平安時代2-7 和歌 | 覚書き

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本院侍従 ほんいんのじじゅう 生没年未詳

出自等は不詳(『勅撰作者部類』などは左兵衛佐棟梁女とする)。
「本院」に仕えた女房。「本院」は藤原善子(時平の娘で、保明親王の妃)を指すかという(岩波新古典大系『後撰集』)。天慶八年(945)に善子が没した後、村上天皇の中宮藤原安子、同じく承香殿女御徽子女王などに仕え、この間、藤原伊尹・同兼通・同朝忠などと恋愛関係にあったらしい。従四位下美作守藤原為昭の妻となり、一子則友を生む(尊卑分脈)。天徳四年(960)内裏歌合に歌を召され、中務と番えられた。歌物語風の家集『本院侍従集』がある。勅撰集入集歌は、後撰集・拾遺集に各一首、新古今集・玉葉集に各二首、新勅撰集に四首など、計十七首。また『一条摂政集』『朝忠集』などにも歌が見える。

堀河関白、文などつかはして、「里はいづくぞ」と問ひ侍りければ
わが宿はそこともなにか教をしふべき言はでこそ見め尋ねけりやと(新古1006)

【通釈】私の住む家は何処と、どうしてあなたにお教えしなくてはいけないのでしょう。申し上げなくても、尋ねて来られるかと、うかがっておりましょう。

【語釈】◇堀河関白 忠義公藤原兼通。◇言はでこそ見め… 教えずに、尋ねて来られるか窺いましょう。それによって貴方の誠意が判る、という心。

【補記】兼通の返しは、
わが思ひ空のけぶりとなりぬれば雲ゐながらもなほ尋ねてむ

天徳四年内裏歌合によめる
人しれず逢ふを待つまに恋ひ死なばなににかへつる命とか言はむ(金葉三奏本383)

【通釈】人に知られず、逢える時を待つうちに恋い死にしてしまったら、一体何と引き換えに失った命と言おうか。

【補記】この歌は後拾遺集に平兼盛の作として入集。しかし『天徳四年内裏歌合』では作者を本院侍従とし、金葉集三奏本もこれに従っている。

題しらず
世の中を思ふもくるし思はじと思ふも身には思ひなりけり(玉葉2545)

【通釈】人との仲を思うのも苦しい。かと言って、思うまいと思うことも、自分にとっては苦しい物思いなのだ。

【補記】『本院侍従集』の詞書は「かくてすみ給ふほどに、この女又ひとのぬすみていにければ、をとこいみじうなげき給ひて、女あはれと思ひかくなむいひやりける」とあり、恋人を思いやった歌。しかし玉葉集では雑歌に入れ、世間に関する感慨の歌として読めるようになっている。

【主な派生歌】
思はじと思ふばかりはかなはねば心のそこよ思はれずなれ(*遊義門院[玉葉])

恵慶 えぎょう 生没年未詳

出自・経歴などは不明。応和二年(962)、安法法師主催の河原院歌合に参加。安和二年(969)、源高明の筑紫左遷直後に西宮家で詠歌。また寛和二年(986)、出家した花山院の熊野参詣に供奉。講師として播磨に下ったこともあったらしい(続詞花集)。能宣・元輔・重之・兼盛ら同時代の歌人の多くと交流をもった。自撰と推測される家集『恵慶法師集』がある(群書類従二六七・私家集大成一・新編国歌大観三などに所収。以下「恵慶集」と略)。拾遺集の十八首を初めとして、勅撰入集は計五十五首。中古三十六歌仙。

 春 4首 夏 1首 秋 4首 冬 2首 雑 5首 計16首



正月二日、近江へまかるに、逢坂こえ侍るに鶯のなくを聞き侍りて
ふるさとへゆく人あらば言伝ことづてむ今日うぐひすの初音聞きつと(恵慶集)

