目の前の現象のスイッチを入れるのは、常に自分。


そのものに問題があるようにみえて、本当はそこではないです。


しかしながら、責められているのは私で被害者は相手です。


そこを指摘されても、分からないだろうと思います。



ここまでが、一つ目の俯瞰です。



さて、この被害者意識、相手だけが感じていると思いますか?


実は、私にもあるんですね。


『指摘されても分からないだろう』


ここ、「私のせいではない」というニュアンスか入ってしまっています。


なので、この状態で指摘してしまうと間違いなく炎上します。


「私のせいではない」→「相手のせい」→「被害者は私」→「被害者の押し付け合い」


この「指摘」というのは、今回のこと以外の過去のことをもちこむことが多いため、話がこじれる原因となります。


この程度の俯瞰では、過去の出来事を引用して、その理由で作り上げてしまうのです。


出来事の解釈を今の意識が曲げてしまう、いや、そういうこととして作り上げてしまうと言った方が良いでしょうか。


つまり、話が噛み合わないということになります。



これでは、我と我の思う壺です。


さてさて、もう一つ上に俯瞰していきましょう。



私の中の何が、現象と成ったのでしょうか。


テーマは『不満』でしょう。


この文章を書きながら、辿っています。


『不満』?少し、違うようです。



「思い通りにならない」


「どうして私だけ」


「どうしたらよいの」


纏めてしまうと、よくよくある感情です。


書いてみて思うのは、全くもっていつも思っていることですね笑


それが、現象化しています。


そして、


「これらをなくしたい(解決したい)」


という感情です。



こうした感情が、どの程度のものなのか?というのを、相手を通して、表現させてしまっているわけです。


そして、こう思うわけでやっぱりこうなったかと。



さてさてさて、私が出来ることは何でしょうか。


これが、私のものであることを受けとめるということです。


えっ、いやっ、どうやって?


だって、


「思い通りにならない」


「どうして私だけ」


「どうしたらよいの」


は、既にいつも感じていることですよ!


思ってはしまうんだけども、その度にその現象が、じぶんから出てきたものだと認めることかな。


それだけ、少し、世界はかわってきますよ。



どうしてあなたが言い訳をしたがらないのか、あなたは、分かっています。


そんなものは、いくらでも作り上げることができるからであり、何より潔くないからです。


そんなのはくだらいことで、誤解されたまま(嫌われたまま)でも、いいやと思っていますね。



あなたが好きな『本質』からいくと、あなたの『生き方(死に方)』が、定まっていない「不満」が、現象として現れています。


まあ、そんなことは分かっているだが。


周りを見ることではなく、今目の前で起きたこと、そのことを内側で観るんですよ。


いや、それも分かってるんだが、もうしんどいっすわ。

それ、本当に変わってるんかな。



全ては変わっています。


渓雲 漠漠たり

水 怜怜たり


良くなっているんかな。


良く?とは、あなたの我において、都合がよい?ということですか。


魂において、良い方向?ということですか。


それは、魂にとってかな、、


そこを分けて観ることができないと、いつまでも同じ感情を受けますよ。


魂にとっては、よいということしかないですね。


ただ、幻想ですが人間の体感として、時間的に遅いか、早いかぐらいでしょうか。




話の視点が変わる



この仕事が、一生の仕事だと思いたくないんですね。


あまりに不毛。


人間のやっていることなんて、そのほとんどが不毛ですよ。(あってもなくてもそれほど変わらない)


特にここ最近の歴史においては、飢餓、戦争もあり、独裁もありと、寧ろ、不毛なことの方が多いです。


それが、ここ最近は、放射能や法律、ウィルスなど目に見えにくくなった、分かりにくくなったに過ぎない。


多くの人間がやってきていることのその手のつけられない無意識の悪性は、それほど変わらない。


その中で、もし何か感じたり、分かっているのなら、あなたは何をするのか、しないのか。


寧ろ、分からぬまま、その『死に方』を選択すれば良い。


周りやその状況というものは、『本質』からすれば、関係ない、ただ、現実的に実行する際の手順や手段は、人によって段階数や関わる人数が異なります。


でも、それだけのことで、そんなことはもう分かってますよね。


今日この日のあなたは、どうですか。


一生懸命に行きましたか?別に生きなくても良いのですが。それは自由です。


昔よりどうしたらよいのか。という魂の深さが掴めたような気もしますが、また消えてしまったようにも感じます。