも立たないものが廃神でもあります。
うまくいく人の命式の構造はこのようなエネルギーが良く働いているのです。平凡の人の命式には無効的にエネルギーを消耗してつぶしてしまうのです。
うまくいく人の命式には功神が多くて、廃神が少ないです。あるいは功神が少ないですが、効率が高いです。平凡の人の命式には廃神が多くて功神が少ないです。あるいは功神があっても効率が低いです。
こうして人間の豊かさ、身分の高さなどを区別できるようになります。
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  テキストの抜粋は以上です。これを川での魚捕りの例で言いましょう。
網を持って川の真ん中に立っただけでは、一日中頑張っても大して魚は捕れないでしょう。
盲師派推命占術では、捕り方すら教えてくれます。
財運で言えば、ギャンブル的に儲かるのか、頭脳労働で儲かるのか、肉体労働で儲かるのか、大企業で儲かるのか、独立して商売で儲かるのか・・・全部出ています。
こういうことは六爻占術よりも長けています。
さらに、六爻占術では応期を出すのが大変でした。しかし盲師派推命占術では、これから来るべき年年月の干支と照らし合わせていけば、未来の財運は詳細に分かります。
まるで、スパイ衛星から地上をスキャンしているような感じです。
しかし・・です。盲師派推命占術では運命変更が出来ません。この差は大きいです。

  話を戻します。
エネルギーの効率論が議論されたということは、盲師派推命占術で捉えたエネルギーは、「個」のエネルギーではなく時空のエネルギーだと思います。言い換えれば、川の流れ全体です。そして「個」に流入する量と質まで判別されます。カメラに例えれば、広角レンズです。
確かにエネルギー効率の高い人はいいでしょう(笑)しかし自分の周りを素通りしていくエネルギーが見えるということだって、大変なことです。
誰にとっても周りを流れるエネルギーは一緒で、それに対していかに「制御」をかけるか・・が、その人の運になるのです。





「制御」から「逃げる」

いきなりですが、クリントンの命式の解説です。
『この命式は火と乾燥した土の勢いです。月の申が囲まれて制御されて逃げるところはありません。丑に入墓するほかありません。申が印を帯びて、全部主にある丑に取り入れられて、アメリカの大統領になったのです。辛丑運に丑が到来して大統領に就任しました。』
これによれば、彼は逃げられずに大統領になったようです(笑)
問題にしたいのは、「逃げる」というフレーズです。私は逃げています。たまにかかってくるテレビ局からの電話は、不思議研の電話交換手を通過することが出来ません。私が全て断れと言ってあるからです。
ファックスで来る場合は、用件だけを読んで破り捨てます。最近は、アンビリから「生まれ変わりの村」を撮りたいと言ってきました。もちろんそれに応えることはありません。私は逃げているからです。
仕事も同様です。2割しか仕事をしません。もちろんそれ以上やれば儲けは増えるでしょうが、そうすると、一日をりんごの部屋で過ごすことが出来ません。
「逃げる」という表現は適当ではありません。私の方から「制御」している・・というのが正しそうです(笑)。能動的に逃げているからです。
つまり時空から勝手に制御されるのではなく、私が制御しているのです(と言っても、そう思わされているだけかも知れませんが(笑))。
私はまだ命式を正確に読むまでには至っていません。命式の側には、私が「逃げている」あるいは「制御している」は、どう出ているのでしょうか・・川幅は狭くなっているのでしょうか・・。
もしも完璧に狭くなっていれば(制御されていれば)、私はお金儲けのために奔走する人生に入るしかありません。まるでクリントンが大統領から「逃げられなかった」ように・・。

テキストには「時空解明男」の例は載っていません(笑)。もしも時空解明男の例があるとすれば、次の条件を満たさねばなりません。
・適当に収入がある状況にあること ・適当に仕事ができる状況にあること つまり制御は「適当」にされなければなりません(笑)。タイトではまずいのです。 ところで自分の才能で生きる人(芸術家)などは、六爻占術で言うところの原神が制御されていなくてはなりません。絵描きや作家などの命式を調べると、原神がしっかりと制御されています。原神は「知的労働」とか「芸術的労働」とかに関連するからです。 しかし私の原神は制御されているどころか、全くフリーです(笑)。無制御です。昨日の定義で言えば「廃神」です。 私の原神は強いので、もしも制限がかかっていれば、大そうな芸術家になっていたような気がします。でも、制限がかかっていなくて良かったです。芸術などを「させられた」日には、たまったものではありません。 みなさんは財運を上げようとしていますよね?(笑)。仕事運も上げようとしていますよね?(笑)。 でも私は、それを主たる目的にはしていません。クリントンのようにはなりたくありません。 みなさんは、財運の良い人や仕事運の良い人を「ああ、いいなあ」と思うでしょうか・・。 でもそうなったとき、失うものの方が多いような気がします。 昨日はエネルギーの効率という話題が出ましたが、効率が高い人生が良いでしょうか・・。





盲師派推命占術情報

盲師派推命占術でも運命を改善することは可能だそうです。例えば金運が悪い年は前もってわかるので、株式投資などは控えれば良いのです。また金運が良い年は、投資の金額を多くすれば儲けも大きくなるのです。つまり運命を前もって知ることで、金持ちはもっと金持ちになれるのです。
以前「制御」という単語が出ましたが、制御されている命式の人は、自分でコントロールできる範囲が広がるそうです。何も制御されていない人は、運命をコントロールすることも出来ないのです。
ノーマルセックスしかいない人は、運命の成すがまま・・。
相手を制御したり相手から制御されたりする人は、運命からある程度脱出できるとも言えそうです(笑)。





盲師派推命占術・・盲目の占い師は日本に伝わることを知っていた(2005/09/01)

ダンさんは1999年に「貧民救済プログラム」に参加させられました。
それは大学を卒業した人を、貧民の村に一年間派遣させるという国のプログラムです。
その村に、盲目の占い師がいたのです。ダンさんはテキストに次のように書いています。
「お目にかかってから知ったのですが、彼は盲師派推命占術の正統的な伝人でした。そのときの自分の心から湧いてきたうれしさが言葉では表現しにくかったのです。私は古代のいろいろの四柱推命術の本を読みましたが、盲師派の運命の判断方法はそのときまで読んだことも聞いたこともなかったのです。彼の推断の的確率にびっくりするほど感服しました。」

盲目の占い師は、1999年に自分が死ぬことが分かっていました。
盲師派推命占術は目明きに教えてはならないルールがあったのですが、ダンさんの熱心な申し込みと、自分の短い余命を考えると、どうしても残しておきたくなり、ダンさんの弟子入りを許可したのです。
そのときトラさんは、初めて日本に行っていました。日本で中国古代展が開かれ、その担当者として初来日していました。
ダンさんは盲目の師匠に聞きました。「私の親友にトラさんという人がいるのですが、彼の弟子入りも許可してほしいのです。彼は今、日本にいますが・・。」
盲目の師匠はダンさんとトラさんの生年月日を聞きました。そして頭の中で命式を計算しながら呟きました。「これは日本に伝わる・・。」

  トラさんは、日本から帰るとすぐに貧民村に向かいました。
そしてダンさんとトラさんが盲目の師匠から盲師派推命占術を伝授されるのです。
ただし、ダンさんの方が通った月日が少し長いのと、それまで普通の四柱推命の占い師だったこともあり、ダンさんの方が少し詳しいのです。
盲目の師匠は、命式通りに1999年の末に没しました。
私がトラさんと本格的な再会をするのは2000年の3月です。
盲目の師匠には、私の出現も分かっていたのではないかと思います。
私と盲目の師匠は、会うことはありませんでしたが、何か繋がりを感じます。





盲師派推命占術・・盲目のネットワーク(2005/09/03)

誰かが盲目だったとしましょう。するとどこからともなく、別の盲目の人が訪れるそうです。
そして「占い師にならないか?目明きの占い師よりも当たるから、お客も集まるよ。師匠を紹介するよ」と言います。
つまり盲目の人は、誰かが盲目だという情報を嗅ぎ付けると、お互いに助け合うネットワークを持っているのです。
しかし事はそれで済みません。盲目の師匠に会いに行くと、まずはテストをされます。
つまり盲師派推命占術をやる上の基本的な知能指数があるかどうか・・のテストです。
でもそれをパスしても、もっと大きな難関があります。それは師匠がその人の誕生日を聞き、命式で判断するのです。もともと占い師になれない運命だと、それで終わりです。
それをパスして、初めて修行が始まります。
私は盲目の人が、万年歴を見ないで命式を書けるのが信じられませんでした。でも、見ないで出す方法まで習得するのだそうです。
だから彼らは、お客さんから誕生日と時間を言われたら、何もメモせずに判断することが可能なのです。
しかし私の推測ですが、医学の発達により、盲目の人は減りつつあるのではないでしょうか・・。
だとすれば、ダンさんという目明きに公開するのも、潮時だったような気がします。
また盲師派推命占術が日本に伝搬したとしても、日本人全員がやるわけではなく、縁のある人しか始めないでしょう。
結局これは、縁のネットワークだと言えそうです。





盲師派推命占術・・法律(決めごと)も自然の一部(2005/09/04)

盲師派推命占術では生まれた時間が問題になります。
六爻占術では振った月日との関係を見るので、時間までは見ませんでした。時間が関係するのは23時~1時の間に振ったときでした。日にちがずれる可能性があるからです。
日本は明石天文台の時間を使っています。明石と東京の間は20分の誤差があります。
だから私は、23時40分を過ぎると、コインを振らないようにしていました。
今回中国には、私の親戚関係の命式を自分で作って持ってきました。
そのとき困ったことが起こりました。14:58に生まれた人がいるのです。そのまま十二支に直せば、未の刻となります。しかしその人は東京の生まれなので、明石との時差を換算すれば申刻になります。
どちらを取るかをダンさんとトラさんに訊きました。すると未の刻だと言いました。
理由を聞けば、「標準時を決めたのは日本の法律です。盲師派推命占術では法律も自然の一部と考えます」ということでした。
つまり地球の自転を換算する必要はないのです。これはとても不思議な感じがします。
誕生日がハード的なものではなく、ソフト的なものに感じられるからです。





