こうして漢字、言葉にしてみると
非常に面白い。
この偶然性について
悲観的な解釈が一般的ではあるが
本来のこの偶然性の正体は
「辛」の上に「一」即ち、
紙一重、何か「一」つを見出せるかと
いうことであり
幸せから「一」つ何か足りないから「辛」い
のではない。
辛さを感じる中に、その紙一重の「一」に
気づけるか、幸せを感じる
ことができるか、ここが肝心なのだと思う。
前提は、どちらにあるのか。
人間は阿保なのだから、幸せだけでは、
幸せを感じることは出来ない。
その対比なるものに遭遇することで
知ることが出来る。
だとするならば、その辛さもまた
幸福の一角、それこれ1番辛いところを担って
いると言える。
その遭遇するそれらの出来事そのものが、
天命であり、恩寵とも言える。
あなたにぶつかった恩寵は
あなたにしか当たらない。
私には起こらなかったそれは
わたしのものではないので、わからない。
毎日の生活の中で
何も変わらなようで
一つとして同じことのない日々に
わたしだけの恩寵が降り注いでいる。
あなたにはあなただけの恩寵が降り注いでいる。
他人のせいにするには勿体無いのかもしれない。
時にはそう気づける日や思える日があってもいいと思う。
その苦しみの真っ只中でその苦しみの内側に
潜ることは、その苦しみを俯瞰することと
同義である。
その状態に気づけたときにその苦しみが
消える。
また、俯瞰しようすることは、潜ろう
とすることに及ばない。
これはとても不可思議なことのようでもあるが
宇宙の法則に則っている。
世界は、膨張や拡散から始まったのではなく
圧縮から始まっている。
恩寵は、わたしが認識しうる宇宙からの圧力
なのだと思う。