【通釈】故郷の都へ行く人があったなら、伝言しよう。今日逢坂で鶯の初鳴きを聞いたと。

【語釈】◇逢坂(あふさか) 山城・近江国境の峠。東国との境をなす関があった。◇ふるさと ここでは都を指す。

【補記】この歌、後拾遺集には源兼澄の作として載るが、兼澄集には見えない。

【主な派生歌】
ふるさとへ行く人あらば言づてむ今日近江路をわれこえにきと(良寛)

山寺に人々のぼりて桜の散るをみて
桜ちる春の山べは憂かりけり世をのがれにと来しかひもなく(恵慶集)

【通釈】桜の花が散る春の山は憂鬱であった。せっかく世を遁れようとやって来たのに、その甲斐もなく。

【語釈】◇山べ 山。「へ」は漠然と場所を示す。

【補記】新古今集に「題しらず」として載る。

【他出】新古今集、定家十体(幽玄様)、井蛙抄

年かへりて、二月になるまで、まつ人のおとづれねば、いひやる
ももちどり声のかぎりは鳴きふりぬまだおとづれぬものは君のみ(恵慶集)

【通釈】百千鳥は声の限りを出してずっと鳴き続けた。まだ音もしないのはあなただけだ。

【語釈】◇ももちどり 百千鳥。色々な小鳥。但し『八雲御抄』等によれば鶯のこと。◇なきふりぬ 聞き古すほど鳴いた。◇おとづれぬ 「訪れぬ」に「音をたてない」意を響かせ、鳥の鳴き声と関連付ける。

井手といふ所に、山吹の花のおもしろく咲きたるを見て
山吹の花のさかりに井手に来てこの里人になりぬべきかな(拾遺69)

【通釈】山吹の花盛りに井手にやって来て、花の余りのすばらしさに、このまま此処の里人になってしまいそうだ。

【語釈】◇井手 山城国の歌枕。京都府綴喜郡井手町。山吹の名所。歌枕紀行参照。



題しらず
わが宿のそともにたてる楢の葉のしげみにすずむ夏は来にけり(新古250)

【通釈】我が家の外に立っている楢の木――その葉繁みの蔭に涼む夏がやって来たのだ。

【語釈】◇そとも 外面。背面。後方。

【補記】『恵慶集』によれば曾禰好忠の家集に見える百首歌(通称「好忠百首」)にこたえて作ったという百首歌の一首。夏の季節感を日常の暮らしのうちに捉え、好忠の影響が窺える。

【他出】恵慶集、俊頼髄脳、続詞花集、袖中抄、定家十体(濃様)、時代不同歌合、和歌色葉



秋立つ日よめる
浅茅原玉まく葛くずのうら風のうらがなしかる秋は来にけり(後拾遺236)

【通釈】浅茅原で、玉のように巻いた葛(くず)の葉を裏返して吹く風――その「うら」ではないが、うら悲しい秋はやって来たのだった。

葉裏を見せる葛の葉
「玉まく葛」葉裏を見せる葛の葉
【語釈】◇浅茅原(あさぢはら) 丈の低いチガヤが生える原。◇玉まく葛 葛の葉が身を折り曲げるようにして葉裏を見せている様。強すぎる直射日光を避けるためという。◇うら風 葛の葉を裏返して吹く風。「うら風の」までが「うらがなしかる」を導く序(有心の序)。

【主な派生歌】
真葛原もみぢの色の暁にうらがなしかる風の音かな(源兼昌[永久百首])
夕されば秋の野風に真葛原うらがなしかるさを鹿の声(藤原実房)
契りおけ玉まく葛に風ふかばうらみもはてじかへる雁がね(藤原定家[新千載])

河原院にて、荒れたる宿に秋来たるといふ心を人々よみ侍りけるに
八重むぐらしげれる宿のさびしきに人こそ見えね秋は来にけり(拾遺140)

