五倫書ー火之巻 | 覚書き

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  1 火之巻 序
【原 文】

二刀一流の兵法、戦の事を火に思ひとつて、
戦勝負の事を、火之巻として、
此巻に書顕す也。(1)
先、世間の人毎に、兵法の利を
ちいさくおもひなして、或ハゆびさきにて、
手くび五寸三寸の利をしり、或ハ扇をとつて、
ひぢより先の先後のかちをわきまへ、
又ハしなひなどにて、わづかのはやき利を覚へ、
手をきかせならひ、足をきかせならひ、
少の利のはやき所を専とする事也。
我兵法におゐて、数度の勝負に、
一命をかけてうち合、生死二つの利をわけ、
刀の道を覚へ、敵の打太刀の強弱を知り、
刀のはむねの道をわきまへ、
敵をうちはたす所の鍛練を得るに、
ちいさき事、弱き事、思ひよらざる所也。
殊に六具かためてなどの利に、
ちいさき事、思ひいづる事にあらず。(2)
されバ、命をはかりの打あひにおゐて、
一人して五人十人ともたゝかひ、
其勝道をたしかにしる事、我道の兵法也。
然によつて、一人して十人に勝、
千人をもつて万人に勝道理、
何のしやべつあらんや。能々吟味有べし。
さりなから、常/\の稽古の時、
千人万人をあつめ、此道しならふ事、
なる事にあらず。獨太刀をとつても、
其敵/\の智略をはかり、
敵の強弱、手だてを知り、兵法の智徳をもつて、
萬人に勝所をきはめ、此道の達者となり、
我兵法の直道、世界におゐて、たれか得ん、
又いづれかきはめんと、たしかに思ひとつて、
朝鍛夕錬して、みがきおほせて後、
獨自由を得、おのづから奇特を得、
通力不思儀有所、
是兵として法をおこなふ息也。(3)

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【現代語訳】

 二刀一流の兵法においては、戦いのことを火に思いとる。そこで、戦い勝負のことを火の巻としてこの巻に書きあらわすのである。
 まず世間の人は、だれでも、兵法の利〔勝ち方〕を小さく考えてしまう。ある者は、指先で(わずか)手首五寸三寸の利を知り、ある者は、扇を(手に)とって、肱から先〔小手先〕の先だ後だという勝ちを心得る。または、竹刀などで、僅かばかりの早い利を覚え、手を利かせ習い、足を利かせ習い、少し(ばかり)の利の早いところを第一とするものである。
 (これに対し)我が兵法では、度々の勝負において、一命を賭して(太刀を)打ち合う生死二つの利の分かれ目を知って、刀の軌道を覚え、敵の打つ太刀の強弱を知り、刀の刃棟〔はむね〕の使い方をわきまえて、敵を打ち果すための鍛練を修得する。それゆえに、些細なこと、弱いことは、思いもよらないところである。ことに、甲冑を装着して(戦場に出るばあい)の利に、些細な(相違の)事を発想することはありえない。
 されば、命がけの打ち合いにおいて、一人で五人十人とも戦い、その勝つ道を確実に知ること、それが我が道の兵法である。したがって、一人で十人に勝ち、千人で万人に勝つ道理に、何の相違があろうか。(これを)よくよく吟味あるべし。
 しかしながら、日常の稽古の時、千人も万人も人をあつめて、この戦法を演習するわけにはいかない。一人で太刀をとっても、その敵それぞれの智略を推測し、敵の強弱や作戦を察知し、兵法の智徳〔智恵の効能〕をもって、万人に勝つところを極め、この道の練達者となり、我が兵法の直道〔じきどう〕を、世の中で(自分以外の)だれが得るというのか、また、だれが極めるというのか、と確かに思いとって、朝にタに鍛練して、みがくこと。それをやり遂げれば、その後は、ひとりでに自由を得て、おのづから奇特〔奇跡的効験〕を得て、神通力の不思議が生じる。ここが、まさに兵法を修行する息〔精粋〕である。

 

 2 場の次第
【原 文】

一 場の次第と云事。
場の位を見分る所、場におゐて、
日をおふと云事有。
日をうしろになして搆る也。
若、所により、日をうしろにする事
ならざる時ハ、右の脇へ日をなす様にすべし。
座敷にても、あかりをうしろ、右わきとなす事、
同前也。うしろの場つまらざる様に、
左の場をくつろげ、右脇の場をつめて、
搆へたき事也。
よるにても、敵のミゆる所にてハ、
火をうしろにおひ、あかりを右脇にする事、
同前と心得て、搆べきもの也。
敵を見おろすと云て、
少も高き所に搆るやうに心得べし。
座敷にてハ、上座を高き所と思ふべし。(1)
さて、戦になりて、敵を追まはす事、
我左のかたへ追まハす心、
難所を敵のうしろにさせ、
何れにても難所へ追かくる事、肝要也。
難所にて、敵に場をみせず、といひて、
敵にかほをふらせず、油断なくせりつむる心也。
座敷にても、敷居、鴨居、戸障子、椽など、
又、柱などの方へ、おひつむるにも、
場をみせずと云事、同前也。
いづれも敵を追懸る方、足場のわろき所、
又ハわきにかまひの有所、何れも場の徳を用て、
場の勝を得と云心専にして、
能々吟味し、鍛錬有べきもの也。(2)

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【現代語訳】

一 場の次第という事
 場の位*を見分けるについて、その場において「日を負う」ということがある。(つまり)太陽を背後にして搆えるのである。もし、場所によって太陽を背にすることができないときは、右の脇の方に太陽がくるようにすべし。
 座敷〔屋内〕でも、あかりを背にし、右脇にすること、前に同じである。後方の場が詰まらないようにし、左の場を広くとり、右脇の場を詰めて搆えるようにしたいものである。
 夜間でも、敵の見える所では、火を背にし、あかりを右脇にすること、前に同じと心得て、搆えるべきである。
 「敵を見下ろす」といって、少しでも高い所に搆えるように心得ること。座敷では、上座〔かみざ〕を高い所と思えばよい。
 さて、戦いになって、敵を追い廻す場合、自分の左の方へ追い廻す感じで、難所を敵の後にくるようにさせ、どんな場合でも難所へ追い込むことが肝要である。
 難所では、「敵に場を見せず」といって、(それは)敵に顔を振らせず、油断なくせり詰めるという意味である。座敷でも、敷居・鴨居・戸障子・縁側など、また柱などの方へ追い詰める場合にも、「場を見せず」ということ、前に同じである。
 どんな場合でも、敵を追い込む方向は、足場の悪い所、または脇にさし障りのある所、いづれにしても、その場の徳〔得、優位〕を利用して、場の勝ちを得るという心を専〔せん、第一〕にして、よくよく吟味し、鍛練あるべきものである。

 

