兵法百言ー智偏ー1 | 覚書き

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兵法百言
目次
前言
第一部 智篇・・・まえがき
1 先 先んじる
2 機 チャンスのきざし
3 勢 優勢な情況
4 識 分かる
5 測 敵の実力を測定する
6 争 勝利を争う
7 読 兵書を読み解く
8 言 軍事について語る
9 造 プランを実行に移す
10 巧 巧妙である
11 謀 はかりごと
12 計 計画する
13 生 生み出す
14 変 変幻自在である
15 累 積み重ねる
16 転 立場を逆転する
17 活 うまく活用する
18 疑 疑ったり、疑わせたりする
19 誤 誤らせる
20 左 思うようにいかせない
21 拙 下手をよそおう
22 預 あらかじめ準備する
23 畳 いくつも重ねる
24 周 周到である
25 謹 慎重である
26 知 目で見て耳で聞いて知る
27 間 スパイ
28 秘 秘める
第二部 法篇・・・まえがき
29 興 たちあげる
30 任 すべて任せる
31 将 将軍
 1
32 輯 まとまり
33 材 人材を集める
34 能 できる
35 鋒 勢いが鋭い
36 結 リーダーのもとに結束させる
37 馭 人をコントロールする
38 練 訓練する
39 励 やる気を高める
40 勒 統制する
41 恤 思いやる
42 較 成績を評価する
43 鋭 鋭い
44 糧 必要な物資
45 行 行く
46 移 移る
47 住 最適な場所に駐屯する
48 趨 急行する
49 地 地の利を得る
50 利 利益をはかる
51 陣 連携して戦う
52 粛 ひきしめる
53 野 常識にとらわれない
54 張 大きく見せかける
55 斂 小さく見せかける
56 順 相手の思いどおりにさせる
57 発 待ち構えて攻撃をしかける
58 拒 守りを固める
59 撼 あたふたさせる
60 戦 戦う
61 搏 白兵戦を行う
62 分 分轄する
63 更 交代する
64 延 先延ばしにする
65 速 すばやく行動する
66 牽 牽制する
67 句 他者を味方にする
68 委 なにかを餌にして相手をだます
69 鎮 おちつく
 2
70 勝 勝利する
71 全 まっとうする
72 隠 姿をくらます
第三部 術篇・・・まえがき
73 天 自然のめぐりあわせを読み解く
74 数 運命をきりひらく
75 闢 合理的である
76 妄 迷信的である
77 女 色じかけ
78 文 教養を身につける
79 借 敵を利用する
80 伝 通信する
81 対 物事を相対的にとらえる
82 蹙 邪魔する
83 目 眼目(もしくは、敵の目を見えなくさせる)
84 ロウ あれこれ言い立てて惑わす
85 持 じっともちこたえる
86 混 ごちゃまぜ
87 回 手控える
88 半 半分だけにする
89 一 予備
90 影 見せかける
91 空 からぶり
92 無 とらわれない
93 陰 こっそりする
94 静 ひっそりする
95 閑 のんびりする
96 忘 自分を投げ出す
97 威 威力がある
98 由 主導権を握る
99 自 おのずとそうなる
100 蔵 究極までゆきつかせる
 3
侯耆?先生兵法百言釈義
 天は、徳性で人を導き、智術で人を啓発します。徳性は善ですが、智術はと言
うと、チャンスをうかがい、さっと利益をかすめとります。しかし、おまけで人
民を安心させ、国家を安定させ、何かして成功するということもあります。しか
し、それは戦乱を起こしやすく、詐術を生みやすいものです。そこで、兵法によ
って智術を応用し、歴史によって智術を補足し、実戦によって智術を成熟させま
す。とても親切で柔和でも、その心を毎日のようにころころ変えて自覚しない人
もいます。私は天下に智術がないのを心配しません。智術をもつ人が、その智術
をよい方向に使って、徳性にもとらないことを願います。ですから、『兵法百言』
を読む人は、徳性を尊ぶことから始めるべきです。
○引証
 斉国の大臣である管仲は、斉国を覇者としましたが、そのときには必ず礼義と
廉恥を使用しました。呉国の軍師である孫子は、智謀を大切にしましたが、その
ときには必ず信用、仁愛、勇気、威厳で補助しました。ただ礼があってこそ軍隊
を動かせますし、ただ徳があってこそ敵をなくせます。
 4
智篇(二十八字)
 兵法の四つの流派、すなわち「権謀」「形勢」「陰陽」「技巧」は、本書にそろっ
ていますが、まず「権謀」を重視していますので、この「智篇」を設けました。「智」
とは、奇計だけど正攻法に違わないものです。
 5
(1)先―先んじること
○解字
 人に遅れをとらないこと、これを「先」と言います。
○原文
 軍事には、天理において先んじるもの、機会において先んじるもの、手段にお
いて先んじるもの、評判において先んじるものがあります。
 軍隊が動くとき、敵の謀略を邪魔できるのが、評判において先んじる場合です。
 自分と相手が互いに争っているときに、すばやく一計を案じるのが、手段にお
いて先んじる場合です。
 実際に戦ってみなくても、あらかじめ必ず勝てると計算できるのが、機会にお
いて先んじる場合です。
 争いをなくしたり、争いを止めたりするときに、戦わないで戦いを終わらせ、
未然にこれをやめてなくならせるのが、天理において先んじる場合です。
 先んじるなかで最高のものは、天理において先んじる働きです。よく「先」を
使える人は、人の道を実践でき、普遍の道理をまっとうします。
○意味の解説
 評判において先んじるには、三つの根本がいります。一つは将軍、二つは兵士、
三つは道具です。
 手段において先んじるには、二つの要点がいります。一つは地利、二つは戦法
です。
 機会において先んじるには、二つの能力がいります。一つは自分を知る能力、
二つは相手を知る能力です。
 天理において先んじるには、四つの務めがいります。一つは徳、二つは礼、三
つは法律、四つは刑罰です。
○引証
 戦国時代、趙国の名将である李牧が北部辺境地帯の防衛を担当すると、それを
聞いた匈奴軍は辺境を侵犯しなくなりました。宋代、名臣の司馬温公が国政を担
当すると、それを聞いた遼国は戦争をしかけてきませんでした。これが、評判に
おいて先んじるものです。