【通釈】幾重にも葎が生い茂った寂しい宿に、人の姿こそ見えないが、秋だけはやって来たのだった。


渉成園 京都市下京区 河原院の遺蹟という
【語釈】◇河原院 京六条、鴨川畔の左大臣源融旧宅。当時は寺となり、融の曾孫安法法師が住んでいた。◇八重むぐら 八重葎。幾重にも生い茂った葎。葎はむさ苦しく生い茂る雑草を言う。荒廃した家の形容によく使われた。◇さびしきに さびしき所に。「に」を接続助詞と見て「淋しいのに」の意とする説もある。◇人こそ見えね… 訪れる人はないが、秋だけはやって来た。「見えね」の「ね」は、打消の助動詞「ず」が係助詞「こそ」との係り結びによって已然形をとったもの。

【他出】拾遺抄、恵慶集、後十五番歌合、玄々集、定家八代抄、秀歌大躰、近代秀歌(自筆本)、詠歌大概、八代集秀逸、別本八代集秀逸(後鳥羽院・家隆・定家撰)、時代不同歌合、百人一首

【参考歌】紀貫之「貫之集」「新撰和歌」他
とふ人もなき宿なれど来る春は八重葎にもさはらざりけり
  よみ人しらず「後撰集」
やへむぐらしげき宿には夏虫の声より外に問ふ人もなし
  曾禰好忠「好忠集」
けぶりたえものさびしかる庵には人こそ見えね冬は来にけり

【主な派生歌】
八重葎しげれる宿のつれづれと問ふ人もなきながめをぞする(藤原定頼[風雅])
八重葎しげれる宿は人もなしまばらに月のかげぞすみける(大江匡房[新古今])
八重葎しげれる宿は夜もすがら虫の音聞くぞとり所なる(永源[詞花])
八重葎さしこもりにし蓬生にいかでか秋の分けて来つらん(*藤原俊成[千載])
秋こそあれ人は尋ねぬ松の戸を幾重もとぢよ蔦の紅葉葉(式子内親王[新勅撰])
月かげをむぐらの門にさしそへて秋こそきたれとふ人はなし(*藤原定家[風雅])
八重葎とぢける宿のかひもなしふるさととはぬ花にしあらねば(藤原定家)
月影もおもひあらばともり初めてむぐらの宿に秋は来にけり(俊成卿女)
人とはぬむぐらの宿の月かげに露こそ見えね秋風ぞふく(宗尊親王[続古今])
八重葎とぢこもりてし宿をしも先づとひけりな秋のはつ風(三条西実隆)
おきそむる露をよすがに秋は今朝むぐらの門を先づぞ問ひける(村田春海)

河原院にてよみ侍りける
すだきけむ昔の人もなき宿にただ影するは秋の夜の月(後拾遺253)

【通釈】ここに集まって騒いだろう昔の人も今はない宿に、影を見せるものと言ったら、ただ秋の夜の月ばかりである。

【語釈】◇昔の人 かつて花やかであった河原院に集まった人々を言う。◇ただ影するは秋の夜の月 姿を見せるのは、ただ秋の夜の月ばかりである。「影する」には「光を投げる」ほどの意も響く。

【主な派生歌】
すだきけん昔の人は影たえて宿もるものは有明の月(平忠盛[新古今])

月の入るをみて
月の入いる山のあなたの里人と今宵ばかりは身をやなさまし(続千載518)

【通釈】月が沈む山の彼方の里人に、今夜だけは我が身を代えてしまいたいものだ。

【補記】『恵慶集』の詞書は「月、山のはにいるをみて」。清輔撰『続詞花集』、基家撰『雲葉集』などにも採られている。

【主な派生歌】
入日さす山のあなたは知らねども心をかねて送りおきつる(西行)



月をみてよめる
天の原空さへさえやわたるらむ氷と見ゆる冬の夜の月(拾遺242)