盲師派推命占術・・人生には選択の余地があった(2005/09/05)

私の親戚一同の中に、まだうら若き女性がいました。彼女は18歳です。その女性の命式をトラさんとダンさんに見せました。
まずトラさんが言いました。「この女性は来年恋愛をします。」
「おお、そうですか」・・と私。
ダンさんが言いました。「結婚できるチャンスは2回あるなぁ・・。」
「えっ、いつといつですか?」
「23歳と30歳の時ですね。」
ここでトラさんが挟みました。「23歳の時に結婚すると、喧嘩の多い夫婦になりますね。」
ダンさんが言いました。「そうですね、23歳のときの相手とは不和が多い・・。でもいずれ30歳のときに良い人に巡り会ってしまう。すると23歳の時の相手と結婚を続けながら30歳のときの男とも付き合うようになる。」
「23歳のときに結婚しなければ30歳で必ず結婚できますか?」・・と私。
「はい、六爻占術でいうところの官鬼が世爻と相合しているので、最終的には30歳で必ず結婚します。そして30歳で結婚した相手とは、理想的な結婚生活を送れます。」
ここまで聞いた時、盲師派推命占術は、やはり凄いと思いました。人生に選択の余地があったのです。
この女性はたぶん19歳で恋愛するのだと思います。そして23歳でプロポーズされます。もしも盲師派推命占術での判断を知らなければ、その時の男性が生涯に渡って縁のあるの男性だと思うかも知れません。

普通私達は、同じ時期に出会う異性は選択の対象になります。しかし盲師派推命占術によれば、未来に出会う異性も対象になるのです。まさに時間を超えた選択をするわけです。
盲師派推命占術で出る運命は、一つしかないと思っていました。シナリオは一本だと・・。
しかし運命の仮予約はなんと、二経路されている場合もあるのです。私達はそれを知らずに、不和な夫婦に突入してしまったりするわけです。そして理想の相手が後から現れて、不倫に陥ったりするのです(笑)。
それも楽しいかも知れませんが・・(笑)。





盲師派推命占術・・運命は改善する(2005/09/06)

盲師派推命占術で占ってもらう人は、単に決まった運命を知るだけでしょうか?
以前トラさんはこんなことを言いました。「決まっているだけで何も変えられなければ、誰も占いません。」
昨日は、結婚するチャンスが二度訪れる女性の例を出しました。こんな劇的なものではなくても、「未来を知ること」によって改善される例は沢山あるそうです。それを求めて占いに来るのです。
例えば財運です。財運が悪いと言われた時期には、株の投資などを控えれば良いのです。
誰しも未来は分からないので、その株が上がると思って買います。
しかしその人の運勢には損をすると出ています。だったら投資を控えれば良いのです。
逆に儲かると出ている時期には、勝負に出れば良いのです。
私の命式には2001年にはとても儲かると出ていました。それを事前に知っていれば、銀行から借金をしてまで投資した方が良かったのです。
でもそれを知らなかった私は、全財産を賭ける程度でしか勝負できませんでした。
実に残念なことをしました(笑)。





盲師派推命占術・・占った日(未来を知った日)が大切(2005/09/06)

運命を知った日は、それだけで未来を変えるそうです。だからトラさんは、相手が占いに来た日とその時間を、もう一つの「柱」に加える時があるそうです。
盲師派推命占術というネーミングには「四柱」という単語がありません。この理由の一つがそこにあります。
「四柱」は生まれた「年」と「月」と「日」と「時間」が四つの柱となっています。それを命式と言うわけですが、そこに占いに来た日をもう一つの柱として入れるので、八柱(年月日時間がもう一つ加わるので)になります。
23歳と30歳のときに結婚するチャンスがある女性は、情報を知った後は30歳の時を選ぶはずです。それだけでも運命は大きく変わります。だって女性にとっての結婚問題ですよ・・。相手が変わり、時期も変われば、一生が大きく変わるはずです。
しかし命式には両方書かれています。そこを補正して新しい人生を計算するのが、「占いに来た日」すなわち「真実の未来を知った日」を八柱として計算することなのです。
しかしこれは相当高度な判断でもあり、今のところトラさんの仮説の段階なので、ダンさんのテキストには載っていません。そのうち最後の巻の方で出てくるかも知れません。

   さてこれが意味するところは、まず「未来を知る」というのは新しいスタートラインに立ったと言えると思います。
誕生日に運命が決定されて、人間はずっとそれで一生を終わりました。
でも選択肢さえ存在することを知ったとき、その瞬間に未来も変わると言えるのです。
みなさんにとってその日はいつでしょうか・・。
六爻占術実践会の添削のように、ダンさんにそれぞれの人の命式を判断してもらうシステムを作りたいと思っています。みなさんにとっての新しいスタートラインは、その回答を見た瞬間だと思います。だから是非、記録しておいて下さい。
もしもインターネットの四柱推命のHPなどで、なにがしかの結果を見たとき、その時間も記録しておいた方が良いと思います。四柱推命は盲師派でなくても、ある程度当たるからです。
未来を知る日を命式に入れるというのは、六爻占術でコインを振る行為に似ています。
だからトラさんが仮説として浮かんだのだと思います。
そして検証してみると、それを入れると、とてもよく当たるというのです。





盲師派推命占術・・誕生日の情報は必要ない(2005/09/09)

前回は、占いに来た日を命式に加えることで判断の正確さが増すことを書きました。
今日は、誕生日の情報すら不要だという話しです(笑)。
盲師派推命占術の師匠は、占いに来た人の誕生日を聞かずに、占いに来た日を誕生日の代わりに命式を作り、ほとんど当てたそうです。
これによれば、占いに来た日(未来を知った日)というのは、新しい誕生日に当たるわけです。
ということは、「知る」というのは、「誕生」と同じくらいのインパクトがある出来事なのです。





盲師派推命占術・・株も占える(2005/09/10)

盲師派推命占術では株も占えます。ある銘柄の株の誕生日は、上場した日です。
ニッセンの命式を作ってトラさんに判断してもらったら、2002年に上がると出ていました。
以前、盲師派推命占術のテキストの値段を決めようとして、ダンさんとトラさんと私が集まったことがありました。
そのとき、「今日を合作の始まりの日(誕生日)にしよう」 ということになり、その日、その時間で占いました。その結果は、六爻占術で出した値段と同じでした。
誕生日は人間だけにあるのではないのです。





盲師派推命占術・・同じ誕生日で同じ時間の人(2005/09/13)/b>

盲師派推命占術は誕生日と誕生時間から判断します。
ということは、同じ誕生日で同じ時間の人は同じ運命を辿らなければなりません。
でも、同じ誕生日で同じ時間の人でも、全く同じ人生を歩むわけではありません。
トラさんはこの誤差を10%前後だと言いました。
つまり盲師派推命占術であっても、当たる確率は90%なのです。10%はブレてくるのです。
ではもっと正確に占う方法はないでしょうか・・。
ここでトラさんは言いました。「生まれた時間を判断するとき、二時間が最小単位です。ですが二時間を十二等分して、もっと細かく出す方法があります。でも私は占いに来た日と時間でも、同じくらい正確になると思います。」
こうして「人それぞれ」の人生に分かれるのです。





盲師派推命占術・・例えば恋愛運を変えても、金運には影響は無い(2005/09/14)

人の運はいくつかの要素に分けることが出来ます。例えば恋愛運、健康運、官職運、金運・・
一つの要素を変えると他の要素に影響が及ぶと考えがちですが、トラさんとダンさんによれば、他の要素にはほとんど影響が無いそうです。
親戚の命式の中に、未来に離婚すると出ている女性がいました。離婚の直後から金運が上がるとも出ていました。命式を良く見れば彼女には新しい男性が出るのです。
私はトラさんに訊きました。「離婚を回避すると金運も変化しますよねぇ。」
トラさんは答えました。「他の要素にはほとんど影響はないですよ。」
逆に言えば、運命を変更してラッキーな金運に持って行っても、しっぺ返しは無いのです。しっぺ返し的な事が起こるとすれば、それは元々からあった運命なのです。
みなさん、どんどん運命を変えても、平気ですよ(笑)。
変え方を間違えたときだけ屋根が降ってくるだけのことです(笑)
六爻占術において用神がそれぞれ独立しているのも、そのためかも知れません。





盲師派推命占術・・誕生時間をずらす(2005/09/18)

ある日、ダンさんのところに自分の子供の運を占って欲しいという父親が来ました。
ダンさんは占いました。そして時が経ちました・・。
でも父親は、「その後の人生があまり当たっていない」と言ってきたのです。
ダンさんは子供の誕生の時のことを聞きました。するとその父親はこんなことを言ったのです
。 「息子は出産の時、泣かなかったのです。何かに異常があったのです。それで集中治療室に入れられて、治療が行われたのです。数日経ち、そこから出すと、初めて泣きました。」
ダンさんは泣いた時間で命式を作り直しました。すると全て当たったのです。
これにより、ダンさんは次の仮説を作りました。「泣いた時が誕生刻なんだ」・・と。
そして次の仮説も作りました。「水中出産はしばらく水から出さなくても赤ちゃんに影響は無いはずだ。それで誕生刻を延ばすことが出来る。」
ある日、それを実行する人(父親)が現れました。そしてダンさんの携帯に電話してきました。「今生まれたんだ。まだ水中にいる。もうすぐ刻の切り替わりだ。どっちの刻がいいか計算してくれ!!」
ダンさんは即座に命式を出し、計算しました。そして遅らせた方が財運が良いことを知らせました。
水中から出した時、赤ちゃんは泣きました。そしてその刻を誕生時間とする運命の人生に入ったのです。