 戦国時代、秦国は、要衝である?山と函谷関をおさえることで、他国に侵攻を防
ぎました。趙国の名将である趙奢は、要害である北山に陣取ることで、秦軍の侵
攻を撃退しました。これが、手段において先んじるものです。
 戦国時代、楚国の武将である屈瑕がおごって敵をみくびったので、それに乗じ
て晋軍は楚軍を潰滅させました。秦軍が敵をあなどったので、それに乗じて晋軍
は秦軍を大敗させました。これが、機会において先んじるものです。
 三皇五帝の時代、苗族が反乱を起こしたとき、虞舜帝の臣下であった禹王は、
文武の舞いを舞うことで、反乱を終わらせました。戦国時代、斉国の威王は、政
治のかけひきで戦って勝ちました。これが天理において先んじるものです。
 6
(2)機―チャンスのきざし
○解字
 しばしば聞こえ、ちらほら見えるもの、これを「機」と言います。
○原文
 いろんな情勢の影響しあうところから、機が生じます。事がらの移り変わると
ころから、機が生じます。いろんな物の大事なところから、機が生じます。その
時代のさまざまな情況のからまりあうところから、機が生じます。
 目の前で機が生じても、わき見をすれば機ではなくなるといった場合がありま
す。うまくつかめば機が生じますが、しくじれば機がなくなってしまうといった
場合があります。
 機をとらえようとたくらむときは、深く考えるようにします。機が熟するのを
待つときは、人の目につかないようにします。
 これがチャンスだと認識することによって、チャンスはチャンスとなります。
このチャンスをものにするぞと決断することによって、チャンスは役立つように
なります。
○意味の解説
 ふだん役立つ智恵を鍛えるのは簡単ですが、いざというときに役立つ智恵を鍛
えるのは困難です。
 すぐれた宰相が国政を謀るときに使うのが、ふだん役立つ智恵です。すぐれた
将軍が戦争を行うときに使うのが、いざというときに役立つ智恵です。
 ですから、必ず読書に励み、すばやく物事に対処し、いざというときに役立つ
智恵を鍛えるなら、人心の機微を知り、物事の道理を分かって、機を活用できま
す。
○引証
 戦国時代、名将の楽毅は、燕軍を率いて斉国に侵攻し、あっという間にその全
土をほぼ制圧しました。しかし、かけひきのため、最後に?と即墨を攻めるときに
は、持久戦を展開しました。そのため、燕軍は好機を失い、斉国はついに燕軍を
撃退しました。
 秦末漢初、漢王の劉邦は、天下の覇権をめぐり、楚王の項羽と一進一退の攻防
戦を展開していました。しかし、戦況がこう着状態となったので、両軍は講和し
てそれぞれ撤退することにしました。ところが、劉邦は約束どおりに撤退せず、
好機とばかりに撤退する楚軍を急襲し、ついに楚国を滅ぼしました。
 まったく機というものは、失ってよいものでしょうか。
 7
(3)勢―優勢な情況
○解字
 有利なところにいて、不利な相手をあしらうこと、これを「勢」と言います。
○原文
 軍事のうまい人は、つとめて勢いを測定します。
 片すみにいて天下をゆるがし、変幻自在なのは、その上層部を制しているので
す。
 少ない人数で強大な相手を迎え撃ち、しっかり守って攻撃をかわし、あえて戦
おうとしないのは、その有利なところをおさえているのです。
 一つの陣営を破って多くの陣営がすべて瓦解し、あちこちで敵兵が降伏するの
は、その頼りとしているものを奪ったのです。
 軍隊が戦闘に入らず、騎馬が突撃を始めていないのに、こちらの軍旗を見ただ
けで、あわてふためいて逃げるのは、その気をくじいているのです。
 よく地勢を観察し、よく軍勢を確立し、これをベストな状態にするために技を
用いるなら、戦って不利なことはありません。
○意味の解説
 ある斉人は、「智恵があっても、勢いに乗るのにはかなわない」と言いました。
これは勢いに乗ることの良さを強調していますが、勢いに乗るにあたって智恵は
必要ではないと言っているわけではありません。
 思うに、自分を安全なところにおらせて、相手を危険にさせ、自分を有利なと
ころにおらせて、相手を不利にさせ、自分を生きて帰れるところにおらせて、相
手を死地におかせ、自分を成功するところにおらせて、相手を失敗におとしいれ
るのは、勢いに乗るのが上手でなければダメですし、智恵にすぐれていなければ
できないことです。
 ですから、学ぶ人で勢いに乗りたいと思っているなら、まず智恵を学ぶべきで
す。
○引証
 春秋時代、晋軍は、鄭国内の虎牢に城を築き、鄭国を威圧しました。それに恐
れおののいた鄭国の政府首脳は、晋国に対して講和を請いました。これが「その
上を制する」です。
 春秋時代、魯国は、呉軍に攻められました。このとき、魯国の微虎は、呉王を
夜襲するため、決死の覚悟の私兵を編制し、稷門に陣取りました。すると、それ
を恐れた呉王は、一晩に三度も陣地を移動させました。これが「その有利なとこ
ろをおさえる」です。
 三国時代、鄧艾は、魏軍を率いて、蜀国の要地である陰平に進出しました。そ
れに驚いた蜀国の君主は、降伏しました。これが「その頼りとしているものを奪
う」です。
 唐代、唐国の将軍である薛仁貴は、敵の三人の酋長を殺しました。このため、
 8
リーダーを失った敵の騎兵は、そそくさと撤退しました。これが「その気をくじ
く」です。
 9
(4)識―分かる
○解字
 見たり聞いたりしたことから考えて真実を分かること、これを「識」と言いま
す。
○原文
 軍隊に指示を出す銅鑼や太鼓の音を聞き、軍隊の隊列を見ることで、その才能
を分かります。わざと逃げて誘い、利で釣ることで、その事情を分かります。敵
を震撼させて驚かし、敵をかき回してかき乱すことで、その程度を分かります。
以上は行為から察するものです。
 アイデアが実行に移され始めたとき、こちらはそれをすべてさとります。計略
が託されたとき、こちらはそれをすべて見抜きます。智恵をめぐらしてよく覆い、
巧妙にやってよく伏せたとき、こちらはそれをすべて明らかにします。以上は思
いをめぐらすことで明らかにするものです。
 心の中で思いめぐらした考えがまだ実行に移され始めていないときでも、あら
かじめ思案し、あらゆる事態を想定し、心の中で敵の心を先読みすることで、敵
のことが分かります。敵の読みがこちらの読みよりも浅いなら、謀略をたくらん
