預言と言われるものは、これまで幾つもあった。


予言と預言は、違う。


一昔前の信仰があった時代は、全て『預言』出会ったのではないかと。


現代においては、それは神から分離して、『予言』となっている。


『預言』の適用範囲

これは、ただ1人自分の為にのもの。


言い方が悪いが、これは、『欲』から発したものではなく、『信仰』の結果、預かったものであり、望んだものではない。


概ね、現実的、肉体的には、きついものが多い。


おそらくは、『預言』を受けた多くの者は、その『信仰』ゆえにその内容を明かさず、その内容を実行していたのではないかと考えられる。


神と私との繋がりは、圧倒的に個別性がある。




全体から見れば、『それ』で完璧なのだが、個別においては、『未完成』である。


個々の心に雫となり落ちてくる感情とそこに浮かぶ言葉が、水辺に反射する私や月を歪める。


静かになれば見えるのだが、静かになれば、個である私はそこに存在しない。


呼吸とは、その束の間の静寂。


これが「未完成」の正体であると思う。


外側を見ているばかりでは、その水面は歪み続ける。


確かに月はそこにあるのに見えない。


しかも、その月が本当にそこにあるかは、誰にもわからない。


その月に到達する術は、私の『預言』にこそある。


私と私(神)との間