おそらく自由とは
選択のことであり
それは覚悟のことを
いうのだと思う
自らについた垢を
自らと同一としてみるか
他としてみるか、
ここに問答があり
一つの真実がある
道を進むとき
その幅に合わなければ
痩せなくてはならない
その橋を渡るとき
その重さに耐えられなければ
荷物を置いていかねばならない
では、その痩せるものは?
その荷物とは?
毎日鏡を見ていても気づかない
思考の垢のことを言っている
良い悪いではない
その思考によってこれまで
生きてこれたのだ
何が悪いことがあろうか
ただそれは垢でもある
その垢を垢として認識できれば
その道幅は、合わせることが
できるし、その橋を渡るにも
荷物を置いていく必要もない
その垢を垢として、観ることは
自由であり、選択であり、
覚悟である。
その垢が垢であったとしても
自らのこれまでを否定するものでもない
ただ人は、
その垢の剥がし方をしらないだけ
垢を垢として観たとき
言葉として、「他」を認識した
と思うかもしれないが
自らの垢の認識は、「他」の認識から
「同一」に至る
認識した瞬間に同一になる
という言い方がわかりやすい
その認識は、やはり覚悟なのだ
と思う。
〇〇をしないことの選択は、
〇〇をすることの選択とともに尊い
どちらかといえば、選択をする際の
認識が重要なのである。
何かをしないことを選択することは
別の何かを選択している。