で敵にしかけます。
○意味の解説
 聡明は生まれつきによります。むりやりにやってなれるものではありません。
学問は自己の努力によります。努力すれば成果があります。
 もし兵法をきわめ、人情と道理をおしはかり、利害を明らかにし、形勢を察し
て、その学問のことを極めていくなら、おのずと当然を細かく見きわめ、同然を
イメージして考え、必然をきっぱりと判断し、未然に防ぐことができて、その聡
明の働きを極められます。
○引証
 春秋時代、晋国は、虞国を征服しようとたくらみ、虞王に宝玉と名馬を贈って、
油断させることにしました。虞国の宮之奇は、義士ですが、晋国から贈り物がさ
れたのを見て、晋国の謀略を見抜きました。
 春秋時代、晋軍との交戦中だった秦軍は、無事に撤退するため、晋軍に戦いを
挑んで、帰る意思がないように見せかけることにしました。晋国の臾駢は、老成
で、秦軍から戦いを挑む使者が来たとき、その言葉つきや顔つきを見て、秦軍の
本心を察知しました。
 これらは思うに学問に長じ、経験が深かったから可能となったのでしょう。
 そもそもどうして生まれながらに、そんなことができるでしょうか。
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(5)測―敵の実力を測定する
○解字
 努力してよく調べて明らかにすること、これを「測」と言います。
○原文
 両軍の将軍が遭遇したときには、必ず相手を試します。両軍の将軍が対峙した
ときには、必ず相手を測ります。
 敵を測る者は、敵の充実したところを避けて、虚弱なところをつきます。敵が
こちらをどのように見ているかを測る人は、こちらの短所をきわだたせて、その
裏で長所を伸ばし、敵に誤った判断をもたせ、かえって敵をだまします。
 必ず一方を測ったら、一方と他方の両方に備え、不測の事態について配慮する
のが、完全な術であり、将軍の道です。
○意味の解説
 算学家は高さ、深さ、広さ、遠さを測量する方法をもっています。
 広さが分かっていて、深さが分からないときには、単測を使います。
 高さ、深さ、広さ、遠さがすべて分かってないときには、重測を使います。
 これはもちろん地形のもとづいて生じます。
 軍隊の形勢を推測し、将軍の知性を測定するときには、最適なところを選んで
測る方法を使います。
 単測と重測という方法は、計算するときに標準となります。
○引証
 春秋時代、北戎軍が鄭国に侵攻しました。鄭国の公子突は、北戎族に測る能力
がないのを知っており、それを利用して北戎軍を誘い出して、ワナにはめる作戦
を立てました。鄭軍は、北戎軍と戦って、負けたふりをして逃げました。北戎軍
は追撃したのですが、祝?の率いる伏兵の攻撃にあって大敗しました。
 戦国時代、斉国は、魏軍に攻められていた韓国から救援を求められ、出兵しま
した。しかし、斉軍は、魏軍より不利で、まともに戦っては勝ち目がありません。
そこで、斉軍の軍師の孫?は、魏軍を率いる?涓に測る能力があるのを知っており、
それを利用して魏軍を誘い出して、ワナにはめる作戦を立てました。孫?は、斉軍
を退却させながら、野営地のかまどの数を日に日に減らしていきました。追撃す
る?涓は、斉軍の野営地跡のかまどの数が減っていることから、斉軍は毎日のよう
に兵士が逃亡しており、簡単に勝てると誤認しました。それで、みずから足の速
い軽騎兵だけを選んで、急いで斉軍に追いつこうとしました。孫?は、それを見越
して馬陵で魏軍を待ち伏せ、急襲して全滅させました。
 というわけで、敵の知性には大小があり、それで測定の使用には深浅がありま
す。

 

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(6)争―勝利を争う
○解字
 つとめて敵に勝とうとすること、これを「争」と言います。
○原文
 戦いは、事柄を争うものです。兵士は実戦を争い、将軍は智謀を争い、将軍を
指揮する大将は機を争います。
 これを知っている人は、力を争わないで心を争い、人を争わないで己を争いま
す。
 これを知っている人は、事柄を争わないで方法を争い、結果を争わないで労力
のなさを争います。
 労力のかからない功績こそは最高の功績で、実際に戦わない争いこそは最善の
争いです。
○意味の解説
 道具や武器を整備し、食糧を十分にし、兵士を訓練し、優秀な将軍を選抜し、
謀略のうまい臣下を重んじ、勇士をそろえ、さまざまな技術者を招き寄せ、陣地
を築き、形勢に熟達して、国境の地で勝ちを決するのは、実際に戦う争いです。
 政治が清廉で公明であり、賢者や人材が多く、税収が順調に伸び、兵士と人民
が互いに仲がよく、武備がすぐれて強力で、思いやりが満ちあふれ、万民が自分
に適した職について能力を発揮しており、軍営や城郭が堅固で、水利が適宜であ
って、国政の場で勝ちを決するのは、実際に戦わない争いです。
 実際に戦う争いは、虚構ではありませんし、実際に戦わない争いは、空論では
ありません。
○引証
 春秋時代、晋国の文公は、帰国して君主の位についたあと、楚国と戦うことに
なりました。そのとき文公は晋軍を後退させ、楚王も戦いの不利を察して退却を
決めたのですが、楚国の子玉は命令に逆らって晋軍と戦って身を滅ぼしました。
 同じく春秋時代、秦国の穆公は、軍隊を動員して、晋国と戦争を始めようとし
ました。しかし、文公は、深く隠れて出て戦いませんでした。
 実際に戦わない争いは、どうしてまともに対抗できるでしょうか。
 12
(7)読―古典を読み解く
○解字
 古典をよく理解すること、これを「読」と言います。
○原文
 事柄を論じる場合、昔よりも今のほうがすぐれています。事柄が多ければ原則
も煩雑となりますし、時代が移れば道理も変わります。
 ですから、遠い昔の兵書をうまく読む人は、不適当なものについてはこだわる
べきでないとわきまえます。でたらめな言葉については間違いがあると知ります。
不十分な点については欠落していると分かります。あいまいでぼんやりしている
ものについては真実を探り出します。誇張されているものについては必ず取り去
ります。常識についてはとらわれないように気をつけます。したくないことでも、
やってみたりします。警戒しながらも、出てみたりします。大まかなことを見き