  3 三つの先〔せん〕
【原 文】

一 三つの先と云事。
三つの先、一つハ我方より敵へかゝる先、
けんの先といふ也。又一つハ、
敵より我方へかゝる時の先、
是ハたいの先と云也。
又一つハ、我もかゝり、敵も
かゝりあふときの先、躰々の先と云。
これ三つの先也。
何の戦初にも、此三つの先より外ハなし。
先の次第をもつて、はや勝事を得ものなれバ、
先と云事、兵法の第一也。
此先の子細、さま/\有といへども、
其時々*の理を先とし、敵の心を見、
我兵法の智恵をもつて勝事なれバ、
こまやかに書分る事にあらず。(1)
第一、懸の先。我懸らんとおもふ時、
静にして居、俄にはやく懸る先、
うへを強くはやくし、底を残す心の先。
又、我心をいかにも強くして、
足ハ常の足に少はやく、
敵のきハへよると、早もミたつる先。
又、心をはなつて、初中後同じ事に、
敵をひしぐ心にて、底まで強き心に勝。
是、何れも懸の先也。
第二、待の先。敵我方へかゝりくる時、
少もかまはず、よはきやうにミせて、
敵ちかくなつて、づんと強くはなれて、
とびつくやうにミせて、敵のたるミを見て、
直に強く勝事。これ一つの先。
又、敵かゝりくるとき、
我もなを強くなつて出るとき、
敵のかゝる拍子の替る間をうけ、
其まゝ勝を得事。是、待の先の理也。
第三、躰々の先。敵はやく懸るにハ、
我静につよくかゝり、敵ちかくなつて、
づんとおもひきる身にして、
敵のゆとりのミゆる時、直に強く勝。
又、敵静にかゝるとき、
我身うきやかに、少はやくかゝりて、
敵近くなつて、ひともミもみ、
敵の色にしたがひ、強く勝事。
是、躰々の先也。(2)
此儀、こまかに書分けがたし。
此書付をもつて、大かた工夫有べし。(3)
此三つの先、時にしたがひ、理にしたがひ、
いつにても我方よりかゝる事にハ
あらざるものなれども、
同じくハ、我方よりかゝりて、
敵を自由にまはしたき事也。
何れも先の事、兵法の智力をもつて、
必勝事を得る心、能々鍛錬有べし。(4)

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【現代語訳】

一 三つの先という事
 三つの先〔せん〕、一つは我方から敵へかかっていく先、これを「懸〔けん〕の先」というのである。また一つは、敵の方から我方へかかってくる時の先、これは「待〔たい〕の先」という。もう一つは、こちらもかかっていき、敵もかかってくる仕懸け合いの時の先、これを「躰々〔たいたい〕の先」という。これが三つの先である。
 どんな戦いでも、最初はこの三つの先より外はない。先の状況次第で、すでに勝つことを得るものだから、先ということが、兵法の第一である。
 この先の子細には、さまざまあるとはいえ、その時々の理〔ことわり、判断〕を先とし、敵の心を見(抜き)、我が兵法の智恵をもって勝つことであるから、細かく説明することはしない。
 第一、懸〔けん〕の先。こちらから仕懸けようと思う時、(まず)静かに〔急がずに〕いて、突然素早く仕懸ける先。うわべ〔表面〕は強く早くするが、底を残す心の先。また(逆に)、自分の心をできるだけ強くして、(ただし)足は平常の足より少し早い程度で、敵の間際へ寄るやいなや、猛烈に攻めたてる先。また、心を放捨して、初めも中間も最後も同じように、敵を挫ぐ〔ひしぐ・押し潰す〕気持で、底まで強い心で(出て)勝つ。これらは何れも「懸の先」である。
 第二、待〔たい〕の先。敵が我が方へ仕懸けてくる時、(それには)少しもかまわず、(こちらの攻勢が)弱いように見せ(かけ)て、敵が近づくと「づん」と強く(攻勢を)変えて、飛びつくように見せ、敵の(攻勢の)弛みを見て、一気に強く出て勝つこと、これが一つの先である。また、敵が仕懸けてくる時、こちらもそれよりも強くなって出て、その時、敵の攻勢の拍子の変化する隙間をとらえて、すぐさま勝ちを得ること。これが「待の先」の理〔利、勝ち方〕である。
 第三、躰々〔たいたい〕の先。敵が早く仕懸けてくる場合、こちらは静かに〔急がずに〕強く応戦し、敵が近づくと、「づん」と思い切った体勢になって、敵のゆとり〔遅滞〕が見えると、一気に強く出て勝つ。また、敵が静かに〔ゆっくりと〕かかってくる時、我身は軽く浮きやかに(なって)、少し早くかかっていき、敵が近くなると、ひと揉み争ってみて、敵の様子に応じて、強く(出て)勝つこと。これが「躰々の先」である。
 以上の事は、細かく説明することはできない。ここに書いてあることから、(自分で)大かたを工夫してみなさい。
 この三つの先は、時にしたがい、理〔利〕(の有無)にしたがって(行うもので)、どんな場合でもこちらから(先に)仕懸けるということではないが、同じことなら、我が方から仕懸けて、敵を廻し〔翻弄し〕たいものである。
 何れにしても、先〔せん〕のことは、兵法の智力によって必ず勝ちを得るという心持、(これを)よくよく鍛練あるべし。

 

  4 枕をおさえる
【原 文】

一 枕を押ると云事。
枕をおさゆるとハ、
かしらをあげさせずと云所也。
兵法勝負の道にかぎつて、
人に我身をまはされて、あとにつく事、悪し。
いかにもして、敵を自由にまはしたき事也。
然によつて、敵も左様に思ひ、
われも其心あれども、人のする事を
うけがはずしてハ、叶がたし。
兵法に、人のうつ所をとめ、つく所をおさへ、
くむ所をもぎはなしなどする事也。
枕を押ると云ハ、我実の道を得て、
敵にかゝりあふ時、敵何事にても思ふ
氣ざしを、敵のせぬうちに見しりて、
敵の打と云、うの字のかしらをおさへて、
跡をさせざる心、是枕をおさゆる心也。
たとヘバ、敵の懸ると云、かの字(のかしら*)を
おさへ、飛と云、との字のかしらをおさへ、
きると云、きの字のかしらをおさゆる事、
ミなもつておなじ心也。(1)
敵我にわざをなす事につけて、
役にたゝざる事をば敵に任せ、
役に立ほどの事をバ、おさへて、
敵にさせぬやうにする所、兵法の専也。
これも、敵のする事をおさへん/\とする心、
後手也。先、我は何事にても、
道にまかせてわざをなすうちに、
敵もわざをせんと思ふかしらをおさへて、
何事も役にたゝせず、敵をこなす所、
是、兵法の達者、鍛錬の故也。
枕をおさゆる事、能々吟味有べき也。(2)

