地球の沸騰


これまであったルールというものが崩壊している。


そのルールによって、押さえ込まれていた人が、沸騰する。


液体から気体へ、飛び出して行く。


その状態をさらに広く見てみると。


エネルギーが高騰している。


エネルギーの非局在化が起こっている。


原子核の周りに存在する電子の分布が、広がれば、隣の原子との反応性が上がる。


これまで、何も起きずに並んでいた原子が一定値を超えたとき、隣に干渉し、反応が起きる。


そして、その沸騰は、拡散し、エントロピーの増大へ向かう。


人間もまた肉体を持った物質であり、その流れと性質を持っているのだと思う。


ただ、このエネルギー?を真に魂のために消化するというのは、難しい。


SNSやYouTubeという電気的な通信による触媒によって、世界的にほぼ同時的に起こるこの沸騰は、基本的に自己崩壊へ加速をしているように思える。


この破壊的衝動が、古い秩序を壊すために必要であるのと同時に、その秩序が無くなったあと、どうやって、新たな秩序を立て直すことができるだろうか。


今、この壊すという現象のみ。これは、宇宙の法則からいって、一定値を超えれば、とても容易い。


その崩壊後の世界、今ほとんどそうなっていますが。混在しているというのが、正しいかもしれません。


ある人から見れば、もう崩壊してしまっている。


ある人から見れば、まだまだ本丸は生きているから叩き潰さないとという感じでしょうか。


どちらを見て、生きますか。


それともどちらもとみない世界がみえますか。



『大事には至らない』


これが、このブログを書き出した頃から私に届くメッセージと言いますか、私の根本からくる言葉の一つです。



目の前で起きたり、見聞きしてしてしまうことを否定してみるのもよいですが、それもまた違う。



頭で考えてしまう『想定』や『対処』、それもまた浮かんでしまってもよいと思うのです。



ですが、『大事には至らない』



崩壊は、創造であり、『創(きず)』を造ること。


この言葉の根源は、やはり日本神話に表れている。

混沌や汚いものから神が産まれているように。


何かが産まれるプロセスでもあるように思う。



時間という淘汰を受けて尚、残るものが、これからの人間という存在の支えになるのだとしたら、それは、やはり私達が既に忘れてしまった。


日本人であれば、その日本の歴史、文化の中にヒントがあるのだろうと思う。


そして、仮に『忘れてしまっていても。この血の中に、残っている。


それは、基本的に自らの意志、直感に誠実であることなのではないかと思う。


このルールそのものが壊れていき、明日には誰かからみた正しさが逆転してしまう世界(元々それが現世であるのですが、つい最近までは、そうではなかったかのように錯覚させられていた)で、生きていくためには、それぞれがどういきたいかということの正しさを養うしかない。


養うというのは、その場その場の心がけに他ならない。


不安な出来事に対して、『想定』や『対処』を考え出したとき、本当に相手のことも考えているだろうかと一つ自問できるだろうか。

私の言葉に意地悪や相手を追い詰める言葉はないだろうか、相手の言葉に耳を傾けているだろうか。


そう、心がけたい。