わめて細かいことを見抜きます。一方から始まって全てに通じます。反対のこと
をして思いもよらないことを発見します。こだわりを捨てて丸くなります。
 他人は原則にとらわれますが、自分は原則を作り上げます。人は原則に従いま
すが、自分は原則を作り出します。戦争のうまい人は、その原則について神様の
ようにすべて見通しています。
○意味の解説
 兵書は四つの流派の言論にほかならず、「権謀」「形勢」「陰陽」「技巧」の四つ
がそれです。
「権謀」とは、たとえば『陰符経』『孫子』『呉子』の類いです。
「形勢」とは、たとえば地理の全図や分図、そして城郭、陣地、堀、野営地、遮
蔽設備を破壊したり、整備したりするすべての本格的、あるいは暫定的な設計図
の類いです。
「陰陽」とは、布陣のことで、たとえば『握奇経』『虎鈴経』『衛公兵法』『紀効新
書』、そして呉?の畳陣、張威の撒星陣、戚継光の鴛鴦陣、李穆堂先生の桂林十陣
の類いです。
「技巧」とは、火器、藤牌、弓、弩、刀、矛などの類いです。
 すべてが先人の完成させた原則です。
 古人の原則を知らないと明らかになりませんし、古人の原則にこだわると通じ
ません。
 明らかでなく、通じないようでは、将軍としての資格はありません。
○引証
 夏王朝、殷王朝、周王朝の三代より前は物事の善し悪しを貴びましたが、孫子
と呉子より後は権謀術数を貴びました。これは権謀の移り変わりです。
 昔は弓矢を防ぐときに城郭を用いましたが、今は鉄砲を防ぐときに塹壕と防塁
を用います。これは形勢の移り変わりです。
 八陣は変化して六花陣となり、六花陣は変化して三才陣となり、三才陣は変化
 13
して畳陣となり、撒星陣となり、麻札刀陣となり、鴛鴦陣となり、夾槍砲陣とな
り、湘勇、淮勇、北洋海軍といった新軍の各種の組織編成となりました。これは
陰陽の移り変わりです。
 昔は遠くを攻撃するときに弓と弩を用いましたが。今は遠くを攻撃するときに
火薬と弾丸を用います。これは技巧の移り変わりです。
 殺し合いのからくりは日増しに進展し、変化して激烈さを増しています。やさ
しい人がいても、こういった世の中の流れはどうにもできません。
 14
(8)言―軍事について語る
○解字
 新論を広く採用すること、これを「言」と言います。
○原文
 失われています。
○意味の解説
 兵家の仕事として、「成功」と「失敗」、「切れがある」と「切れがない」は、そ
れぞれ緊密な関係にあります。
 自分がその事柄に習熟していないとき、それについて何も言えません。
 自分がその事柄に習熟していても、その弊害を熟知していないときには、一つ
言えば天下、後世を誤らせることになり、それについて言うべきではありません。
 ただできるのは、その事柄に習熟し、その弊害を熟知している人を選んで、そ
の人を先生として学び、学んだことを何度も復習し、復習したことを試し、試し
たことを言葉にし、言葉にしたことを書物にして世間に公表することだけです。
 こうしてこそ、身近な言葉が遠大な言葉に勝り、素朴な言葉が美麗な言葉に勝
り、凡人の言葉が智者の言葉に勝り、現代人の言葉が古人の言葉に勝ります。
○引証
 名将の光武帝は、軍事を語りませんでした。しかし、小さな敵には警戒してか
かって、大きな敵には勇ましく立ち向かいました。
 凡将の趙括は、名将の父親を兵法の議論で言い負かしました。しかし、実戦で
は失敗しました。
 言うのは簡単でも、行うのは難しいものです。まずその言葉を実行してこそ、
はじめてその言葉の信頼性が明らかになります。
 すぐれた言葉とは、大きな働きをするものです。人のふり見て、わがふり直す
べきです。
 15
(9)造―プランを実行に移す
○解字
 表に出て実際に行うこと、これを「造」と言います。
○原文
 人間の本性をつきつめることで、戦争の根本に通じます。歴史を探求すること
で、戦争の足跡を調べます。八卦と命数をきわめることで、戦争の徴候を見抜き
ます。時局に応じた急務を見通すことで、軍政をスムーズに行います。道具を考
案することで、兵器を計画します。
 行動を起こさないときは、目立たないように擬装して、作戦の計画を立てます。
行動を起こすときには、理念を明確にして、天下を経略します。
○意味の解説
 戦争は天地を荒廃させるきっかけで、戦争をするのは人の心を荒廃させるきっ
かけです。このきっかけというものは、これを道理に逆らって使えば一身を保ち
ますし、これに道理に従って使えば天下を保ちます。きっかけは外から得るもの
ではなく、荒廃は外から生じるものではありません。ですから「人間の本性をつ
きつめて戦争の根本に通じる」と言うのです。
 どうして勝利し、どうして敗北したのか、その道理については史書に詳しく載
っています。ですから「歴史を探求することで戦争の足跡を調べる」と言うので
す。
 不幸や幸福がやってこようとしているとき、良いことも、良くないことも必ず
先に知ろうとするにあたり、天体の運行や占いを借用してその証拠とすることも
あります。ですから「八卦と命数をきわめることで戦争の徴候を見抜く」と言う
のです。
 時と場合に応じてやり方を変えてこそ、布陣の方法は適切なものになりますし、
軍隊の制度は有利なものになりますし、塹壕と防塁は最適なものになりますし、
騎兵と歩兵はその能力を発揮できます。完成された原則にこだわって対応するの
は、足の指を切って靴のサイズに足を合わせたうえで、さっさと進もうとするよ
うなものです。どうしてできるでしょうか。ですから「時局に応じた急務を見通
すことで軍政をスムーズに行う」と言うのです。
 武器をもっていない将軍は恐ろしくありませんし、武器をもっていない兵士は
強くありません。武器は軍隊の威勢を示すもので、勝敗はこれにかかっています。
ですから「道具を考案することで兵器を計画する」と言うのです。
 以上の五つは、戦争をするにあたり重要な原則です。これを胸中にしまいこめ
ば、おのずと楽しい気分になりますし、これを実際に使えば、いろいろな物事に
役立ちます。
○引証
 夏代末期、伊尹は、湯王に見出される前、?野で農耕していました。
 殷代末期、太公望は、文王に見出される前、?渓で釣りをしていました。
 16