職業が出てこない

事の始まりは、娘の将来の職業でした。これだけ精度の高い占いに接しているのだから、娘の職業くらい簡単に出ると思っていました。
しかし出るのはヒントのようなものだけです。従来の四柱推命では「××に関係があること」だと言いました。面相占術師も「○○に関係あることだ」と出ました。
つまり「漫画家になります」(笑)などと、ドンピシャとは出てきません。しかしその中でも盲師派推命占術が最も詳しく出てきました。
これは私にとって意外でした。宇宙の始まりから運命が決まっているのなら、娘がこれから就く職業くらい分かりそうなものだからです。
でもこの点を理解することで、私たちが今接している占いの制度の高さを知ることが出来るからです。
例えば日本の占い師に占ってもらうと、「あなたの娘さんは、学校の先生が向いていますよ」などと言いそうです。しかし数ある職業の中で、なぜ学校の先生なのでしょうか・・。何故そんな情報が出るのでしょうか・・。
私が不思議研究所を始める前は、不思議研究所所長などという職業はなかったはずです。 そのとき占い師に行けば、従来の職業枠から何かの職業を言われたはずです。
射覆とて同様です。いきなり「時計が入っています」とはいきませんでした。中の物体の性質が述べられただけでした。つまり「××に関係したこと」の羅列です。
さて、六爻占術は18ビットでした。盲師派推命占術とて誕生日のビット数です。18ビットよりは多いでしょうが、たかが知れています。
しかし少ないビット数で確実に勝負できる世界があります。それは「上がる下がる」の世界です。
金運が上がるか下がるかは、中間を入れても4ビットもあれば充分でしょう。結婚できるかできないかは、1ビットで充分です。子供が出来るか出来ないかも、1ビットで充分です。事故が起こるか起こらないかも、1ビットで充分です。有名になるとかならないとかも、4ビッもあれば充分です。
世の中にどれだけの商業があるか、知りません。不思議研究所のような希有なものまで入れたら、とても4ビットでは済まないでしょう。
娘の将来の職業が出てこなかった理由は、ここにあるのです。

 
 
 

 

 

要旨:
六爻占術で運命変更をかける際、それを仕掛けたのは誰かという問題があります。
それは「私」ではなく「時空」が仕掛けたのかも知れません。神の手が動いて、自分で自分を冲したのです。
そうだとすると、「私」が変更したくても時空(神)にその気がなければ出来ないことになります。しかし時空(神)の側も、「私」の手を使わなければ何も出来ないのです。
運命変更が出来るかどうかに、魂の格や人間のレベルは関係ありません。
それどころか、「私」は何も為し得ないという「レベル0」の認識なしには、運命変更は出来ないと思います。

五行の関係性について、ある一つの図が思い浮かびました。それは、五人で行う5Pプレイの図です。片方では誰かに挿入し(生じ)ながら、もう片方では別の誰かに乳首を剋されているのです。
これは、かなり感じるのではないかと思います。間接的な関係性は快感を減らすどころか、かえって増幅しそうです。
神もイキたい、快を感じたいのではないでしょうか・・。
ネットワークといえば無味乾燥ですが、この図が浮かんでからイメージが変わりました。

4年前、近所で集団強盗による殺害事件が起こり、犯人4人組についてコインを振ったことがありました。そのとき、4人のグループにまとまって金の五行が割り振られました。
これはとても不思議です。事件後はバラバラに行動したかも知れないのに、何故4人ひっくるめて一つの五行が付くのでしょうか。
ここから考えたのは、私の意識が4人をグループとしてくくることで、強盗4人組に同じ「金」の五行が付いたのではないかということです。それは私との関係においての「金」です。
そして一度割り振られた五行は、この事件に関して付けられたアドレスとして、ずっと残るのです。

ここまで考えて、重大な問いが出てきました。
人間がいなくなっても、五行はあるのでしょうか?
犯人グループなどを定義するのは人間の意識です。さらに、竜などの実在しないものにまで五行が割り振られて占うことが出来ます。
ここで言えるのは、たとえ実在していないものでも、五行は割り振り可能だということです。
もしかしたら、五行は実在していない・・つまりエネルギーでも情報でもないという可能性もありそうです。
例えば電圧などは、アースという基準を元に測定されます。
しかし五行にはアースに相当する基準点がありません。浮遊しているのです。
月日の五行は普遍に見えますが、それすら仮の定義ではないかと思います。十二支も仮の定義です。仮であれ何かを定義したときに、浮遊していた五行が付随するのだと思います。

物理法則と五行の関係性について考えてみます。
物理の世界には、五行が介在していないように見えます。物理現象は関係性が直接的で、道筋が決まっているからです。
物理現象は、同じ五行内で起こっているのではないかと思います。つまり、運動方程式が一つの五行でくくられているのです。
六爻占術の卦には、原神・忌神・仇神が出てきます。運命における敵と味方の情報を出しているのです。これは物理方程式で出すことはほとんど不可能です。
さらに六爻占術は、物理法則をも包含していながら、コインを振る人の問い方によってそのくくり方が違うのです。つまり、占う人の利益に関係のあるものだけをくくって情報を出しているということです。これが、同じものでも五行が固定しない理由だと思いました。
改めて、六爻占術は凄いと感じさせられました。

        
    目次        
        

○ 運命変更はどう?
○ 神は自分でイケない(笑)
○ 神はネットワーク
○ ネットワークは、より感じる
○ 五行は最小単位のネットワーク
○ やはり「私」と繋がっている
○ 4人まとめて「金」は何故?
○ 人間がいなくなると、五行は無くなるか?
○ まいったな
○ エネルギーでもなく情報でもないかも
○ 五行は情報ではないかも知れない(その説明)
○ アースが取れない五行、浮遊している五行
○ 宇宙も時空もアース無し
○ 運命変更イントロダクション(最初からお手上げ)
○ 十二支は「情報」か?
○ 十二支は情報、その理由
○ 仮であれ、「定義」がキー
○ 定義事項を格納するメモリはどこにあるのか?
○ 金運(お手上げ)
○ 金運とロケットの軌道計算だって、同じなのではないでしょうか?
○ ちょっと待って、天気も「人それぞれ」かも
○ 五行が存在していない世界、それは物理の世界
○ ロケットはずっと同じ五行
○ 敵と味方
○ 物理法則は、五行に呑み込まれている
○ 関係あるものしか、くくらない
○ 「個」の「利益」の側面から見ただけ
○ くくるのは問いを発した瞬間



運命変更はどう?

 いよいよ「五行を斬る」も最終ラウンドに入りました。運命変更とはいったい何なのか・・。
 六爻占術を始めた頃、こういうことを言う人がいました。「変更することも決まっていた」・・と。
 でもそれは盲師派推命占術によって、かなり崩されました。予定されていない子供が誕生することは、相当な「運命変更」です。金運がちょっと上がった程度ではありません。
 しかし不思議なのは、「それまで」は、運命通りに進んでいたことです。
 DVDの第二部でも話題にしています。
「運命変更」は、問いを持った時点か、コインを振った時点か、判断した時点か、置物を置いた時点か・・・。
 どこかのポイントで「変更」があったのか、それとも全ての点(線)か・・。
 そうだとすれば、時空にはやはり「自由の窓」が開いていたのでしょうか・・。
 運命変更の最大のポイントですが、「励起パルス」なんて仮説にだけ(笑)頼らずに、ちょっと考えてみましょう。





神は自分でイケない(笑)

 親戚の娘さんの妊娠の件ですが、今の私の考えでは、携帯ストラップを付けるまでは全て運命通りだったのではないかと思います。
 そして携帯ストラップの羊が丑を冲して、原神の退神を食い止めた・・。その時点以降に運命が大きく変更した・・。
 では、運命変更を仕掛けたのは誰か・・。それは、携帯ストラップを付けさせることによって、時空が自分で自分を冲したのではないかと思います。
「私」が変更したのではなく、時空が変更したのです。言い換えれば、神の手が動いた・・と。
 この点からすれば、「私」は運命変更のためのパーツなのですが、神と一体化していれば、パーツとも言い切れなくなるわけです。
 この仮説だと、「私」というのは常に受け身です。なので時空(神)の側にソノ気が無いときは、運命変更は出来ないことになります。
 2001年に私が六爻占術を始めることは、盲師派推命占術に出ています。つまり時空の側が、私に六爻占術をあてがったのです。
 トラさんの命式を見ても、トラさんが六爻占術を発見したのではなく、発見させられたという表現が正しそうです。
 こうして考えると、「私」の側には自由はありません。しかし「私」が全体(時空あるいは神)と繋がっていれば、自由が無いとも言い切れません。
 非常に喩えは悪いですが、時空(神)は自分でオナニーすら出来ないのです。誰かの手でシテもらわないと(笑)。それが今回それが、私の手だったのではないか・・と(笑)。
 ではそれでイケたかいえば・・。
 ちゃんと運命変更できたということは、時空(神)も、イケたのではないか・・と(笑)。
 もしもこういうケースが増えてくると、時空(神)は何度もイケるようになり(笑)、宇宙に快がもっと増えるのではないでしょうか・・。
 路上にダッチワイフを放置させたのも、もちろん神です(意味不明)。





