人間が、真に感動、心を動かされる、共鳴するのは、人間のひたむきさに対してだろうと思います。


大切なことは、言葉そのものよりもその言葉に込められたものにあります。


もちろん、言葉を尽くすことは、自然とそうなります。


言葉を尽くそうとする姿勢は、心から言葉にしようとすることの副産物であり、目に見える結果の一つです。


言葉の意味が正確にわからなくても、伝わるのは、心から言葉にしようとする誠実さ、真心を感じ取っているからでしょう。


日本人にとっては、日本語にそれを感じることができる感性が、体の遺伝子にあるように思います。



『感動を留めるには』


その感動したこと、共鳴したことは、消えてしまうような経験をされたことはないでしょうか。


人間のもつ性質の一つに忘却があります。


忘れてしまうのです。


しかしながら、共鳴は、共鳴できる遺伝子、すなわちある種のアンテナを持っているから、共感できるわけなので、共鳴できるということは、相手のひたむきさの中にみた行動、思想についてのその素養は、もともと自分の中にあったということでもあります。


もともとあったのですが、それが呼び起こされたとき、人は『感動』するのです。


決して、新しいことの発見ということでありません。


もともとあるから、『感動』できるのです。


もしも、ある人間の行動に対して、自らの中にその素養、因子、遺伝子がなければ、本当の意味で認識はできないだろうと思います。


テレビは点いている認識はあるが、そのニュースの内容には覚えていないような感覚です。


素養があれば、そのニュースの内容に引っかかる=認識しているはずです。


『感動』とは、自らの中にある遺伝子の覚醒ではないかと思います。


その感動の度合いが強ければ強いほど、自らの中に眠る遺伝子の覚醒の範囲や深さ、確実性が強いといえそうです。


そこで、『感動を留めるためには』ですが。


この『覚醒』のスイッチを毎日押すと言うことになります。


これは、『初心を思い出す』ことに通じます。


なぜ、『初心を思い出す』ことが、大切なのか。


それは、初心の感動=初期衝動を忘れないためでありますが、別の言い方をすると

自分にとっての一つの世界、可能性、すなわち宇宙の始まり(ビックバン)であるので、そこに全てのエネルギー(全てを成し遂げようとするための)が込められているのです。


ですから、『初心を思い出す』ことで、その始まりのエネルギーをいつでも取り戻すことができます。


これが、明日また『感動を留めるため』の原動力にもなるのです。



また、人間の性質の一つに『慣れ』があります。


この『慣れ』は、同じ作業を繰り返すことで、より低ストレス、コスト、エネルギーで継続できる様になる仕組みです。


この『慣れ』を意図的に利用することです。


感動という『非日常』を『日常』に落とし込むことができます。


これが、『感動を留める』秘訣です。