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【現代語訳】

一 枕をおさえるという事
 枕をおさえるとは、(敵に)頭をあげさせないというところである。
 兵法勝負の道に限っても、人に我が身を廻され〔翻弄され〕て、後手につくことはよくない。どうにかして、敵を自由に廻したいものである。
 したがって、敵もそのように思い、こちらもそのつもりだが、相手のすることに対応することなしには、それができない。(それゆえに)兵法において、相手の打つところを止め、突くところをおさえ、組みついてくるところを、もぎ離しなどするのである。
 (これに対し)枕をおさえるというのは、我が真実の道を会得して、敵にかかり合う時、何ごとであれ、敵が思うきざしを示さぬ内に、こちらはそれを察知して、敵の「打つ」というその「う」の字の頭をおさえて、その後をさせないこと、これが枕をおさえるという意味である。
 たとえば、敵の「かかる」という「か」の字の頭をおさえ、「飛ぶ」という「と」の字の頭をおさえ、「切る」という「き」の字の頭をおさえる。これは、すべて同じ(枕をおさえるという)意味である。
 敵がこちらに業を仕懸けてくるにつけても、役に立たない事は敵に任せて、役に立ちそうな事はこちらがおさえて、敵にさせないようにするところ、これが兵法の専〔第一に重要なこと〕である。
 これも、敵のすることを、おさえよう、おさえようとするのは、後手〔ごて〕である。まず、何ごとであれ、自分は道に任せて業をするうちに、敵も業をしようと思う、その頭をおさえて、何ごとも役に立たせず、敵をこなす*〔自由に扱う〕ところ、これが兵法の達者であり、鍛練の成果である。
 (この)枕をおさえること、よくよく吟味あるべきである。

 

 5 渡を越す
【原 文】

一 とをこすと云事。
渡をこすと云ハ、縱ば海をわたるに、
せとゝいふ所も有、又は、四十里五十里とも
長き海をこす所を、渡と云。
人間の世をわたるにも、一代のうちにハ、
渡をこすと云所多かるべし。
舩路にして、其との所を知り、
舟の位をしり、日なミを能知りて、
たとひ友舩は出さずとも、
その時のくらゐをうけ、
或はひらきの風にたより、或は追風をもうけ、
若、風かはりても、二里三里は、
ろかひ*をもつて湊に着と心得て、
舩をのりとり、渡を越す所也。
其心を得て、人の世を渡るにも、
一大事にかけて、渡をこすと思ふ心有べし。
兵法、戦のうちに、渡をこす事肝要也。
敵の位をうけ、我身の達者をおぼへ、
其理をもつてとをこす事、
よき船頭の海路を越すと同じ。
渡を越てハ、又心安き所也。
渡を越といふ事、敵によはミをつけ、
我身先になりて、大かたはや勝所也。
大小の兵法のうへにも、とをこすと云心、肝要也。
能々吟味有べし。(1)
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【現代語訳】

一 渡を越すという事
 渡*〔と〕を越すというのは、たとえば、海を渡るに「せと」〔狭渡〕という(狭い)所もあり、または、四十里五十里という長い海を越す所を渡〔と〕という。人が世間を渡るにも、一生のうちには、渡を越すという場面が多いであろう。
 船路にあっては、その渡の場所を知り、あるいは船の位〔性能〕を知り、日並〔天候〕をよく知って、たとえ連れの舟は出さなくとも、その時々の状況に応じて、あるいは開きの風〔横風〕に頼り、あるいは追風をも受け、もし風が変っても、二里三里(の距離)は、櫓や櫂を使ってでも港に着けると心得て、船を操り、渡を越すのである。
 そのように心得て、人の世を渡るにも、(ここぞという)大事な場面では、渡を越すと思う心があるであろう。
 兵法(においても)、戦いの最中に、渡を越すということが肝要である。敵の位に応じ、我身の達者〔技能〕を自覚し、その理〔理性〕によって渡を越すこと、これは優れた船頭が海路を越すのと同じこと。渡を越せば、再び安心できるのである。
 渡を越すということは、敵には弱みを着けさせ、我が身は先〔せん〕になって、すでにほぼ勝ちおさめるというところである。
 大小の兵法*の上でも、渡を越すという心持が肝要である。よくよく吟味あるべし。

 

  6 景気を知る
【原 文】

一 けいきを知と云事。
景氣をみると云ハ、大分の兵法にしてハ、
敵のさかへ、おとろへを知り、
相手の人数の心を知り、其場の位をうけ、
敵のけいきを能見分、我人数何としかけ、
此兵法の理にてたしかに勝と云ところを
のミ込て、先の位をしつて戦所也。
又、一分の兵法も、敵のながれをわきまへ、
相手の強弱、人がらを見分け、
敵の氣色にちがふ事をしかけ、
敵のめりかりを知り、其間の拍子をよく知て、
先をしかくる所、肝要也。
物毎のけいきといふ事ハ、
我智力強けれバ、かならずミゆる所也。
兵法自由の身になりてハ、
敵の心を能斗て勝道多かるべき事也。
工夫有べし。(1)
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【現代語訳】

一 景気を知るという事
 景気*〔勢い〕を見るというのは、大分の兵法〔合戦など集団戦〕においては、敵の勢いの隆盛衰退を知り、相手の軍勢の企図を察知し、その場の位〔態勢〕に応じ、敵の景気をとく見分け、我が方の軍勢をどう仕懸け、この兵法の理〔利〕で確実に勝つというところを呑み込んで、先〔せん〕の位を知って戦うことである。
 また一分の兵法〔一対一の戦闘〕でも、敵がどの流派かをわきまえ、相手の強弱やその性格を見分けて、敵の気色〔けしき〕とは違うことを仕かけ、敵の調子の抑揚高低を知り、その間〔あい〕の拍子を知って、先〔せん〕を仕懸けること、これが肝要である。
 どんなものでも、景気ということは、こちらの智力が強ければ、必ず見えるものである。兵法が自由自在の身になると、敵の心をよく計量して勝つという道が多くなるのである。(この点)工夫あるべし。

 

 7 けんを踏む
【原 文】

一 けんをふむと云事。
劔を踏と云心ハ、兵法に専用る儀也。
先、大なる兵法にしてハ、
弓鉄炮におゐても、敵、我方へうちかけ、
何事にてもしかくる時、
敵の弓鉄炮にてもはなしかけて、
其跡にかゝるによつて、又矢をつがひ、
鉄炮にくすりをこみ合するによつて、
又新しくなつて追込がたし*。
弓鉄炮にても、
敵のはなつ内に、はやかゝる心也。
はやくかゝれバ、矢もつがひがたし、
鉄炮もうち得ざる心也。
物ごとに敵のしかくると、
其まゝ其理をうけて、
敵のする事を踏付てかつこゝろ也。(1)
又、一分の兵法も、
敵の打出す太刀の跡へうてバ、
とたん/\となりて、はかゆかざる所也。
敵のうち出す太刀ハ、
足にて踏付る心にして、打出す所を勝、
二度目を敵の打得ざる様にすべし。
踏と云ハ、足には限るべからず。
身にてもふミ、心にても蹈、
勿論太刀にてもふミ付て、
二の目を敵によくさせざる様に心得べし。
是則、物毎の先の心也。
敵と一度にと云て、ゆきあたる心にてハなし。
其まゝ跡に付心也。能々吟味有べし。(2)

