有難きはずのこの世界において、


その苦しみもまた『有難い』ことなのですが、


どうしようもなく苦しかったりします。



この状態を他者からは


苦しみたいから苦しんでいるように見えてしまいます。


さらに言うと、またやってるよ笑笑


と言う感じでしょうか。



なぜそれに苦しむのか?


無意識ということも言うことができますが


その無意識にも階層があります。


仏教では、『〇〇織』という風に階層がありますが、これも一つの形式な区分のようなものではないかと思います。


別の言い方にすると、エーテル体、アストラル体、メンタル体…


のような魂の階層を表現したもの同じではないかと思っています。


面白いは、『〇〇織』は、より深く内側に

『〇〇体』は、より大きく外側に層のように表現されています。


この対象的でありながら、近しいものを、表現しているというところが、非常に興味深い。


二次元上で、表現しようとするとき、人によってこれほど変わってしまうということ。


つまりは、『表現』そのもの重要性は、常に『本質』には劣るということであり、しかしながら、そういった『本質』に言葉と心を尽くして表現することで、伝わる人も出てくるです。



話がずれました。


なぜそれに苦しむのか。


その『有難き』苦しみは、私が確かに感じているのですが、それは、あくまで私の『創造性』によって、発現しています。


よくよく聞く話ですよね笑


もう一丁。


その有難き苦しみは、


『外から来たものと思っていませんか?』


この問いを自らにぶつけてみてください。


意味が分からなくても大丈夫です。


何度も、いろんな人が書いてますが、


その予想できないような『有難き』ことも、自らの『創造性』によって、発現しています。


仮に、外側から何か来たとしても、私の創造性が、魂が認識できないことは、発現しません。


言葉通り次元が違うので。


または、認識できなくなったものは、消えます。


言葉通り次元が変わったので。


それを認識続けたいのは、誰でしょうか。



と言いつつ。


顕在意識で『意識しない様に』することが、『認識しないこと』ではないので、なかなか一筋縄ではいかないところです。


なので、とりあえず。


『あー、これやりたいんやなぁ』と受け止めたフリでも良いわけです。


しばらくしてたら、思考は落ち着きます。


こうなれば、大分受け止めてます。


『まあ、死なねぇし!、いっか。』


ここまで来れば、なかなか。


もう一声ですね。


『あー、俺先のことばかり考えてた。』


うんうん。


『何が不安なのだろう』


『現実的な手順は?誰に話を通す?』


うんうん。


良い感じ、『現実的な対応』を始めるというのは、実はよい傾向です。


認識を外すのは、『不安の解消』をしている過程で起きていることが多いです。


『なるほど、こういう道筋でいこうか』


対処は、早い方が良い場合もありますが、焦った状態てやると悪化する場合が多い、その不安を認識したままの対処は、相手の不安とも共鳴して認識してしまいます。