【通釈】天の原と呼ばれる広大な空さえ一面冷えきっているのだろうか。氷と見える冬の夜の月よ。

【語釈】◇天(あま)の原 天空を平原に見立てた表現。◇冴えやわたるらむ 冴えわたるのだろうか。「冴え」は冷たく氷る意。

【補記】のち盛んに用いられる末句「冬の夜の月」の初例。『古今和歌六帖』には作者不明記で、「貫之集」に載るとの書き入れがある。また『今昔物語』『古本説話集』には安法法師の作として載せる。

【他出】拾遺抄、古今和歌六帖、玄々集、恵慶集、古来風躰抄、後六々撰、近代秀歌、定家八代抄、八代集秀逸、時代不同歌合

【主な派生歌】
とほざかる音はせねども月きよみ氷と見ゆる志賀の浦波(藤原重家[千載])
住の江のこほりと見ゆる月かげにとけやしぬらむ神の心も(藤原公重)
ながむれば涙も袖にむすぼほれ空さへこほる冬の夜の月(藤原家隆)
霜はらふ庭のたまざさあられふり空さへさゆる冬の夜の月(後鳥羽院)

つごもりの夜、年のゆきかふ心、人々よむに
ふる雪にかすみあひてやいたるらむ年ゆきちがふ夜はの大空(恵慶集)

【通釈】降りしきる雪でぼうっと霞んだまま、やがて新年に至るのだろうか。旧い年と新しい年が行き違う夜の大空よ。

【補記】旧年と新年、冬の雪と春の霞が行き交う大晦日の夜空。

【参考歌】凡河内躬恒「古今集」
夏と秋とゆきかふ空のかよひ路はかたへ涼しき風やふくらむ



旅の歌とてよみ侍りける
わぎもこが旅寝の衣うすき程よきて吹かなむ夜はの山風(新古921)

【通釈】我が妻の旅寝の衣は薄いので、避けて吹いてくれ、夜の山風よ。

【補記】旅にあって故郷の妻を思いやる。万葉羈旅歌を思わせる古風な旅歌。

旅の思ひ
春をあさみ旅の枕にむすぶべき草葉もわかきころにもあるかな(新続古今921)

【通釈】まだ春が浅いので、野宿の枕に結ぶはずの草葉も若くて短すぎる頃であるなあ。

【語釈】◇旅の枕 野宿するための草枕を言う。

深き山に住み侍りける聖のもとに、たづねまかりけるに、庵の戸をとぢて人も侍らざりければ、帰るとてかきつけける
苔の庵さしてきつれど君まさでかへるみ山の道のつゆけさ(新古1630)

【通釈】苔むした庵を目指してやって来たけれど、あなたは居られなくて、引き返して行く山道の露っぽいことよ。

【語釈】◇苔の庵 「苔」は住人が出家者であることを暗示する。◇さして めざして。詞書の「庵の戸をとぢて」と呼応し、「鎖して」の意が掛かる。◇道のつゆけさ 「露」は苔の縁語。涙を暗示。「道ぞつゆけき」とする本もある。

貫之が集を借りて、返すとてよみ侍りける
一巻ひとまきに千々の金こがねをこめたれば人こそなけれ声はのこれり(後拾遺1084)

【通釈】一巻に数千の黄金を籠めたので、人々から珍重され、作者は亡くなってしまったけれども、その声はこうして残ったのだ。

【語釈】◇貫之が集 紀貫之の家集。◇千々の金 貫之の秀歌を讃えて言う。

【補記】貫之集を借してくれたのは貫之の息子、紀時文。時文の返歌は「いにしへのちぢのこがねは限りあるをあふばかりなき君が玉章たまづさ」。

【参考】「白氏文集・題故元少尹集後」「和漢朗詠集」(→資料編)
遺文三十軸 軸軸金玉声(遺文三十軸、軸々に金玉こんぎよくの声あり)

ぬしなき宿を
いにしへを思ひやりてぞ恋ひわたる荒れたる宿の苔の石橋いははし(新古1685)

