有難きはずのこの世界において、
その苦しみもまた『有難い』ことなのですが、
どうしようもなく苦しかったりします。
…
この状態を他者からは
苦しみたいから苦しんでいるように見えてしまいます。
さらに言うと、またやってるよ笑笑
と言う感じでしょうか。
…
なぜそれに苦しむのか?
無意識ということも言うことができますが
その無意識にも階層があります。
仏教では、『〇〇織』という風に階層がありますが、これも一つの形式な区分のようなものではないかと思います。
別の言い方にすると、エーテル体、アストラル体、メンタル体…
のような魂の階層を表現したもの同じではないかと思っています。
面白いは、『〇〇織』は、より深く内側に
『〇〇体』は、より大きく外側に層のように表現されています。
この対象的でありながら、近しいものを、表現しているというところが、非常に興味深い。
二次元上で、表現しようとするとき、人によってこれほど変わってしまうということ。
つまりは、『表現』そのもの重要性は、常に『本質』には劣るということであり、しかしながら、そういった『本質』に言葉と心を尽くして表現することで、伝わる人も出てくるです。
…
話がずれました。
なぜそれに苦しむのか。
その『有難き』苦しみは、私が確かに感じているのですが、それは、あくまで私の『創造性』によって、発現しています。
よくよく聞く話ですよね笑
もう一丁。
その有難き苦しみは、
『外から来たものと思っていませんか?』
この問いを自らにぶつけてみてください。
意味が分からなくても大丈夫です。
何度も、いろんな人が書いてますが、
その予想できないような『有難き』ことも、自らの『創造性』によって、発現しています。
仮に、外側から何か来たとしても、私の創造性が、魂が認識できないことは、発現しません。
言葉通り次元が違うので。
または、認識できなくなったものは、消えます。
言葉通り次元が変わったので。
それを認識続けたいのは、誰でしょうか。
…
と言いつつ。
顕在意識で『意識しない様に』することが、『認識しないこと』ではないので、なかなか一筋縄ではいかないところです。
なので、とりあえず。
『あー、これやりたいんやなぁ』と受け止めたフリでも良いわけです。
しばらくしてたら、思考は落ち着きます。
こうなれば、大分受け止めてます。
『まあ、死なねぇし!、いっか。』
ここまで来れば、なかなか。
もう一声ですね。
『あー、俺先のことばかり考えてた。』
うんうん。
『何が不安なのだろう』
『現実的な手順は?誰に話を通す?』
うんうん。
良い感じ、『現実的な対応』を始めるというのは、実はよい傾向です。
認識を外すのは、『不安の解消』をしている過程で起きていることが多いです。
『なるほど、こういう道筋でいこうか』
対処は、早い方が良い場合もありますが、焦った状態てやると悪化する場合が多い、その不安を認識したままの対処は、相手の不安とも共鳴して認識してしまいます。