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【現代語訳】

一 けんを踏むという事
 剣(懸*)を踏むという心持ちは、兵法においてもっぱら用いることである。
 まず、大きな兵法〔合戦〕では、弓や鉄炮の場合でも、敵がこちらへ撃ちかかり、何ごとでも(攻撃を)仕懸けてくる時、敵が弓や鉄炮でも攻撃したその後に、こちらが攻撃しようとするから、(その間に敵は)また、弓をつがい、鉄炮に弾薬をこめて、新しい攻撃体勢をつくってしまう。そのため、こちらは敵を追い込むことができない。
 (したがって)弓や鉄炮の場合でも、敵が発射するその最中に、すでに(攻撃に)かかることである。早めに攻撃すれば、(敵は)矢もつがうことができず、鉄炮も発射できないわけである。
 どんなことでも、敵が仕懸けてくると、(敵の仕懸けた)その理〔利〕を、すぐさま(こちらが)活用して、敵のする事を踏みつけて勝つ、ということである。
 また、一分の兵法〔個人戦〕でも、敵の打ち出す太刀の後へ打てば、「ト、たん、ト、たん」と(単調に)なって、捗が行かないものである。敵の打ち出す太刀は、足で踏みつける気持で、敵の打ち出すところを打勝ち、敵が二度目を打てないようにすべし。
 踏むというのは、足に限ったことではあるまい。身体でも踏み、心でも踏み、もちろん太刀でも踏みつけて、二度と攻撃ができないようにしてやる、そのように心得ること。これがすなわち、どんな場合でも、先〔せん〕の心である。
 (これは)敵と同時にといって、(正面から)ぶつかるという意味ではない。すぐさま後につく、という意味である。よくよく吟味あるべし。

 

 8 崩れを知る
【原 文】

一 くづれを知と云事。
崩と云事ハ、物毎に有もの物也。
其家の崩るゝ、身のくづるゝ、
敵の崩るゝ事も、時にあたりて、
拍子ちがひになつて、くづるゝ所也。
大分の兵法にしても、
敵の崩るゝ拍子を得て、
其間をぬかさぬやうに追立る事、肝要也。
くづるゝ所のいきをぬかしてハ、
たてかへす所有べし。
又、一分の兵法にも、戦ふ内に、
敵の拍子ちがひて、くづれめのつくもの也。
其ほどを油断すれば、又立かへり、
新しくなりて、はかゆかざる所也。
其くづれめにつき、敵のかほたてなをさゞる様に、
たしかに追かくる所、肝要也。
追かくるハ、直に強きこゝろ也。
敵立かへさゞるやうに、打はなすもの也。(1)
うちはなすと云事、能々分別有べし。
はなれざれバ、したるき心あり。
工夫すべきもの也。(2)
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【現代語訳】

一 崩れを知るという事
 崩れということは、どんなことにもあるものである。その家の崩れる、身の崩れる、敵が崩れることも、その時にあたって、拍子が狂ってしまい、崩れるのである。
 大分の兵法〔合戦〕でも、敵の崩れる拍子をとらえて、その瞬間をのがさないように追撃することが肝要である。崩れるところの急所をのがすと、敵を立ち直らせることになる。
 また、一分の兵法〔個人戦〕の場合でも、戦っている最中に、敵の拍子が狂って、崩れ目ができるものである。それを油断してのがすと、(敵は)また立ち直り、復活してしまう。それでは捗が行かぬのである。
 その崩れ目につけ入り、敵が顔〔体勢〕を立て直さないように、徹底的に追撃する、そこが肝要である。追撃するのは、一気に強烈に、という心持である。敵が立ち直れないように、打ちはなす〔粉砕する〕のである。
 (この)打ちはなすということを、よくよく吟味あるべし。(敵に対する感情を)切断しなければ、べたつく心が残る。(これは)工夫すべきものである。

 

 9 敵になる
【原 文】

一 敵になると云事。
敵になると云ハ、我身を
敵になり替りておもふべきと云所也。
世の中を見るに、ぬすミなどして、
家のうちへとり籠るやうなるものをも、
敵を強くおもひなすもの也。
敵になりておもへバ、
世の中の人をみな相手として、
にげこミて、せんかたなき心也。
とりこもる者ハ雉子也、打はたしに入人ハ鷹也。
能々工夫有べし。
大なる兵法にしても、敵といへバ、
強くおもひて、大事にかくるもの也。
我常に*よき人数を持、兵法の道理を能知り、
敵に勝と云所を能うけてハ、
氣づかひすべき道にあらず。
一分の兵法も、敵になりて思ふべし。
兵法能心得て、道理強く、其道達者なる者に
あひてハ、かならず負ると思ふ所也。
能々吟味すべし。(1)
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【現代語訳】

一 敵になるという事
 敵になるというのは、我が身を敵になり代って考えてみろ、ということである。
 世の中を見るに、盗みなどをして、家の内へとり籠る〔籠城する〕ような者であっても、(家の外からは)相手を強いと思い込んでしまうものである。
 (しかし)敵(盗賊)の身になって思えば、世の中の人をみな相手として、(家の中へ)逃げ込んでいるのであり、絶望的な気持なのである。とり籠る者は雉子〔きじ〕である。(これを外から)打ち果しに入ろうとする人は鷹である。よくよく工夫あるべし。
 大きな兵法にしても、敵といえば、強いと思い込んで、大ごとにして懸るものである。(しかし)こちらが常々すぐれた軍勢をもち、兵法の道理をよく知り、敵に勝つというところを十分承知していれば、心配する必要は何もない。
 一分の兵法でも、敵になって考えるべきである。兵法をよく心得て、道理が強く*、その道に練達した者に逢えば、必ず負けると思うものである。よくよく吟味すべし。


   10 四手〔よつで〕を放す
【原 文】

一 四手をはなすと云事。
四手をはなすとハ、敵も我も、同じこゝろに、
はりあふ心になつては、
戦はかゆかざるもの也。
はりあふ心になるとおもハヾ、其まゝ心を捨て、
別の利にて勝事をしる也。(1)
大分の兵法にしても、
四手の心にあれば、はかゆかず、
人も多く損ずる事也。はやく心を捨て、
敵のおもはざる利にて勝事、専也。
又、一分の兵法にても、
四手になるとおもハヾ、其まゝ心をかへて、
敵の位を得て、各別かはりたる利を以て
勝をわきまゆる事、肝要也。
能々分別すべし。(2)
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【現代語訳】

一 四手〔よつで〕を放すという事
 四つ手を放すとは、敵もこちらも同じ心持になって、張り合う気持になってしまうと、戦いの渉が行かないものである。張り合う気持になったなと思ったら、すぐさまこの気持を捨て去って、別の利〔有利な手段〕で勝つことを知るのである。
 大分の兵法にしても、四つ手の心に留まっていては、捗が行かず、人〔戦闘人員〕も多く損耗することになる。早くその気持を捨てて、敵の予想もしない利で勝つこと、これが専〔せん〕である。
 また、一分の兵法の場合でも、四つ手になったと思えば、ただちに心持を変えて、敵の位〔態勢〕を把握して、まったく違う別の利を使って勝つ、それをわきまえることが肝要である。よくよく分別すべし。
 

