この流れにのる
というのは、果たして分かるものなのでしょうか。
その一瞬一瞬において、『流れにのりたい』という個の願望、欲求としては、良く分かりますが、その都度、流れにのった選択だったのかどうかは、後からしか分からないように思いますし、選択した後、どのように認識するか、というところにかかっているように感じます。(予言や未来視ができる方は例外)
『停滞』という言葉を聴くと、あまり良い印象を受けませんし、そこから軽くなりない、楽になりたいという個の思いが、強くなりがちなのを感じます。
本当は、『停滞』などしていないとしても、個はこの何も変わらないように感じる自分の世界を『停滞』と捉えてしまいがちです。
しかしながら、もしもこの『停滞』を選択することが、実は『流れにのっている』ということだとしたら、どのように感じますか?
個の意識としては、『なんじゃそりゃ』、『どうしたらええねん』『停滞の流れ、長過ぎない笑』『停滞しかないですけど笑』なんていう方もいるかもしれません。
これまた、極論のように感じてしまうかもしれませんが、結論からいうと、今ここに存在しているということは、一応『流れにのっている』ということです。
はぁ〜
ただ、その流れが早いのか、遅いのか、抵抗しているのか、してないのかの違いであり、その早い、遅い、抵抗のあるなしは、全て、自分の認識によって起きています。
相手は、そういうつもりで発言したのではないのだけれども、私の被害者的な認識が、幻想として、ややこしい現実を作ってしまったりしています。
言うなれば、これが幻想の中の『抵抗』。
被害者意識であり、ネガティブな意識が、事実の一部を過大にフォーカスしている状態。
そうは言っても、こういう状況ではこういう風に考えるだろ!というのが、個の意識です。
常識的に考えると、普通の人なら、というやつです。
この状態は、どういう状態だろう。
起きた事実に対して、意識がその個にとっての常識から幻想たる現実を認識する。
流れにはのっています。
のっているんだけども、少々乗り心地が悪い。
どうしてか。
起きた事実を個の意識が、巨大な波の様に認識してしまうからですね。
こう文章で書くと、必ずエゴが反応します。
(そんなこと言ったって、今起きていることはとっても大きいものだよ、わけわからないんだよ、俺のせいじゃないし、誰も助けてくれない)
これが、なんでこんなに騒ぎ立ててしまうのかは、当人としては、なかなか分からない。
他の人にとっては大したことではないのかもしれない。
この今の二元論的な意識からもう一つ上がった視点、意識を作ってみるとどうだろう。
作り方としては、
『起こってしまったこと、仕方ない、死ぬほどではない、さてどうするのか?』
『全ては、俺が作り出したものだ、俺はどうしてこの出来事を起こしたのだろう、どういうで意味があるのだろう、次はどう創造するかな?』
この二つは、同じことを違う言葉で表現しています。
上は、人間的な視点
下は、宇宙的な視点
個として受け入れるか
全として受け入れるか
これは、どちらも同じ事なのです。
『受けとめる』
というのは、この『流れにのる』ときの『波待ちサーファー』の様でもあります。
まあ、サーフィンやった事ないですけど笑
サーフィンやった事ない人は、波はあれど、どこでのればいいのか分かりません。
でも、海の波は絶えずあります。
まあ、どこでもいいのです。
でも、やらないとタイミングは掴めない。
タイミングが掴めている波は、意識しないでものれてます。
今も実は『波にのってます』
良くわからないものが来たとき、それをビッグウェーブだ!と思えないだけなんですね。
『停滞』と感じてしまう根底には、何回も何回もこけてしまったり、何回も何回も高そうな波が来ていて、疲れてしまって、「はいはいまた来たか!」とは、思えなくなってしまっている状態なんですね。
何回も受け止めて、その幻想の波を小さく捉えて、乗り越えてきた。その都度少しずつ意識の拡大、いわゆる解放が起きています。
慣れては来ても、今一つ、越えきれない感じ。
これが『停滞』と感じるのです。
…
逃げるのか、逃げないのか問題について
これは、『流れにのる』というところから考えますと。
どちらも『抵抗』にあたります。
重要なのは、「受けとめる」ことにあるので、その上で『逃げる』も『乗り越える』もありです。
『受けとめる』ことが、なぜ重要かは、それによって、幻想のその高そうに見える波が小さくなるからです。エゴの声が小さくまたは客観的に聞き分けられるような感覚と比例します。
そうすると、次の創造が起きたとき、事前に想像していたより、大したことが無かったということが起きます。
しかしながら、ここで『受けとめる』ことができないと、いわゆる『カルマ』を量産していくことになります。
まあ、『とは言っても…』って思いますよね笑
…
『逃げる』ということについて
実は、本当に『逃げる』べき場面は、本人では気づかない場合が多く、本質的に『逃げる』というのは概ね下記の二つだけだと思います。
肉体が良い人の場合、感覚的に自然にまずいところから逃げています。逃げるという感覚すらないことが多いです。
肉体があまり良くない人は、ヤバいところに踏み込んでしまうのですが、ご先祖や周りの方に恵まれていると、結果的に免れたりします。
つまり、意識して『逃げる』というのは、エゴの損得からの意識である場合が多いため、大概のことは、『乗り越える』方を選択した方が魂的には良いと言えます。
結構ひどいこと書いているな。
肉体が良いというのは、五感が良いということであり、肉体と神経を通じて、精神および魂との連動(第6感)がよりスムーズにあるということと定義します。
ルーラーラー
宇宙の風にのる