 三国時代、諸葛公明は、劉備に見出される前、龍中で雌伏していました。
 元代末期、劉基は、朱元璋に見出される前、青田で隠棲していました。
 この四人の名臣は、ここでの議論にかなっており、恥じるところがないと言え
ます。
 17
(10)巧―巧妙である
○解字
 その非凡さをあらゆるところで出すこと、これを「巧」と言います。
○原文
 緊急事態が起きて、たやすく解決できないときには、巧妙な手段を使わないと
いけません。ましてや戦争のときはなおさらです。
 敵の一つの短所を制して、敵の多くの長所をつぶしたり、自分の一つの長所を
使って、自分の多くの短所をカバーしたりします。これは「有利さを活用する巧
妙さ」と言います。
 弱く見せかけて油断させたり、つけとどけをしていい気にさせたり、同じとこ
ろにいて安心させたり、なにかとご馳走して楽しませたり、ときどきゲリラ的に
攻撃して消耗させたり、急襲するふりをしてあわてて防衛させたり、挑発して怒
らせたりします。これは「相手を馬鹿にする巧妙さ」と言います。
 わざと勝利を放棄して敗北をとったり、損失を覚悟して困難をおかしたり、鈍
くすることで鋭くなったり、退くことで進めたりします。これは「迂回して目的
を達する巧妙さ」と言います。
 強いときにはさらに大きく見せかけたり、生き残ろうとするときにはわざとみ
ずからを窮地に置いたり、勝っても戦果をあえて取らなかったり、なびいて対抗
しなかったりします。これは「ひるがえして目的を達する巧妙さ」と言います。
○意味の解説
 巧妙さは学べません。ただ形勢が熟したときには学べます。
 巧妙さは求められません。ただ人情と道理が熟したときには学べます。
 巧妙さは止められません。ただ物事を行う好機が熟したときには学べます。
 兵法が熟すれば布陣は簡単です。
 技芸が熟すれば攻撃は簡単です。
 形勢が熟すれば進退は簡単です。
 権謀が熟すれば臨機応変にやるのは簡単です。
○引証
 春秋時代に晋国と楚国が激戦した城濮の戦いは、兵法の最も巧妙なものです。
 晋国は斉国と秦国に賄賂を贈って支援をとりつけ、楚国に味方する曹国の君主
である曹伯をつかまえてつれてまわり、宛春をとらえて楚国を怒らせ、曹国と衛
国を制圧して楚国の勢力を分断し、軍隊を九十里ほど後退させて楚国を慢心させ、
たくさんの柴をひきずって砂煙をあげることで大軍に見せかけ、楚国の同盟軍で
ある陳軍と蔡軍を威嚇して楚軍を不利におとしいれ、わざと退却して楚軍を誘い、
横から攻撃して楚軍の堅固さを破り、楚軍の左軍と右軍を潰滅させてその精強な
中軍を退かせ、三日にわたり戦場にとどまって楚軍の残した食糧を回収しました。
 以上は「原文」の記載に四割から五割ほど適合しています。
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(11)謀―はかりごと
○解字
 いろいろな考えを集め、そこから最適なものを選び、できるだけメリットが大
きくなるようにすること、これを「謀」と言います。
○原文
 戦争は、はかりごとができていないなら、戦わないようにします。はかりごと
は、良いものでないといけません。物事にはそれぞれ良い機会があり、時勢には
それぞれ良い局面があります。物事に応じ、時勢にもとづいて、臨機応変に良い
はかりごとを作り上げます。
 昔は、はかりごとを上策・中策・下策の三ランクに区分しました。上策は良い
ものです。しかし、中策を用いて良くなるものもありますし、下策を出して良く
なるものもありますし、両方を使って良くなるものもありますし、はかりごとが
どれも失敗してかえって良くなりえるものもあります。
 知恵は一人にすべてあるわけではなく、はかりごとは必ずみんなで考えるべき
で、そうしてこそ物事をうまく成功させられます。はかりごとは良いものであっ
てこそ最高のはかりごとになります。物事に深く通じ、はかりごとを深く考える
なら、無難で簡単です。物事に少し通じ、はかりごとを少し考えるなら、間違い
はありませんが失敗します。
○意味の解説
 物事を謀るのは簡単ですが、物事を決断するのは難しいものです。世の中には
謀るのに優れているけど、決断するのに劣っている人がいますが、これならはか
りごとがあったとしてもメリットはありません。
 ですから、明察力には決断力が伴う必要があり、知恵には勇気が伴う必要があ
り、身体には節度が伴う必要があるのです。
○引証
 攻撃には、三策があります。
 思いのままに軍隊を動かして困難に立ち向かうのが上策です。三国時代、鄧艾
が魏軍を率い、難所をこえて蜀国の要害である陰平を奇襲したのが、これです。
 危険をおかして強敵を攻めるのが中策です。春秋時代、楚国の闘廉が少数の部
隊を率い、?軍を夜襲して撃破したのが、これです。
 城を築いて敵に近づくのが下策です。春秋時代、晋軍が鄭国をおどすため、鄭
国の首都に近い虎牢に築城したのが、これです。
 守備には、三策があります。
 外に打って出て敵を拒むのが上策です。宋代、寇準が宋軍を率い、遼軍が占拠
している擅淵に進軍したのが、これです。
 有利なところを選んで自分を守るのが中策です。唐代、唐国の名将である李光
弼が安史の乱を平定するにあたり、河陽に駐屯したのがこれです。
 篭城して固く守るのが下策です。戦国時代、墨子が反戦のために、開戦を主張
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する公輸子をシミュレーションで何度も撃破して見せたのが、これです。
 戦争には、三策があります。
 奇襲して勝利するのが上策です。戦国時代、宋軍の軍師である孫?が、魏軍の将
軍である?涓を何度もたぶらかしたのが、これです。
 奮闘して勝利するのが中策です。秦末漢初、楚王の項羽が敵対する王離を捕ら
えたのが、これです。
 深い堀と高い壁を築いて守りを固めるのは下策です。戦国時代、趙国の名将で
ある廉頗が白起の率いる秦軍の侵攻を防いだのが、これです。
 さらに両方を使って良かったものには、唐代、唐軍の将軍である李愬が唐州に
陣取り、蔡地方に軍閥を築いていた呉元済を撃破したものがあります。
 どれも失敗してかえって良くなりえたものには、春秋時代、楚国の子西が繁陽
で敗北したのですが、そのおかげでかえって楚国が興隆したものがあります。