【通釈】昔を思いやっていつまでも慕い続けるのだ。荒廃した屋敷に残る、苔むした石の橋よ。

【語釈】◇恋ひわたる 「わたる」は「橋」の縁語。◇石橋 飛石を並べて橋の代りとしたもの。あるいは石造りの橋。庭園の小川や池に架け渡したものであろう。

【他出】定家十体(濃様)

【主な派生歌】
古郷の苔の岩橋いかばかりおのれあらでも恋ひわたるらん(後鳥羽院)


増基 ぞうき 生没年未詳 号:庵主(いおぬし)

伝未詳。家集『いほぬし』(『増基法師集』『庵主日記』ともいう)があり、熊野参詣や遠江下向の折の旅日記を残している。また同書には天暦十年(956)十月一日庚申の詠とみとめられる歌がある。
後拾遺集初出。勅撰入集二十八首。中古三十六歌仙。なお後撰集や大和物語にみえる増基とは別人とする説が有力。

題しらず
冬の夜にいくたびばかり寝覚めして物思ふ宿のひま白むらん(後拾遺392)

【通釈】冬の夜、何度繰り返し目が覚めて、物思いに沈むことだろう。我が家の板戸の隙間が白むまで。

【補記】「古来風躰抄」「後六々撰」「六華集」などに採られた増基の代表作であるが、『いほぬし』には見えず、出典は不明。

【主な派生歌】
夜もすがら物思ふ頃は明けやらで閨のひまさへつれなかりけり(俊恵)
秋の夜のしづかにくらきまどの雨打ちなげかれてひましらむらん(式子内親王)
袖の上もいくたびばかりしめるらん物おもふ宿の有明の月(順徳院)

東あづまへまかるとて京をいづる日よみ侍りける
都いづる今朝ばかりだにはつかにも逢ひ見て人を別れましかば(後拾遺464)

【通釈】都を発つ今朝くらいは、ちょっとだけでも顔を合せてからあの人と別れたかったのに。

【語釈】◇逢ひ見て人を別れましかば あの人に逢ったうえで別れたかったのに。

【補記】『いほぬし』によれば、遠江へと旅立つ日、「つつみてあひみぬ人を思」って詠んだ歌。同書では第四句「あひみて人に」。

東(あづま)へまかりけるみちにて
都のみかへりみられて東路を駒の心にまかせてぞゆく(後拾遺508)

【通釈】都の方ばかり振り返りながら、東国への道をただ馬の心にまかせて行くのだ。

【語釈】◇駒の心に… 韓非子の「老馬之智」の故事に基づくという。(→資料編)

【補記】これも『いほぬし』の遠江旅日記の部分にあり、詞書は「あはたでらにて、京をかへり見て」。粟田は京の東の出入口にあたる。

【他出】後六々撰

いにしへを恋ふること侍りけるころ、ゐなかにてほととぎすを聞きてよめる
このごろは寝でのみぞ待つ時鳥しばし都の物がたりせよ(後拾遺186)

【通釈】この頃は寝ずにひたすらおまえの声を待つばかりだ。ほととぎすよ、しばらく都の話を聞かせておくれ。

【補記】『いほぬし』によれば遠江国を旅する途中の作。詞書の「いにしへ」は都に住んでいた昔ということか。

【主な派生歌】
いまはとて古巣にかへる鶯よ都の春の物語りせよ(藤原実房)

熊野にまうでける道にて
いとどしくなげかしき世を神な月旅の空にもふる時雨かな(新続古今929)

【通釈】ただでさえ辛い世であるのに、今や神無月、旅する不安な身にあって、空からも降る時雨であるよ。

【補記】「空にも」と言うのは、涙によっても袖を濡らしているから。「ふる」は「降る」「経る」の掛詞。『いほぬし』によれば牟婁の港(和歌山県田辺市)に「柞のもみぢしていほりつくりて」宿った夜の作。

四十九院の岩屋のもとにゐたる夜、雪のいみじうふり風のはげしく吹き侍りければよめる
浦風にわが苔衣ほしわびて身にふりつもる夜はの雪かな(新千載1833)