神はネットワーク

 昨日は次のフレーズを書きました。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
「私」が変更したのではなく、時空が変更したのです。言い換えれば、神の手が動いた・・と。
 この点からすれば、「私」は運命変更のためのパーツなのですが、神と一体化していれば、パーツとも言い切れなくなるわけです。
 この仮説だと、「私」というのは常に受け身です。なので時空(神)の側にソノ気が無いときは、運命変更はできないことになります。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
 神がソノ気になるときは、どういう時でしょうか・・。
 精神世界に住む人なら、上の文章を読んだとき「魂の格のレベルを上げて、神に見初められたとき、初めて運命変更が出来るんだわ。だってレベルの低い人に世の中を変えられちゃあ、たまらないから。」
 しかし・・ 神は、独立した単体として存在しているのではないと思います。
 DVDの中でも言っていますが、神はネットワークそのものだと思います。
 ということは、私に運命変更をさせたのは、「私」以外の全てであると言えます。
「私」が運命を変えたいと思えば、運命通りにしかならず、「私」は何も為し得ないと思ったとき、初めて運命が変更し始める・・。
 勝ちに行けば勝つことは出来ず、負けに行ったとき、初めて勝つことが出来る。
 魂の格のレベルなど上げたら、ソッチ系のカミサマから見初められるかも知れませんが、ネットワークからは切り離されます。
 しかしそういう人は「神と繋がったのだから何でも出来る」とか言って、「エイッ」と相手にエネルギーを入れて、運命を変えようとします。
 魂の格で言えば、レベル0の認識がないと運命変更は出来ないと思います。
「私」は何も為しえないと思わなければ、運命変更は出来ないと思います。
 勝手にしやがれの状態にならないと、運命変更は出来ないと思います。
 では「勝手にしやがれ教」を設立して、布教に勤めようかしら・・世の中を良くするために・・あれ?(笑)





ネットワークは、より感じる

副題:神は感じたがっている・・神はイキたがっている・・。
 すみません。どうしても書いておきたい図があります。しかしエッチな図なので、文章で表現します。
 私の手でイクという神を想像したとき、ある関係図が浮かんだのです。
 それは二人で行う「69(シックスティー・ナイン)」、三人で行う「3P」を超えています。だって五人で行うからです(笑)。
 五人は輪になります。そして裸で寝ます。その体を見ると、全員に「ペニス」と、「○ま○○」があります(笑)。アナルを「○ま○○」にした、ニューハーフです(笑)。
 それぞれ一方方向に対しては、挿入できるような構造になっています(笑)。例えば右回りだったとします。みんな繋がって輪になりました(笑)。
 動いて発動している人もいます(笑)。
 でも私は、自分とは繋がっていない人から乳首を剋されます(笑)。
 自分はと言えば、自分と繋がっていなくて、しかも自分の乳首を剋してこない人の乳首を剋します(笑)。
 これってかなり感じるのではないでしょうか・・。
 なぜなら、自分に挿入してくる人、自分が挿入する人に愛撫を加えれば、挿入行為に影響が出そうだからです。相手を感じさせてしまうと、自分に対しての行為に集中してもらえません(笑)。
 しかし自分とは全く繋がりのない人の乳首をつまみ「きゃあ、私今、感じまくっているのよぉ」とか言いながら愛撫された日には、乳首をされた側も七転八倒しそうです(笑)。
 ネットワークは間接的なので快感を減らすと考えがちですが、そうでもなさそうです。
 でもこの図を講演会で出すのは、かなり大変そうです。特殊なダッチワイフも必要かも知れません(笑)。





五行は最小単位のネットワーク

 ネットワークと聞いて、ピンと来ていませんでした。まるで去年履修した村井教授の講義を聞いているようで、無味乾燥でした。
 しかし昨日の「5Pプレイ」で開眼しました。レイフラッシャーの効果が、ここでも出てきました(光を浴びているとき、気付きました)。
 時空(神)もイキたい・・。時空(神)も「キタキタ状態」になりたい・・。
 なんだか神がキタキタオヤジと重なってきました(魔法陣ぐるぐる)。
 ネットワークとは何かと言えば・・
 五行は最小単位のネットワークではないでしょうか・・。
 サイン会のノベルティCDの中では「運を上げるためにはノードになれ!」と言っていますが、五行は最小単位のネットワークだとれば、ノードでない人はいないのです。
 さて、書いたフレーズを逆転してみます。
 ネットワークの最小単位は五行。
 しかし大きくなっても五行以上のものが出てくるわけではありません。なのでそれ表現すれば・・
 ネットワークの最大単位は五行。
 おおおおお・・・とうとうキました(先にイッてごめんね・・)。





やはり「私」と繋がっている











   以上は連休中に撮った五枚のフェルルです。
 フェルルがネットワークに組み入れられる場合も、5Pのはずです。
 私の財運のときに関与するとすれば、例えば原神として火の五行だったりもします。そのとき私は土の五行になるわけです。
 フェルルが番犬の役割なら、例えば泥棒の忌神としてなら、水の五行だったりもします。このとき官鬼が泥棒で火の五行になります。
 フェルルが恋愛の対象の役割なら、たとえば妻財として木の五行だったりもします。このときフェルルを思っている三軒隣の雄犬は水の五行となります。
 こういう関係が同時に成り立っているのが、私達の世界です。
 同時に成り立っているのなら、上の例で言えば火と水と木が同時にフェルルに入っています(笑)。フェルルに五行測定器を持って行っても、計れるわけはありません。

 4年前、6件隣に強盗が入り、旦那さんが殺されてしまいました。私の家まで刑事が来ました。
「森田健、お前が殺っただろう?」なんて言いません(笑)。
 すごく気の弱そうな刑事が二人玄関口に立ち、「今度はお前が訊けよ」なんて相手の刑事とコソコソやってます。
 その直後に振ったら、強盗は逮捕されずに逃げてしまうと出ました。4人組の彼らが捕まったニュースはまだ聞きません(あれから4年間)。
 そのとき、犯人の五行は金でした。4人がまとまって金の五行なのです(笑)。
 集団強盗という、まとまったグループに「金」が割り振られたのです。集団強盗として結成されたとき、時空が「金」を割り振ったのかも知れません(笑)。時空の五行アドレス割り振りには、善悪がありませんから・・。

 金(かね)をたんまりせしめたので、集団強盗の彼らは解散したかもしれません。
 しかしバラバラになったとしても、バラバラになった彼らを総称して「金(きん)」が割り振られているはずです。
 どことの関係においての「金」でしょうか?それは私との関係においての「金」だと思います(ジャーン、すごい仮説が出ました)。
 今までの事例では全て私がコインを振り、世爻は私だからです。つまりコインを振った人との関係という意味です。
 集団強盗には会ったこともありません。なのに私との関係は生じるのです。
 私は地球上の何でも対象にコインを振ることができます。
 ということは、あらゆるものと私が繋がっていることだと思います。
 今さらですが、ちょっとした発見です。この仮説が正しければ・・。





4人まとめて「金」は何故?



以下は、そのときの卦と、トラさんの判断です。



<トラさんの判断>
官鬼を用神とします。子孫は警察になります。
官鬼が強くて月日から生を受け、捕まえにくいです。
発動して退神となり、捜査の範囲から逃げました。
でも退神となり世爻と相合して、この辺に強盗は再び出現するかも知れません。
子孫は警察で隠れて暗中で犯人の跡を探していますが、弱いので犯人を捕まえられません。
内卦が伏吟でそのため、悩んでいます。日に入墓して、対策はありません。
変卦は遊魂卦で犯人はあちこちで流動しています。

 今日は、犯人を4人まとめて「金」だというのを引きずります。
 4人がまとまって行動したのは、その夜だけかも知れません。その後、一人は女と暮らし、一人は外国に高飛びし、一人は堅気に戻り、最後の一人は何かの事故で死んだかも知れません。
 しかしここで大事な情報を出します。
 トラさん曰く・・「運命変更は、最初の卦を使う」のです。
 長丁場の運命変更の場合、途中でコインを振ったする場面があると思いますが、それでも最初の卦が大事なのです。
 ということをこの殺人事件に当てはめてみれば、グループが解散しても、この事件から逃れることは出来ません(笑)。
 そして彼らはずっと「金」として割り振られた汚名(笑)を背負い続けないといけません。まるでカルマのようです(笑)。
 なぜなら、この事件に特別にアドレスが付けられた結果としての「金」だからです。
 そしてトラさんの判断によれば、世爻は「この辺」と判断されてします。世爻と相合なので、アブナイ刑事なら「森田健!お前がグルだというのは卦からわかっているんだぞ!!」と言うでしょう。
 しかし刑事は、気が弱かったのです。そんなことも言えず、道端に看板を出して、帰ってしまいました。
「あの刑事さん達じゃあ捕まえられないよね」という近所の専らの噂でした(笑)。
 やはり、アブナイ刑事に担当して欲しかったです(笑)。コイン片手に登場すれば、「もっとアブナイ刑事」です(笑)。
 さて・・4人まとめて「金」・・・
 ここから考えられることは、五行すら、抽象的ではないかということです。





人間がいなくなると、五行は無くなるか?

 とても引っかかっています。なぜ4人まとめて「金」の五行が付くのでしょうか?
 例えば強盗に失敗した場合でも、なにがしかの五行が付くはずです。
 一人が現場には行かず、どこかで指示のみをしていた場合にも同じ五行が付くはずです。
 物理的に捉えた場合、彼らはちっとも「特殊」ではないはずです。
 グループで狩猟をするのと、物理的には変わりはないはずです。その場合だって五行は付くはずです。
「この狩猟グループは、今日収穫があるだろうか?」と問えば良いからです。コインを振れば、グループに五行が付きます。
 こうして考えてみると、人間がいなくなっても、五行はあるのでしょうか?
 つまり何が言いたいかと言えば、人間の意識が「くくる」ことが五行成立の条件かも知れないと思ったのです。「くくる」は「定義する」とも言い換えられます。
 なぜそう考えたかと言えば、もう一度言いますが、あるグループを物理的に別物として検出することは出来ないのではないかと思ったのです。
 人間の意識が勝手に「狩猟グループ」だの「強盗グループ」だの「自民党のグループ」だのを定義しただけだと思うからです。
 ますます分からなくなりました。それと同時に、新しい扉も開きそうです。
 人間がいなくなると、五行は無くなるか・・・私としては、この問いまでよく辿り着いたと思います。たとえ間違った問いだとしても・・。