 行動するか、待機するかを決めるには、まず時を見ます。解き放つか、引き締
めるかを決めるには、まず地形を見ます。ゆっくりするか、急ぐかを決めるには、
まず機を見ます。引きこもるか、打って出るかを決めるには、まず勢いを見ます。
 そうしたうえで、それらの条件に適したはかりごとを立てて用いるなら、良く
ないことはありません。どうして上、中、下にこだわる必要があるでしょうか。
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(12)計―計画する
○解字
 敵に応じて作り出すこと、これを「計」と言います。
○原文
 計画には、愚者を制することができるけれど智者を制することができないもの
があり、智者を制することができるけれども愚者を制することができないものが
あります。前者はオーソドックスな計画で、後者はイレギュラーな計画です。た
だ計画した効果としては、智者も愚者もともに制することができます。
 もし知恵があるけれど愚かなら、その愚かさに乗じます。もし愚かだけれど知
恵があるなら、その知恵につけこみます。
 つねに敵の判断を誤らせ、敵の逆手を取るときには、計画がうまくいかないこ
とはありません。ですから、計画は相手に応じて新しく作る必要があるのです。
○意味の解説
 将軍の威力は見えませんが、陣形を組んだときには威力が見えます。将軍の知
略は見えませんが、軍隊を動かしたときには知略が見えます。将軍の才能は見え
ませんが、部隊を分けたときには才能が分かります。
 敵の外見を見れば元気かどうか分かります。敵の評判を聞けば勇敢かどうかが
分かります。敵の気力を調べれば勢いがあるかどうかが分かります。
 以上はすべて敵が智者であるか愚者であるかを測定する技です。
 それにもとづいて真偽を細かく見きわめ、まぎらわしいものをよく見分け、疎
密を明らかにし、深浅を決することで、こちらの計画を定めます。そうしてはじ
めて敵の判断を誤らせて、敵の逆手を取ることができます。
 以上はすべて智者も愚者もともに制する技です。
 ですから、敵を見るときには周の内史が人を鑑定するような感じで行い、計画
を立てるときには長桑君が薬を用いるような感じで行います。
○引証
 旗を抜いたり、立てたりして、韓信と張耳は愚者を恐れさせました。
 竈を減らしたり、増やしたりして、孫?と虞?は智者を欺きました。
 秦国の孝公からあとの君主に至っては、函谷関を封鎖することによって各国の
軍隊の侵入を防ぎ、各国と個別に同盟を結ぶことによって諸侯の国土を削り取っ
ていき、遠交近攻の策によって六国をだんだん滅ぼしていきました。
 その時代には田単、楽毅、廉頗、李牧、信陵君、孟嘗君といった名将がいまし
たが、秦国の勢力拡大を防ぐことはできませんでした。智者も愚者もともに制す
る点では、これ以上のものはありません。


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(13)生―生み出す
○解字
 知恵の源が尽きないこと、これを「生」と言います。
○原文
 計画するのがうまい人は、次のようにして計画を生み出します。
 すなわち、敵にもとづいて計画を生み出します。
 自己にもとづいて計画を生み出します。
 古人にもとづいて計画を生み出します。
 兵書にもとづいて計画を生み出します。
 天の時、地の利、物事や事物にもとづいて計画を生み出します。
 原則に従って計画を生み出します。
 反対に考えて計画を生み出します。
 にわか作りの計画は偽装です。
 実情に合わせた計画は確実です。
 以上はすべて生み出すということです。
○意味の解説
 敵の上手と下手にもとづきます。
 己の技術や学問の長所と短所にもとづきます。
 古人の成功と失敗にもとづきます。
 兵書が肯定していることと否定していることにもとづきます。
 寒暑・晴雨・明暗など天の時にもとづきます。
 貫通・阻害・分岐・隘路・険悪・遠隔などの地の利にもとづきます。
 物事のなりゆきにもとづいて隙に乗じます。
 事物の特性にもとづいて役に立てます。
 そのもとづくところに従ったり、そのもとづくところに反したり、もとづくと
ころをそれとなく分かって思いついたり、もとづくところを細かく見きわめて動
いたりします。
 以上のようにして計画が生み出されるわけですが、それらはすべてベストなも
とづき方をしたものです。
 ですから、生み出すのは虚構を原則とし、もとづくのは現実を原則としますが、
もとづくのに限界がなければ、生み出すのに限界がありません。
○引証
 そのもとづくところに従った例としては、信陵君が軍隊の指揮権を奪って秦軍
と戦うことで趙国を救ったものがあります。(戦国時代、秦国は趙国を攻めました。
趙国は魏国に対して救援を求めました。魏国の王族である信陵君は、趙国に大事
な知人がいたので救援したいと思いました。しかし、魏王は、派兵はしたものの、
秦軍と戦うことを許可しませんでした。そこで、信陵君は、国王の命令用の割り
符を盗むと、みずから派遣部隊の司令官になりすまし、秦軍と戦って退けました。)
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 そのもとづくところに反した例としては、田忌が魏国に攻めこむことで魏軍に
攻められていた韓国を救ったものがあります。(戦国時代、魏国は韓国を攻め、韓
国は斉国に救援を要請しました。そこで斉王は、田忌を大将とする援軍を派遣し
ました。このとき、田忌は、軍師の孫?の進言に従って、韓国に向かわず、魏国の
首都を急襲しました。驚いた魏軍は、急いで韓国への攻撃をやめて、首都に急行
したのですが、そこを斉軍に待ち伏せされて、こてんぱんにやられました。)
 もとづくところをそれとなく分かるとは、『孫子』にある「敵の実力を判断して
勝算をはかる」というものです。
 もとづくところを細かく見きわめるとは、『孫子』にある「敵を圧倒できるまで
の実力をたくわえる」というものです。
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(14)変―変幻自在である
○解字
 一つの原則にとらわれないこと、これを「変」と言います。
