何かを少しだけ意識していると、


言葉が集まる、その声は


何か引っ掛かっている事柄がどういうことなのか


この今時点での私の認識の答えを示してくれている。


まあ、つまりは『答えはない』と言えるし、『それぞれの中に答えがある』と言える。


また、良くある言葉になってしまった。


それぞれが心に留めることができることは、その心から発したものを自分の事だと気づいたことに限定されている。


そして、意識の拡大、次元の上昇というものがあるとすれば、それが私のものだと認めたくないものに出会ったときに、その境にいる認識し、一呼吸置けるかということに尽きる。


その結果、「私でないもの」があってもよいのである。「私だったもの」を認識さえすれば。

(これは非常にわかりづらい言い方ですね。「私だったもの」を認識できれば、それは「私でないもの」として、選択できるというと分かりやすい)


人生は実は捨てることの方が多い、それは物理的にも精神的にも。


『私』を捨てるということ。


『我』『私はこうだ』という思い込みを。


しかしながら、その『思い込み』は、あってもいい、『私はこうだ』というものが、あってもいい。あった方がよいものもあります。


ここが、非常にややこしいところです。


つまりは、『誰にも理解されない』『ただ独りで生きる』ということでもあります。


それでいいのです。



この言葉とても強く、暗い印象を受ける人もいるかもしれませんが、そうではありません。


『ただ独りで生きる』、結果として、繋がる人がいることもあります。


結果として、理解をしてくれる人に出会うこともあります。


それは、違う次元に行ったような感覚でしょう。