恐怖から動くときというのは、『同じ次元での解決』に執着していて、なかなかそこから出られなくなります。


感情が働いているときは、そのとか私の何か?があるのですが、その何かを覆うように感情が、『解決』へ意識を向けさせます。


「早く何とかしないと、こんなことになるよ。」

という思考は、次々と想像させ、そういう不安からのエネルギーを放ちます。


その想像にとらえられているとき。


言葉を発すると、共同創造してくれている誰かに酷い役目を与えてしまいます。


わたしの怒りが、私に返ってくる、そんなような感じです。


一昔前は、話を聞いてもらって、という方法で良かったのですが、今をもう少し違い方法が良いように思います。


怒りを溜めることは、体にとっても良くないことです。

そのエネルギーを発散するというのは、何も言葉にすることだけではありません。


体を動かす。これだけで違います。



さてさて、今私の目の前にある『問題』らしきものは、相変わらず『解決』してはいません。


その『問題』を『問題』とするのは、このストーリーの主人公である私です。


このクエストを選ぼうか?いや、こっちにもあるぞ!と気づくかは、人それぞれ。


というより、私の持ってきたエネルギー、使命、設定、癖によるものです。


他の人にとっては、目に映りさえしていないことだったりします。


人は、今を生きているのですが、あのときこういったような…みたいな感じで過去を思い出すと言うことを良くやります。


しかしながら、その過去という創造は、今しているので、本当に自分視点で体感したこととは、違うといっていい。


みんな自分の勝手な思い込みをして、過去の連続としての今だと認識しています。


何が言いたいかというと、その今行っている過去という創造もまた、私が生まれ落ちたときに持ってきたエネルギーであり、使命であり、設定であり、癖なだけなので、そのことに気がつくとストーリーから外れます。


流し続けていた不安というエネルギーが、切れるという感じでしょうか。


もう少し掴めている人であれば、それこそそんな『問題』無かったことにもできます。


これは、『認識』によるものです。


別の言い方をすると『設定の変更』です。


ゲームの画面に集中しているとその音の大きさというものが、とてもリアルで当たり前になってしまい、まさか音量が変えられるなんて思いもしないものです。


良く良く見てみれば、縁があり、それはTV画面で、音量も変えられれば、チャンネルも変えられるわけです。


一つ次元を超えるというのは、『縁』が見えてきた感じです。あれっ、ここは現実か?なんか端っこに『縁』が見えたんだけど…


もう一つ次元を超えると、あっこれ!TVじゃん。とその全体がわかります。


それから、もう一つ超えると、ということは、音量変えられるじゃん。


それからそれから、もう一つ超えると、リモコンあんじゃん!チャンネル変えられるじゃん!


という感じでしょうか。


それぞれの次元の境で、そこまでいじられないように、『感情』が反応してこの『何か?』を覆い隠すので、何らかの抵抗、『現実』というものに熱中させる何かが起こります。


例えば、TVにノイズが走ったり、音が消えたり、そうすると、やばい、このストーリーが終わってしまうと思い、どうしようもなく引き込まれていきます。


また、これがストーリーで、リモコンに気付いたところで、親から声をかけられます。

そう、ここもまたそういう『現実』の次元なのです。


神様の声が聴こえるようになったというと分かりやすいかも知れません。これも一つの例えです。


これじゃあ、終わりがないじゃないかと思われるかも知れませんが、おそらくこれが意識の拡大、認識の拡大と言われているものです。


そして、こういうことかということがわかってくるので、ストーリーから抜け出しやすくなります。


この抜け出すという言葉もちょっと注意です。


抜け出すためには、そこに囚われていると前提が必要です。

どっぷり浸かっているときは、囚われているという認識がないため、抜け出すということはあり得ません。

どうして、囚われていたことを認識できるのか、それを教えてくれるものが『問題』らしきもの(その次元で問題だと認識してしまうもの)なのです。


ここ重要!

『問題』に遭う(ぶつかる)、そして、受け入れて、流す。


このことを多くの人は、『諦観』とか『解放』といっています。


①『問題』という認識をしていることを受け入れる。

②ここからストーリーを展開させないためには、『感情』のままに誰かに言葉や行動を発しないこと。

③おそらくはまだおさまらない期間が続きますが、自己完結的に発散をする(体を動かす、本を読む、勉強をする)→これが、『遭い、ぶつかる』ということでもあります。

④『問題』が、本当に問題なのか問う。『問題』を『問題』だと認識しているのは、自分であり。『問題』と認識した瞬間に『解決』が立ち上がりますので、それが本当に問題なのか問うことで、『不安』のエネルギーから生じた思考を一旦リセットします。→これが、『受け入れる』

頭の中の思考や感情がおさまっているのなら、この段階

⑤受け入れたところを『ゼロ』として、次の選択が始まります。→これが、『流す』

ここで、何を選ぶエネルギーを発するかということになります。

単純に『不安』エネルギーを打ち消す、『そうはならない』というエネルギーで相殺してもよいし、そのままその問題の『解決』を敢えてやってみるというのもよいでしょう。



『流す』ところの選択に関わらず、『受け入れて、ゼロにリセット』できたところで、『解放』、即ち、一つ超えた次元への意識のシフト(意識の拡大)が起きています。


誰かに対しての対応を丁寧にするということの大切さは、その相手の行動を引き起こしているエネルギーは、こちらの影響があるからです。


その人がおかしなこと言っているのであれば、そういう認識をしている私がそうさせているとも言えます。


なので、はっきりと端的に伝えるというのも相手の創造者に対しての丁寧な対応である場合もありますし、相手を怒らせないように言葉を選ぶいうのも丁寧な対応でもあります。


わたしの真実を伝えることが誠実な対応であります。


その真実が、何というか。

自分がまだ辿り着いていない内容であったり、腑に落ちていない言葉だったりすると。

伝わらなかったりするのかなと思います。

本人がそのことに気づかないことも多いので、難しいところです。私自身。