○原文
 物事は、決まっていないやり方で惑わすこともあれば、決まったやり方で惑わ
すこともあり、常に行っているものを使って変えることもあれば、常に変わって
いるものを使って変えることもあります。変化は無限です。
 同じ手を使えるならまた使います。また使うときには変えますが、実際は変え
たように見せかけるだけで変えません。
 同じ手を使えないなら変えます。変えるときには二回にわたり変えますが、そ
れは変化を知られるのでさらに変えるのです。
 あらゆる雲も一つの気であり、多くのうねりも一つの波であるように、やり方
はいろいろ変わりますが、その本質はまったく変わりません。
○意味の解説
 計画を二回使って変えるのは、勢いとしてもう一回できるからです。
 計画を一回使って変えるのは、勢いとしてもう一回できないからです。
 計画を変えてまた使うのは、勢いとしてもう一回できるからです。
 計画を変えてまた変えるのは、勢いとしてもう一回できないからです。
 変えるか、変えないかは、形勢を見て決めます。
 できるか、できないかは、心理を読んで判断します。
○引証
 秦末漢初、漢王の劉邦は、各地に王を任命しようとしていたのですが、張良の
諫言を聞いて、それをとりやめました。
 戦国時代、趙軍を率いる趙奢は、軍隊を止めていたのですが、許歴の諫言を聞
いて、軍隊を動かしました。
 物事の転変も形勢がどうであるかを見てから決めるものです。どうして一定の
やり方があるでしょうか。
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(15)累―先の先を考えていく
○解字
 相手より上を行けるように考えて計画を生み出すこと、これが「累」となりま
す。
○原文
 こちらがこれを使って相手に勝つなら、相手もこれを使ってこちらに勝てます。
そこで、こちらは一つの防衛策を立てます。
 こちらがこれを使って相手の勝利を防いだなら、相手もこれを使ってこちらの
勝利を防げます。そこで、こちらはそのうえに防衛策を破る手段を講じます。
 こちらが相手の防衛策を破れば、同じように相手もこちらの防衛策を破ります。
そこで、こちらはそれに応じてさらに相手がこちらの防衛策を破るのを破るため
の対策を立てます。
 このように、作戦を更新していくことで計画が生み出され、行動を起こすとそ
れに続いてすぐに対策が出てきます。なんとも深長なものです。
○意味の解説
 自分の心を使って相手の心を推測します。自分の能力を使って相手の能力を推
測します。自分の知恵を使って相手の知恵を推測します。ですから、敵情を推察
するのがうまい人は、敵を推察するのではなく、自分を推察します。
 ただし、言葉どおりに自分を推察するのではなく、どうすれば敵が自分をうま
く攻められるのかを推察します。どうすれば敵が自分をうまく攻められるかを推
察できるときには、どうすれば自分が敵をうまく攻められるかを推察できます。
 二人の賢者がにらみあっているとき、学問が完全で、経験が豊富で、知恵と勇
気が十分なほうが勝ちます。もし上は天文を考えず、下は地理を察せず、中は社
会の事柄に通じていないなら、どうして敵に対抗できるでしょうか。
 ですから、兵士の勇気を磨くのは簡単ですが、将軍の知恵を磨くのは難しいの
です。
○引証
 三国時代、晋国の羊?は、呉国の陸抗と戦うにあたり、甲冑を身に着けないで戦
いに臨みました。(晋国と呉国とが国境を接する地域で、晋国の羊?は善政をしき、
住民の心をつかんでいました。それに対する呉国の陸抗は、日頃から住民に恩恵
を与えておらず、羊?と戦っても住民の支持を得られず、とうてい勝ち目はないと
判断し、観念しました。)
 三国時代、魏国の司馬仲達は、蜀漢国の諸葛孔明と戦うにあたり、堀を深くし、
壁を高くして守りを固めて戦いませんでした。(魏軍と蜀漢軍が対峙したとき、魏
軍を率いる司馬仲達は、物資の乏しい蜀漢軍は持久できないと見て、決して戦わ
ないで、蜀漢軍が撤退するしかなくなるのを待ちました。)
 まことに自分の知識、相手の知識、自分の能力、相手の能力を見て、無理して
戦うことをしないで相手を敗北させました。
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 世間の敵を見ることを軽んじる人は、愚の骨頂です。
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(16)転―立場を逆転する
○解字
 うまく立場を変えられること、これを「転」と言います。
○原文
 守る側の一の兵力は、攻めてくる敵の十の兵力に匹敵するというのが、常識的
な見解です。
 こちらが十の兵力で一の兵力の敵を攻めるとき、もし立場を逆転できれば、相
手は依然として一のままですが、こちらの十は十倍になり、百の兵力で一の兵力
の敵を攻撃することになります。
 こちらが十の兵力で十の兵力の敵を攻めるとき、もし立場を逆転できれば、こ
ちらは依然として十の兵力でも、相手の十は十分の一となり、十の兵力で一の兵
力の敵を攻撃することになります。
 こちらが一の兵力で十の兵力の敵を攻めるとき、もし立場を逆転できれば、敵
は一の兵力にあたれるだけですが、こちらは十倍の兵力に対抗できることになり、
一の兵力で一の兵力の敵を攻撃することになります。
 ですから、用兵のうまい人は、守勢と攻勢の立場を逆転でき、優勢と劣勢の程
度を逆転でき、疲労と安楽の時機を逆転でき、有利と不利の情勢を逆転でき、順
境と逆境の状態を逆転でき、傲慢と謹厳の心情を逆転でき、形勢的に逆転できる
だけでなく、心理的にも逆転できるのです。
 困難や危険を相手に与え、簡単や良好を自分のものとするのが、逆転の最高の
ものです。
○意味の解説
 陣地を築き、道路を作ることで、守勢と攻勢の立場を逆転します。
 あちこちから攻めかかることで、優勢と劣勢の程度を逆転します。
 ゲリラ戦を展開することで、疲労と安楽の時機を逆転できます。
 こちらを満腹にし、相手を空腹にさせることで、有利と不利の情勢を逆転しま
す。
 たちまち去ったり、たちまち来たりすることで、順境と逆境の状態を逆転しま
す。
 ちょっと負けたり、ちょっと逃げたりすることで、傲慢と謹厳の心情を逆転し