  11 陰を動かす
【原 文】

一 かげをうごかすと云事。
かげをうごかすと云ハ、
敵の心のミへわかぬ時の事也。
大分の兵法にしても、
何とも敵の位の見わけざる時ハ、
我方より強くしかくる様にみせて、
敵の手だてを見るもの也。手だてを見てハ、
各別の利にて勝事、やすき所也。
又、一分の兵法にしても、
敵うしろに太刀を搆、脇に搆たる様なるときハ、
ふつとうたんとすれバ、
敵思ふ心を太刀にあらはすもの也。
あらはれしるゝにおゐてハ、其まゝ利をうけて、
たしかにかちをしるべきもの也。
油断すれバ、拍子ぬくるもの也。
能々吟味有べし。(1)
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【現代語訳】

一 陰を動かすという事
 陰を動かすというのは、敵の意図がよく分らない時のことである。
 大分の兵法〔合戦〕にしても、何とも敵の位〔態勢〕を見分けられない時は、こちらの方から、強く(攻撃を)仕懸けるように見せて、敵の手だてを見るのである。(敵の)手だてが分れば、(それとは)まったく別の利〔戦法〕によって勝つことは容易なことである。
 また、一分の兵法〔個人戦〕にしても、敵が後方に太刀を搆えたり、脇に搆えているような時は、(こちらが)「ふっ」と打つふりをすれば、敵は思っていることを(必ずその)太刀に現わすものである。(それが)現われ知れたとなれば、ただちにその利〔優位〕をうけて、たしかに勝ち〔勝機〕を知るべきものである。油断していると、その拍子が抜けることになる。よくよく吟味あるべし。

 

12 影をおさえる
【原 文】

一 影をおさゆると云事。
かげを押ると云ハ、敵のかたより、
しかくる心の見ヘたるときの事也。
大分の兵法にしてハ、
敵のわざをせんとする所を、おさゆると云て、
我方より其利を押る所を、敵に強く見すれば、
強きにおされて、敵の心かはる事也。
我も心をちがへて、空なる心より、
先をしかけて勝所也。
一分の兵法にしても、
敵のおこる強き氣ざしを、
利の拍子を以てやめさせ、
やみたる拍子に、我勝利をうけて、
先をしかくるもの也。能々工夫有べし。(1)

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【現代語訳】

一 影をおさえるという事
 影をおさえるというのは、敵の方から仕懸ける気持の見えた時のことである。
 大分の兵法の場合では、敵が攻撃を仕懸けようとするところを「おさえる」といって、こちらの方からその利〔攻勢〕をおさえるところを、敵に強く見せる。そうすれば、その強さに(敵が)おされて、敵の心が変るということである。
 (そのとき)こちらも気持を変えて、空〔くう〕なる心から、先〔せん〕を仕懸けて勝つのである。
 一分の兵法にしても、敵の起こす強い気ざし〔闘志〕を、利の拍子をもって抑止し、それが止んだ拍子に、こちらの勝つ利〔優位〕をうけて、先〔せん〕を仕懸けるのである。よくよく工夫あるべし。

 


   13 感染させる
【原 文】

一 うつらかすと云事。
うつらかすと云ハ、物ごとに有るもの也。
或ハねむりなどもうつり、或ハあくびなども
うつるもの也。時の移もあり。
大分の兵法にして、
敵うはきにして、ことをいそぐ心のミゆる時は、
少もそれにかまはざるやうにして、
いかにもゆるりとなりて見すれバ、
敵も我事にうけて、きざしたるむもの也。
其うつりたると思とき、
我方より、空の心にして、
はやく強くしかけて、勝利を得るもの也。
一分の兵法にしても、
我身も心もゆるりとして、敵のたるみの間をうけて、
強くはやく先にしかけて勝所、専也。
又、よハすると云て、是に似たる事有。
一つハ、たいくつの心、一つハ、うかつく心、
一つハ、弱くなる心。能々工夫有べし。(1)

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【現代語訳】

一 うつらかすという事
 うつらかす〔感染させる〕というのは、どんなことにもあるものである。あるいは眠気などもうつり、あるいは欠伸などもうつるものである。時の移るということもある。
 大分の兵法の場合で、敵が浮ついて事を急ぐ心が見える時は、少しもそれにかまわないようにして、いかにもゆるりとなって見せれば、敵もそれを我が事にうけて、闘志がたるんでしまうものである。それが感染したなと思ったとき、こちらの方から、空〔くう〕の心で、素早く強く攻撃して勝つ利を得るのである。
 一分の兵法にしても、こちらは身も心もゆるりとして、(それが感染して生じる)敵のたるみの瞬間をとらえて、強く早く先に仕懸けて勝つ、ということろが専〔せん〕である。
 また、よわする*といって、これに似たことがある。一つは退屈〔萎縮〕の心、一つは浮かつく心、一つは弱くなる心である。よくよく工夫あるべし。

 

  14 むかづかせる
【原 文】

一 むかづかすると云事。
むかづかすると云ハ、物毎にあり。
一つにハ、きはどき心、
二つにハ、むりなる心。
三つにハ、思はざる心。能吟味有べし。
大分の兵法にして、
むかづかする事、肝要也。
敵のおもはざる所へ、いきどふしくしかけて、
敵の心のきはまらざるうちに、
わが利を以て、先をしかけて勝事、肝要也。
又、一分の兵法にしても、
初ゆるりと見せて、俄に強くかゝり、
敵の心のめりかり、はたらきにしたがひ、
いきをぬかさず、其まゝ利をうけて、
かちをわきまゆる事、肝要也。
能々吟味有べし。(1)
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【現代語訳】

一 むかづかせるという事
 むかづかせる*というのは、どんなことにもある。一つには、危険な目にあっておきる心、二つには、ひどい目にあっておきる心、三つには、予期せず不意をくらっておきる心、である。(これらを)よく吟味しなさい。
 大分の兵法〔合戦〕において、(敵を)むかづかせることが肝要である。敵の予期しないことろへ、息が詰まるほど(猛烈な攻撃を)仕懸けて、敵の心の定まらぬ内に、我が利〔優位〕をもって先〔せん〕を仕懸けて勝つこと、これが肝要である。
 また、一分の兵法〔個人戦〕にしても、最初はゆるりとしたふりを見せて、突然強く攻撃に出て、敵の心の抑揚高低やその働きに応じて、息を抜かさず、すぐさま利〔優位〕を受けて勝つ、これをわきまえることが肝要である。よくよく吟味あるべし。

 

 15 おびやかす
【原 文】

一 おびやかすと云事。
おびゆると云ハ、物毎に有事也。
思ひもよらぬ事におびゆる心也。
大分の兵法にしても、敵をおびやかす事、肝要也*。
或ハ、ものゝ聲にてもおびやかし、
或ハ、小を大にしておびやかし、
又、片脇よりふつとおびやかす事。
是おびゆる所也。
其おびゆる拍子を得て、其利を以て勝べし。
一分の兵法にしても、身を以ておびやかし、
太刀を以ておびやかし、声を以ておびやかし、
敵の心になき事、ふつとしかけて、
おびゆる所の利をうけて、其まゝ勝を得事、肝要也。
能々吟味有べし。(1)
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【現代語訳】