まいったな

 みなさんのレスの中に、「実在しないはずの竜が占え、五行が割り振られる」という話がありました。確かにその通りです。
 憲法が改正されるかも、占うことも出来ます。憲法とて、物理の世界で定義出来ません。
 観念の世界にも五行が割り振られるというのは、一体どういうことでしょうか・・・。
 頭の中に五行測定器を入れるようなものです。
 竜に五行が割り振られるということは、五行にエネルギーであるわけではありません。
 これから一体どうすれば良いのか、見当も付きません。しかし先には進みません。
 何のアイディアも浮かばないので、今日はこれまでです。





エネルギーでもなく情報でもないかも

 実在しない龍に五行が付き、強盗のグループにも五行が付き、私の財運にも五行が付きます。
 人間が消滅しても実際の関係性は残るとかレスしている人がいますが、そういう問題じゃないと思います。
 ニュートンの重力とはわけが違います。重力は龍には影響を及ぼせませんから・・。
 ここまでで分かった(らしき)ことは、実在していようがいまいが、五行は割り振り可能だということです。
 考えてみれば、未来を占うとき、未来はまだ実在していません。それは龍と同じ状態かも知れません。龍だって未来に出現するかも知れないからです。
(ところで今日のノバで、恐竜の話が出ました。中国語でも恐竜と言うのです。字には竜が入っています。恐い竜なのです(笑)。)
 さてコインを振るとき、意識を持って振ります。つまりこの時点で、実在しているブツも実在していないブツも、平等になるような気がします。
 どちらに「平等化」されるとすれば、実在していない方に平等化されると思います。
 もしもそうだとすれば、五行というのは、実在していないのだと思います。関係性としてはあるけれども・・・。
 つまり、エネルギーでもなく情報でもない・・という仮説もあり得ると思います。





五行は情報ではないかも知れない(その説明)

 昨日は、以下の書き込みで終わりました。 
>つまり、エネルギーでもなく、情報でもない・・という仮説もあり得ると思います。
 エネルギーではないとしても、情報でもないというのには引っかかった人が多いと思います。
 例えば私の車は赤です。赤い色というのは、言葉として定義された情報です。
「私の車は赤です」と書けば、ほとんどの人はピンときます。
 今度は私の車について、中古として高く売れるかについてコインを振ったとします。車は「父母」なのですが、父母にはたとえば「火」の五行が付きました。
 次に、この車で事故が無いかを振ったとします。父母には「水」が来たとします。
「火」や「水」は情報でしょうか?私は疑い始めたのです。 
 もしも「火」を「情報」とするならば、それは「確定」してしまうような気がするのです。だって、「火」なのに何故「水」になれるのでしょうか?
 確かに「火」は「火」で、「水」は「水」です。これらは文字であり、情報だと言ってしまえば、それまでです。
 しかし「火」や「水」は単独では意味を成さないと思います。明日振れば、おそらく別の五行になるはずだからです。
 月日の五行や他の爻の五行が確定して、初めて意味を成すものだと思います。
 なので、今まで扱ってきたような「情報」とは、全く異質だと思います。なので私は「情報ではないかも知れない」と言ったのです。
 しつこいですが、「情報」とは、それだけで意味を成さないといけないと思うのです。でも「火」は、それだけでは意味を成さないというのが、私の仮説です。だから情報では無いかも知れないのです。
 多少はこじつけかも知れませんが、次への扉を開くかも知れません。





アースが取れない五行、浮遊している五行

 電圧はアース(地球)との電位差で表現されます。
 学生時代に電気測定の実習がありましたが、アースを取らなかったがために、めちゃくちゃな結果となり、やり直しをさせられたことがありました。
 アースを忘れると浮遊したのと同じになり、電圧はでたらめになるのです。
 物理の世界の多くは、アースに似たような「基準」を持っていると思います。その基準があるからこそ、客観性が生まれるのだと思います。
 しかし五行は違うと思います。アースが取れないのです。ということは、浮遊しているのです。
 五行が独立した情報として確定できないのは、まさにそこに理由があると思います。
 言い方を変えれば「私は誰でもない」「私は何にでもなれる」のが、五行なのです。
 アースが取れないということで、私はホッとしています。それは善悪がないということでもあります。基準点を持たないのですから・・。
 神がいるとすれば、すんごいものを作ったものです。そこに価値観が入り込む余地はないのです。五行に惚れてしまいそうです(笑)。
 でも浮遊しているから、一発やろうとしても、すり抜けられそうです(笑)。





宇宙も時空もアース無し

 卦の中の五行は変化しても、月日の五行だけは「普遍」であるかのような錯覚に陥ります。しかし、そうでしょうか?
 卦が地上だとすれば、月日は宇宙に属すると思います。歴史の始まりから終わりまで一本の線を張ったのが、月日だと思います。そこに短冊の様にぶら下げたのが、卦だと思います。
 卦はヒラヒラとしていますが、線はしっかりと張られています。だから「普遍」の印象を受けます。 
 でも、月日の定義すら「仮」ではないでしょうか?でなければ五行は、「単独で意味を持つ情報」となるはずだからです。
 しかし五行は単なる関係を表すものだと思います。
 なので、ある惑星に降り立ったとき、「フェルルを飼っているので、きょうは戌の日にしよう」と決めれば良いのです。それを万年暦と称して、売り出します。
 万年暦が惑星全体に行き渡れば、そこの知的生命体がコインを振るとき、既にその月日を元にコインが落ちると思います。
 だとすれば、時空にもアースが無いのです。だから時空にとっての善悪は無いのです。
 以上、仮説です。仮説にも、アースはありません(笑)。





運命変更イントロダクション(最初からお手上げ)

 今日から「運命変更」の切り口から五行を見ます。
 今までの仮説では、五行はエネルギーでもなく、独立した情報でもなく、関係性だけだということが出ていました。
 そうすると、置物を置くのは一体どういう効果なのでしょうか?
 五行の考察に入る前は、例えば巳の置物を置くとすれば、火のエネルギーが出ると思っていました。これはエネルギーに基づいた考え方であり、とても分かりやすかったです。
 しかし置物の大きさには関係しないということで、おかしいなと感じた人は多いはずです。
 では一体、どうやって変更しているのでしょうか・・。
 今の私には仮説すらも浮かびません。まあ、ゆっくりいきましょう。





十二支は「情報」か?

 運命変更を考えるとき、やはり十二支を考える必要があると思いました。五行による変更よりも、十二支を使った変更の方が効くからです。
 十二支は回転から生まれたものだと思います。そして十二支は「情報」だと思います。
 なぜなら、「子」というものは単独でも意味を成すものだと思うからです。「子」を他の十二支で置き換えることは出来ないからです。
 五行は他の五行と入れ替えが可能でした。でも十二支はそうはいかない・・。
 この仮説は正しいでしょうか?





十二支は情報、その理由

 十二支を「情報」だと考える根拠は、アースできてしまうということです。つまり「子」を始まりとして定義していることです。「始まり」は基準であり、アースだからです。
 でも五行には、始まりがありません。火や木が始まりなどとは、どこにも書いてありません。
 しかし十二支は、例えば0時を子と定義し、北を子と定義しています。五行はそれに付随して付いてきたのです、おそらく・・。
 水が冬の五行として扱われるのは、亥や子が冬として定義されたからだと思います。
 なので、十二支によって五行は三次元に「着地」したのではないでしょうか・・。
 そうでなければ、この世界に降りようがなかったのです。
 だから十二支は三次元の世界で、「味方としての抱き込み」や「敵としての攻撃」の対象になれるのではないでしょうか・・。
 短い書き込みですが、運命変更を考える際の叩き台になると思います。





仮であれ、「定義」がキー

 あらゆる物は仮の存在だと思います。しかし問題は、基準として定義されるかどうかです。そして世の中の定義は全て仮だと思います。アースすら仮だと思います。
 しかし仮でなければそれは「絶対」ということになり、「絶対真理」なるものが存在することになります。なので仮かどうかは、ここでは問題ではないと思います。仮であれ「定義」されることが重要だと思います。定義された瞬間に、五行が引っ付くのだと思います。
 十二支は、時間で言えば零時を子として定義され、空間で言えば北を子として定義されました。定義されたので、五行が引っ付いたのです。たぶん・・。
 十二支とて、想像の産物だと思います。しかし人間が想像することで、定義したのだと思います。
 龍も頭の中で定義されました。だから五行が引っ付くのです。
 ということは、頭の中で定義することは、全て五行が引っ付くわけです。
 なぜかと言えば、頭の中で定義することは、仮アースに相当する行為だからだと思います。定義された瞬間、仮にですが、浮遊できなくなるのです。
 定義が仮であろうがなかろうが、知ったことでは無いのです。要は人間が定義すること・・
 実はこの行為が、コインを振ることではないでしょうか?





定義事項を格納するメモリはどこにあるのか?

「定義」が決め手なら、やはり月日の五行も、始まりを勝手に決めることが出来るのだと思います。
 噂では、歴を皇帝が勝手に変えたという話も聞きます。そうなると月日は、法律のようなものです。
 しかし、卦にとって月日の五行は大事です。それが基準となり、財運などが判断されるからです。
 でも一つ、疑問が生じます。
 トラさんの所に来たお客さんは、歴をも知らない人がいるはずです。その人の頭の中には、歴はありません。
 しかしお客さんがコインを振れば、ちゃんと財運が出ます。
 これはお客さんの手に持たれたコインも、歴を知っているということになります。
 日本で六爻占術を学んでいる人も同様です。コインを振ってから、初めて月日の五行を知るケースも多いです。
 となると、歴はどこかに保存されていて、コインを振るときアクセスしているのではないでしょうか・・。
 でも、もっと大きな疑問が生じます。
 物理の法則も、どこかに書いてあるとします。でもあれは、CDに焼いちゃったみたいで(笑)、変更不可能です。
 ところが歴は、人間が定義したものです。しかも皇帝が勝手に書き換えたとすれば、それは書き換え可能なメモリです。それは、どこにあるのでしょうか・・・。
 つまり、意識で定義するのは、どこの領域にあるの・・という問題です。





金運(お手上げ)

 定義すれば何でも五行が付く・・龍を思えば、龍に五行が付く・・
 金運を思えば、金運にも五行が付く・・龍と金運が同等に扱われる・・。
 龍に五行が付くのは良いとしても、金運に五行が付くのは何故でしょう?
 金運というのは非常に抽象的です。原始時代にはそんな概念は無かったと思います。マンモスを捕っている生活は、取引(笑)が直接的すぎます。
 物々交換から金銭を仲介した近代に入り、やっと出てくる概念です。
 でも「概念」が出てきたことで、それが「定義」なのだと思います。
 世田谷殺人事件の犯人たちを定義したのと同じです。
 金運が定義できて五行が付くのなら、もう何でもイケそうです。
 それは六爻占術において、六親の説明を見れば分かります。何でも占えます。
 最近は、娘が大学で出席を取るかどうかを占い、それも当たりました(笑)。
 でもやはり、不思議でなりません。なぜ金運が占えるのでしょうか・・・分かりません。





金運とロケットの軌道計算だって、同じなのではないでしょうか?