【通釈】浦風に法衣を干そうとしても一向に乾かず、我が身に降り積もる夜の雪であるよ。

【語釈】◇四十九院の岩屋 『いほぬし』によれば、熊野周辺にあった修験のための四十九窟か。

山里に住み侍りける比、常よりも月さびしくみえて都恋しく侍りければ
我をとふ人こそなけれ昔みし都の月はおもひいづらん(玉葉2508)

【通釈】私のもとを訪れる人はいないが、昔見た都の月は私を思い出してくれるだろう。

夜更けて時鳥のなくをききて
身をつめばあはれとぞきく時鳥よをへていかに思へばか鳴く(玉葉1930)

【通釈】身につまされるので、しみじみとその声を聞くのだ。ほととぎすは昔から夜ごと何を思って啼くのか。

【語釈】◇身をつめば 我が身によそえて感じるので。「身をつむ」とは、我が身を抓って他人の痛みを知る、ということから、他人(相手)の身になって同情することなどを言う。この歌の場合は時鳥の悲しげな声が他人事とは思えない、ということ。◇よをへて 「世を経て」「夜を経て」の両義。

荻おほかる家にて、風の吹き侍るに、世の中のはかなきことなど思ひたまへられて
秋の野に鹿のしがらむ荻の葉のすゑ葉の露のありがたの世や(いほぬし)

【通釈】秋の野で鹿が体にからみつける荻(おぎ)の葉――その末葉に宿る露のように果敢なく、生き難いこの世であるよ。

【補記】詞花集には「世の中さはがしくきこえけるころよめる」の詞書で次のように載る。
朝な朝な鹿のしがらむ萩が枝の末葉の露のありがたの世や

【参考歌】紀貫之「貫之集」
つまこふる鹿のしがらむ秋萩における白露われもけぬべし

―参考―

山へ入るとて
神な月時雨ばかりを身にそへて知らぬ山ぢに入るぞかなしき(後撰453)

【通釈】神無月、時雨のほか身につけるものもなくて、見知らぬ山の中へ入って行くとは辛いことだ。

【補記】この歌の作者「増基法師」は同名の別人と考えられる。足利義尚撰『新百人一首』などにも採られた歌。

【他出】古今和歌六帖、新撰朗詠集、古来風躰抄、定家十体(濃様)

【主な派生歌】
神な月しぐればかりをふりぬとも我が身のよそにいつ思ひけん(衣笠家良[続古今])

安法 あんぽう 生没年未詳 俗名:源趁(みなもとのしたごう)

左大臣源融の子孫(曾孫とも言うが、尊卑分脉によれば融から六代目にあたる)。従五位下内匠頭適の六男。母は大中臣安則の娘。女子が「安法法師女」の名で新古今集に歌を載せている。
出家後、融の造営した賀茂川畔の河原院に住む(融の死後、その邸宅は遺族により寺とされていた)。応和二年(962)九月、『庚申河原院歌合』を主催。また、自邸に平兼盛・清原元輔・源兼澄ら歌人を集め、たびたび風流な小歌会を催した。恵慶法師・藤原高光・大江為基らとの親交も家集から窺える。永観三年(989)三月、天王寺別当となり、永観元年(989)まで在任したという(『法中補任天王寺別当次第』)。
自撰家集『安法法師集』には河原院での暮らしぶりも偲ばれる。拾遺集初出。勅撰入集十二首。中古三十六歌仙。

ついたち春たつ晦(つごもり)の夜
暮れはつる年惜しみかねうちふさば夢みむほどに春は来ぬべし(安法法師集)

【通釈】とうとう暮れてしまった年を惜しむに惜しみきれず、床に臥せば、夢を見ている間に春は来るにちがいない。

【補記】正月一日が立春にあたる新年を迎える大晦日に詠んだ歌。『安法法師集』巻頭歌。

東山に花見にまかりて侍るとて、これかれ誘ひけるを、さしあふことありて、とどまりて申しつかはしける
身はとめつ心はおくる山ざくら風のたよりに思ひおこせよ(新古1472)