ます。
○引証
 春秋時代、晋侯は曹国の首都を包囲しましたが、主力は墓地に移動しました。(晋
軍に首都を包囲された曹国は、城門を固く閉ざして、徹底抗戦しました。なかな
か首都が陥落しないので、晋国の君主である晋侯は、晋軍を曹国の墓地に移動さ
れました。それを見た曹国の人々は、大事な先祖の墓が晋軍に荒らされるのでは
ないかと心配になり、戦いどころではなくなって、ついに降伏しました。)
 春秋時代、楚軍は絞国を攻撃しましたが、その北門に陣取りました。(楚軍が絞
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国の首都を攻めたとき、その守りが固くて、なかなか陥落させられませんでした。
そこで楚軍は、その北門に陣取ったうえで、別の場所におとり部隊を出し、それ
をねらって出てきた絞軍を待ち伏せ攻撃し、撃破しました。)
 これはすべて逆転する作戦を成功させられた例です。相手が全力で猛攻しても、
どうにもなりません。
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(17)活―うまく活用する
○解字
 しっかりやって余裕をもてるようにすること、これを「活」と言います。
○原文
 活用には様々な活用の糸口があります。長く続けられたり、とりあえずその場
をしのげたりするのは、時を活用した結果です。進めたり、退けたりするのは、
地形を活用した結果です。行くことができたり、来ることができたりするのは、
道路を活用できた結果です。楽勝できたり、逆転できたりするのは、機会を活用
した結果です。
 軍隊は必ず活用できると分かってから動かしますし、計画は必ず活用できると
分かってから行います。
 しかしながら、活用するにあたっては気を抜かないように心がけねばならず、
しっかりやって活用できるようにします。
 勢いが続かないのは「孤立した軍隊」ですし、あとが続かないのは「ゆきづま
った計画」です。
○意味の解説
 昔の将軍は、出兵するとき、戦闘をしたり、やめたりするのについては朝廷に
従い、軍隊を進めたり、退けたりするのについては軍令に従いました。ゆるがせ
にできないのは勢いです。「戦争をしたり、やめたりするのは思いのままにでき、
軍隊を進めたり、退けたりするのについては自由にできる」ということではあり
ません。ただしっかりやって余裕をもてるようにし、死中に活を求めることがで
きるにすぎません。
 内で防いだり、外で防いだり、外で戦ったり、内で戦ったり、明らかに突いた
り、ひそかに突いたり、ひそかに害したり、明らかに害したり、攻撃したり、救
援したり、堅守したり、誘導したりするのは、すべて活用の方法です。
 しかし、決してしっかりやることにこだわりすぎて「株を守ってウサギを待つ」
ようなことがあってはなりません。ですから、「活用するのが抜群にうまいからこ
そ、守備が巧妙である。逆転するのが抜群にうまいからこそ、攻撃が巧妙である」
と言うのです。
○引証
 活用する方法にすぐれていたのは、唐代の李光弼でしょうか。常山を守るとき
は、弓や弩を使いました。太原を守るときは、地道を使いました。河陽を守ると
きは、外塁を使いました。
 他には、晋代、朱序が襄陽を守ったとき、母の指導に従って出城を築いて敵を
撃退したものがあります。
 また、明代、許逵が楽陵を守ったとき、町の周囲に土塁を築いて兵士を隠れさ
せて、さらに蓄えを増やし、外部の支援を取り付け、奇策を思う存分に繰り出し
たものもあります。
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 守備の方法が十分であり、活用の方法が万全であることを、よく守備できてお
り、よく活用できていると言います。
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(18)疑―疑ったり、疑わせたりする。
○解字
 敵の心をかき乱すこと、これを「疑」と言います。
○原文
 戦争での詭計は必ず疑います。疑うのが不十分なら必ず敗北します。
○意味の解説
 疑うのは古今を通じて見られる弊害ですが、将軍のすぐれたわざでもあります。
 人には必ず目がありますが、目は見ないわけにはいかず、それと似たようなも
のを見れば、それではないかと疑います。人には必ず耳がありますが、耳は聞か
ないわけにはいかず、それと似たようなものを聞けば、それではないかと疑いま
す。人には心が必ずありますが、心は意識しないわけにはいかず、それと似たよ
うなものを意識すれば、それではないかと疑います。もしとても愚かでないなら、
だれが頑迷で無知になるでしょうか。ですから「古今を通じて見られる弊害」と
言うのです。
 しかしながら、自分が疑っているなら、この機会に疑いを細かく見きわめ、み
ずから熟慮し、みんなで判断します。そうしてはじめて疑いを解決して役立てる
ことができます。この「疑うと」いうのは、知恵と計略の源泉であり、少しもな
いがしろにできず、あなどって軽く見ることができず、だらだらと対応すること
ができず、あさはかに考えることができません。ますます分かればますます疑い、
ますます疑えばますます分かります。疑うのが十分なら勝ちますが、疑うのが不
十分なら敗れます。ですから「将軍のすぐれたわざ」と言うのです。
 そこで昔のすぐれた将軍は、自分の疑いを解決するのがうまく、人を疑わせる
のがうまかったのです。
○引証
 春秋時代、魯軍を指揮して晋軍と戦った曹?は、晋軍の撤退がウソではないかを
疑って敵軍の軍旗と車輪の跡を調べたうえで追撃し、長勺の戦いで勝利しました。
 また、晋国の君主である文公は、夢の知らせを疑って、城濮の戦いで勝利しま
した。
 以上はみずからその疑いを解決したものです。
 前漢の時代、国境を警備していた李広は、匈奴軍と遭遇したときに武装をとく
ことで、匈奴軍を疑わせて撤退させました。
 また、三国時代、蜀国の部将である趙雲は、軍旗を伏せ、太鼓を鳴らさないこ
とで、曹操を疑わせて撤退させました。
 以上は人を疑わせるものです。
 ですから、自分の疑いを解決することを明察に利用し、人を疑わせるのを勝利
に利用するのです。