 物理の法則は、五行に支配されていないように感じます。
 五行は、金運のように人間が定義できて、しかもフワフワしたような概念が得意分野のように感じます。
 NASAが観測ロケットを火星に向けて飛ばせるとき、火星にいつ着くかをコインを振って占うことはしないでしょう。客観的に存在する運動方程式を使い、正確に割り出すはずです。
 だとすれば、五行は金運のように、「人それぞれ」の世界を分担しているのでしょうか?
 そうと思えないのがあります。天気占いです。
 明日雨が降るかを占うことが出来ますが、これは「人それぞれ」の世界ではありません。
 どちらかと言えば、NASAの観測衛星に近いものがあります。
 明日雨になるかとロケットの軌道計算と、何が違うでしょうか?何も違わないと思います。
 ということは、物理法則と五行は全く矛盾無く動いているのではないでしょうか・・。
 金運とロケットの軌道計算だって、同じなのではないでしょうか?





ちょっと待って、天気も「人それぞれ」かも

 前回の中国紀行のとき、北京から大連に飛行機で行こうとしました。
 前日大連は大雪で、飛行場は閉鎖されていました。
 トラさんは、列車で行くということもあり得ると言いました。
 となれば、その日の晩にチケットを手配しないといけません。
 ここで六爻占術の出番です。私とトラさんは別々に振りました。
 以下は私の卦です。



<判断>
 応爻(大連)に妻財(晴れ)が回頭生で発動して、晴れのサインです。
 バカみたいに晴れる情報です(笑)。

 でも、実際は以下でした。









 実はトラさんの卦は、実際に近かったのです。それだけでなく、交通機関(飛行機)の状況まで出ていました。でも私にとっては、それが「晴れ」なのです。
 何が言いたいかと言えば、天気すらも「人それぞれ」の情報を取っているのではないかと思うのです。いかがでしょうか?





五行が存在していない世界、それは物理の世界

 天気予報は、温度や湿度や気圧を測り、それを元に出します。つまり原因が存在します。
「低気圧が近づいているので、夜は雨になるでしょう」・・という風に、天気予報では原因を喋ります。ここでの原因と結果は、直接的な関係です。
 子供が出来ないのは夫婦お互いの身体に原因があるからというのは、医学的見方です。
 旦那の身体を調べた結果ダメだったので、子供は出来ない判断されました。それは、原因と結果が直接的です。
 しかし五行は違います。原因は夫婦が「羊のストラップを持っていないから」・・でした(笑)。これは間接的です。
 間接的に物事を判断する力が人間には乏しいです。運命は、この間接性で運行しているようです。
 間接的に運行しているから、天気の占いすら「人それぞれ的」になるのだと思います。
 では何故、直接的と間接的が矛盾無く流れているのでしょうか・・。ここで言う直接的とは、主に物理の世界を言っています。
 なぜ矛盾が無いかと言えば、直接的世界は、五行の「結果の世界」だからだと思います。だからそこにはもう、五行は存在していない・・。
 ロケットが進むのは作用と反作用ですが、その法則には、五行は存在していない・・。
 今日の仮説は、かなり凄いと自分では思います。
 なぜなら、この世は全て五行で成り立っているという不思議業界の「常識」があったからです。それを崩しました。
(ああ、今日の仮説はかなりキワドイです。いつまた逆に崩されるか(笑)。でもこのキワドさが私の視点移動だと思っています。)





ロケットはずっと同じ五行

 仮説は一日で破綻しました(笑)。でもタダでは起き上がりません。
 今日は別の仮説です(いい加減にしろって声も聞こえます)。
 ロケットが作用と反作用で飛ぶのは、同じ五行内の出来事なのです。
 直接的な関係のやりとりには、五行は必要ありません。
 なので昨日は「五行は無い」と書きましたが、それではロケットは運命から自由になる可能性だってありそうです。
 でもロケットは決まった軌道を、運命通りに飛んでいます。なのでこれは、同じ五行内なのです。
 ロケットがちゃんと着くかを振ったとき、ロケットの出発点を世爻と考え、目的地を応爻と考えたとき、世爻と応爻はたいてい五行が違います。
 でもこれは、ロケットに関しての情報ではありません。ロケットは六親で言えば父母になるような気がしますが、これは「ロケットが飛ぶ」ということを総称して父母になっているのだと思います。
 これはバス旅行でも同じです。父母はずっと同じ五行です。
 なので、直接的な物理現象は「同じ五行」ではないかと思うのです。
(個人的には、今日の仮説も凄いと思います。以下省略)





敵と味方

 ロケットが宇宙空間を飛んでいるとき、その物理の運動方程式には同じ五行しかないと書きました。これは運命の中では、敵も味方も見えていない状態だと思います。
 そうなんです・・。六爻占術で卦を立てると、忌神、仇神などという言葉が出てきます。
 運命の中での敵や味方を見つけるのが、六爻占術の一つの役目なのだと思います。
 敵や味方は、それぞれ別の五行を持ちます。それが五行の一つの役目です。
 ロケットが飛んでいく先には、敵が待ち伏せしているかも知れません。そこに対してロケットは、目隠しをして突っ込んでいくようなものです。
 しかも敵は隕石かも知れないし、自分自身の故障かも知れません。はたまたアミ星人のUFOからの攻撃かも知れません。
 そんなこと、物理方程式で出すことは、ほとんど不可能に近いです。
 運命を敵と味方に分類した五行・・凄い発見です。





物理法則は、五行に呑み込まれている

 昨日は、以下のフレーズを書きました。
>しかも敵は、隕石かも知れないし、自分自身の故障かも知れません。
>はたまた、アミ星人のUFOからの攻撃かも知れません。
>そんなこと、物理方程式で出すことは、ほとんど不可能に近いです。
 六爻占術の事例において、自分自身の故障は同じ五行の時が多いと思いました。バスのタイヤがパンクして遅れるとき、父母が初爻に臨んで月破だったりします。でももしも忌神として別の五行なら、それは釘とかを意味すると思います。
 隕石の場合は、忌神として完全に別の五行だと思います。アミ星UFOの攻撃も、別の五行だと思います。
 さて何が言いたいかと言えば、「物理法則の流れの一連のひとくくり」が一つの五行になるのではないかということです。
 隕石の軌道計算だってロケット並です。それはどこかの星が爆発したところから始まったかも知れません。それが隕石の初動になったかも知れません。
 しかしその行為の全部が、一つの五行だと思います。
 アミ星からUFOが発進するのだって大変です。愛の度数の高い司令官がいて、彼が命名を下し、乗組員が乗り込んでスタートします。
 それらの行為が全て一つの五行なのです。いくつもの物理法則が関わっていなければなりません。
 だから物理法則は、五行に呑み込まれていると思います。





関係あるものしか、くくらない

 昨日は以下のフレーズを書きました。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
 アミ星からUFOが発進するのだって大変です。愛の度数の高い司令官がいて、彼が命名を下し、乗組員が乗り込んでスタートします。
 それらの行為が全て一つの五行なのです。いくつもの物理法則が関わっていなければなりません。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
 シリウスからは、愛の度数がもっと高い司令官が乗ったUFOが発進されました。
 しかし愛の度数ゼロの地球のロケットは、彼らのレーダーには透明に映りました。なので無視して通り過ぎました。
 しかし地球のロケットの物凄く近くを通過しました。
 アミ星のUFOは「愛の度数300以下の地球人が作ったロケットなど、邪悪なので接近するのはやめよう。遠くから攻撃しよう」と言って、遙か彼方からレーザービームを発射して、ロケットを破壊しました。
 六爻占術で占ったとき、卦に出るのはアミ星の方です。シリウスは出ません。シリウスのほうが接近しているくせに・・です。
 少なくとも六爻占術は、関係あるものしかくくらないのです。
 だから私とトラさんの天気予報の卦が違ったのです。くくり方が違うのです。
 物理法則を包含しているくせに「人それぞれ的」に出るのは、物理法則のくくり方が違ってくるからでしょう。
(ハッキリ言って、五行はエネルギーとか情報とかいう領域を、既に超えつつあるような・・。)





「個」の「利益」の側面から見ただけ

 昨日は以下のことを書きました。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
 六爻占術で占ったとき、卦に出るのは、アミ星のほうです。シリウスは出ません。シリウスのほうが接近しているくせに・・です。少なくても六爻占術は、関係あるものしか、くくらないのです。だから私とトラさんの天気予報の卦が違ったのです。くくり方が違うのです。物理法則を包含しているくせに「人それぞれ的」に出るのは、物理法則のくくりかたが違ってくるからでしょう。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
 ということは、くくられた物理法則のひとつの五行とは、占った人との関係においてのみの五行と言えるのではないでしょうか。
 なぜなら「くくられる」物理法則は、「客観的」にくくられているわけではないからです。
 これまで、五行は物理法則を動かしている元であり、一つ一つの運動に対して、それぞれの五行が付いていると思ってきました。
 それが「物理法則には五行が無い」から「物理法則はひとつの五行だ」を経て、今に至りました。
 物理法則とは矛盾が無いはずです。だって運動している物体に関わる方程式を、「個」の「利益」の側面からくくって見ただけなのですから・・。
 そりゃあ、ぶつかってくる物体もあれば、後押ししてくれる物体もあるでしょう・・。
 それが単に忌神だと原神だのと定義されるだけの話です。