一 おびやかすという事
 おびえるということは、どんなことにでもあることである。思いもよらないないことにおびえる心である。
 大分の兵法〔合戦〕にしても、敵をおびやかすことが肝要である。(たとえば)物の音声でもおびやかしたり、あるいは小を(急に)大にしておびやかし、また片脇から「ふっ」と(不意に出て)おびやかすこと、これがおびえるところである。そのおびえた拍子をとらえて、その利〔優位〕をもって勝つべし。
 一分の兵法〔個人戦〕にしても、身体によっておびやかし、太刀によっておびやかし、声によっておびやかし、敵の予期しないことを「ふっ」と(急に)仕懸けて、(敵が)おびえたところの利を受けて、ただちに勝ちを得ること、それが肝要である。よくよく吟味あるべし。

 

 16 まぶれる
【原 文】

一 まぶるゝと云事。
まぶるゝと云ハ、敵我ちかくなつて、
たがひに強くはり合て、
はかゆかざるとミれバ、
其まゝ敵とひとつにまぶれあひて、
まぶれ合たる其内の利を以て勝事、肝要也。
大分小分の兵法にも、
敵我かたわけてハ、たがひに
心はりあひて、勝のつかざるときハ、
其まゝ敵にまぶれて、
たがひにわけなくなるやうにして、
其内の徳を得て、其内の勝をしりて、
強く勝事、専也。能々吟味有べし。(1)

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【現代語訳】

一 まぶれるという事
 まぶれる*〔混り合う〕というのは、敵とこちらが接近して、互いに強く張り合って、捗が行かないと見れば、すぐさま敵と一つにまぶれ合って、まぶれ合ったその最中の利〔優位〕によって勝つこと、これが肝要である。
 大分小分〔多数少数〕の兵法においても、敵と我方とを区分していては、互いに心が張り合って、(なかなか)勝ちに至らない。そのときは、すぐさま敵にまぶれて、(敵と)互いに区別できないようにして、その最中の徳〔得、有利〕を得て、その最中の勝機を把握して、しっかりと勝つこと、これが専〔せん〕である。よくよく吟味あるべし。

 

  17 角にさわる
【原 文】

一 かどにさはると云事。
角にさはると云ハ、ものごと、強き物をおすに、
其まゝ直にはおしこミがたきもの也。
大分の兵法にしても、
敵の人数を見て、はり出強き所のかどに
あたりて、其利を得べし。
かどのめるに随ひ、惣もミなめる心あり。
其める内にも、かど/\に心を付て、
勝利を得事、肝要也。
一分の兵法にしても、
敵の躰のかどにいたミを付、
其躰少も弱くなり、くづるゝ躰になりてハ、
勝事安きもの也。此事能々吟味して、
勝所をわきまゆる事、専也。(1)

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【現代語訳】

一 角にさわるという事
 角〔かど〕にさわるというのは、どんなものでも、強いものを押す場合、すぐさま真っ直ぐに押込むのは難しいものである。
 大分の兵法〔合戦〕にしても、敵の人数〔軍勢〕を見て、張り出しの強い部分の角を攻めて、その利を得るべし。角がめる〔へこむ〕にしたがって、全体も皆める〔へこむ〕気分になる。そのめる〔へこむ〕うちにも、あちこち他の角に狙いをつけて、勝つ利を得ること、これが肝要である。
 一分の兵法〔個人戦〕にしても、敵の体の角を痛めつけて、その体勢が少しでも弱まり崩れる格好になったら、勝つことは容易である。このことをよくよく吟味して、勝ちどころをわきまえること、それが専〔せん〕である。

 

 18 うろめかす
【原 文】

一 うろめかすと云事。
うろめかすと云ハ、敵にたしかなる心を
もたせざるやうにする所也。
大分の兵法にしても、
戦の場におゐて、敵の心をはかり、
我兵法の智力を以て、敵の心をそこ爰となし、
とのかうのと思はせ、おそしはやしと思はせ、
敵のうろめく心になる拍子を得て、
たしかに勝所をわきまゆる事也。
又、一分の兵法にして、
時にあたりて、色々のわざをしかけ、
或ハうつとミせ、或ハつくと見せ、
又ハ入こむと思はせ、敵のうろめく氣ざしを得て、
自由に勝所、是戦の専也。
能々吟味有べし。(1)
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【現代語訳】

一 うろめかすという事
 うろめかす*というのは、敵に確固たる心を持たせないようにする、というところである。
 大分の兵法〔合戦〕にしても、戦いの場において、敵の心を推計り、こちらの兵法の智力をもって、敵の心を翻弄し、あれやこれやと思わせ、遅すぎる早すぎると思わせ、敵がうろめく心になる拍子をとらえて、確実に勝つ、そこをわきまえることである。
 また、一分の兵法〔個人戦〕では、その時々に応じて、いろいろの業を仕懸け、あるいは打つと見せ、あるいは突くと見せ、または入り込むと思わせ、敵がうろめく気持になるのをとらえて、自由に〔思いのままに〕勝つところ、これが戦いの専〔せん〕である。よくよく吟味あるべし。

 

19 三つの発声
【原 文】

一 三つの聲と云事。
三つのこゑとハ、初中後の聲と云て、
三つにかけわくる事也。
所により、聲をかくると云事、専也。
聲ハ、いきおひなるによつて、火事などにもかけ、
風波にも聲をかけ、勢力をミする也。
大分の兵法にしても、
戦よりはじめにかくる聲ハ、
いかほどもかさを懸て聲をかけ、
又、戦間のこゑハ、調子をひきく、
底より出る聲にてかゝり、
かちて後に大きに強くかくる聲、
是三つの聲也。(1)
又、一分の兵法にしても、
敵をうごかさんため、打と見せて、
かしらより、ゑいと聲をかけ、
聲の跡より太刀を打出すもの也。
又、敵を打てあとに聲をかくる事、勝をしらする聲也。
これを先後のこゑと云。
太刀と一度に大きに聲をかくる事なし。
若、戦の中にかくるハ、
拍子に乗る聲、ひきくかくる也。
能々吟味有べし。(2)
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【現代語訳】

一 三つの声という事
 三つの声とは、「初・中・後」の声といって、三つに(声を)かけ分けることである。その場所(の状況)によって声をかけるということ、これが専〔せん〕である。
 声は勢いであるから、火事などにも声をかけ、風波にも声をかけ、(こちらの)勢力を見せるのである。
 大分の兵法〔集団戦〕にしても、戦うより最初にかける声は、できるだけ大きく圧倒するようにかけ、また、戦いの最中の声は、調子を低く(下げて)、(肚の)底から出る声で(攻撃に)かかり、(そして)勝った後に大きく強くかける声、これが三つの声である。
 また、一分の兵法〔個人戦〕にしても、敵を動かすため、打つと見せて、最初から「えい」と声をかけ、声のあとから太刀を打ち出すものである。また、敵を打って〔倒して〕、後に声をかけること、これは勝ちを知らせる声である。これを「先後の声」という。
 (ただし)太刀(を打ち出す)と同時に大きく声をかけることはしない。もし戦いの最中に声をかけるとすれば、拍子にのる声を低くかけるのである。よくよく吟味あるべし。