【通釈】この身は家に留めますが、心は山桜のもとまでついて行きます。花に風が吹けば、風の便りとも言いますから、私の噂でもして、思いを寄せて下さい。

【語釈】◇さしあふこと 生憎かち合うこと。◇風のたより 風を使に喩えて言う。例、「花の香を風のたよりにたぐへてぞ」(古今集)。また、機会・ついで・噂・手紙などの意味もある。

秋のはじめによみ侍りける
夏衣まだひとへなるうたたねに心して吹け秋の初風(拾遺137)

【通釈】夏衣――まだ単衣ひとえぎぬを着たままの転た寝には、気をつけて吹いてくれ、秋の初風よ。

【補記】拾遺集巻三、秋の巻頭。「ひとへ」とは裏のない衣。

【他出】安法法師集、新撰朗詠集、後六々撰、定家八代抄、新時代不同歌合

【主な派生歌】
旅衣まだひとへなる夕霧にけぶり吹きやる須磨の浦風(藤原定家)
夕狩の交野の真柴むらむらにまだひとへなる初雪の空(*順徳院)

ねざめに鹿のなくをききて
紅葉ふる木この下風に夢さめてうらなき鹿の音ねをもきくかな(安法法師集)

【通釈】紅葉を雨のように降らせる木陰の風――その音に夢から覚めて、あたり憚らぬ悲しげな鹿の啼き声を聞くことよ。

【語釈】◇うらなき 無心な。臆することのない。

住吉に詣でて
あまくだるあら人神のあひおひを思へば久し住吉の松(拾遺589)

【通釈】天から降臨し、人の姿となってこの世に現れた神と共に育ってきたことを思えば、長くも生きてきたことよ、住吉の松。

【語釈】◇あら人神 人の姿をして現れた神。この場合住吉の神。◇あひおひ 相生。共に育つこと。

【他出】「拾遺抄」「金玉集」「和漢朗詠集」「深窓秘抄」「栄花物語」「後六々撰」「定家八代抄」「新時代不同歌合」

相しれりける人の、熊野に籠り侍りけるに遣はしける
世をそむく山のみなみの松風に苔の衣や夜さむなるらん(新古1663)

【通釈】あなたが世を遁れて住む熊野の山の南では吹きつける松風が激しく、この季節の夜、御法衣はさぞかし寒いでしょう。

【語釈】◇山のみなみ 「山」は熊野を指す。熊野の南とは那智の青岸渡寺か。◇苔の衣 僧衣。

【補記】熊野に山籠りしていた知人へ贈った歌。家集の詞書は「僧のみなみ山にこもりていまするに」。

【他出】安法法師集、定家十体(長高様)、定家八代抄、新時代不同歌合、歌枕名寄、三五記

藤原高光かしらおろして多武峰に侍りけるに、神な月の比申しつかはしける
今はとて世をのがれけん程よりも思ひこそやれ木の葉ちる比(続後拾遺1045)

【通釈】これを限りと遁世した頃よりも、今あなたが住んでいる山の木の葉が散る今頃の季節、どれほど心細く過ごしておいでかと気がかりです。

【補記】高光は父師輔の死の翌年、応和元年(961)に出家した。

秋のくれに、身の老いぬることを歎きてよみ侍りける
ももとせの秋のあらしはすぐしきぬいづれの暮の露ときえなん(新古1570)

【通釈】百年にも及ぶような長い年月、秋の嵐を過ごしてきたが、弱り果てた今や、いつの夕暮の露と消えるのだろうか。

【補記】「ももとせ」は非常な高齢の例え、「秋のあらし」は世の辛苦の例え、「露」は命短いものの例え。嵐に堪えてきた百年もの長い命が、一夕「露と消え」るというパラドックスに一首の眼目がある。