 メインコーナーで五行の話が始まって長いです。かれこれ三ヶ月くらい経とうとしています。しかし中国4000年の歴史でも、ここまで突っ込んで五行を考えたことはなかったと思います。簡単に着地しないで良かったです。まだ続きます。





くくるのは問いを発した瞬間

 天気にしろロケットにしろ、運動方程式を束ねて五行をくっつけるのは、問いを発した瞬間でしょう。問いというのは、そのためにあったのですね。
 五行というのは客観的な形で存在し、それを拾うのが「場を取る」ことだと思っていましたが、違いました。
 しかし同じロケットであれ、問い方で五行は違ってくるのです。これが、五行がバラバラになる原因でした。
 六爻占術・・改めて、凄いと思いました。
 今日の書き込みも、なんでこんなに短いかって・・しばらく幸せに浸っていたいからです(笑)。





書き込み期間:2006/05/02~2006/05/29

        
  

 

 

【まさに外道!】ローマ帝国被害者の会「消えた民族・文化・言語」【ゆっくり解説歴史】

 

・ロームルス

(Romulus、紀元前771年 - 紀元前717年7月5日)は、ローマの建国神話に登場するローマの建設者で、伝説上の王政ローマ建国の初代王である。レムスの双子の兄弟。ロムルスとも呼ばれる[1]。

ラテン人貴族の子としてアルバ・ロンガに生まれ、大叔父アムーリウスを倒して祖父ヌミトルをアルバ王に復位させるなど、様々な冒険を経てローマを建国した。最初の国王として元老院や軍団(レギオー)、七つの丘の城壁など古代ローマの根幹となる概念を整備した。

また勇敢な王として他のラテン都市やサビーニー都市を征服して国を豊かにしたが、同時に強権的な王として元老院とは対立したという。

 

・サビニ人

 

 

(サビニじん、ラテン語: Sabini、サビーニー人とも)は、イタリア半島に位置するローマの北東、ティベリス川一帯に住んでいた古代の部族である。好戦的で城壁を持たない町に住んでおり、サビニ人は自らの起源をスパルタからの移民であると言っている、と言われている。

ローマ人によって女が強奪されたいわゆるサビニの女たちの略奪の後、ローマと4度の戦争を起こすが、結果的にローマに併合された。サビニ族出身のクラウディウス氏族はローマ最高の名門に登り詰めている。

言語
サビニ語(英語版)を話していた。サビニ語に関する記録はほとんど残っていないが、イタリック語派ウンブリア語の一種とされている。

 

 

 

・サビニの女たちの略奪

(サビニのおんなたちのりゃくだつ、The Rape of the Sabine Women)とは、古代ローマの伝説的挿話の1つである。なお、この場合の "rape" はラテン語の "Raptio" にあたり、「強姦」よりも「誘拐」などに近い意味合いである。日本語では他に、サビニ女性の略奪、サビニの娘たちの掠奪、サビニ族の女達の誘拐、サビニのおとめの拉致、などともいう。

ローマがロームルスによって建国されたばかりのころ、最初の世代は女性が少なかった。子孫を残し国を維持するためには多数の未婚女性が必要だった。ローマ人はそれを近隣国に多く住み勇敢な部族であったサビニ人に求めたが、交渉は不首尾に終わった。そこでローマ人はサビニ人に奸計を仕掛け、大量の未婚女性を略奪した。不法にローマに拉致されたサビニ人女性たちはローマ人の妻になることを強要され、ローマ人の子を産むこととなった。こうしてサビニ人女性を誘拐婚することにより、ローマは国を維持発展させるための次世代を得ることに成功した。後にサビニは女性たちを奪回するためにローマと戦争を起こすが、既に子を産んでいたサビニ人女性たちは子供と引き離されることを拒み、戦争の中止を訴えた。

ティトゥス・リウィウスの『ローマ建国史』やプルタルコスの『対比列伝』(II、15 および 19)で語られており、ルネサンス期以降の芸術作品の主題として好んで使われた。これは、この挿話が古代ローマ人の大胆さと勇気を示す例であるとともに、女性の受難場面や、半裸の群像が激情を発して苦闘する様を描くという芸術的挑戦として捉えられたためである。似たような古典古代の主題としては、ラピテースとケンタウロスの戦い、テーセウスのアマゾーンとの戦いなどがある。

 

 

 

エトルリア人

(ラテン語: Etrusci イタリア語: Etruschi)は、イタリア半島北部-中部(ボローニャ近郊からペルージャ‐ローマ近郊まで)に紀元前9世紀から紀元前1世紀まで住んでいた先住民族。インド・ヨーロッパ語族に属さない(先印欧語である)エトルリア語を使用していた。独自のエトルリア文化を築き、ギリシア人、フェニキア人と制海権を争い、特にギリシアでは海賊と見做され怖れられたが[1]、紀元前5世紀頃から衰退し、共和政ローマによって紀元前396年にウェイイを陥落させられ、他の諸都市も徐々にその支配下に入った[2]。

初期のローマ人はエトルリアの高度な文化を模倣したとされ、ローマ建築に特徴的なアーチは元々、エトルリア文化の特徴であったといわれる。また、王政ローマの王の幾人かはエトルリア人であったともいわれ、異民族の王を追放することによってローマは初期の共和政に移行した。

関連項目
イタリア
イタリアの歴史
古代ローマ
王政ローマ
エトルリア

 

 

 

ガイウス・キルニウス・マエケナス

(ラテン語: Gaius Cilnius Maecenas、 紀元前70年4月13日[1] - 紀元前8年10月)は、共和政ローマ期からユリウス=クラウディウス朝期にかけて活躍した政治家である。ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの外交・政治面のアドバイザーであり、軍事面を掌ったマルクス・ウィプサニウス・アグリッパと並ぶアウグストゥスの腹心であった。また、アウグストゥス時代に輩出した新世代の詩人・文学者の最大の支援者としても知られ、皇帝アウグストゥスの文化面の補佐役でもあった。

後世、マエケナスの名前は「裕福さ」を示すものとなり、文化・芸術家の保護者としての意味も持つようになった(#メセナの語源を参照)。

 

 

・サムニウム

(羅:Samnium)とは、古代ローマ時代においてイタリア半島のアペニン山脈南部の地域を指す。この地に居住する部族はサムニウム人(英:Samnites)と呼ばれていた。ラテン民族を統合したローマが南方へと進出してきた際にローマ人の敵として長らく対立、サムニウム戦争と呼ばれる戦争を通じてローマと戦うが、敗北しローマ人と同化した。

概要
サムニウム人はオスク・ウンブリア語群に属し、紀元前600年頃から紀元前290年頃まで勢力を保持した。彼らの居住した範囲は、北はラティウム地方と接し、南はルカニア地方、西はカンパニア地方、東にはアプリア地方と面している険しい山岳地を中心とする地域であった。

彼らは多数の部族から構成され、その細かな部族の緩やかな連携を基とした連合組織を政体としていた。ほとんどの時代を、彼らは領土拡張の意思を持たない山岳部族として過ごしたが、ほんの短期間においてイタリアの東西の沿岸にまでまたがる地域を支配した時期もあった。ローマのような突出した権力体制を持たなかったが、中心的な都市としてローマの記録に残っているものに、ボワイアモム[1]、マルウェントゥム[2]の名が記されている。

しばしば王政ローマ、共和政ローマと争い、その中でも最大のものはサムニウム戦争と呼ばれ、長期間にわたってローマと抗争、「カウディウムの屈辱」に代表されるようにしばしばローマ側が劣勢に立たされ降伏することもあった。しかしながらローマとの和睦が成立した後では、同盟市戦争のような例外はあったものの、ローマとの融合が進み、古代ローマ人として同化していった。

剣闘士には「サムニウム闘士(Samnis)」と呼ばれるサムニウム人の武装を模した鎧を身につける者がいた。

 

 

 

カウディウムの戦い

(英語: Battle of Caudine Forks)は、第2次サムニウム戦争の間に紀元前321年に、共和政ローマとサムニウム人の間に起こった戦い。実際に戦闘があったわけではなく、行軍中のローマ軍がアペニン山脈中の隘路でサムニウム軍に包囲され、水を絶たれて降伏した。後世「カウディウムの屈辱」の名で知られ、ローマ軍が大敗したポエニ戦争のカンネーの戦いと並び、屈辱的な出来事として長くローマ人に記憶された。

背景

カウディウムの戦い当時の南イタリアの勢力図。赤がローマ、緑がサムニウム
紀元前4世紀ごろ、イタリア半島南部は三つの勢力に分かれていた。アペニン山脈の山岳地域に住むサムニウム人の勢力、沿岸部のギリシャ人植民市、平野部のカンパニア人勢力である。サムニウムの勢力圏が拡大してカンパニア人の領域と衝突し、カンパニア人の要請に応じてローマが介入してサムニウム戦争が勃発した。第1次サムニウム戦争(紀元前343年~紀元前341年)は一進一退のまま終結し、ローマはカプアを中心とするカンパニア地方を手に入れ、住民にラテン市民権を与えた。第1次サムニウム戦争後もカンパニア地方の緊張状態は続き、紀元前327年に再びサムニウム人とローマ人の間で紛争が起きて第2次サムニウム戦争が勃発した。

 

 

サルデーニャ

(イタリア語: Sardegna,[sarˈdeɲɲa])は、イタリア半島西方、コルシカ島の南の地中海に位置するイタリア領の島。地中海ではシチリア島に次いで2番目に大きな島である。サルデーニャ語の発音([saɾˈdiɲɲa])からサルディーニャとも表記される。