 

  20 まぎる(間切る)
【原 文】

一 まぎる*と云事。
まぎると云ハ、大分の戦にしてハ、
人数をたがひに立合、敵の強きとき、
まぎると云て、敵の一方へかゝり、
敵くづるゝとミバ、すてゝ、
又強き方々へかゝる。
大方、つゞら折にかゝる心也。(1)
一分の兵法にして、
敵を大勢よするも、此心専也。
方々へかゝり*、方々にげバ、
又強き方へかゝり、敵の拍子を得て、
よき拍子に、左、右と、
つゞら折の心に思ひて、
敵のいろを見合て、かゝるもの也。
其敵の位を得、打通るにおゐてハ、
少も引心なく、強く勝利也。
一分入身のときも、
敵の強きには、其心あり。
まぎると云事、一足も引事をしらず、
まぎり*ゆくと云心、能々分別すべし。(2)

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【現代語訳】

一 まぎるという事
 まぎる〔間切る〕というのは、(以下のようなことである)
 大分の戦い〔合戦〕の場合では、人数〔軍勢〕を互いに立て合って、敵が強い時、まぎるといって、敵の一方へ(攻撃に)かかり、敵が崩れると見れば、(それを)放置して、また(別の)強い方々へかかる。おおよそ「つづら折り」にかかる心持である。
 一分の兵法の場合、(一人で)敵を多勢引き受けるのにも、この心持が専〔せん〕である。
 方々へ(攻撃に)かかり、方々で(敵が)逃げてしまうと、また別の強い方へ(攻撃に)かかり、敵の拍子を把握して、うまい拍子で、左、右と、つづら折りの感じに思い描いて、敵の様子を見ながら(攻撃に)かかるのである。
 その敵の位〔態勢〕を把握し、攻撃突進して行く、その時には、少しも退く心はなく、強く勝つ(というのが)利である。一分〔個人戦〕での入身の時も、敵が強い場合には、これと同じ気持である。
 まぎるということ、一足も退くことを知らず、まぎり行く〔ジクザグに前進する〕という心持、(これを)よくよく分別すべし。

 

 
   21 押しつぶす
【原 文】

一 ひしぐと云事。
ひしぐと云ハ、たとヘバ、
敵を弱くみなして、我つよめになつて、
ひしぐと云心、専也。
大分の兵法にしても、
敵小人数の位を見こなし、又は、
大勢なりとも、敵うろめきて、
よはミ付所なれバ、ひしぐと云て、
かしらよりかさをかけて、おつひしぐ心也。
ひしぐ事弱ければ、もてかへす事有。
手のうちににぎつてひしぐ心、
能々分別すべし。
又、一分の兵法の時も、
我手に不足のもの、又は、
敵の拍子ちがひ、すさりめになる時、
少もいきをくれず、めを見合ざる様になし、
真直にひしぎつくる事、肝要也。
少もおきたてさせぬ所、第一也。
能々吟味有べし。(1)
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【現代語訳】

一 ひしぐという事
 ひしぐ〔押しつぶす〕というのは、たとえば、敵を弱いものと見なして、こちらは強気になって、(相手を)ひしぐということ、これが専〔せん〕である。
 大分の兵法〔合戦〕にしても、敵が小人数の位〔態勢〕で軽視できる場合、または(逆に)敵が大軍であっても、敵がうろめいて弱気になっているようであれば、頭から嵩〔かさ〕にかかって(強く出て)、押しひしぐことである。
 ひしぐのが弱ければ、(敵が)もち返す〔回復する〕ことがある。(敵を)手の内に握ってひしぐ心、(これを)よくよく分別すべし。
 また、一分の兵法〔個人戦〕の時も、我が手に不足の(弱い)相手、または敵の拍子が狂い、すさりめ〔後退気味〕になる時、少しも(敵に)余裕を与えず、(相手と)目を見合わないようにして、真っ直ぐにひしぎ尽すことが肝要である。
 (敵が)まったく立ちあがれないようにする、そこが第一である。よくよく吟味あるべし。

 

 22 山海の変り
【原 文】

一 さんかいのかはりと云事。
山海のかはりと云ハ、敵我戦のうちに、
同じ事を度々する事、悪敷所也。
同じ事、二度ハ是非に及ばず、
三度とするにあらず。
敵にわざをしかくるに、
一度にてもちゐずバ、今一つも
せきかけて、其利に及ばずバ、
各別かはりたる事を、ぼつとしかけ、
夫にもはかゆかずバ、
又各別の事をしかくべし。
然によつて、敵、山とおもはゞ、海としかけ、
海と思はゞ、山としかくる心、兵法の道也。
能々吟味有べき事也。(1)
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【現代語訳】

一 山海のかわりという事
 山海〔さんかい〕の替りというのは、敵と戦っている最中に、同じ事を度々するのはよくないことである。同じことを二度するのは、しかたがないにしても、三度もしてはならない。
 敵に業を仕懸けるときに、一度では成功しない場合、もう一つ(同じ)攻撃を仕懸けて、またその利に及ばない〔効果がない〕ようであれば、今度は別の変ったことを、勃と〔突然〕仕懸ける。それでも(まだ)捗が行かなければ、さらにまた、まったく別のことを仕懸けるべきである。
 したがって、敵が「山」と思っていると、こちらは「海」と仕懸ける、「海」と思っていると、「山」と仕懸けること、これが兵法の道である。よくよく吟味あるべきことである。

 

・ 23 底をぬく
【原 文】

一 そこをぬくと云事。
底を抜と云ハ、敵と戦に、
其道の利をもつて、上ハ勝と見ゆれども、
心をたへさゞるによつて、
上にてはまけ、下の心はまけぬ事有。
其儀におゐては、
我俄に替りたる心になつて、
敵の心をたやし、底よりまくる心に
敵のなる所、みる事専也。
此底をぬく事、太刀にてもぬき、
又、身にてもぬき、心にてもぬく所あり。
一道にハ、わきまふべからず。
底よりくづれたるハ、我心残すに及ばず。
さなき時は、残(す)心也。
残す心あれば、敵くづれがたき事也。
大分小分の兵法にしても、
底をぬく所、能々鍛練有べし。(1)

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【現代語訳】

一 底を抜くという事
 底を抜くというのは、敵との戦いにその道の利〔優位〕をもって(勝ったとして)、表面上は勝ったと見えても、相手は闘争心を絶やさないのだから、表面上は負けて下の心底は負けていないことがある。
 その場合には、こちらが突如違った心になって、敵の(闘争)心を根絶やしにし、(敵が)心底から負けたという気になるようにしてしまうこと、これが専〔せん〕である。
 この底を抜くことは、太刀でも抜き、また身体でも抜き、心でも抜くところがある。やり方は一通りしかないと思い込んではならない。
 底から崩れた(敵)には、こちらは心を残す*必要はない(底まで抜け、徹底的に粉砕せよ)。そうでない(敵が崩れない)ときは、(まだ)残す心〔不徹底〕である。(逆に言えば、こちらに)残す心〔不徹底〕があるかぎり、敵は崩れがたいのである。
 大分小分の兵法〔多数・少数の集団戦〕にしても、底をぬくところ、よくよく鍛練あるべし。