周辺の島を含めて、サルデーニャ自治州を構成している。この州は、イタリアに5つある特別自治州のひとつである。州都はカリャリ(カリアリ)[3]。

 

 

カルタゴ

(ラテン語: Carthāgō または Karthāgō[注釈 1] カルターゴー、アラビア語: قرطاج‎ Qarṭāj)は、紀元前にアフリカ大陸の北岸を中心に地中海貿易で栄えた、フェニキア人による国家。中心となる都市(首都)はチュニス湖東岸にあった。地理的には、現在のチュニジア共和国の北側を中心とした。カルタゴは造船技術や水運や海上貿易のノウハウに優れ、地中海の貿易によって経済力や軍事力を誇り、地中海の西部の海上交易を支配した。文化の中心地としても栄え、アフリカ北岸の広域やイベリア半島の南側を領土として支配した。地中海南岸に本拠地を持つ大国であり、地中海北側に本拠地を持つローマと競い合った。

 

 

 

ヌミディア

 (羅: Numidia) は、カルタゴや共和政ローマの時代にベルベル系の部族が住んでいたアフリカ北部の地域・王国。ヌミディアとは古代ローマによる呼称であり、現在のアルジェリア北東部周辺に当たる。ヌミディア王国は、東隣にカルタゴ、西隣にマウレタニア王国と接していた。王国の滅亡後にローマの属州となった。中心都市はキルタ(Cirta, 現在の名称はコンスタンティーヌ)。

「ヌミディア」とは「ヌミド」と呼ばれる半遊牧の先住民の小都市群の意味とされる。

 

 

 

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ガリア人

(ガリアじん、ラテン語: Gallī ガッリー、フランス語:Gaulois ゴロワ)は、ケルト語派を話すいわゆるケルト人のうち、ガリア地域に居住してガリア語あるいはゴール語を話した諸部族の人々を指す。

古代ローマ人は、ローマ側による呼称「ガリア人」 (Gallī)と「ケルト人」 (Celtae) をおおむね同義として扱った。しかし、いわゆるケルト人の中でも、小アジアに移住したケルト人(ガラティア人)やブリテン島の諸部族に対してガリア人は明らかに区別することができる。

 

 

 

ゲルマン人(ゲルマンじん、独: Germanen、羅: Germani)は、歴史的に古代から中世初期にかけて中央ヨーロッパからスカンジナビアにかけて居住した民族集団のことを指す。19世紀ごろからは現在のドイツ北部やデンマーク、スカンディナヴィア南部に居住し、インド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派に属する言語を母語とした諸部族、または民族[1]とされることもあるが、「ゲルマン」の学術的定義は複数存在する[2]。

先史時代および歴史時代初期の、ゲルマン語を話す部族および部族連合を原始ゲルマン人[1]、または古ゲルマン人と呼ぶ[3]。

原始ゲルマン人は中世初期に再編されゲルマン(系)民族となり[1]、4世紀以降のフン人の西進によりゲルマン系諸民族は大移動を開始し、ローマ領内の各地に建国したフランク人やヴァンダル人、東ゴート人、西ゴート人、ランゴバルド人などの新しい部族が形成された[3]。

原始ゲルマン人は現在のデンマーク人やスウェーデン人、ノルウェー人、アイスランド人、アングロ・サクソン人、オランダ人、ドイツ人、イングランド人、スコットランド人などの祖先となった[3]。アングロ・サクソン人になったゲルマン人系部族にはアングル人、サクソン人、ジュート人、フリース人がいた[4]。

またゲルマン人の一派であるノルマン人はイングランド、アイルランド、北アメリカ、ロシア北部、エストニアにも移住し、リムリックやダブリン、ノヴゴロドといった主要都市に拠点を築いた。

 

 

 

アルミニウス

(ラテン語:Arminius, 紀元前16年 - 21年)は、帝政ローマ初期のゲルマン系ケルスキ族(英語版)の族長である。トイトブルク森の戦いやゲルマニクスとの戦いに於いて、ゲルマン諸部族のリーダー(ゲルマン全部族の統一には失敗したが)として戦い、ローマによるゲルマニア征服を阻止した。アルミニウスによるこれらの働きは古代ゲルマン部族、ローマ帝国の歴史に留まらず、後世ヨーロッパにも大きな影響を与えた。

 

 

アッティラ[注釈 1]

(アッチラ、Attila、406年? - 453年[2])は、フン族とその諸侯の王。中世ドイツの『ニーベルンゲンの歌』などの叙事詩にはエツェル(Etzel)の名で登場する。現在のロシア・東欧・ドイツを結ぶ大帝国を築き上げ、西方世界の「大王」を自称した。ローマ帝政末期に広がっていたキリスト教の信者からは、「神の災い」や「神の鞭」、「大進撃(The Great Ride)」と言われ恐れられた。

出自についてはフン族自体と同様、詳しくは分かっていないが、名前や風貌の伝承などからテュルク・モンゴル系民族に属すると思われる。

434年に伯父である王ルーアの死後、兄ブレダとともにフン族の王となる。445年頃に共同統治者のブレダが死ぬと、単独の王となった。アッティラはブルグント族などのゲルマン系諸族を征服し、パンノニアに本拠を置いて東ローマ帝国への侵入を繰り返して、短期間でライン川、ドナウ川、カスピ海に渡る大帝国を築き上げた。451年、西ローマ皇帝ウァレンティニアヌス3世の姉ホノリアからの求婚を口実に、ガリアへ侵入したが、ローマの将軍アエティウス指揮下の西ローマ=西ゴート連合軍とカタラウヌムで戦い、敗退した。翌452年にイタリア半島へ侵攻して、ミラノ、アクイレイアなどの諸都市を陥れたが、教皇レオ1世の説得によって撤退した。

アッティラの治世下で帝国は最盛期を迎えるが、453年に自らの婚礼を祝う酒宴の席で急死した。死後、息子たちの間で内紛が起き、フン帝国は急速に瓦解した。

 

 

 

アラリック1世

(ゴート語: 𐌰𐌻𐌰𐍂𐌴𐌹𐌺𐍃 Alarīks, Alaric I, 370/375年 - 410年)は、西ゴート族の最初の王である(在位:395年 - 410年)。その名は彼が成した410年のローマ略奪で最も知られている。ローマ略奪は、ローマ帝国(西ローマ帝国)の衰退を決定づける事件であった。

概要

2世紀から5世紀にかけての民族移動の図
西ゴートの族長ロゼステス(英語版)の子に生まれたアラリックの最初の経歴は、ガイナス率いるゴート兵として始まり、後にはローマ軍に編入されるという遍歴をたどる。初めアラリックは、391年にトラキアを征服したゴート族と傘下の部族の混成隊の首長として登場した。

アラリックとゴート族の部隊は、ヴァンダル族とローマ人の混血の血筋をもつ将軍 スティリコの下に配属されていた。394年、アラリックは2万人のゴート兵を率いて、フリギドゥスの戦いでフランク人の将軍アルボガストによって擁立された西ローマ皇帝エウゲニウスに苦戦を強いられていた東ローマ皇帝テオドシウス1世を支援した。しかし、旗下の部隊1万人の犠牲にもかかわらず、アラリックはわずかな見返りしか与えられなかった。ローマの仕打ちに失望したアラリックは、395年にローマ軍指揮下を離れて西ゴート族の王(リックス)に選ばれる。そしてコンスタンティノープルを目指して進軍、途中方向を変えてギリシアへと南進し、アッティカ地方を略奪、アテネとその港ピレウスを占領、コリント、メガラ、スパルタを破壊した[1]。東ローマ帝国のアルカディウス帝は事態への対応として、アラリックをイリュリクム(現在のボスニア・ヘルツェゴビナからハンガリーにかけて)における軍の「総司令官職マギステル・ミリトゥム」に任用した[2]。

401年、アラリックはイタリアに侵攻したが、402年4月6日、ポルレンティアの戦い(英語版)でスティリコに敗れた[3]。アラリックはローマ帝国に西ゴート族に対する巨額の給金を支払うように要求し、同年に2度目の侵攻を試みたもののヴェロナの戦い(402)(英語版)で敗れて終わっている。そのため、406年のゴート族の王ラダガイススのイタリア侵攻の期間中、アラリックはイリュリクムに残留することになった。しかし408年、西ローマ帝国のホノリウス帝はスティリコとその家族を、ゴート族と取引をしたという嫌疑で処刑してしまう。そしてホノリウス帝はローマの住民に「フォエデラティ(同盟部族)」としてローマ軍に(奴隷として売られ)提供されていたゴート族の妻子を殺すように扇動した。これにより、およそ3万人のゴート兵が、殺された家族の復讐のためアラリックに寝返り、ローマ進軍に参加した。アラリック軍はローマ道をすばやく進軍して、アドリア海北岸のアクイレイア、北イタリアのクレモナといった都市を略奪、破壊した。そしてゴート軍はローマを包囲下に置いた。ローマ元老院はゴート族に多額の給金を与えたが、これに加えてアラリックはローマにいる4万人のゴート人奴隷を解放するよう要求した。ホノリウス帝はアラリックの要求を拒絶したため、アラリックは409年に再度ローマを包囲する。

アラリックは包囲網を強化、プリスクス・アッタルスを西ローマ皇帝に宣した。アッタルスはアラリックをマギステル・ミリトゥムに任命したが、アフリカに出兵するのを拒んでいる。ホノリウス帝との交渉は破談し、410年夏アラリックはアッタルスを廃立、三度ローマを包囲した。8月24日アラリックの一味は首都の城門を開けてゴート本軍を侵入させ、3日間にわたってローマを略奪する。西ゴートはローマを略奪したとはいえ、火を放ったり破壊した建物はわずかだった。その後、嵐によって艦隊が破壊されたことで、シキリアと北アフリカを占領するというアラリックの戦略は放棄され、北に戻る帰途アラリックは病没する。