 

 24 新たになる
【原 文】

一 あらたになると云事。
新に成と云ハ、敵我もつるゝ心になつて、
はかゆかざる時、我氣をふり捨て、
物毎を新しくはじむる心に思ひて、
其拍子をうけて、かちをわきまゆる所也。
あらたになる事ハ、何時も、
敵と我きしむ心になると思はゞ、
其まゝ心をかへて、
各別の利を以て勝べき也。
大分の兵法におゐても、
新になると云所、わきまゆる事、肝要也。
兵法の智力にてハ、忽見ゆる所也。
能々吟味有べし。(1)
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【現代語訳】

一 新たになるという事
 新たになるというのは、敵ともつれた感じになって、捗が行かないようなら、それまでの自分の気分を振り捨て、すべてを新しくはじめる気持になって、その(新たな)拍子をつかんで、勝つのをわきまえる、というところである。
 新たになることは、どんなときでも、敵と我が方とがきしむ*感じになったと思ったら、すぐさま心を変えて、(それまでとは)まったく別の利〔戦い方〕によって勝つようにすべきである。
 大分の兵法においても、新になるというところをわきまえることが肝要である。兵法の智力があれば、(どこで新たになるかは)たちまち見えるものである。よくよく吟味あるべし。

 

25 鼠の頭、午の首
【原 文】

一 そとうごしゆと云事。
鼠頭午首*と云ハ、敵と戦のうちに、
たがひにこまかなる所を思ひ合て、
もつるゝ心になる時、
兵法の道を、常に鼠頭午首/\とおもひて、
いかにもこまかなるうちに、
俄に大きなる心にして、
大、小に替る事、兵法一つの心だて也。
平生、人の心も、そとふごしゆと思べき所、
武士の肝心也。
兵法、大分小分にしても、此心、はなるべからず。
此事、能々吟味有べきもの也。(1)

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【現代語訳】

一 鼠頭午首という事
 鼠頭午首*そとうごしゅ〕というのは、敵と戦っている最中、互いに細かいところに気をとられて、もつれた感じになる時、兵法の道をつねに「鼠頭午首、鼠頭午首」と思って、いかにも細かい様子でいるうちに、突然、大きな心になって、小から大へ切り替えること。これが兵法の一つの心だて〔心搆え〕である。
 平生、人の心も、「鼠頭午首」と思うべきである。そこが武士の肝心である。
 兵法が大分・小分〔多人数・少人数〕の場合にしても、この心持を離れてはいけない。このことは、よくよく吟味あるべきものである。

 

 26 我は将、敵は卒
【原 文】

一 しやうそつをしると云事。
将卒を知るとハ、何も戦に及とき、
我思ふ道に至てハ、たへず此法をおこなひ、
兵法の智力を得て、わが敵たるものをバ、
ミなわが卒なりと思ひとつて、
なしたきやうになすべしと心得、
敵を自由にまはさんと思ふ所、
われハ将也、敵ハ卒也。
工夫有べし。(1)
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【現代語訳】

一 将は卒を知るという事
 将は卒を知る*〔支配する〕とは、(こういうことだ。つまり、――)
 だれでも、戦いに及ぶ時、自分が思う道に達したら、たえずこの法〔教え〕を実践し、兵法の智力を得て、敵である相手を、皆自分の兵卒だとみなして、(自分の)したい通りに扱えばよいと心得て、敵を自由に廻さん〔動かしてやろう〕と思うところ、そこでは、我は将であり、敵は卒である。(これを)工夫あるべし。

 

27 束をはなす
【原 文】

一 つかをはなすと云事。
束をはなすと云に、色々心ある事也。
無刀にて勝心有、又、
太刀にてかたざる心あり。
さま/\心のゆく所、書つくるにあらず。
能々鍛練すべし。(1)
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【現代語訳】

一 束をはなすという事
 束〔つか・柄〕を放すというのには、いろいろ意味がある。無刀で勝つという意味もあれば、また、太刀では勝たないという意味もある。
 その意味の行くところ、さまざまであるが、それを書きつくせはしない。よくよく鍛練すべし。

 

  28 岩石の身
【原 文】

一 いはをの身と云事。
巖の身と云ハ、兵法を得道して、
忽巖のごとくになつて、
萬事あたらざる所、うごかざる所。(口傳*) (1)

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【現代語訳】

一 岩石の身という事
 巌〔いわお・岩石〕の身というのは、兵法の道を会得して、たちまち岩石のようになって、どんな場合でも、当らない、動かない、というところ(である)。(口伝*)

 

 29 火之巻 後書
【原 文】

右、書付る所、一流劔術の場にして、
たへず思ひよる事のミ、書*顕し置もの也。
今始て此利を記すものなれバ、
跡先と書紛るゝ心ありて、
こまやかにハ、いひわけがたし。
さりながら、此道をまなぶべき人のためにハ、
心しるしになるべきもの也。(1)
我若年より以來、兵法の道に心をかけ、
劔術一通りの事にも、手をからし、身をからし、
いろ/\さま/\の心になり、
他の流々をも尋みるに、
或ハ口にていひかこつけ、
或ハ手にてこまかなるわざをし、
人めによき様にみすると云ても、
一つも實の心にあるべからず。
勿論、かやうの事しならひても、
身をきかせならひ、心をきかせつくる事と
思へども、皆是道のやまひとなりて、
のち/\迄もうせがたくして、
兵法の直道、世にくち、道のすたるもとゐ也。
劔術、實の道になつて、敵と戦勝事、
此法聊かはる事有べからず。
我兵法の智力を得て、
直なる所を行ふにおゐてハ、
勝事うたがひ有べからざるもの也。(2)

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【現代語訳】

 右に書き付けたところは、我が流派の剣術の現場おいて、たえず思いあたったことのみを、書きあらわしておいたのである。
 今はじめて、この利〔理論〕を書き記したので、後先が混乱して書いた感じがあって、詳細まで説明できていない。しかしながら、この道を学ぼうとする人のためには、心の道標になるはずである。
 私は若年のとき以来、兵法の道に心を懸けて、剣の技術は、一通りのことなら手も身体も余すところなく徹底的に試し、いろいろさまざまな心になって、(実際に)他の諸流派をも尋ねて(やり方を)見てきたのだが、(他流の彼らは)ある者は口先で屁理屈をこね、ある者は小手先の技巧を弄して、人目に見事なように見せているとはいえ、ひとつも真実の心にはありはしない。
 もちろん、このようなことを習っても、身体を利かせるのに習熟し、心を利かせつくす事だと思っても、すべて、まさに道の病いとなって、後々までも(それが)消しがたく、兵法の直道〔正しい道〕は世に朽ちて、(兵法の)道の廃れる原因になっている。
 剣術が、真実の道になって、敵と戦って勝つこと。この法〔原則〕が、いささかも変ることがあってはならない。我が兵法の智力を得て、(その)真っ直ぐなところを行う、そうすれば、勝つことは疑いのありえないものである。